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第三章 決戦は夏休み
第十一話 代わりの涙
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夏期補習も早いもので五日が経っていた。その間私は忙しさにかまけて、今一番大事な課題である所の雄太君への返事を先延ばしにしていた。
「千尋~……」
「う……ごめん。」
「謝るくらいならさっさと断ってきなさいよ。まったくあんたってば、肝心な時に優柔不断発揮するんだから……」
呆れた顔の桜に叱られた私は、しょぼんと肩を落とす。そして深い深いため息を吐いた。
今日の補習は先程終わって、我が二年三組の教室は私達しかいない。二人はそれぞれ自分の席に座っていた。
「だって雄太君、何だか私の事避けてるっていうか、全然つかまんないし。あんなに仲良かったのに実は連絡先知らないし、断ろうにもまず会えないんだもん……」
「それは!雄太君がわざと会わないようにしてるんでしょ。それに千尋の方も引け目があるから本気で見つけようとしない。違う?」
「違くない……たぶん。」
桜の言ってる事は当たってる。少なくとも私の本心はその通りだから。
「……雄太君は私に断られるのがわかってて、逃げてるのかな。」
「そうなんじゃない?それか、様子を見てるのかも。」
「様子?」
「千尋の様子よ。ただ単に自分を好きじゃないから断ろうとしているのか、他に好きな相手がいるのか。いるならそれは誰か。」
「へぇ~…そこまで考えてるのか……」
「ま、私の想像だけどね。気まずくて会えないだけかも知れないし。」
「う~ん……」
「でもまぁ、会えないんじゃしょうがない。よし、千尋!行くよ!」
「え?何処に?」
急に椅子から立ち上がる桜にビックリして顔を上げると、桜は人差し指を教室のドアに向けて言い放った。
「職員室よ!」
―――
「失礼しま~す。…あれ?高崎先生だけですか?」
職員室のドアを開けて中を覗くと、そこには高崎先生しかいなかった。隣で桜がガッカリした顔をしている。顔に出過ぎだよ、もう……(呆)
「風見さんに大神さん。まだ残ってたんですか?」
「え、えぇ。ちょっと宿題でわからない所があって、桜に教えてもらってたんです。」
「そうですか。勉強熱心ですね。」
先生が笑顔を見せながらこっちに歩いてくる。
『先生が好き』という自分の本当の気持ちに気づいた今の私にとって、そんな(無駄に)爽やかな笑顔は心臓に悪い……
「あの、藤堂先生ってもう帰りました?」
邪念を吹き飛ばしながらそう口にする。途端にその笑顔が固まった……ように見えた。気のせいかな……
「あ、あぁ…藤堂先生ならちょっと電話してくるって言って外に行きましたよ。もうすぐ戻ってくるんじゃないですか?」
高崎先生らしからぬ何処か突き放すような口調に、私は首を傾げた。
どうしたんだろう?何か先生、機嫌悪い?私何か気に触るような事言った?
いや、でもただ藤堂先生について聞いただけだし、忙しくて疲れてるのかな……?
「わかりました。先生、ありがとうございます!さようなら!」
急にテンション上がった桜が大声でそう言うと、私を無理矢理引っ張って行こうとする。私は危うくコケそうになりながらも先生に向かって笑顔を見せた。
「じゃ、じゃあ先生。また明日。さようなら!」
「……はい。明日もよろしくお願いしますね。」
いつもの穏やかな先生に戻った事に安堵しつつ、桜に連れられるまま職員室を後にした。
―――
「あ!いたいた!」
昇降口を出て藤堂先生を探すと、意外にもすぐに見つかった。昇降口を出て右に曲がると裏庭へと続く細い通路があり、その裏庭よりの所に壁に寄りかかるようにして藤堂先生がいた。携帯を耳に当て、何やら深刻な表情で話している。声をかけようとしていたらしい桜が思わず足を止める程、そこには不穏な空気が漂っていた。
「何か不味い所に来ちゃったんじゃないの?」
「うん…いつもの先生じゃないみたい……」
「帰ろっか、桜。」
「うん……」
名残り惜しげに先生の事を見る桜の腕を優しく取って帰るよう促す。小さい声で頷いた桜と二人で踵を返そうとした時、突然怒鳴り声が響いた。
「だから何だよ、それは!」
「!!」
文字通りビクンッ!と体を震わせる私達。恐る恐る後ろを振り返ると、険しい顔をした藤堂先生が電話に向かって怒鳴っていた。
「だから何でそうなるんだって聞いてんだよ!俺が悪いのか?そりゃあ…連絡しなかった俺が悪いけど、このところ忙しくて……はぁ?」
怒っていた先生が固まった。そして小さくかぶりを振ると、おもむろに携帯を持つ手を変えた。
「……わかった。そういう事なら仕方ないな。いや、全部俺がいけなかったんだよ。あぁ…今までありがとうな。じゃ……」
通話を切る『ピッ』という小さい音さえも聞こえる程の静寂が辺りを包む。だらんと力なく下ろされた手が、まるで作り物のように見えた。
どのくらいの時間が経っただろうか。視線を感じて顔を上げると、藤堂先生の驚いた顔と対面した。
「お前達…何で?いつから……?」
「あ、あの……」
言葉が出てこない。焦る私達を見て状況を理解したのか、先生はいつものように軽いノリでこう言った。
「あーあ!フラレちまったよ。新しい男ができたんだってさ。やっぱり遠距離は上手くいかないって本当だな。」
苦しくて辛くて悔しいのは自分だろうに、私達に気まずい思いをさせない為に明るく振る舞う藤堂先生に涙が出そうになる。
そっと桜の方を見ると、桜は泣いていた。
無理して笑う先生の代わりに泣いていた……
―――
あれから更に五日経った。つまり、長いと思っていた夏期補習も今日で最終日。
『やっと終わったぁ~!』と喜んでる周りのクラスメイトを横目に、私と桜はため息を吐いた。
あの日、計らずも藤堂先生の失恋現場に居合わせてしまった日から、桜はずっと元気がない。
それはそうだろう。大好きな人が傷つくところを目の前で見てしまったのだから。
明るく振る舞う先生の代わりに静かに泣く桜と、そんな桜を困ったように見つめる先生が目に焼きついて、私もいつもの元気が出なかった。
「千尋…ごめんね。」
「え?何で謝るの?」
「だって折角高崎先生に近づくチャンスだったのに、こんな事になっちゃって……」
「そんな…桜のせいじゃないでしょ?」
「でも……」
小柄な体をますます小さくする桜。私は殊更明るい声を出した。
「何はともあれ補習も無事終わって良かったじゃない。お手伝いとしてお役目も果たしたし。」
そう言うと、やっと笑顔が戻る。うん、やっぱり桜には笑顔が一番似合う。
まぁ桜の言う通り高崎先生と話すチャンスがなかったのは残念だけど、今は桜の方が大事だもん。
「帰ろっか。職員室寄る?」
「……寄る。」
一瞬考える素振りを見せたが、小さい声で肯定する。私達は同時に教室を出た。
いつの間にかクラスメイト達はいなくなっていて、廊下に出ると他のクラスの子達もいないようだった。さっきまでの騒然とした空気が嘘のように学校中が静まり返っていた。
「この分だと先生達も何人か帰ってるかもね。」
若干諦めモードの桜に頷く。確かに補習最終日の挨拶はもう終わったし、職員室には数人しかいないだろう。最後に高崎先生に会いたかったけどいないかも知れない。
「失礼しまーす……あ、藤堂先生……」
職員室を覗くと藤堂先生と、あと数人の先生しか残っていなかった。私は桜の様子を窺いながら先生に話しかける。
「藤堂先生。高崎先生はいますか?」
「あー……高崎先生ならさっき帰ったぞ。何か急に用事できたからって慌てて行っちまった。」
「そうですか……」
「あ、そうだ!千尋、ちょっと頼まれてくれないか?」
「何ですか?」
「急いで帰ったからか携帯忘れて行ったみたいなんだ。これなんだけど。」
一旦職員室の中に戻ると、高崎先生の机の上から携帯電話を持ってくる。そしてそれを私に渡してきた。
「え?」
「確かお前の家から近かったよな。届けてやってくれないか。」
「な、何で私が!」
思わず飛び上がる。藤堂先生は苦笑いしながら私を見た。
「俺の家は反対方向だしさ。だから、な?」
(何が『だから、な?』よ!!)
心で叫びながら藤堂先生を睨む。そこには苦笑いからニヤニヤした笑顔に変わった先生がいた。
「先生……もしかして?」
「え?何、桜?」
桜がハッとした顔をして私と藤堂先生を交互に見る。藤堂先生は笑みを更に濃くして頷いた。
「あらら……バレちゃってるよ、千尋。」
「千尋、お前わかりやすいから。」
妙に息の合った二人から意味深な言葉を投げられて、ようやく気づいた。途端、顔が赤くなる。
「ま、まさか……」
「うん。そのまさか。」
あっさり認めた先生に脱力する。どうしよう…高崎先生が好きだって事、藤堂先生にバレてしまった。
風見千尋、一生の不覚……
「まぁまぁ。いい事じゃないか。傷心中の身の上にしてみれば明るい話題は大歓迎だ。うんうん、青春だなぁ~」
心底羨ましいといった感じで先生が言う。無理してるようには見えない様子に桜がホッとした顔をしたのが目に入って、その事に私もホッとする。
「じゃあ頼んだぞ、千尋。……桜も気をつけて帰れよ。」
「はーい……」
「はい。先生さよなら。」
いまだに脱力する私を他所に桜が普通に挨拶する。藤堂先生は一瞬桜の方を見て複雑な顔をしたけど、すぐにいつものチャラい態度に戻って言った。
「じゃあ始業式で会おうぜ。夏休みを謳歌するんだぞ、学生!」
―――
いきなり家に行くのも悪いかなと思い、私は自分のスマホで先生の自宅に電話をかけた。
『はい、高崎です。』
「え……?」
『もしもし?どちら様ですか?』
「…………」
『もしもし……?』
ガチャンッ!思わず電話を切っちゃった……
無言電話なんて失礼だと思ったけど、でも……
「ビックリした…何で女の人が出るのよ……」
信じられなかった。だって先生の家に女の人が……
「考えるのやめよう!明日直接先生に聞けばいいんだから……」
今日は行きづらかったのでとりあえず明日行く事にする。
いつも歩く帰り道が何故か知らない道のように見えて不安になった……
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