十五年は長過ぎる

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同居までの道のり

承~いつもと違う彼~

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―――

「お疲れ様。今日の打ち合わせはどうやった?お前一人でちゃんと出来たか、ものすごーく心配なんやけど。」

 火野のジャケットを受け取ってハンガーに掛けながら私は友人に尋ねる。彼は緩く締めたネクタイをほどきながらフンッと鼻を鳴らした。

「あーだこーだ煩い助手がいなくて捗ったさ。」
「なっ……煩い助手で悪かったな!たくっ!こっちは葬儀が終わったその足でわさわざ来てやったんに……」
 ブツブツ言いながらコーヒー淹れる私を、何がおかしいのか火野はニヤニヤしながら横目で見ている。
 ささやかな抵抗としてうんと熱くしたコーヒーをずいと差し出してやった。

「あちっ!熱いだろうが……」
「フンッ!」
「子どもか、お前は。」
「誰が子どもや!」
 漫才みたいなやり取りもいつもの事だがどうしてだろう、今日の火野はちょっと様子が違うみたい。私はコーヒーを飲みながら、立ち上る湯気越しに火野の方を見た。


 今日は出版社と打ち合わせでもちろん私も同席するはずだったのだが、親戚の葬儀があって火野一人で打ち合わせに行った。

 人見知りでコミュ障な火野を一人残していく事に最後まで葛藤はあったけれど、心を鬼にして故郷へと旅立ったのである。でもやっぱり心配でこうして日帰りで帰ってきたのだった。

 私はもう一度火野を見た。一人掛けソファーに足を組んで座りながら、ボーッと宙を見つめている。対する私は真正面の三人掛けのソファーでちびちびとコーヒーを飲んでいた。

「なぁ?冗談やなしに何かあったん?誰かに嫌な事言われたんか?それとも打ち合わせ上手くいかなかったんか?」
「いや、打ち合わせ自体は無難に終わった。でも一応お前に連絡して意見を聞くって言ってたぞ。作家の俺より秘書のお前の方が決定権があるようだ。」
 いつものような皮肉も今日は何処か力がない。私は首を傾げた。

 打ち合わせが上手くいったのなら何があったのだろうか。私はしばらく火野を見つめていたが、一つ息をつくと飲み終わったマグカップを持って立ち上がった。

 こういう風になった火野はそう簡単には口を割らない。


「キッチン借りるで~」
 そう声をかけると部屋を出た。



―――

「ほな、俺帰るわ。」
「え?」
 キッチンから戻るなり言うと、何とも情けない顔で見上げてくる。それに苦笑しながら私は続けた。

「だってお前、疲れてるやろ?早く風呂入って歯磨いて寝ろ。」
「泊まっていってくれないのか。」
「は………?」
 耳が壊れたのかと思った。パッと火野を見ると、今度は迷子になった子どものような目をしてこちらをじっと見つめている。


 いやいやいや、『泊まっていってくれないのか。』だって?
 いつも冷静沈着、厚顔無恥、百戦錬磨なあの火野が?(動揺で何を言っているか自分でもわからない)
 無愛想、無口、無表情、無反応の四『無』で有名なこいつが?
 軽くパニックに陥りながら急いで頭を回転させる。

「どうした?センセイ。今日はやけに弱気やないか。やっぱり何かあったんやろ?そういう時はな、なぁ~んにも考えんと早よう寝るに限るで。」
 動揺を隠すようにわざと明るく言う。そして背を向けて帰り支度を始めた。


 意外と繊細な火野はうたれ弱い。他人のちょっとした言動に敏感だ。

 それにたまに垣間見せる影のある表情にハッとさせられる時がある。何処までも深く暗い瞳は、本当に闇しか浮かんでいないのではないかと錯覚してしまう。

 何か、私には想像も出来ない何かを抱えている。でも私は聞く事が出来ない。友人として彼を助けたいと思う反面、彼の中に踏み込む事が何故か怖いのだ。

 そう――私は臆病だ。こういう時でも彼の悩みをちゃんと聞いてあげる事が出来ない。

 本当は知りたいし力になってやりたいのに、あの何物をも映さない黒い瞳に出会う度、私の口は貝のように閉じてしまうのだ。


「さて、と……じゃあ、火野。今日はこっ……」

『今日はこれで』――その一言は言葉にならなかった。

 火野が私を後ろから抱きしめてきたからだ。

「ちょっ!……っと、どないしたん!」
「どこにも行くな!」
「……え?」
「……今日は泊まっていけ。明日の朝食はちゃんと出すから。」
「………」
 反射的に振りほどこうともがいた私の耳に聞こえた、切羽つまった火野の声。

 思わず力を緩めると更にぎゅっと強く抱きしめられた。

「お前でも人肌が恋しくなる時もあるんやなぁ。仕方がない!彼女もおらん淋しいお前の為に俺が慰めてあげよう。」
 心臓がドキドキと脈打つ。
 そんな自分の変化に戸惑いながら、努めて明るい声を出した。

 だけどしばらく待っても火野は何も答えない。私はそっと顔だけを動かして背中にはりついたままの男を見た。


――相変わらず整った顔をしている。

 目は切れ長で鼻筋も通っているし、真一文字に結んだ薄い唇もどこか色気があって魅力的だ。
 だけどいつも鋭い眼光で原稿に向かう黒い瞳は、今や伏せられていて影も見えない。

 私は自分の腰にまわってきた火野の両手を掴んで、ポンポンと軽く叩いた。


 どれくらいそうしていただろうか。そろそろ離してくれないと心臓がもたない。そう思った私は勇気を振りしぼって声を出した。

「ひ、火野?もう十分やろ?そろそろ……」
「…悪い……」
「え?」
 掠れた声が耳に響いた瞬間、私の中に電流が走った。


「もう少しだけ、このままでいてくれ……ヒカル。」
 それはまるで許しを乞うような響きを纏って私に届いた。

 いつもの彼には似合わない、神に祈るような、そして仏にすがるような声で。


 その時私は唐突に気付いた。

 あぁ、これが探し求めていた感情なのかと。

 今まで彼に抱いていた理由のわからない気持ちの正体はこんなに近くにあったのかと。


 私は内側から溢れてくる波に飲まれそうになりながらも、平静を装って頷いた。


「ええよ。気のすむまで。」



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