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人物紹介
7)原田左之助
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原田左之助は新撰組十番隊組長。谷万太郎から種田流槍術を教わり、免許皆伝。
伊予松山藩の出身だったが後に出奔。近藤勇の江戸道場、試衛館に出入りして共に上洛する。
新撰組では十番隊組長となり、種田流の槍の名手として知られた。
主だった戦闘には原田の名前が必ずあり、活躍している。
(芹沢鴨一派の粛清、長州の間者・楠小十郎斬殺、大阪西奉行与力・内山彦次郎暗殺、池田屋事件、禁門の変、三条制札事件、油小路事件等)。
副長の土方は、斎藤一と原田左之助を信頼してよく使ったという。
一時は坂本龍馬暗殺(近江屋事件)の下手人として疑われたが(暗殺現場に落ちていた鞘を伊東甲子太郎が原田の物だと証言した事と、下手人が伊予の国訛りの言葉「こなくそ!」を発したと噂された為)、実際は龍馬暗殺と新撰組とは関係がなかったといわれている。
鳥羽伏見の戦い、甲陽鎮撫隊まで新撰組として戦ったその後、永倉新八と共に靖兵隊結成。だが何故か江戸を離れてから用を思い出したと江戸に戻って彰義隊に加入、上野戦争の際に負傷し、死亡。
少々短気な人物であったようで、上官に当たる武士と喧嘩をして「腹を切る作法も知らぬ下衆め」と言われた時は本当に腹を切ってみせた。傷は浅かったので命に別状はなかった。その傷から、「死に損ね左之助」と隊内でアダ名されたようである。
腹に一文字の傷が残ったが、天気のよい日には傷を晒しながら自慢していたという。
これを元に家紋を⚪に切腹傷の一文字を入れた形にしてしまったという逸話が残っている。
新撰組の中では土方と並び、美男子だったといわれている。永倉とは仲が良くていつも一緒に行動していたようだ。
楠を暗殺した後「あぁ、良い気持ちだ」と言って笑っていたので、後で近藤に酷く叱られたと伝えられている。この事から永倉とは別の意味で豪快で豪胆だったといえる。
腹にある切腹の傷が左から真一文字にあった為、左利きでは?という説がある。
原田は上野では死なず生き延び、新潟・下関・釜山を経て大陸に渡り、馬賊の頭目になったという伝説がある。
日清戦争の時に松山で昔語りをする老軍人がいて「私は原田左之助だ」と名乗ったと伝わっている。明治40年頃の新聞で報じられたが真偽は不明。
個人的見解としては生きていたという説も魅力的だが、「身を賭けて戦いに挑み、武士らしく戦場に散った……」という最期の方がやはり原田左之助という男に相応しいと思う。
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