虹色の季節

りん

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11、打ち明け話――告白

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―――




「良いお店ですね。」

 研次は店の中をぐるりと見渡しながらそう言った。


 二人は近道なのか遠回りなのかよくわからない道を通って、二十分くらいは歩いてようやくこの店に辿り着いた。

 研次はあの黒づくめの何者かの事を聞こうとするが、春香はさっきから何かを誤魔化すように喋り続けている。

 いつもよりも饒舌な彼女の姿に戸惑っていた。


「でしょ?ここ私のお気に入りなの。いつも葉菜と…あ、葉菜っていうのは私の幼稚園からの腐れ縁で親友なんだけどね。保育士してるんだけど。」

 口調も敬語からタメ口に変わっている。

 飲むペースも最初から早く、テーブルには彼女が飲んだグラスが溢れ返っていた。

 相当酔っているのだろう。頬や目の縁がほんのりと赤く染まっていた。


「へぇ~、お友達保育士さんなんですね。」
「そうなの。あの子、子ども好きでね。どちらかというと小さい子の方が好きみたい。だから今年に入って一歳児の担当になってすごく喜んでたのよ~」

 自分の事のように嬉しそうに語り、グラスに口をつける。そして一気に飲み干した。

 研次は少々呆気に取られて自分のグラスを見つめる。そこにはまだ二杯目のウーロン茶が並々と注がれていた。

 アルコールが飲めない訳ではないのだが、すぐに赤くなるので人前ではあまり飲まないようにしている。

 それに今の時分、男性よりも女性の方がアルコールに強かったりするのだ。

 研次は自分のウーロン茶のグラスを情けない顔で見つめ、目の前の料理を食べるべく箸を持った。


 居酒屋というよりカフェのような内装の店だった。お洒落で今の若い人たちの好みそうな所で、研次たちの他にも結構客がいて賑わっている。

 研次はもう一度店内を見た。


「料理も美味しいですね。また来ようかな、今度。」

 いつの間にか新しいグラスを手にしている春香にビックリしながら話しかけると、今度は何故か沈んだ表情になっておもむろにグラスを置いた。


「前園さん?」
「何か……すみません。私ばっかり飲んで喋ってるなぁって思って……。いつの間にかタメ口きいてたし…。福島さん、無理して合わせてるんじゃないですか?」

 さっきまでのハイテンションはどこへやら、急にいつもの遠慮がちな春香に戻ってそんな事を言う。研次は思わず苦笑した。


「何言ってるんですか。さっきまでご機嫌だったじゃないですか。」
「そうなんですけど……何か急に我に返っちゃったというか、何というか……それに無理してるのは私なのかも。」
「え?」
「あ、あの!福島さん、さっきの黒い人の事見ましたよね?」
「え?あの病院の前の電柱の陰にいた?」
「そうです。」
「えぇ、見ましたが……あの人は一体?」
「ストーカーなんです。」
「ストーカー!?」

 思わず箸をテーブルに落とし、大声を上げてしまった。

 春香は慌てて人指し指を口に当て、研次も箸を拾いながら身を乗り出した。


「ストーカーって……どういう事ですか?」
「私もよくわからないんですけど、十年前くらいからあの黒づくめの人が私たちの周りをうろうろしてるんです。」
「私たち?」
「私と兄の事です。たまに葉菜の近くにもいるんです。私たち気味が悪くて……」
「詳しく話して下さいませんか?僕でよければ…ですが。」

 研次は椅子の上で一度座り直し、箸をテーブルの上できちんと揃えたうえで春香を見据えた。


「一番初めにその人を見たのは十年前、私と葉菜が16歳の時でした。丁度今くらいの季節でした。兄の病院の入り口に立ってうろうろしていた所を葉菜が気づいたんです。最初は変な人だなって思ってたんですが、段々とその人を見かける回数が増えてきて……。私が看護学校に通ってた時から最近までは現れなくなってホッとしてたんですが、また見かけるようになって…。兄もたまに病院の中庭を散歩してて見かけたとか、窓からちらっと見えたとか言ってます。それに葉菜の近くにも現れるって聞いて、本当に怖くなって……」
「同じ人物なんですか?」
「わかりません。いつも黒づくめなんで。でも多分同じ人だと思います。」
「警察へは?」
「いいえ。」
「そうですか……」

 春香は俯き、自分のグラスについた水滴を指で触っている。

 研次はしばらく空中を見つめた後、思い出したようにウーロン茶を一口飲んだ。


「本当は……今日もあの人がいるかも知れないって思って、一人では嫌だと思って貴方を誘ったんです。」

 蚊の鳴くような声だった。

 研次は春香を見る。春香はすがるような目でじっとこちらを見ていた。


「でも……貴方の事を食事に誘いたかったのも本当です。」

 何と言っていいのかわからず、研次はテーブルの上に視線を移した。


「初めて会った時は本当に親切な良い人だなぁって思ったんです。でも私多分…貴方の事……」
「前園さん。」
「………」
「……食べましょうか。」

 居たたまれなくなってつい出た言葉だった。春香の顔が見れない。


「そうですね。食べましょう。せっかくの料理を楽しまないと。」

 春香が箸を持つ気配がし、やがて食べ始めた様子を俯いたまま窺った。


 そしてしばらくそうした後、研次もようやく箸を持つ。

 美味しい料理を食べながら、自分の情けなさに涙しそうになるのを何とか堪えていた……



―――

「じゃあここで。」

 店を出てしばらく一緒に歩いたが、十字路の所で春香が急に立ち止まって言う。研次も無言で立ち止まった。


「では……今日はありがとうございました。」
「暗いですので気をつけて下さい。」

 当たり前の事を口にしながら、春香と目を合わせられずに俯いた。

 春香も俯いて足元に転がっている石ころを蹴飛ばしたりしている。

 数十秒間気まずい沈黙が流れる。やがて顔を上げた春香の気配に気づいて、研次もおずおずと顔を上げた。


「じゃあ、また……」
「はい。あの…病院の方にはまた行きますので……」
「お待ちしています。」

 無理矢理作った笑顔で言うと、春香は背を向けて歩き出した。


「はぁ~……」

 研次は深く息を吐くと、春香の姿が完全に見えなくなってから駅の方へと歩いて行った。


 そのわずか数秒後の事だった。

 物陰から現れた男は研次の後ろ姿を眺めた後、もう既に見えなくなった春香の幻影を追うようにじっと路上を見つめていたのだった……



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