上 下
58 / 99

五十七

しおりを挟む
 このとき皇太子が『可愛い』と言った言葉は厨房に戻った、わたしには聞こえていなかった。

 厨房に戻り洗い物の続きを始めると、カランコロンと出入り口のドアベルが鳴る。

「いらっしゃいませ」

「リーヤ、来たぞ!」
「気まぐれニつ」

 閉店間際にワカさんとセヤ君が来てくれた。ワカは店の雰囲気を察したのか、いつもは広いテーブル席に座るのだけど。奥の席を見てセヤ君の背中を押し、今日はカウンターに座った。

 いまのミリア亭は皇太子殿下一行を残して、騎士二人は会計を終え外で待機しているのだろう、窓越しに二人の姿が見える。

「ワカさん、セヤ君、気まぐれ二つお待ちいたしました」

「おお、今日はステーキ丼か美味そうだな。この前のビーフシチューも美味かった、最近のリーヤは料理の腕が上がったんじゃないか?」

「うわぁ美味しい。お父さん、お肉柔らかいよ」

「ありがとうございます。ごゆっくり、ワカさん、セヤ君」

 わたしの料理の腕が上がったかはわからないけど、ダンス練習あと家で朝食を作るとき、横に立ってナサが色々とアドバイスしてくれるからかも。『この味付けはいい』とか『こっちは少し薄いかな?』って、ナサと作る朝食作りは楽しい。

 ナサとの楽しい朝食を思い出して、顔が緩んでいたのか。

「なぁ、ミリア。リーヤの料理が上手くなるって、アレだよな」 

 ワカは厨房で調理するミリアに声をかけた。
 それにミリアは料理中の手を止めて、

「ん? ワカも気付いたのかい」

 ニッコリ微笑んだ。

「へえ、リーヤにもようやく春が来たんだな、シッシシ」

(……!)

 意味ありげにナサの真似をする。

「早くリーヤも隣に座れよ、飯が冷めるぞ」

(……!)

 ミ、ミリアさんまで⁉︎

「シッシシ、シッシシ!」

 セヤ君まで!

「み、みんなで、わたしをからかうのは、やめてください」

 普段から、からかわれることに慣れていない、わたしは頬と耳が熱い。

「よかった……ナサはいい奴だし、優しいから、いっぱい甘えるといいぞ」

「はい、いつも、甘やかされています……って、あっ、彼には黙っていてくださいね」

「ハハハッ、ナサ脈ありだぞ。お幸せにな」

 もしかするとわたしって、と、心に芽生えた気持ちをいまは大切にしたい。







「美味かった、ごちそうさま」
「リーヤ、ごちそうさまでした」

「ありがとうございました。また、来てください」

 ワカさん親子が帰り、いつもなら閉店を迎えるミリア亭なのだけど、奥の席の人たちは腰をあげない。

「リーヤ、店を閉めるから表の看板を閉まって、札をcloseにしてきて」

「はーい」

 表に出ようとしたとき厨房からミリアは出てきて、奥のテーブル席の人に声をかけた。

「閉店だよ、あんた達は中央区に帰らないのかい? 騎士団総隊長さんと第一騎士隊長さん、アンタらは暇じゃないんだろ? 皇太子にいい様に使われちゃって、お守りも大変だね」

(え、ミリアさん!)

「……クッ、言いたい放題言いやがって」
「店主は痛いところを突いてくるな」

 あ、なんだか揉めそう? それを皇太子が止めに入る。

「待て、今日のところは帰るが……帰る前に彼女の手を見たい」


(わたしの手を見たい?)


 訳のわからない事を言うなっと、店の外に看板と札を裏返しに出ると、さっきの騎士達の他に鎧を身につけた騎士が数人、ミリア亭の前に立っていた。

(たぶん皇太子殿下の護衛騎士と騎士団だわ……もうすぐ、舞踏会と国王祭だもの、他所の国から来ている人も北区でちらほら見かけるようになったから……何かあったら大変だものね)

 騎士達は店から出てきたわたしを見ると、彼らは一斉に頭を下げた。

「失礼しております」
「いいえ、ご苦労さまです」

 いそいそと看板をしまい、札をcloseに変えて店の中に戻った。

「ミリアさん、看板と札、終わりました」

「ありがとう、リーヤこっちに来てこの人に手のひらを見せてやって……見たら、とっとと帰るんだよ!」

 ……皇太子はどうしてか、わたしの手を見たいらしい。

 わたしはテーブルに近付き手のひらを見せると、ローブの男性は、いきなりわたしの手を掴む。

「……っ!!」

(いきなり掴んできた……離して欲しいけど、この人はこの国の皇太子だから振り払えない)

 彼はじっくりわたしの手を見て、

「ふむ、あの失礼なリルガルド国の騎士団長カートラの妹で、君がワーウルフ二体と戦った子なんだよな」

「ええ、野性のゴリラですわ。それと、ワーウルフと戦ったのはわたし一人ではありません。騎士団の方と亜人隊の皆さんとです」

 ニッコリ微笑むと。
 クッと目を逸らされて、

「君にゴリラは言い過ぎた、すまない。……しかし、剣だこが薄い、最近は剣を振っていないのか?」
 
 剣?

 どうして皇太子はこんなことを気にするの? 

 ナサが基本は体からだと言うから、最近は筋トレ中心に変えているのだけど……皇太子はいつまで手を触るのだろう、そろそろ離してほしい。

(……触り方が苦手)

 手のひらを親指でプニプニしたり、指先でサワサワ触るからくすぐったい。眉をひそめて笑わないように我慢していたのを、彼は嫌だと勘違いしたのかムッとした表情に変わった。

「君はぼくが触るのがそんなに嫌なのか? 先程、話していた……ナサという男がいいのだな」

「え、ナサ? …………ナサは関係ありません。あの、失礼を承知して申します、あなた様の触り方がくすぐったいのです。……フフッ、あっ、…………」

 ローブの中の表情が驚き、そして和らいだよう感じた。

「そうか、くすぐったいのか。ワーウルフと戦ったと聞いたから、どんな手の持ち主かと思ったが……ぼくと比べると小さな手だな」

「あ、当たり前です…………女性です」

「だが、この手で剣を握るのだろう、君はどんな剣を使うんだ?」

 どんな剣って……

「あの 、わたしのは剣ではなく……木刀です」


 そう答えると、ギュッと手を握られた。


「ぼ、木刀で、君はワーウルフに立ち向かったのか!」

「なんと」
「木刀で⁉︎」

 周りの騎士二人も驚き、わたしの顔を覗き込んでくる。

「お、襲われそうな人がいたから……あのときは緊急だったんです」

 そう伝えた。

「そうか、君は強国リルガルドの出身だったね」

「……強国? は、はい」

「すまないが。強制召喚について詳しく教えてほしいのだが」

「……はぁ」

「君の兄、カートラが強い訳を知りたい」
「今度、君とウチのものとで手合わせしてもらいたいのだが」

「ぼくも木刀を振れば強くなるのか?」

「いいえ、それは……」

(ひ、ひぃ、グイグイ来ないで、もっと、ゆっくり聞いてほしい)

 この人達に押されていた。


「「おい!」」


 低い声と、大きな手が背後から伸び、わたしの体をグイッと引き寄せて、

「リーヤが怖がっているぞ、女性一人に男が大勢で襲いかかるのは、いかがなものかな?」

 皇太子一行を牽制した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約者の側室に嫌がらせされたので逃げてみました。

アトラス
恋愛
公爵令嬢のリリア・カーテノイドは婚約者である王太子殿下が側室を持ったことを知らされる。側室となったガーネット子爵令嬢は殿下の寵愛を盾にリリアに度重なる嫌がらせをしていた。 いやになったリリアは王城からの逃亡を決意する。 だがその途端に、王太子殿下の態度が豹変して・・・ 「いつわたしが婚約破棄すると言った?」 私に飽きたんじゃなかったんですか!? …………………………… 6月8日、HOTランキング1位にランクインしました。たくさんの方々に読んで頂き、大変嬉しく思っています。お気に入り、しおりありがとうございます。とても励みになっています。今後ともどうぞよろしくお願いします!

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

「わかれよう」そうおっしゃったのはあなたの方だったのに。

友坂 悠
恋愛
侯爵夫人のマリエルは、夫のジュリウスから一年後の離縁を提案される。 あと一年白い結婚を続ければ、世間体を気にせず離婚できるから、と。 ジュリウスにとっては亡き父が進めた政略結婚、侯爵位を継いだ今、それを解消したいと思っていたのだった。 「君にだってきっと本当に好きな人が現れるさ。私は元々こうした政略婚は嫌いだったんだ。父に逆らうことができず君を娶ってしまったことは本当に後悔している。だからさ、一年後には離婚をして、第二の人生をちゃんと歩んでいくべきだと思うんだよ。お互いにね」 「わかりました……」 「私は君を解放してあげたいんだ。君が幸せになるために」 そうおっしゃるジュリウスに、逆らうこともできず受け入れるマリエルだったけれど……。 勘違い、すれ違いな夫婦の恋。 前半はヒロイン、中盤はヒーロー視点でお贈りします。 四万字ほどの中編。お楽しみいただけたらうれしいです。

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

7年ぶりに帰国した美貌の年下婚約者は年上婚約者を溺愛したい。

なーさ
恋愛
7年前に隣国との交換留学に行った6歳下の婚約者ラドルフ。その婚約者で王城で侍女をしながら領地の運営もする貧乏令嬢ジューン。 7年ぶりにラドルフが帰国するがジューンは現れない。それもそのはず2年前にラドルフとジューンは婚約破棄しているからだ。そのことを知らないラドルフはジューンの家を訪ねる。しかしジューンはいない。後日王城で会った二人だったがラドルフは再会を喜ぶもジューンは喜べない。なぜなら王妃にラドルフと話すなと言われているからだ。わざと突き放すような言い方をしてその場を去ったジューン。そしてラドルフは7年ぶりに帰った実家で婚約破棄したことを知る。  溺愛したい美貌の年下騎士と弟としか見ていない年上令嬢。二人のじれじれラブストーリー!

結婚式の夜、夫が別の女性と駆け落ちをしました。ありがとうございます。

黒田悠月
恋愛
結婚式の夜、夫が別の女性と駆け落ちをしました。 とっても嬉しいです。ありがとうございます!

戻る場所がなくなったようなので別人として生きます

しゃーりん
恋愛
医療院で目が覚めて、新聞を見ると自分が死んだ記事が載っていた。 子爵令嬢だったリアンヌは公爵令息ジョーダンから猛アプローチを受け、結婚していた。 しかし、結婚生活は幸せではなかった。嫌がらせを受ける日々。子供に会えない日々。 そしてとうとう攫われ、襲われ、森に捨てられたらしい。 見つかったという遺体が自分に似ていて死んだと思われたのか、別人とわかっていて死んだことにされたのか。 でももう夫の元に戻る必要はない。そのことにホッとした。 リアンヌは別人として新しい人生を生きることにするというお話です。

ご安心を、2度とその手を求める事はありません

ポチ
恋愛
大好きな婚約者様。 ‘’愛してる‘’ その言葉私の宝物だった。例え貴方の気持ちが私から離れたとしても。お飾りの妻になるかもしれないとしても・・・ それでも、私は貴方を想っていたい。 独り過ごす刻もそれだけで幸せを感じられた。たった一つの希望

処理中です...