しずかのうみで

村井なお

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第十一章 しずかのうみで

59.しずかのうみで

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「……ん」

 自分の声が聞こえて、目がさめた。

 目を開ける。

 見えたのは、天井の木目に竹のすだれ。
 その向こうには緑の樹々、すきまから青い空。

 見覚えはある。

 姫神神社?

 でもわたしの部屋じゃない。

 起きあがり、周囲を見わたす。

 あ、一階の居間だ。
 みょうに視界が低いと思った。

 ふと見ると、隣のふとんにのどかが寝ている。

 時計を見ると今は十二時半。
 もうお昼をすぎている。

 何気なく髪をさわろうとしたら。
 あれ? なんか後ろが短い?

 そうか。自分で切ったんだっけ。

 ……えっと、黄泉醜女と対決して、のどかのものまねをしてたら本人が登場して、お母さんの声が聞こえた気がして……。

「ニオ!」

 そうだよ、ニオ!

 ニオはどうしたんだろう? 居間にはいない。

「のどか! 起きて! ニオがどこにいったか知らない!?」

 肩をゆさぶっても起きないので、ほほをぱしぱしたたく。

「……んぁ。寝へないよ」

「寝てたから! ていうか今も寝てるから!」

 のどかがふとんからはい出てくる。

「ここはどこ? あれ、のどかがいる。じゃあ、わたしはしずか?」

 ダメだこれ。寝ぼけてる。

 いくら髪が短いからって、わたしを自分と間違えるってどうなの?

 ……え。まさか入れかわったりしてないよね?

 布都御魂剣をいっしょにかかげたとき、意識が混線して体が入れ替わっちゃったとか……。

「嘘でしょ!?」

 あわててのどか(だと思う)の体をまさぐる。

「何? 何? ぎゃああああ!」

「……あ」

 まちがいない。
 目の前にいるのはのどかだ。

 左手の小指に黒いあざがある。
 幽気を結びつけた跡だ。

「これ、もしかして残っちゃうのかな」

「……いいよ。そんなに目立たないし」

 と、のどかは目をこすり、左手をさすった。

「痛くないの? 広がったりしないといいけど」

「心配しすぎだよ」

 と、のどかは肩をすくめて見せる。

「それよりニオでしょ」

「そうよ! ニオはどこ? だいじょうぶなのかな?」

 のどかはあくび混じりにのんびりこたえた。

「だいじょうぶだよ。今朝一度起きたとき会ったけど、元気だった」

「よかったー」

 張りつめていた緊張が一気に抜けた。

 と、ふすまが開き、みちるさんが入ってきた。

「しずか、ようやく起きたのね。もうお昼まわってるわよ」

 みちるさんはあきれたように笑った。

「みちるさん、おはよう! ニオ、どこにいる? もう帰っちゃった?」

「まだいるわよ。念のためもうちょっとうちで様子を見て、夕方くらいに迎えに来てもらうわ。今は外にいるはず、ってちょっと待ちなさい

 みちるさんは駆けだそうとしたわたしを押さえて顔をのぞきこんだ。

「どうしたの、みちるさん?」

 みちるさんは、わたしの顔をじっと見つめている。

「……神目かむめ、左目の色がうすくなってる。昨日、ずっと使ってたからね」

「え! 目立つ?」

「ちょっとね。カラコン入れてれば平気よ。……というか、しずか」

 みちるさんが頭に手を置く。

「わたし、まだ何もしてないよ!?」

「あんた、髪の毛無理やり切ったでしょ! ばっさばさ!」

「マジですか」

 神器でヘアーカットは無理があった?

「まったく。夕方になったらまた義兄さんが来てくれるから、美容院ね」

 そう言って、みちるさんがぐしゃぐしゃと頭をなでる。

「ほら、ニオちゃんのところに行くんでしょう?」

「そうだ! 外だよね?」

 背中をたたかれた勢いにのって、わたしは走りだす。



 玄関から外に出る。

 神社の空気は今日もきれいだ。

 ……そのさわやかな青空の下、参道にはアンプが並べられている。
 参道の正中に立っているのは、もちろん金髪で色黒でセーラー服でエレキギターを持った神さまだ。

「あ、しずかちゃん。元気そうですね」

「……はい。おかげさまで」

「ところでこれを見てくださいです」

 姫神さまがエレキギターをかき鳴らす。

 神社の清澄な空気に、ひび割れた電子音が響く。

「琵琶を折っちゃったこと、みちるちゃんがまだ怒ってるです。琵琶ってちょっとお高いらしくて、反省するまで買ってあげないと言うのです。このままだとみずうみの名前が琵琶湖からエレキギター湖になっちゃうですよ」

「……いいんじゃないでしょうか。では、わたし急ぐので」

「あれ、しずかちゃん? いいんですか? ちょっとー?」



 本殿の裏にまわると、やっぱりここにいた。

「ニオ!」

 大きな石に腰かけていたニオが振りむく。

「しーちゃん! よかった!」

 走ってきたニオを抱きとめる。

 ふわりと真っ白な髪が舞い、太陽の光を受けてきらきらと輝く。

「ニオ、その髪……」

「うん。学校行くときにはまた染めるけど、今日はいいかなって」

 ニオは「えっとね」と口ごもった後、わたしの耳もとでひそひそささやいた。

「かーくんがね、『白雪みたいできれいだね』って」

「……うわあ」

 よく平気でそういうこと言えるよね、うちの弟は。

「二人とも、やっぱりここにいたんだ」

 と、ちょうどそこにのどかがやって来た。

「あ、かーくん」

 ニオがほのかに顔を赤らめる。

 だからわたしは、ニオを抱きしめて言ってやった。

「やあ、僕のどか! ニオの髪は白雪みたいできれいだね!」

 とたんにニオの顔面が火を吹く。

「ししししーちゃん!? でもわたし女の子だからかーくんが高校生になってもしーちゃんと結婚できないし大学生になったら遠距離でいっしょのお墓には入れないよ!?」

 ニオの叫びが空に吸いこまれていく。

 さやさやと風が吹き、湖面にはさざ波が広がっている。

 風の音。

 水の音。

 人の音。

 神さまの音。

 荒ぶるでもない。

 凪ぐでもない。

 音に満ちたしずかのうみで、わたしたちは生きていく。

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