しずかのうみで

村井なお

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第十章 二人ならできること

56.もういいよ

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 お父さんが鳥居の前に車を停める。

 鳥居の横に『多賀神社』と看板が出ている。

「いるかな?」

 お父さんがあたりをうかがう。見える範囲に人影はない。

「うん。いるよ、お父さん」

 ずっと糸は目で追っていたし、もっと明らかな証拠も見えている。

 鳥居の向こう、境内から赤黒い幽気が立ちのぼっている。

「黄泉醜女はここにいる」

 のどかはさっきから目をつぶって黙っている。呼吸が荒い。

 わたしは、のどかを起こさないようにそっと膝から頭をおろした。

「ここまで来たらもう平気。お父さん、のどかをよろしく!」

「あ、しずか!」

 お父さんの声を背に、車のドアを開けて駆けだす。

 激しい風にのった大粒の雨が、全身を横なぐりにする。
 水干も袴もあっという間にずぶ濡れになる。

 鳥居をくぐり、参道を走る。

 出発する直前、みちるさんが言っていたことを思い出す。

『黄泉醜女の呪法には時間がかかる。嵐が起きている間は姫神さまの神気かむきが満ちているから、思うように幽気をつむげなくなる。そのときがチャンスよ』

 手水舎ちょうずやを過ぎて、拝殿が見えてくる。
 神社のつくりはどこも似ているから迷うことはない。

『ただ、ずっとみずうみを放ってはおけない。この嵐はバランスが崩れて起きた天災だから、御鎮めしないといけない。わたしと姫神さまはギリギリまで待ってから御鎮めする。それまでに何とかしなさい』

 幽気は拝殿の向こうから立ちのぼっている。

 やっぱり本殿にいる?

 ううん。もっと奥からだ。

 社殿の横を走る。

 本殿の屋根の向こうに大きな樹が立っている。

 その根元に……いた!

 雨風をよけるように、茂った葉の下に黄泉醜女は立っていた。

 そのすぐ横に、ニオが寝転がっている。

 ……ニオっ!

 布都御魂剣のさやを払い、声をださず、足音をたてず、一気に距離をつめて。

「やあああああ!」

 思いっきり剣を振る!

 重い手応え。

 黄泉醜女は腰をくの字に曲げて草むらにふっとんでいく。

「……いったぁ」

 両手がしびれた。
 ソフトボールのバットで芯をとらえきれなかったときの、あの感じ。

 忘れていた。この剣、日本刀とは逆に、刃は反った内側についているんだった。
 今はそれを忘れ、全力全開でみね打ちをしてしまった。

 とはいえさすが神器。
 わたしの力でもふっとばせたし、黄泉醜女に触れてもきれいなままだ。

 うん。とにかく結果オーライ。

 このすきにニオに駆けよる。

 ニオは樹の根っこの上で倒れていた。
 真っ白な髪の毛が広がっている。

「ニオ! ニオ! 目を覚まして!」

 青白くなったほほをたたく。

 黒に血の朱色をたらした幽気が、束になってニオに絡みついている。

 たまひきの術だ!

 何本?

 今、何本結ばれてる?

 ひ、ふ、み、よ、いつ……。

 ああ、もう! 結び目、ぐちゃぐちゃ!

 それでも十には届いてない。

 ついさっき教わった。
 わたしたちは今数え年で十二歳。だから、まだもう少しはだいじょうぶ。

「……しーちゃん?」

 ニオがようやく目を開ける。

「ニオ! よかった!」

 赤黒い風が吹く。

 遠くの暗がりで影が動いた。

「やつが動きだした! 時間ないからおとなしくしててね!」

 布都御魂剣で幽気の結び目を御解ししていく。

 刀身がニオの体を傷つけないように、一本ずつ、一本ずつ。

「……しーちゃん。逃げて」

「何言ってるの!」

 一本、また一本。

 切っても切っても、幽気のひもはすぐに絡みついてくる。

 それでも御解しするほうがちょっと早い。さすが神器!

「だいじょうぶだから、ちゃんと間に合うから!」

「もういいよ」

 ニオは、そう言って弱々しく笑った。
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