しずかのうみで

村井なお

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第九章 凪の日

51.みずうみの守り神

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 夕方になると、とうとう風が吹き始めた。

 拝殿の戸がかたかた揺れる。

 わたしとのどか、そして姫神さまは拝殿の外に出て空の様子をうかがった。

 夕日に赤くそまった空を、雲が走り抜けていく。

「これ、夜になる前に嵐になっちゃいません?」

「神気が暴発するにはまだ早いです。……今吹いてるのは、うみの風ではないです」

 のどかが右手を右目にあて、垣間見の術を使う。

「ほのかに黒いかすみがかかってますね。これが幽気ですか」

「ですです。神気が枯れていると、幽気がのさばってきてやがるです。こういうのを、気枯けがれというのですよ」

 そうして空を見上げていたら、電話の鳴る音がかすかに聞こえてきた。

「僕、出てくるよ」

 のどかが社務所に走っていく。

「……」

 さっきから、みょうに姫神さまの口数が少ない。

「めずらしく不安そうですね」

「めずらしくはないですよ。神さまはいつも氏子うじこのことを気にかけてるです。神さまは祖神おやがみ、つまりご先祖さまです。子孫である氏子は、みんなぼくの子なのです」

 金髪色黒でセーラー服のお姉さんがご先祖さま。うーん。

「今は沖島のことが気になるです。あそこは風と波の影響をもろに受けるですから」

「みずうみに浮かんでますもんね」

「ま、きっとだいじょうぶです。島っ子は慣れてるですから」

 と言って、姫神さまは拝殿に引きかえしていった。

 そっか。姫神さまはみずうみの守り神なのに、今はわたしたちのことだけを見ていてくれるんだ。ひとりじめじちゃってる。

「あの、姫神さま」

 姫神さまの後を追って声をかける。

「みちるさんが帰ってきたら、沖島を見に行ってください。奥津宮おくつみや神社でしたっけ。姫神さまなら向こうのお社までひとっ飛びですよね?」

 姫神さまはゆるやかに笑って、わたしの頭をなでた。

「しずかちゃんは他の人のことばかり考えてるですね。いい子すぎるです」

 いい子すぎる。そんなこと初めて言われたな。

 と、頭の上で姫神さまの手がこわばるのが感じられた。

「姫神さま?」

「……どうやら、島がちょっとまずいようですね」

「え! もう嵐がきてます?」

 姫神さまがうなずく。

「今はまだ平気です。ただ、この後土砂くずれが起きる気配がするです。沖島はほとんどが山なのですよ」

 ちょうどそのとき拝殿にのどかが戻ってきた。

「お父さんからだった。今は街のガソリンスタンドで、すぐこっちに着くって」

「姫神さま!」

「聞いてますですよ」

 ただならぬ緊張感に、のどかは「どうしたの?」と首をかしげている。

「沖島で土砂くずれが起きるかもなんだって」

「え!」

「姫神さま。ここはもうだいじょうぶなんで、島に行ってください」

 姫神さまが腕を組んでうなる。

「……みちるちゃんが帰ってくるなら、だいじょうぶですかね」

 姫神さまがわたしとのどかを交互に見る。

「はい。だいじょうぶです! 神札がありますし、戸締まりして、魂祓えしてます!」

 わたしが力強く言うと、姫神さまは満足気にうなずいた。

「じゃあ、ここは頼みましたです。ぼくは、少しだけ沖島に行ってきますです。すぐに帰りますからね」

 そう言い残して、姫神さまは本殿へと歩いていった。
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