しずかのうみで

村井なお

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第六章 お出かけしよう

39.白

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「そこまでですよ」

 視界を横切る白い影。

 ふつ、ふつ、と幽気が切れる。

 飛んできたのはばちだった。

 ぽろろろん、と琵琶の音がする。

「よくがんばったです。感心感心」

 現れたのは、幼い女の子だった。

 わたしよりだいぶ背が低い。着ているのはセーラー服で、髪は金髪で、肌が黒くて……。

「姫神さま!?」

「はい、姫神さまですよ」

「どうしてここに? っていうか何かちっちゃい!」

「辺津宮ではこの姿なのです」

 ぽろろろんと、姫神さまが琵琶を爪弾く。

 すると。黒づくめが身にまとっていた幽気が解れていく。
 あたりに立ちこめていた幽気も、すうっと薄くなっていく。

 黒づくめが二歩、三歩と後じさる。

「よくもうちの子たちに好き勝手してくれやがったですね」

 姫神さまは振りかぶり……琵琶で思いきりなぐりつけた!

 黒づくめがふっとんでいく。

 そして夕暮れの暗がりに溶けて消えていった。

「琵琶って、そういう使い方する祭具なんですか?」

「んなわけないです。ムカついたのでついやっちゃったですよ。どうしようです」

 姫神さまは、泣きそうな顔をしながら、真っ二つに折れた琵琶を持ち上げた。

「いや、そんなことよりニオちゃんですよ」

「そうだ!」

 髪の毛が真っ白になったニオが、道の上でぐったりと眠っている。

 ニオの口もとに頬を近づけ、胸には手のひらをつける。
 ……呼吸はあるし、脈ももだいじょうぶ。

「……ん」

 そうこうしているうちに、のどかが目を覚ました。

「えっと、黒づくめは? ニオは?」

 のどかは立ち上がったが、頭を押さえてふらふらしている。

「もうだいじょうぶ。黒づくめは消えたし、ニオは平気。まだ気を失ってるけど、」

「いやああああ!」

 背後から叫び声が聞こえた。

 ニオだ。

 振りかえる。ニオは白くなった髪をつかみ、かき集めている。

「いや! 見ないで、見ないで!」

「ニオ、」

 わたしが近づくと、ニオは「やだ! いや!」と、がむしゃらに手を振りまわした。

 ニオの手がわたしのほほにあたる。ぴっと切れる感触。爪があたったみたい。

 ニオが振りまわす手をかいくぐり、そっと頭を抱く。

「ニオ、だいじょうぶだよ。誰も見てないから。のどかは見てないから」

 ちらりと視線を向ける。
 のどかは小さくうなずき、背中を向けた。

「やだよ、こんなの、白髪で、おばあちゃんで、もうすぐ死んじゃって、わたし、わたし、」

 ニオがわたしの体に手を回す。背中に爪が食いこむ。

「だいじょうぶ。ニオはおばあちゃんなんかじゃないよ。ニオかわいい。超かわいい」

「しずかちゃん、これを」

 姫神さまがキャスケットを差しだしてくる。ニオのだ。さっきの騒ぎで吹っとんでいたのを拾ってくれたらしい。

 抱きついているニオをそのままに、わたしは半ば無理やりニオの髪をキャスケットに押し込んだ。
 髪、ぐしゃぐしゃになっちゃうけど、ごめんね。

「ほら、もうだいじょうぶ。全部入ったよ」

「……はい、った?」

「うん。これなら誰にも見えないよ。のどかにも、わたしにも見えないよ。ニオは帽子似合うよね。めちゃくちゃかわいいよ」

「……」

 ニオが静かになる。

 赤ちゃんのように、ニオはわたしに抱きついたまま眠りに落ちた。

 キャスケットをそっとなでる。

「よくがんばったね、ニオ」

 道の向こうから、みちるさんが走ってくるのが見える。

 いつの間にか日は暮れて、道のわきでは電灯が光っていた。
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