しずかのうみで

村井なお

文字の大きさ
上 下
31 / 59
第五章 自分にできること

31.魂祓え

しおりを挟む
 拝殿の戸を前に、みちるさんは一度立ち止まり、大きく息を吸った。

 それから「ふっ」と鋭く息を吐き、拝殿の戸を開けた。

 拝殿の中央に、ニオが座っている。

 わたしとのどかを見て、ニオはほのかに笑みを浮かべた。
 けれど、黙ったままで一言も口にしなかった。

 その様子を見て、息をのむ。

 これは、真剣な儀式なんだ。

 みちるさんの指示に従い、わたしとのどかは、拝殿の壁や祭壇を大幣で祓い浄める。

 それからみちるさんは祭壇の前、ニオに背中を向けて立ち、大きく二回拍手を打った。

 そして振りかえり、大幣でニオの全身を祓い浄める。

 いつまでたっても何も起きない。

 と、思っていたけれど。

 ふと違和感をおぼえる。

 拝殿の中が心なしか暗く、重い。

 わたしは左手で垣間見の術をおこなった。

 暗さの正体は、黒いかすみだった。

 特にニオの周りが濃い。
 墨汁に血をたらしたような色のかすみが、ニオを囲んでいる。

 ほのかに花の匂いがただよってきた。

 秋の匂い。
 金木犀? ちょっと腐りかけているような。

 背筋に汗がはしる。

 手を伸ばし、隣に座るのどかの手をにぎった。

 のどかはちらりとこちらを見てから、わたしの手を握りかえした。

 みちるさんが御解みほぐし、御寧みやすめと祭祀をすすめていくと、次第に赤黒いかすみはうすれて消えていった。

 みちるさんがまた大きく二つ拍手を打ち、祭祀は終わった。

「ありがとうございました」

 ニオが頭をさげると、みちるさんは満足気に笑って、ニオの頭をなでた。

 いつの間にか、みちるさんは汗だくになっていた。

 祭祀が終わった後、ニオはわたしの顔をのぞきこんで「顔色悪いけど、だいじょうぶ?」と心配してくれた。

 わたしは「だいじょうぶ」と返すのが精いっぱいだった。

 ニオは明日の準備をするからと、あいさつもそこそこに帰っていった。

「みちるさん。ニオについていた、あれって」

 わたしの問いかけに、祭祀の後かたづけをしていたみちるさんの手が止まる。

「なんか赤黒くて、乾いた血の跡みたいな色のかすみ。あれも神気なの? 今まで見た神気は白に薄紫色だったけど、それとはちがうっていうか」

 みちるさんはわたしにうなずいてから、のどかに聞いた。

「のどかには見えなかった?」

「うん。ただ、嫌な感じは伝わってきた」

「そう。のどかもそのうち見えるようになるわ。見えるようになってしまう」

 みちるさんは腰を低くして、わたしたちの顔を正面から見た。

「あれは神気じゃない。今日ニオちゃんについていたのはね、幽気かそけき。神気は神世かむよのものだけど、幽気は幽世かくりよのものなのよ」

「幽世?」

「いわゆる、あの世ね」

「……あの世って。ニオには、そんなのがついてるの?」

「もしかしてニオの不運体質って、そのせい?」

 のどかがそう聞くと、みちるさんは重々しくうなずいた。

「そう、ニオちゃんは幽気につかれやすい体質なの。これまで何度も事故にあったり、病気をしたりしてるわ。幽気が魂を引っぱってるのね」
「……じゃあ、もし引っぱられちゃったらニオは、」

 みちるさんがひとさし指でわたしの口をふさぐ。

「不吉なことは言葉にしない」

 小声でささやくみちるさんに、うなずいて返す。

「今日のは魂鎮めじゃなくて、魂祓えだって、みちるさん言ってたよね」

 というのどかの質問に、みちるさんは「ええ」とうなずいた。

「魂鎮めとは、何がちがうの?」

「相手にするものがちがう。魂鎮めは神気を御解しし、御寧めする。魂祓えでは幽気を相手にする。このちがいは大きいわ。わたしたちの本分は魂鎮めであって、魂祓えではない。それでもやらないわけにはいかない」

 幽気。あれを相手にする。想像しただけで身ぶるいがしそうだ。

 あの漆黒に血の朱色をたらしたようなかすみ。腐りかけた金木犀の匂い。

 その先には、幽世がある。

「しずか。そんなに心配しなくてもだいじょうぶ。今日も、ニオちゃんについた幽気はそんなに多くなかったでしょう?」

「……うん。ちょろっとだった」

「それはね、いつも風にあたっているから。風にはね、わずかだけど祓う力があるの。それに琵琶湖には姫神さまがいるでしょう。姫神さまのご加護をうけた風には神気が満ちているわ。幽気はとても近づけない」

 そういえばニオは言っていた。ニオの一家は、みちるさんの助言にしたがってみずうみに近い場所に住んでいると。

 今日、魂祓えを前倒しでおこなったのもそのためだったんだ。
 近江八幡の町に行くとなると、琵琶湖からはなれることになるから。

「むやみに恐れないで。あんたたちは日々の修行やお勤めをがんばればいいの。修行で神通力は強くなる。神社でのお勤めは、人や土地との縁をつくる。魂を現世に強くむすびつける」

 みちるさんはわたしとのどかの肩にぽんと手を置いた。

「目の前のこと、自分にできることをすればいいの」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

オオカミ少女と呼ばないで

柳律斗
児童書・童話
「大神くんの頭、オオカミみたいな耳、生えてる……?」 その一言が、私をオオカミ少女にした。 空気を読むことが少し苦手なさくら。人気者の男子、大神くんと接点を持つようになって以降、クラスの女子に目をつけられてしまう。そんな中、あるできごとをきっかけに「空気の色」が見えるように―― 表紙画像はノーコピーライトガール様よりお借りしました。ありがとうございます。

夢の中で人狼ゲーム~負けたら存在消滅するし勝ってもなんかヤバそうなんですが~

世津路 章
児童書・童話
《蒲帆フウキ》は通信簿にも“オオカミ少年”と書かれるほどウソつきな小学生男子。 友達の《東間ホマレ》・《印路ミア》と一緒に、時々担任のこわーい本間先生に怒られつつも、おもしろおかしく暮らしていた。 ある日、駅前で配られていた不思議なカードをもらったフウキたち。それは、夢の中で行われる《バグストマック・ゲーム》への招待状だった。ルールは人狼ゲームだが、勝者はなんでも願いが叶うと聞き、フウキ・ホマレ・ミアは他の参加者と対決することに。 だが、彼らはまだ知らなかった。 ゲームの敗者は、現実から存在が跡形もなく消滅すること――そして勝者ですら、ゲームに潜む呪いから逃れられないことを。 敗退し、この世から消滅した友達を取り戻すため、フウキはゲームマスターに立ち向かう。 果たしてウソつきオオカミ少年は、勝っても負けても詰んでいる人狼ゲームに勝利することができるのだろうか? 8月中、ほぼ毎日更新予定です。 (※他小説サイトに別タイトルで投稿してます)

守護霊のお仕事なんて出来ません!

柚月しずく
児童書・童話
事故に遭ってしまった未蘭が目が覚めると……そこは死後の世界だった。 死後の世界には「死亡予定者リスト」が存在するらしい。未蘭はリストに名前がなく「不法侵入者」と責められてしまう。 そんな未蘭を救ってくれたのは、白いスーツを着た少年。柊だった。 助けてもらいホッとしていた未蘭だったが、ある選択を迫られる。 ・守護霊代行の仕事を手伝うか。 ・死亡手続きを進められるか。 究極の選択を迫られた未蘭。 守護霊代行の仕事を引き受けることに。 人には視えない存在「守護霊代行」の任務を、なんとかこなしていたが……。 「視えないはずなのに、どうして私のことがわかるの?」 話しかけてくる男の子が現れて――⁉︎ ちょっと不思議で、信じられないような。だけど心温まるお話。

アルダブラ君、逃げ出す

んが
児童書・童話
動物たちがのびのびとおさんぽできる小さな動物園。 あるひ、誰かが動物園の入り口の扉を閉め忘れて、アルダブラゾウガメのアルダブラ君が逃げ出してしまいます。 逃げ出したゾウガメのあとをそっとついていくライオンのオライオンと豚のぶた太の三頭組が繰りひろげる珍道中を描いています。

忠犬ハジッコ

SoftCareer
児童書・童話
もうすぐ天寿を全うするはずだった老犬ハジッコでしたが、飼い主である高校生・澄子の魂が、偶然出会った付喪神(つくもがみ)の「夜桜」に抜き去られてしまいます。 「夜桜」と戦い力尽きたハジッコの魂は、犬の転生神によって、抜け殻になってしまった澄子の身体に転生し、奪われた澄子の魂を取り戻すべく、仲間達の力を借りながら奮闘努力する……というお話です。 ※今まで、オトナ向けの小説ばかり書いておりましたが、  今回は中学生位を読者対象と想定してチャレンジしてみました。  お楽しみいただければうれしいです。

左左左右右左左  ~いらないモノ、売ります~

菱沼あゆ
児童書・童話
 菜乃たちの通う中学校にはあるウワサがあった。 『しとしとと雨が降る十三日の金曜日。  旧校舎の地下にヒミツの購買部があらわれる』  大富豪で負けた菜乃は、ひとりで旧校舎の地下に下りるはめになるが――。

極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。

猫菜こん
児童書・童話
 私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。  だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。 「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」  優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。  ……これは一体どういう状況なんですか!?  静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん  できるだけ目立たないように過ごしたい  湖宮結衣(こみやゆい)  ×  文武両道な学園の王子様  実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?  氷堂秦斗(ひょうどうかなと)  最初は【仮】のはずだった。 「結衣さん……って呼んでもいい?  だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」 「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」 「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、  今もどうしようもないくらい好きなんだ。」  ……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。

魔界カフェへようこそ

☆王子☆
児童書・童話
小さな踏切の前で電車を待つ一人の少年。遮断機がおり警報機が鳴りだすと、その少年はいじめという日々から逃れるため、ためらいなく電車に飛び込んだ。これですべて終わるはずだった――。ところが少年は地獄でも天国でもない魔物が暮らす世界に迷い込んでしまう。

処理中です...