しずかのうみで

村井なお

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第四章 春の嵐

26.初めての御鎮め

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 駐車場を出て少し歩くと、すぐに風が強くなってきた。

 まだ雨は振りだしていないけれど、神社までもつかどうかはかなり怪しい。

「これは走って帰ったほうがよさそうだね」

 というのどかの言葉に、わたしは首を横に振った。

「……ううん。それより嵐を鎮めよう」

「え?」

 と、のどかが振りむく。

「この天気、おかしい気がするの」

「そう?」

「もしかしたら神気のせいなんじゃないかな」

 わたしの言葉に、のどかが考えこむ。

「そうとは限らないよ。漁師さんも予測してたみたいだし、自然現象なんじゃないかな。春の嵐なんて言葉もあるくらいだし、珍しいものじゃないと思う」

「ううん。さっきから何か変な気配がするんだって! はっきりはしないんだけど、匂いが混じってるような……。のどかにはわかんないかもしれないけど」

 あ。

 のどかは表情を変えないまま、すっと目線をそらした。

 わたし、言わなくていいこと言っちゃった。
 神通力に目覚めていないこと、のどかは気にしているかもしれないのに。

 そうこうしている間にも風は強くなっていく。

 来るときにはしずかだった琵琶湖が荒く波を立たせている。

「……しずか、神気のひもは見える?」

 のどかは考えこみながらそう言った。

「ううん。探せばどこかにあるかもだけど」

「探すだけ探してみよう。しずかが言うならそうなのかもしれない」

「え、うん」

 何だか、申しわけなくなる。
 心ないことを言ったわたしを、のどかはそれでも信じてくれている。

「でも、探すだけだよ。御鎮めはなし」

 そう言ってのどかは両手で大きくバツ印をつくった。

「何で? 荒御魂あらみたまだとわかっていて放っといちゃダメでしょ!」

「一昨日みたくまた神気におそわれたら、今度はどうなるかわからない」

「あのときはダメだったけど、今度はちがうよ!」

「まだほとんど修行してないんだ。同じだよ」

 のどかの言うことは正しいと思う。心配してくれているのもわかる。

 でも。

「……それでも! それでもやるの。この嵐はみんなの暮らしをじゃましてる。みずうみの漁師さんも、ニオのおばさんみたくお店をやってる人も、他のいろんな人も、きっとみんな迷惑してる。さっきもニオ、危なかったし!」

 のどかを見つめる。

「……わかった」

 ようやくのどかがうなずいてくれた。

「でも、本当に魂鎮めなんてできるのかな」

「とにかくやってみる!」

 メガネを外してのどかに預ける。

 左の神手で輪をつくり、左の神目でのぞく。垣間見かいまみの術だ。

 どこかに神気がむずばれているはず。
 みちるさんは言っていた。神気は大気を奮わせて嵐を起こすことがあると。

 どこ? 神気はどこにむずばれている?
 あちこち見まわしても、なかなか見つからない。

「……あった!」

 のどかの頭の後ろに白いひも!

「でも、ぐちゃぐちゃに絡まってる!」

 のどかが無言で守り刀を差し出してくる。

 受けとり、うなずく。
 さやを払うと銀色の刀身が現れた。

 みちるさんの言っていたことを思い出す。
 大事なのは道具の意味。

「これは切るもの、これは切るもの、切るもの、切る、切る……」

 絡まった神気にあててそっと引く。
 ふつ、と神気の束が一本切れた。

 いける!
 全体からしたらほんの一部だけど、御解しできた。

 今度はもっと一度にいこう。
 振りかぶって……振りおろす!

「はっ!」

 ふつつつつ、と神気の束が切れていく。

「効いてる!」

 さっきまで耳にうるさいくらいだった風が、今はそよ風になっている。真っ黒だった頭上の雲も薄くなり、切れ間から青空がのぞき始めた。
「しずか、その後!」

「わかってる!」

 終業式の日は御解しした神気にやられた。今度はどうすればいいかわかっている。

 守り刀を胸の前にかかげ、刃先を見つめる。

 白いかすみとなった神気が集まってきた。
 うずをまくように守り刀に吸い込まれていく。

「のどか! 御寧めの祝詞ってどんなんだっけ!」

一二三ひふみ 一二三ひふみ

 奥津鏡おくつかがみ 辺津鏡へつかがみ 十握剣とつかのつるぎ

 布留部ふるべ 由良由良止ゆらゆらと 布留部ふるべ

「……もう一回!」

「一二三 一二三

 奥津鏡 辺津鏡 十握剣

 布留部 由良由良止 布留部」

「……うりゃああああ!」

 そんなの覚えられるか!
 大事なのは気合いだ!

 守り刀を握った手から、何かがわたしの方へ入ってくる。
 腕、肩、胸、お腹、そしておへその下まで。

 あたたかくて、やわらかい。
 ぬるくなったお風呂で寝ちゃうときのように。

 眠くなって、すうっと意識が……。

「しずか!」

 肩に手が置かれる。のどかの手だ。

 飛んでいきそうだった意識が、元のところに戻ってきた。

「のどか! もっとぎゅーっとして!」

 のどかが背後から腕をまわしてくる。
 背中にのどかの鼓動を感じる。

「えーっと、ふるふる、ゆらゆら!」

「しずか、それちがう!」

 それでも。
 自分の意識だけが体に残って、さっき入ってきたものだけがどこかへと消えていくのを感じる。

 効くんだ!

 やけくそで適当だったのに効果があって、自分自身めちゃくちゃにビックリした。

 まあいっか!
 祝詞はてきとうでも、効きさえすればオッケーなのだ!

「やった! 成功! やればできるじゃん、わたし!」

 振りかえり、正面から思いっきりのどかを抱きしめる。

「しずか。折れる。腕が折れる」

 みんなのハッピーをじゃまする嵐は、これでもう起きない!

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