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第七章 後悔しない選択肢を選べ

06.

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 そのとき。

 廊下の向こうから、パタパタとサンダルで走る音が聞こえた。

 背筋に冷たいものが走る。

 あのときは、足音が教室の前で止まって、ドアが開いて……。

 しかし、今度の足音は教室の前を素通りし遠ざかっていった。

 見上げれば、試験監督の先生も、周りの生徒たちも、一様に皆廊下の方を見ていた。

 ドアの窓からは何も見えないというのに。

 と、今度は窓の外、校庭の方から音が聞こえてきた。

 けたたましい音。

 乗り物の絵本なら、『ピーポーピーポー』と表記されるであろう音。

「え」

 思わず呟いてしまったが、恐らくその声は誰にも届かなかっただろう。

 机と椅子が激しく床を打つガタンという音が高らかに鳴ったからだ。

 立ち上がったのはもちろん安曇で、彼女は「おい!」という先生の呼び声を完全に無視し、廊下に躍り出た。恐らく、いや間違いなく向かったのだろう。

 彼のいる、保健室に。

 教室の中にざわめきが広がる。

 一応今もまだ試験時間で、余りに大っぴらな雑談は憚られても、誰かしらと言葉をかわさなければ落ち着かないといった空気が広がっていて、試験監督の先生も「静かに!」と注意はするものの、先生自身もまた狼狽しているのが見え見えだった。

 そのとき私はといえば、問題を解いていた。

 ひたすらに、ただひたすらに問題を解いていた。

 選択式の問題を軽く捻り、記述式の問題に手を付けようとしていた。

 私には責任がある。

 鹿島くんを焚きつけた責任が。

 一番をとれなかったら死ぬと宣言した責任が。

 だから回答を書き続けた。

 試験時間は残り十分。

 私より世界史の得意な鹿島くんなら、既に全問回答を終えていてもおかしくない。

 私は彼に勝つために、全身全霊を注がなければならない。

 視界がぼやける。

 頬を伝った熱いものが、机に落ちる。

 回答用紙に落ちるな!

 滲んで書けなくなる!

 手で目許を拭う時間が惜しい。

 そんなもの、問題用紙に落とせばいい。

 ようやく全問に回答を完了。

 残り時間は五分。

 五分もあれば余裕!

 回答用紙を舐め回すように見直しする。

 名前は書いてある。

 回答欄はずれてない。

 選択肢も間違っていない。

 誤字脱字も無い。

 いまいち自身の無かった問題を一応見返すが、選択肢を選び直すことはしない。

 だって私は教わった。

 『後悔しない選択肢を選べ』と!

 最後に名前を確認したところで、チャイムの音。

 跳ね上がるように立ち上がる。

「ごめん、これお願い!」

 後ろの席の子に回答用紙を託し、私は教室を飛び出した。

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