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第四章 強い人を選びなさい
02.
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「どこ行くの?」
「言い争いができる所」
そう言って、安曇は私を休憩室に連れて行った。
休憩室は、確かに言い合いのできる場所だった。
お見舞いの来訪者や、変化のない病室に疲れた患者の語らいや食事の音、テレビからはワイドショーの声。病棟の静けさを保つため、あらゆる雑音をそっと閉じ込めたような空間だった。
紙パックの自動販売機はあったけれど、安曇は飲み物を買おうとはしなかったし、私もそんな気にはなれなかった。喫茶しながらの談笑なんて要らない。
私たちは無言のまま手ぶらで円卓に着いた。
「……怜央ね」
切り出したのは安曇だった。足を組み、私から目を逸らしたまま、安曇は言葉を紡いだ。
「もうすぐ死ぬ」
分かっていた。そんな気はしていた。
鹿島くんのことしゃない。自分のことだ。
自分がそれを聞いたら動揺するということを、私は知っていた。
「死なないって言ったじゃん!」
こんなふうに子供じみた八つ当たりをする程までとは、流石に思わなかったけれど。
「言ったけどさ」
安曇は冷笑を浮かべ、鼻で笑った。
確かに一学期に安曇は言った。鹿島くんは死なないと。でもそれは『期末テストで一番になれなかったら死ぬ』という鹿島くんの言葉の否定だったから、今の話と文脈は違っている。
頭では分かっていても、感情の制御が利かない。それは、記憶にある限り初めての経験だった。
「しょーがないよ。人間、いつかは死んじゃうんだから」
「そんな言い方!」
遠くから咳払いが聞こえた。見れば、遠くの席でおじさんがこちらを睨んでいる。
知るか黙れ。
流石にそう口に出さないだけの分別は残っていた。
そして、安曇を詰る言葉をこれ以上投げつけない程度の理性も、まだ私にはあった。
安曇にとって鹿島くんがどれだけ大事な存在なのか、私は知らないけれど想像はできた。誰よりも近くにいる人。当たり前のようにそこにいる人。その人を失おうとしている安曇は、今ここに至るまでにどれだけ苦しみ悩んだだろう。その結果の諦念。投げやりになるのは、これ以上の希望を抱かないようするため。期待しなければ裏切られない。安曇は、そうして必死に心を守っている。
賢いな、安曇は。お父さんを安心させようなんて頑張った私は、結局このざまだもの。
「……ごめん。言い過ぎた」
私が下げた頭に、安曇の舌打ちが降り掛かった。
「え、終わり? もう何もないの?」
安曇が煽る。
「鶴ちゃん、本当に察し良すぎなんだよ。いつもそう。一人で納得してる」
顔を上げる。安曇の顔はしわくちゃだった。
「結局さ、怖いんでしょ? 本音とか本気見せるのが怖いんだよ」
なるほど。そう口走りそうになった。
教科書に載っていた『山月記』。ガリ勉エリートの李徴を、私は鹿島くんみたいだと思った。でも違った。『臆病な自尊心と尊大な羞恥心』。虎になった李徴は、私の方だった。
「鶴ちゃんさ、怜央のこと好きでしょ」
半分以上泣き顔の安曇が、当たり前のように言った。
これが普段なら、私は強く否定しただろう。真偽はともかく、簡単に認められる話じゃない。
でも今の私は、思考が冷たく冴えわたり、安曇の決めつけを素直に是認できた。
「うん」
「鶴ちゃん、一応頑張ったけど、もう遅かったね」
「……もう遅いの?」
安曇は歯を食いしばり、それから表情を緩め嫌な笑顔を浮かべた。
「二年前にね、言われたの。余命二年だって。□※○・▲―って知ってる? 知らないよね」
その名前を、私は知っている。
私からお父さんを奪った病。その名の響きは忘れない。忘れられない。
「怜央ね、ずっと鶴ちゃんのこと気にしてたんだよ」
「私を?」
「あの子、元々勉強はできたけど、余命を告げられてからは更に頑張るようになったのね。中学のときなんかずっと一位だった。でも高校入試では一番になれなかった」
安曇が顎で私を指す。
新入生代表は私だった。入学式で壇上に登り、挨拶を務めあげたとき、背中には無数の視線を感じた。教職員、保護者、そして他の一年生。その中に鹿島くんもいた。当たり前のことだけど、今更それを意識した。
「中間テストでも怜央は二位で、そのときが初めてだった」
「……何が?」
「怜央が言いだしたの。『期末テストで一番になれなかったら死ぬ』って」
ああ。鹿島くんにそう言わせたのは、私だったのか。
「じゃあ、あのときの期末で一番だったのは鹿島くん?」
「当たり前じゃん。だから怜央は今も生きてるんだよ」
安曇は鼻で笑い、それから立ち上がった。
休憩室を出ていく安曇についていく。
「……高校で一番になれなかったときね、最初は私、心配したんだ。怜央が落ち込んだりしないかって」
背中越しに、独り言のように呟く安曇。
「そしたら怜央、落ち込むどころか張り切りだしたの。負けてられないって」
廊下を進み、病室が近づいてくる。
「でもその後鶴ちゃんが駄目になっちゃって、今年に入ってからは少し気が抜けてる感じだった。だから、鶴ちゃんがもう一度怜央に刺激をくれないかなって、そう期待したんだけど……もう遅かったね」
病室のドアに手をかけた安曇が振り向く。
「一位どころか追追試受かったくらいじゃね」
「……安曇は、どうしたいの?」
「どうしたい? 何もしないよ。できない。ただ側にいるだけ」
安曇がドアを開く。
「鶴ちゃんは彼氏つくったりしないんだよね」
病室に一歩入ったところで、安曇は立ち止まった。
ベッドの上で、鹿島くんが怪訝そうな顔をしている。
「男の方が寿命短いもんね」
私の目の前で、ドアは静かに閉ざされた。
「言い争いができる所」
そう言って、安曇は私を休憩室に連れて行った。
休憩室は、確かに言い合いのできる場所だった。
お見舞いの来訪者や、変化のない病室に疲れた患者の語らいや食事の音、テレビからはワイドショーの声。病棟の静けさを保つため、あらゆる雑音をそっと閉じ込めたような空間だった。
紙パックの自動販売機はあったけれど、安曇は飲み物を買おうとはしなかったし、私もそんな気にはなれなかった。喫茶しながらの談笑なんて要らない。
私たちは無言のまま手ぶらで円卓に着いた。
「……怜央ね」
切り出したのは安曇だった。足を組み、私から目を逸らしたまま、安曇は言葉を紡いだ。
「もうすぐ死ぬ」
分かっていた。そんな気はしていた。
鹿島くんのことしゃない。自分のことだ。
自分がそれを聞いたら動揺するということを、私は知っていた。
「死なないって言ったじゃん!」
こんなふうに子供じみた八つ当たりをする程までとは、流石に思わなかったけれど。
「言ったけどさ」
安曇は冷笑を浮かべ、鼻で笑った。
確かに一学期に安曇は言った。鹿島くんは死なないと。でもそれは『期末テストで一番になれなかったら死ぬ』という鹿島くんの言葉の否定だったから、今の話と文脈は違っている。
頭では分かっていても、感情の制御が利かない。それは、記憶にある限り初めての経験だった。
「しょーがないよ。人間、いつかは死んじゃうんだから」
「そんな言い方!」
遠くから咳払いが聞こえた。見れば、遠くの席でおじさんがこちらを睨んでいる。
知るか黙れ。
流石にそう口に出さないだけの分別は残っていた。
そして、安曇を詰る言葉をこれ以上投げつけない程度の理性も、まだ私にはあった。
安曇にとって鹿島くんがどれだけ大事な存在なのか、私は知らないけれど想像はできた。誰よりも近くにいる人。当たり前のようにそこにいる人。その人を失おうとしている安曇は、今ここに至るまでにどれだけ苦しみ悩んだだろう。その結果の諦念。投げやりになるのは、これ以上の希望を抱かないようするため。期待しなければ裏切られない。安曇は、そうして必死に心を守っている。
賢いな、安曇は。お父さんを安心させようなんて頑張った私は、結局このざまだもの。
「……ごめん。言い過ぎた」
私が下げた頭に、安曇の舌打ちが降り掛かった。
「え、終わり? もう何もないの?」
安曇が煽る。
「鶴ちゃん、本当に察し良すぎなんだよ。いつもそう。一人で納得してる」
顔を上げる。安曇の顔はしわくちゃだった。
「結局さ、怖いんでしょ? 本音とか本気見せるのが怖いんだよ」
なるほど。そう口走りそうになった。
教科書に載っていた『山月記』。ガリ勉エリートの李徴を、私は鹿島くんみたいだと思った。でも違った。『臆病な自尊心と尊大な羞恥心』。虎になった李徴は、私の方だった。
「鶴ちゃんさ、怜央のこと好きでしょ」
半分以上泣き顔の安曇が、当たり前のように言った。
これが普段なら、私は強く否定しただろう。真偽はともかく、簡単に認められる話じゃない。
でも今の私は、思考が冷たく冴えわたり、安曇の決めつけを素直に是認できた。
「うん」
「鶴ちゃん、一応頑張ったけど、もう遅かったね」
「……もう遅いの?」
安曇は歯を食いしばり、それから表情を緩め嫌な笑顔を浮かべた。
「二年前にね、言われたの。余命二年だって。□※○・▲―って知ってる? 知らないよね」
その名前を、私は知っている。
私からお父さんを奪った病。その名の響きは忘れない。忘れられない。
「怜央ね、ずっと鶴ちゃんのこと気にしてたんだよ」
「私を?」
「あの子、元々勉強はできたけど、余命を告げられてからは更に頑張るようになったのね。中学のときなんかずっと一位だった。でも高校入試では一番になれなかった」
安曇が顎で私を指す。
新入生代表は私だった。入学式で壇上に登り、挨拶を務めあげたとき、背中には無数の視線を感じた。教職員、保護者、そして他の一年生。その中に鹿島くんもいた。当たり前のことだけど、今更それを意識した。
「中間テストでも怜央は二位で、そのときが初めてだった」
「……何が?」
「怜央が言いだしたの。『期末テストで一番になれなかったら死ぬ』って」
ああ。鹿島くんにそう言わせたのは、私だったのか。
「じゃあ、あのときの期末で一番だったのは鹿島くん?」
「当たり前じゃん。だから怜央は今も生きてるんだよ」
安曇は鼻で笑い、それから立ち上がった。
休憩室を出ていく安曇についていく。
「……高校で一番になれなかったときね、最初は私、心配したんだ。怜央が落ち込んだりしないかって」
背中越しに、独り言のように呟く安曇。
「そしたら怜央、落ち込むどころか張り切りだしたの。負けてられないって」
廊下を進み、病室が近づいてくる。
「でもその後鶴ちゃんが駄目になっちゃって、今年に入ってからは少し気が抜けてる感じだった。だから、鶴ちゃんがもう一度怜央に刺激をくれないかなって、そう期待したんだけど……もう遅かったね」
病室のドアに手をかけた安曇が振り向く。
「一位どころか追追試受かったくらいじゃね」
「……安曇は、どうしたいの?」
「どうしたい? 何もしないよ。できない。ただ側にいるだけ」
安曇がドアを開く。
「鶴ちゃんは彼氏つくったりしないんだよね」
病室に一歩入ったところで、安曇は立ち止まった。
ベッドの上で、鹿島くんが怪訝そうな顔をしている。
「男の方が寿命短いもんね」
私の目の前で、ドアは静かに閉ざされた。
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