猫と労働

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猫と労働 第3話 「コンビニのマロンさん」

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 「ちょっとトイレに行ってくるニャ」猫のマロンさんは相当我慢してたらしく、急ぎ足でトイレに向かった。無理もない、お客が途切れず、30分近くずっとレジ打ちをしていたのだ。
 
 僕がアルバイトしてるのは「あなたのコンビニ🎵」のフレーズでお馴染みのファミニャ(※)・仲見世通り店。マロンさんは先月の頭からここで働き始めた。猫労働法が改正され、ついに猫の社会進出が本格的に始まったからだ。
 ※・・・正式名称はファミリーニャート。全国に展開してるコンビニチェーン 

 猫に労働参加の義務を課したものの、抜け道だらけで全く実効性がなく「ざる法」と呼ばれた旧法。改正案では徹底的に抜け道を塞ぎにかかった。
 まずは一般的にオーソドックスだった「自宅警備」「ニャルソック」と呼ばれた、飼い主と猫で警備業の偽装委託を結ぶ方法が使えなくなった。元々、猫労働法では猫が建設業・土木作業や坑内労働のように危険な業務へ従事する事が禁止されていたのだが、改正案ではこれを利用し、「警備業は危ないから猫にやらせてはいけません」として禁止業務に加えてしまったのだ。危ない云々は勿論建前。これにより500万頭近くの猫が「自宅警備」を辞めざるを得なくなった。
 その次に一般的だった獣医が元気な猫を労働不能と偽る「詐病の診断書による労働回避」の方法は、当該診断書の内容を厚生労働省の職員が現地調査する事で封じられた。職員が抜き打ち調査をし、猫が労働可能と判明した場合は診断書を出した獣医に免許停止等の処分を下すようになったのだ。おかげで全国の獣医が偽の診断書を出すのを拒むようになった。
 
 これにより否応なく働かされる事となった猫たち。多くはコンビニで働く事を選んだ。コンビニと言えばアルバイトの定番だし、店舗数も多く、自宅近くなら公共交通機関を使わずに徒歩で通勤できる。深夜のワンオペでない限り複数人の店員が働いてるので、労働に慣れてない猫たちへの周りからのフォローも期待出来る。全国の猫、そして飼い主はそう考えた。

 このような経緯でうちのコンビニで働くことになったマロンさん。一緒のシフトは今日で5回目だけど、会う度に前回よりも仕事が出来るようになってて感心する。今ではすっかりうちのコンビニの戦力だ。むしろエースと言っても過言ではないかもしれない。接客は丁寧だし、挨拶もしっかりしている。物覚えも良い。レジでお客さんを捌く手つきも早いので、混んでる時間帯は本当に頼りになる。更にレジに置いてあるお箸やスプーンが切れそうになったら「バックヤードの在庫取ってくるニャ」と、さすがは狩猟動物と感心させられる機敏なフットワークで補充してくれる気遣いもある。
 仕事の面だけでも一緒のシフトになってると頼もしい存在だが、アルバイトしている時の、そう、何と言えばいいのだろう、一緒に入ってるこちらの精神的にも良い。マロンさんがいると職場の雰囲気が明るくなる。一緒に働いてると癒されてしまう。
 僕は特別に猫好きってわけではない。どちらかと言えば犬派だ。しかし、そんな僕からしても猫は魅力的な生き物だ。散歩してる時に見かけたら必ず目が行ってしまうし、スマホを持ってれば必ず写真を撮ってしまう。警戒心が薄そうな猫なら「遊んでくれないかな?」とか「撫でさせてくれないかな?」とか、戯れたくて我知らず近づいてしまう時もある。猫にはそんな無視できない魔力が宿ってる。それに同じ空間にいるといつだって心を和ませてくれる、謎の癒しの力もある。それは犬が与えてくれるものとは別種の癒しだ。猫からマイナスイオンでも出ているのだろうか?

 ただ、そんな「出来る猫」のマロンさんだけど、「やっぱり猫にコンビニは向いてない」とも思ってしまう。お客さんがいない時に雑談する程度には仲良くなってきたので、転職を勧めてみようかとも考える。もっと他に猫に合った仕事があるはずだ。マロンさん自身はコンビニで働く事をどう思っているのだろうか?


 「コンビニのアルバイトって思ってたより忙しいんだニャ」トイレから戻ってきたマロンさんが疲れたように言った。「うちだけがこんなに忙しいのかニャ?水崎君は他のコンビニで働いたことあるかニャ?」 
 「そうですね、高校の時にニャーソン(※こちらも全国チェーンのコンビニ)でバイトしてたことありますけど、今よりは暇でしたかね。時間帯とかにもよるんじゃないですか?」
 
 そう答えてる時に自動ドアが開いた。いつも来る、おそらく近所に住んでる若いサラリーマンだ。「いらっしゃいニャ!」「いらっしゃいませ!」
 
 若いサラリーマンは飲料コーナーでお茶を、お弁当コーナーで幕の内弁当を手に取りレジへ来た。マロンさんは慣れた手つきでお弁当のバーコードを読み取り「温めますかニャ?」とお客さんに尋ね、「お願いします」と聞くやレンジにお弁当を入れ温め始める。
 「レジ袋は要りますかニャ?」
 「お箸は一膳でいいですかニャ」
 「温かいものと冷たいものを一緒に入れていいですかニャ?」
 ハキハキしたやり取り、テキパキとした手つきで処理し、お客様に商品をお渡しする。猫だから手際が良いのか、それともマロンさんだから手際が良いのか分からないが、とてもアルバイトを始めて一か月とは思えない流れるような手捌きだ。

 お店を出るお客さんに向かって、「ありがとうございました」「ありがとうございますニャ」と挨拶し、また雑談が始まる。

 「なんの話してましたっけ。えっと、忙しい忙しくないとかの話でしたね。そう言えば店長がFCのマネージャーから立地の割には売上が良くないとか言われてたんで、ひょっとしたら他より忙しくない可能性もありますね」
 「本当かニャ。これ以上忙しくなったら無理だニャ。そうなったら転職を考えないといけないニャ」悲しそうな表情で嘆くマロンさん。申し訳ないが、そんな表情も可愛くてほっこりする。
 「え~っ、僕が大学卒業するまでは居て下さいよ。あと二年なんで」
 マロンさんにはもっと楽な職場で働いて欲しいので転職を勧めたい。これは紛う事なき本心だが、同じシフトで一緒に働きたいので、このままこのコンビニに居て欲しいと思う気持ちもまた本心だ。その二つが僕の中でせめぎ合っている。

 自動ドアが開き、新しいお客さんが来た。店内をしばらくうろうろした後、雑誌、ジュース、お菓子を持ってレジへ。例の如くマロンさんがそれを華麗に捌き、お客さんは帰っていった。

 「マロンさんはなんでこのコンビニを選んだんですか?」と単刀直入に聞いてみたが、返って来たのは「近かったからニャ」、そんなありふれた答えだった。それもそうだ。人間とは違い、やりがいだの給与だの成長だのは猫にとって重要ではない。美味しいものを食べてぐっすり眠り、気が向いたら遊んで、そしてまた美味しいものを食べて眠る。それが一般的な猫にとっての理想的な一生だろう。
 「僕もそうです。通勤遠いところ嫌ですよね」
 「だよニャ。ただ、近いと困る事もあるニャ。実はニャ、飼い主が僕が働いてるところを見に来る事があるんだニャ」やれやれと言った態度で、愚痴るように言う。
 「うわ、それきついですね。過保護な親御さんみたいじゃないですか」
 「だニャ、来ないでくれって言ってるのに来るんだニャ。そして働いてるところを写真に撮るから困るんだニャ。まるで不審者だニャ」
 「写真ですか?ストーカーみたいですね」
 「東京で働いてる息子さんに送るために撮ってるって言ってるニャ。働き始めた僕のことを心配してるだろうから、安心させるためだニャって。でも、本当は写真を撮るのを自分が楽しんでるだけな気がするニャ」
 「まあまあ、飼い主に愛されてる事は良い事ですよ」正直、飼い主さんの愛は行き過ぎてる感もあるが、愛されていないよりは遥かに良い。マロンさんもそれは心得ているようで、「まあ、それもそうだニャ。今はああだけど、実は昔は相当な猫嫌いで大変だったニャ。もともとは筋金入りの犬派でニャ、息子さんが僕を拾ってきた時ニャんか・・・」

 と、話が盛り上がってきた所でお客さんが来た。そしてそれから次から次へとお客さんがやってきて雑談どころではなくなった。一気にピークタイムに突入だ。
 「温めますかニャ?」
 「レジ袋は要りますかニャ?」
 息つく暇もなくレジ打ちに忙殺されるマロンさん。そうこうしているうちに「おはようございます」と、次のシフトの山田君が来た。ようやく勤務終了の時間だ。
 「引継ぎでなんかあります?」山田君が聞いて来たので、「店長が余裕があれば床のワックスがけをして欲しいって言ってたニャ」とマロンさんが申し送りを伝える。
 「了解です。じゃあ、二人とも上がってください。お疲れ様でした」

 「今日も大変だったニャ。最後の1時間は忙し過ぎてあっという間に時間が過ぎたニャ」ロッカールームでコンビニのユニフォームを脱ぎながらマロンさんが呟く。
 「そうですね、確かに最後はバタバタでしたね」
 「そうだニャ。ところで水崎君は次はいつ入るニャ?」
 「次は火曜日ですね」
 「じゃあ、また火曜日ニャ」さすがはマロンさん、テキパキしている。私はまだユニフォームを脱ぎかけなのに、すでに帰る準備が完了していた。
 「お疲れ様だニャ」そう言ってマロンさんは疲れた様子で帰っていった。

 着替えの続きをしながら今日のアルバイトを振り返ってみた。マロンさんは大変そうだった。一緒に入った5日間の中でも、今日は特別に忙しかったと思う。しかし、私はというと正直暇だった。一緒に入った5日間の中でも特別に暇だった。マロンさんは気付いてないのだろうか?ほとんどのお客さんが私ではなくマロンさんのレジを選んでいることを。
 
 この5日間、お客さんの流れを観察して分かったのだが、誘蛾灯に群がる虫の様にお客さんがマロンさんのレジに集まっている。まるでマロンさんからマイナスイオンでも出ていて、それを浴びたくて彼のレジを選んでいるかのようだ。レジは二つあるのに、お客さんが10人来れば9人はマロンさんのレジでお会計を済ませている。残る1人は急いでるお客さん、もしくはマロンさんのレジの前に並んでいるお客さんを「こちらのレジへどうぞ」と、私のレジに誘導したお客さんだ。ちなみに誘導したお客さんは決まって「余計な事をするな」って感じの顔をしている・・・様な気がする。私の思い込みかもしれないが。
 それに他にも気になる事がある。マロンさんの方でお会計するお客さんはレジ袋を頼む確率が高いような気がするのだ。今日も来た若いサラリーマン、私がレジを担当した時は一度もレジ袋を頼んだことがない。いつも温めたお弁当をそのまま手に持って帰っていた。だから近所に住んでると予想したのだ。これも私の思い込みかもしれないが、ひょっとして猫が商品を詰める様子を見たい、それだけのために普段は頼まないレジ袋をわざわざ頼んでいるのではないだろうか。もしそれが本当なら、マロンさんは他の店員よりも作業がひと手間多くなるので大変だ。

 これは猫の可愛さが完全に裏目に出ていると言わざるを得ない。例え猫好きでなくとも、猫を見かけたら戯れたくて我知らず近づいてしまうのが人間の性。これはちょっとマロンさんにとっては厳しい現状だ。この現状を目の当たりにしてるので、やっぱり猫にコンビニのような接客業は向いてないと思う。
 とは言え、出来るだけ長くマロンさんと一緒に働きたいし、自宅近くで働く彼自身の通勤メリットもあるので、簡単に転職を勧めるのはいかがなものだろう。そもそも僕がマロンさんに転職を勧める事自体がおこがましい行為なのでは・・・
 思考は相変わらずの堂々巡りだ。また改めて考えよう。


 帰る用意も出来たのでバックヤードから出ようとした時、バイト仲間から電話がかかってきた。明日のシフトを変わって欲しいとのお願いだった。「いいよ」特段用事もないので引き受けた。確認のためにバックヤードの壁に貼ってあるバイトのシフト表を見たら明日もマロンさんと一緒だ。
 明日はなるべくマロンさんに負担がかからないように配慮しよう。混んでない時間帯は裏で出来る作業をしてもらうとか、レジで僕が袋詰めの手伝いをするとか。ぶっちゃけお客さんが少ない時に裏で休んでもらう手もある。あっ、申し訳ないのでおやつでも買ってくるのはどうだろう。おやつでも食べないと割に合わないだろう。とにかく、マロンさんがこのコンビニに居る間は彼にとって快適な職場にしないと。

 何にせよ、また同じシフトだ。またいつもの様に可愛い姿が見られるし、今日は途中までしか聞けなかった、マロンさんが飼い主さんを手懐けた話の続きも詳しく聞けるかもしれない。そんな事を考えてたら自然とウキウキしてきた。そんな愉快な気分の中、心の中でつぶやいた。

 「明日もマロンさんのマイナスイオンか・・・」
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