猫と労働

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猫と労働 第1話 「猫の労働参加に関する法律とクロさん」

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 少子高齢化による労働力人口の減少に歯止めが利かない現在の日本。「猫の手も借りたい」、なんて言えるうちはまだ大丈夫だったが、もう現状は「猫の手を借りざるを得ない」ほど深刻な労働力不足だ。そこで昨年の20XX年度通常国会で成立、今年の4月から施行されたのが「猫の労働参加に関する法律」、通称「猫労働法」。一般家庭で飼育されてる猫、いわゆる「飼い猫」の社会進出を促す法律だ。
 今現在、日本国内にいる飼い猫は概算で約900万頭。このうち病気やケガをしてない生産年齢(※猫は1歳半~12歳。ちなみに人間は15~64歳)の猫たちが企業に雇用されたり、あるいは個人事業主として労働に従事する事がこの法律で定められた。
 昨年の日本の労働力人口(人間)は約6,000万人。仮に7割の猫が労働参加すれば約630万頭になるので約10%程度の労働力増加が見込まれる。これにより目先の労働力不足を解消し、その間に人間の少子化対策を完了させるのが法案を提出した政府の狙いだ。 

 提出、及び審議にあたり、政府は本法案が労働力不足解消以外にも様々な好影響を社会や家計、そして当事者である猫自身に与え得ると世論に訴えかけた。
 日本経済全般を見れば労働者数増加によるGDP押し上げ効果が見込まれるし、家計目線では猫が収入を得る事による世帯収入の増加、それによる飼い主の経済的負担の軽減が見込まれる。猫目線では経済的に余裕が出来た飼い主が今まで以上の価格、品質の食事やおやつ、玩具を購入すると予想されるので、物質面での幸福度上昇が期待される。所得が高い猫なら自身で購入する事も可能だ。また、猫の健康維持、保健的観点からも家でゴロゴロしてるだけじゃなく外で働くことは適度な運動になるので体に良いとされた。
 等々、猫の社会進出により引き起こされるメリットを盛んに喧伝した。

 この政府のアピールに対し「そんなに上手くいくのか?」という意見は世間でも上がったし、国会でも度々議論された。確かに労働力が増えるのは社会的、経済的にプラスに働く。新たな働き手となる猫は頭が良い生き物なので、人間と同水準の労働を行ってくれる事に関しても疑いようがない。しかし、その性格や習性が労働に適しているのかというと、その点は甚だ疑問視された。
 ほとんどの人が猫本来の性格は「労働をする生活」の真逆である「怠惰に過ごす生活」の方に適していると考えていたし、急にハイテンションになったりするものの、基本的には一日中家でダラダラしている姿こそ猫に合った生き方、猫として無理のない正しい生き方と思われた。それに人としては猫を甘やかしてダラダラと過ごさせる事が、猫としては甘やかされてダラダラ過ごす事が倫理的にも正しいと信じられていたので、故に猫を働きに出す事は多くの飼い主の意識に犯罪を犯すかのような後ろめたさ、言うなれば罪悪感を感じさせた。 
 事実、報道機関のアンケート調査では「猫を働かせる予定ですか?」との質問に対し、調査に回答したほぼ全員の飼い主が「働かせる気はない」と答えた。これではいくら法律が成立しても社会で働く猫など増えようがない。 
 
 そこで猫や飼い主が労働参加を拒否出来ないよう、『生産年齢にある全ての心身健康な猫は労働に服する義務を負う』と、罰則付きの義務規定を加えた修正案が再提出された。正当な理由がないのに働かない場合は飼い主と猫に罰金、悪質な場合は懲役を言い渡すものだ。
 これによりこの法律の実効性が著しく高まると政府は期待したものの、当然の事ながら猫の飼い主や愛猫家、そして当事者である猫から猛反対された。猫は甘やかされるのが当たり前と思っているし、人は猫を甘やかしたいと思っているのだ。日本中の猫の飼い主や愛猫家から「猫がかわいそう!」「猫に社会の厳しさを味わわせるなんてもってのほかだ!」と怒りの声が挙がり、日本中の飼い猫からは「強制的に働かせるなんて横暴だニャ!」「猫は働かないのがアイデンティティだニャ!」と反撥の声が挙がった。
 おかげでニュースや報道では「猫労働法案」と呼ばれていたこの法案も、巷では悪意を込めて「にゃんこ強制労働法案」と謗られる始末だった。

 
 国内外から批判、異論、もっと直接的な反対意見や、大規模かつ過激なデモもあったものの、何とかこの法案は両院を通過し成立した。政治家にも猫を愛する人は沢山いたが、政治家という職業上、一般の人たちよりも労働力不足に苦しむ日本の現実を遥かに深刻に受け止めていたので、背に腹は代えられないと判断したのだろう。

 法治国家である以上、成立した制度は運用開始に向けて迅速に動き出す。
 厚生労働省は早速、猫の労働参加が始まることを周知するポスターを街中に貼りまくった。働いている猫たち、例えばスーツを着こなしバリバリとオフィスで働く猫や、軽快なハンドリングでタクシーを運転する猫、営業先で先方へ名刺を差し出している猫、そんな猫たちが働く姿を撮った写真の上に大きく「来年4月から猫の社会進出が始まります!」とのキャッチコピーが書かれたポスターだ。同様のテーマのCMもテレビで大量に流れまくった。
 公共職業安定所内には猫専用の相談窓口、通称「にゃんにゃんハローワーク」が設置され、飼い主同伴で利用出来る職業相談が始まった。平日に働く飼い主のため、職安の職員が休日出勤することで窓口は土、日、祝日も開かれた。
 雇われる側がいれば雇う側もいるので、猫の雇用を検討する事業主のための専用相談窓口も公共職業安定所内に設置されたし、同時に施行される関連法である「猫に関する労働基準法」や「猫に関する労働安全衛生法」等の内容を含めた、猫の雇用についての要点を簡潔(役人視点での簡潔なので、一般人には難解)にまとめたパンフレットも大量に作成され、日本全国の事業者へ送付された。
 それらと同時に猫向けの車の運転、PC操作、簿記、電気工事等々、広範囲にわたる教育訓練も各地で行われたし、営業に興味がある猫のための身だしなみ、敬語、メールの書き方、名刺交換、席の取り方といったビジネスマナー講座も開催された。
 このように政府と厚生労働省は一丸となり、猛烈な勢いで制度運用開始へと突き進んだ。それはまさに「猫まっしぐら」の勢いだった。

 
 そして今は制度運用開始から約半年経った金曜日の夜9時。中央合同庁舎内にある厚生労働省統計情報部のフロアでは私も含めた職員が淡々と「猫の労働動向調査」を取り纏めている。入庁してから新規の調査を担当したことはあったが、今回ほど難しい案件はない。調査対象が人ではなく猫なので、今までの人間相手のデータ採取とはやり方が違う。ノウハウが全く無い、まさに手探り状態の作業だ。採取したデータがそもそも正しいのかどうか分からないので、いちいち精査しながら進めなければいけない。
 そんな困難な状況にも拘わらず、大雑把、大枠でいいから今週中に統計結果を纏めた資料を出せと上から、具体的には政治家の先生からのお達しだ。おかげで今週は毎日帰りが遅い。
 確かに本件に関する統計結果を早く見たいと思う政治家の皆さんの気持ちは分からないでもない。政府、特に本件を推進した厚生労働大臣はどれくらいの効果があったのか気が気じゃないだろう。反対意見が多かった法案を無理矢理に通した挙句、結果が出ないとなれば次の選挙に響くのは間違いない。
 とは言え、資料なんて簡単に作れるだろうと思われるのはやっぱり癪だ。政治家のお偉い先生方は資料作成なんかやったことないのだろう。やったことない人間に限って人の仕事が簡単に見えるのがこの世の常。おかげで余計な残業だ。まったく、猫の手も借りたいとはこの事だ。

 黙々と作業していたところに、「どう?調子は?」と上司が様子を覗きに来た。資料が完成次第、急いで大臣のところへ持参し内容を説明しなければならないのだ。「あとちょっとです。そうですね、10分くらいですかね」そう伝えると、「じゃあ、出来たら会議室に持ってきて。よろしく」と言って、疲れた足取りで会議室へと向かった。上司も今週はずっと帰りが遅いようだ。 

 会議室で完成した資料を手渡すとすぐに上司は目を通し始めたが、早々に表情が曇った。数字が羅列してある本資料を脇に寄せ、添付資料のグラフをじっと見つめている。各種の数値が一目で分かるように簡単なグラフをいくつか作成していたのだが、そのうち「被雇用猫・自営業猫比率」と「業種」の円グラフがほぼ一色で塗りつぶされ、他のグラフと比べてやけに目立って見える。上司はそのグラフを指差し、「ほとんどの猫が個人事業主、そして警備業になってるね」分かりきった事実を敢えて確認するかのように尋ねてきた。
 「はい、企業に新規雇用された猫は3万頭、あとの490万頭は個人事業主です。業種にいたっても99%以上が警備業です」
 「他にも色々な数字を纏めてくれたみたいだけど、この個人事業主と警備業への異常なまでの偏りだけで何となく見えてきたね。君は猫の労働参加の現状をどう捉えてる?」
 「統計結果で推測しただけなので、正確な現状を把握するためには実際の調査が必要と思われるのですが・・・」役人らしく断定することを避けるような前置きをしたうえで自身の考えを述べてみた。
 「おそらくですが世の中のほとんどの飼い主が個人事業主である飼い猫と『飼い主の自宅を警備する業務委託契約』を結び、毎月飼い猫に業務委託費を支払う事で労働に参加している体裁を取っているのだと思われます。これだと現行法上、猫は労働参加していると見なされます。罰則規定にも該当しません」
 「やっぱりそう思うよね。形式上、書類上は500万頭近くの猫がこの春に社会で働き始めた事になってる。それならコンビニやスーパーあたりでレジ打ちや品出しをしてる猫を見かけてもいいはずだ。それなのに全くと言っていいほど猫が働いてる姿を見かける事がない」
 「はい、猫は今まで通り家でゴロゴロしていると思われます」
 「つまり猫の労働参加は失敗って事か」と言い、しばらくの間、上司は困ったような顔をして腕組みしていたが、やがてこう呟いた。
 
 「やっぱり猫がやる事と言えばニャルソック。自宅の警備がお仕事ってわけか・・・」
 
 猫の飼い主は自分の家の子の幸福のためになら何だってやるものだ。そんな人たちにとって「自宅警備員」という法の抜け道を調べ出す事なんて造作もないし、業務委託契約書の作成や、自分の口座から飼い猫の口座への毎月の振込程度の手間は問題にならない。
 完全に政府の油断だ。法案作成時の詰めが甘かったとしか言いようがない。繰り返すが、人は猫は甘やかすのが当然と思っている。政府は飼い主の「甘やかし力」を舐めてはいけなかったのだ。その結果、全国の飼い主の過剰な愛と執念がこの法律の欠陥を見つけ出し、有名無実化してしまったと言うわけだ。

 全ての資料に目を通し、私にいくつかの質問を投げかけた後に上司は「ご苦労さん、これをあと10部用意して僕の机の上に置いといて。そしたら今日はもうみんな上がっていいよ。大臣にはこの資料で説明しとくから」と言って、疲れた足取りで会議室を出て行った。
 上司としては大臣への報告にあたり、多少なりとも彼らの期待に添える統計結果が出て欲しかっただろう。しかし、ご期待に添えるどころかこの「ゼロ回答」の結果を報告しなければならないのは何と言うか・・・気が進まないだろうなと思った。猫も急に怒り出したりする、割と理不尽な生き物だが、自分たちが望んでない報告を受けて八つ当たりする政治家という生き物も猫に負けないくらい理不尽だ。この絶望的な結果に狼狽し、怒り狂う大臣の姿が目に浮かぶ。
 今の上司にこそ、猫の手を貸してあげたい。一緒に大臣の所へ説明に行き、大臣の怒りをその可愛さで少しでも和らげて欲しい。そんな事を、思った。 

 この制度のためにかなりの労力がかけられた。土日や祝日に休日出勤までして職業相談の対応をしたハローワークの職員たち。街中に大量に貼られたポスター。大量に刷られたパンフレット。教えるだけ教えたのに、結局は誰もその技能や知識を使う事の無かった教育訓練。そして私たちが作った、現状は制度開始前とほとんど何も変わらなかった事を証明しただけの統計書類。しかし、それら労力が実を結ぶことはなかった。
 結局、人を翻弄するのが猫という生き物で、猫に翻弄されるのが人という生き物なんだろう。今回はちょっとだけその規模が大きくて、政府や社会全体が翻弄されただけの事だ。
 そんな事をぼんやりと、帰りの電車に揺られながら考えた。

 
 やっと自宅最寄り駅まで帰り着いた。今週はさすがに疲れた。何にせよ念願の週末、とにかく酒でも飲んで寝よう。
 自宅近くのコンビニに入り、弁当とビールを手に取ってレジへ向かおうとした際、「ぢゅ~る(※世界中の猫が愛する液状のおやつ)」の新作、「名古屋コーチン味」が置いてあるのを見つけた。最近太り気味なのもあるし、あまり甘やかしてはいけないと思うのだが、いくら甘やかしても甘やかし足りないのが猫という生き物だ。それに今週は毎日にように遅かったから退屈してただろう。お詫びと言ってはなんだが、買って帰ろう。
 
 ・・・と、皆様に言いそびれていた事があった。実は私は長い間一緒に暮らしている「クロ」という名前の、その名の通り黒色の雄猫を飼っている。この春の「猫労働法」施行に際し、個人事業主となった彼と業務委託契約を結ぶことになった。

 勿論、依頼した業務の内容が「私の自宅の警備」なのは言うまでもない。
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