ちっぽけな革命/Rebuild 私たちが歌うまでの物語

アメノヒセカイ

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本編

5話:少なくとも十割は先輩のせいですっ

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 三月の時の流れはのどかであるのに対して、四月の魔力は絶大である。
 桜の時期の唐突な寒気が去ると、日を追うごとに温かく、いやむしろ暑くなっていく。
 背中や足、顔にさえ汗がまとわりつき、不快感が募っていく。
 その不快感が人々を足早にする。
 それでも人々は期待を抱く。
 大抵、良くも悪くも、大事件は起きない。
 しかし、結局何かは変わってしまうものだ。
「春って、どうしてこんな埃っぽいんですか……」
 その少女は、愚痴っぽく呟いた。
 大きめのタオルハンカチで顔の汗を拭き取る。
 その少女、綾瀬真由香は後悔していた。
 憧れの大学に行く機会を増やしたところで、これから先嫌になるほど、通うことになる。
 ならば、行っても行かなくてもいい日に登校する必要はないだろう。
 真由香はメールの内容を確認する。
 指定されたパソコン室に着くと、教室を覗いてみる。
「やっぱりメンドクサイ」
 気が進まない。
 教室は静かだった。
 席に座って、机の上に置かれたパソコンの使い方に関する資料を流し見る。
 パソコンを起動すると、想像よりも大きい音を立てて青い画面が現れる。
「なんで来てしまったのだろう」
 真由香は溜息をつく。
 静寂に耐えられなかった隣の男子学生が、真由香に忍ぶように近づく。
 真由香は、男子学生に気づいて、苛立って、男子学生を睨んだ。
 男子学生は真由香のことを気にしてなかったように目線を反らす。
「出会い厨に出会うために来たわけではないのに」
 周りを見ても男の人ばかりだ。
 高校にいた頃から女子は圧倒的少数派で、これからの生活も少数派らしい。
 覚悟して進学したとはいえ、実際に想像できてしまうと辛いものだった。
 前にいる先生も男で、手伝いの人も男だ。
「なんで来てしまったのだろう」
 真由香は溜息をつく。
 憧れの大学であったはずなのに明るい生活が待っていると期待できなかった。
「今日、暑かったでしょ?」
 綺麗な声が聞こえた。
「私も汗かいたから」
 真由香の全身に電気が走る。
「今日?」
 油断していた真由香は、ついよく分からないことを聞き返してしまった。
「君、メンドクサイって思ってるでしょ?」
 ようやく真由香の目線がその先輩の姿を捉えた。
 スタイルがいい、すごい綺麗だ、まるでアイドルのような、女優のような。
 それにしては地味だろうか?
 黒色と白色と紺色の服を着ている。
 しかし、すらりと流れる髪は手入れがよく行き届いている。
「そう見えます?」
「それが意外と難しいよ、履修登録って」
 先輩は微笑む。
「それでもほとんどの人は間違えないからね」
 先輩はホワイトボードの前に戻っていった。
 先生からの軽い説明を終え、分厚い学生便覧を開く。
 真由香は便覧を見る。
 卒業条件というものがあるらしく、合計単位的には一年で三十単位と少しを取得すればよいらしい。
 就活があったりするため、三年、四年は少なめになるのだろうか。
「うーん、必修と選択科目考えるとこんなもの?」
 『次へ進む』をクリックする。しかし、赤い文字でエラーが表示され、確認画面に進むことができない。
「必修科目が履修登録できてない? なんで」
 真由香の手が止まる。
 自分は履修登録すらできないらしい。
 大学早々、真由香は悲しくなった。
「あ、ちょっと見せてみて」
 始めに話しかけてくれた先輩が現れる。
 マウスの上に置かれた真由香の手を覆うように、先輩がマウスを動かす。
 先輩の手は少し熱い。それに、その手は柔らかい。
 先輩のいい香りが漂って、真由香は先輩の話が聞こえてなかった。
「……、大丈夫?」
「はい」
「たぶん、学校から封筒が送られてきたと思うけど、学籍番号分かる?」
「はい」
「これです」
 真由香は鞄から透明のファイルを取り出す。
 クリップで留めた資料を先輩に渡した。
「これこれ。学籍番号ごとにこの必修の時間が違うみたい」
「あ、ありがとうございます」
 先輩は軽く確認して去ろうとするが、先輩の表情はみるみる青くなっていく。
「ちょっと待ってっ!」
「え?」
「合計三十単位?」
「お試し期間があるみたいなので、もっと取れそうだったら増やそうかな? って」
「ちょっと待って。私も便覧見るから」
 先輩はホワイトボード近くの教卓まで行くと、駆け足で戻ってきた。
「学科が違うから全く同じなんてないけど」
 先輩は便覧を開いてページを探す。
「先輩、すっごい綺麗な声ですね!」
 真由香は自分が絶大な失敗をしかけたことに気づいていない。
 真由香の呑気な様子に先輩はホッと一息ついた。
「楽しそうで何より。……あった」
「便覧なら見ましたよ?」
「いくつかひどいミスをしてるから、一個ずつ直そう」
「ひどい、ですか?」
「うん。まず、単位は限界まで履修すること。三年も四年も、特に四年は卒業研究があるわ」
「このちょっと単位数が多いやつ?」
「四年はほとんど他の講義に時間割けないわ」
 先輩はさらにページをめくる。
「空きコマが……、半日が……」
「そんなものはないから」
「ええー」
「あと、この分類で必要な単位数はほとんど一年に集中しているから、これとこれは確実に取るから」
「一時間目ですけど。月曜日の」
 真由香はがっくりと肩を落とす。
「それとアンケートやらないと履修登録は完了できなかったはずだから」
「なにそれ???」
「あまり覚えてないけど、高校の時に受けた授業はなにか? みたいなのと、登校にかかる時間とか?」
「先輩見ててくださいよ、履修登録できなくて退学になったら、少なくとも十割は先輩のせいですっ」
「それ全部私のせい!?」
 真由香の履修登録を、先輩が便覧とにらめっこしながら確認していく。
 先輩は共通科目くらいしか履修登録については分からない。
 しかし、便覧片手に必死に教えてくれる先輩を見て、真由香は再び学校の憧れを取り戻していた。
 綺麗な先輩、かっこいい先輩、親身になってくれる優しい先輩がいる。
 真由香にとっては、それだけで大学への憧れを取り戻すには十分だった。
 多くの学生が履修登録を終えて、教室にいる学生はまだらになった。
 真由香はパソコンの電源が切れるのを待つ。
「来てみて良かった」
 真由香は席を立ち、入り口まで駆ける。
「あ、先輩。本当にありがとうございました」
「ほんと良かった来てくれて」
 先輩は綺麗な声で言う。
「はいっ」
 真由香は微笑む。
 四月は出会いの季節である。
 しかし、期待し過ぎてはいけない。
 大抵、良くも悪くも、大事件は起きないからだ。
 とはいえ、結局何かは変わってしまうものだ。
 優しい、憧れを抱ける先輩がいること、それだけで真由香は憂鬱な気持ちが爽やかな気持ちに変わった。
「あの、先輩。もしかしたらまた会えるかもです」
「同じ大学の先輩後輩だからね。もし見かけたら声かけるから、朝から学校あるとしてもサボらないでね」
 先輩の言葉に真由香は苦い表情をする。
「ならこっちからも声掛けます」
「分かった」
 先輩は笑った。
 真由香は手を強く握る。
「声掛けたいので、いや、絶対声掛けるので、名前教えてください」
「絶対? 分かった」
「綾瀬真由香です」
 真由香は顔を真っ赤にして言う。
 先輩は真由香の手を握った。
「私は鳴海緋色。真由香さん、入学おめでとう、大学生活楽しんで」
 真由香は笑顔で返事をした。
「ありがとうございます、緋色ちゃんっ」
 真由香は楽しそうにスキップして去っていった。
「緋色ちゃん?」
 先輩――改め緋色は呆気に取られていた。
 それから、真由香が緋色になかなか会えず、連絡先を交換しなかったことはどれだけ不幸だっただろうか。
 それでも、再び二人は出会う。
 これは、大きな出来事までの、小さな物語。
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