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89話 わくらば 8

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 翌日、デボネアに試作した今川焼きを食べてもらうために、俺は彼の店を訪れていた。
 アイテムボックスから収納した今川焼きを取り出すと、まだほんのりと温かい感触が手に伝わってきた。
 それをデボネアに渡すと、彼は興味深そうにその外観を観察し始める。

「これだと細かい意匠は無理かのう」

「液体を金型の中で固めるだけならそれも出来ますけど、小麦粉は膨らみますからねえ」

 そう、液体を型の中で固めるのであれば、細かい意匠も反転させる事が出来る。
 そういった工法に注型というものがある。
 マスターと呼ばれる複製したいものをシリコンに入れて型どりして、その型に樹脂を流し込んで成形する工法だ。
 シリコン型を使った注型では、マスターの外観をかなり細かく反転させることが出来るのだ。
 だが、小麦粉は焼くと膨らむので細かい部分はぼやけてしまう。
 それでも中に入っている空気を抜いてやれば、かなり細かいデザインも採用出来る気がする。
 真空引きしたチャンバーの中でタイ焼きをつくるのかといわれたら、それもどうかなって思うけど。
 すくなくとも、屋台で出来るような設備じゃないな。
 因みに、注型も真空注型が出来るようになってからは、かなり精度が良くなった。
 前世ではその特許を持っている社長と話をしたことがあるが、どこの企業からも引く手あまたで、大手自動車メーカーの社長が直接来社してきたことがあるのだとか。
 それだけ凄い技術だっていうことだな。
 そんな技術を使ってタイ焼きを作ってみたいという気持ちはあるが、ステラで真空引きする設備をどうやって作ればいいのだろうか。

「こりゃあ、考えていた意匠を変更する必要があるわい」

 デボネアがあごひげを手でいじりながら考え事をする。

「どうするんですか?」

「ドラゴンの鱗なんかを簡略化して、それでもドラゴンとわかるようにせんとなあ。顔も目を大きくしてやらんと、膨らんでしまって目だかなんだかわからんじゃろうな。ただ……」

「ただ?」

 デボネアが言い淀んだので不安になる。
 なにがあるのだろうか?

「簡略化した意匠なんぞどうしてええのかわからん。巷にあるドラゴンの絵なんて、みんな本物そっくりに描いてあるじゃろ」

「そういうことですか。それならば俺が描きますよ」

 俺は店にある紙とペンを借りてデフォルメしたドラゴンの絵を描いた。
 前世の記憶と作業標準書によるチートで、各所を簡略化したドラゴンのデザインはプロのイラストレーター並みの出来栄えとなる。
 自分で見ても良いなと思える。
 これこそ本当の自画自賛だ。

「ようこんなもんを思いつくわい」

「想像力ですよ」

 感心するデボネアにそう言ったが、殆ど前世の記憶のお陰であって、想像力はそんなに関係ない。

「これを元に金型をつくってみるわい。ただし、輪郭の線はもう少し太くなると思う。そのへんはいじらせてもらうぞい」

「どうぞご自由に。より良いものが出来るなら大歓迎ですよ」

「金型が出来上がったら連絡する。焼くための生地とあんこを持ってきてもらわんとならんからの」

「楽しみに待っていますよ」

 そういってデボネアと別れた。
 このあとは冒険者ギルドに戻ってデイズルークスのきゅいくをする予定だ。
 自習をさせているが、進み具合はどの程度だろうかと考えながら歩いていると、前からスターレットがやってきた。
 その顔には怒りの精霊が宿っている。
 ように見えた。

「アルト!」

「はい?」

 強い口調で名前を呼ばれて、思わず返事が疑問形になってしまう。

「ティーノに聞いたんだけど、屋台で売る商品が出来たから試食したんだって?」

「そうだよ」

「とっても美味しくできたって言ってた」

「そうだね。これならきっと商売はうまくいくと思うよ」

「なんで私を呼んでくれないの!食べたかったのに!」

 スターレットはどうやら新作のスウィーツを一番に食べたかったようだ。
 気持ちはわからなくもないけど、パイロット版を提供するのはどうしても躊躇われる。
 そのことを伝えておくべきだろうな。

「スターレットには完璧なものを食べてもらいたかったからね。試作の場には呼ばなかったんだよ。万が一不味いものが出来てしまった時に、それを食べた経験からデイズルークスが作ったものも、『あの時の試作にくらべたらマシ』って思っちゃうかもしれないじゃないか」

「そうはいっても、それなら完成したのを食べさせてくれてもいいじゃない」

「仕事が終わったら私に行こうと思ったんだけど、順番が入れ替わったね。ほら、これだよ」

 本当はそんな予定などなかったのだが、口から出まかせが飛び出した。
 そして、アイテムボックスからは出来たてで保存されていた今川焼きが飛び出した。

「ちゃんと考えていてくれたんだ」

「勿論だよ」

 笑顔のスターレットに対して後ろめたい気持ちが雨後の筍、新設のラインの不良の如く溢れ出してきたが、それはおくびにも出さず今川焼きを手渡す。
 幸せそうに今川焼きを食べるスターレットを見上がら

(やれやれ、いまでこそこうなったけど、前世でも口から出まかせを言うのにもスキルが欲しかったな。これがあれば前世でもピンチを切り抜けられたのに)

 と、うまく切り抜けられなかった不良の報告を思い出していた。
 同じ事象であっても口のきき方ひとつで相手の印象は変わってしまう。
 真因の対策は必要だとしても、それに付属する物事で余計な工数を割きたくはないものだ。

「美味しい、これなら間違いなく売れるよ」

「そうだよね」

 よし、スターレットからのお墨付きも出たことだし、あとはデイズルークスの教育とデボネアの金型の出来次第だな。
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