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77話 変化点と心

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 さて、相手の事情が分かったところでこちらも反撃するとしようか。
 俺は筋肉達磨をまねた構えをとる。

「何の真似だ?」

「何のといわれたら、あたなの真似ですがとしか言いようがありませんね」

 見様見真似とはこのことだな。
 神聖魔法によるバフ効果を使い、俺も身体能力の底上げをする。

「形だけ真似してなんになるというのだ!!」

 再び筋肉達磨の拳が迫る。
 が、今度も当たる瞬間に体を後ろにそらしてダメージを軽減する。

「なるほど、なるほど」

 俺は相手の攻撃を観察して、その特徴を【作業標準書】で記録していく。
 何度か攻撃を観察して、やっと神殿格闘術の作業標準書が完成した。

「こんな感じかな?」

 俺は拳を突き出す。
 普通のパンチだが、途中から加速して筋肉達磨に当たると相手はよろめいた。
 筋肉達磨は信じられないといった表情だ。

「馬鹿な、見ただけで習得できたというのか?俺が何年も修業の末に習得したこの技を」

「生憎と俺がやっているのは何年もかけて達人を育てるような事じゃないんです。今日入った新人がベテランと同じ動きができるようになるにはどうしたらよいのか、それを何年も研究してきた結果がこれなんですよ」

 そう、自動車部品の量産においては、ベテランの職人が必要な工程は極力なくしていくのだ。
 今日入った新人でもベテラン作業者と同じ事が出来る。
 そうなるにはどうしたらいいのかを突き詰めたのが今の工場であり、そこに積み上げられたノウハウが俺のスキルとして存在している。

「この攻撃途中から加速するパンチですが、神聖魔法のバフ効果を途中から乗せるやり方ですよね。そして、作業の急所は腕の筋肉だけではなく、踵や膝や腰といった部位の筋肉も強化して加速させることです。それが相手の認識を上回る速度の攻撃につながると」

 俺は作業標準書に記載された作業の急所を筋肉達磨に説明した。
 そしてその説明は正解だったようで、相手は目を見開いて固まる。
 おそらく長年血を吐くような修業をして習得したのだろうが、それをちょっと見ただけの俺に真似された事で、脳の処理が追い付かないのだろう。
 工機部門の社員に色々と言われ

「じゃあ、お前がやってみろよ」

 って言われた時に、俺がバーナーでの焼入れをやって見せた時のような反応だよなあ。
 あれは、外部に熱処理を出していると間に合わないので、社内で簡易焼入れをして欲しいとお願いした時の事だったかな。
 昔は結構自社でバーナーを使って焼入れをしていたのだが、最近では熱処理専門のメーカーに発注してしまうので、簡易の熱処理を社内で行うの事は無くなった。
 それでも急ぎでやる必要があったので、お願いしたら客先に無理だと言って伸ばせとか言ってきたので、売り言葉に買い言葉で俺がやるって言ったんだよね。
 成功してよかったけど、条件を間違うとかえって脆くなってしまうので、普通はやらない方がいい。
 そして、あの時の工機の社員の顔が筋肉達磨にそっくりなのだ。
 出来るはずがないと思っていたら、期待を裏切って出来てしまう。
 今回のは【作業標準書】っていうチートスキルのおかげではあるけど。
 なにせ、俺がわかっていないところも、このスキルで補正してくれるので失敗しない。

「見ただけで真似できるなどと!!!」

 筋肉達磨が猛攻に出る。
 が、相手の拳に俺の拳をあわせて、全ての攻撃を防ぎきってみせた。
 俺は相手を見下すように笑う。

「真似と言いますが貴方と俺には決定的な違いがあります。俺のスキルは何千、何万と繰り返してもミスはありません。いや、恒河沙、阿僧祇、那由他と繰り返してもミスは無いのです。そしてそれは一日八時間、場合によってはもっと長い時間作業をしてもミスはありません。体調がすぐれないときも、気分が乗らない時も必ず同じことが出来るんです」

 そう、作業標準書どおりに作業をしていたらミスはない。
 何回繰り返そうとミスはないのだ。
 そしてそれはどんな状況でもだ。
 運命の女神のいたずらで、36回に1回なのか100回に1回なのか、ファンブルしてしまうというのはよくある話。
 でも、工場での生産作業では何度やっても同じことが出来るようになっている。
 何度繰り返してもミスをしない、一見当たり前のようだけど、やってみたら当たり前じゃないことはわかるだろう。
 それに、状況は常に変わる。
 始業してすぐと、帰る間際では体に蓄積している疲労も違う。
 夏と冬では気温も違うし、体調なんて一年通して同じなんて事はない。
 家族の事、恋人の事、お金の事など仕事以外での心配で、平常心ではいられない時だってあるだろうし、勤続年数が長くなれば若い頃みたいに体が動かない事だってある。
 それらを全て乗り越えて、同じ事を繰り返せるというのがどんなに難しいかおわかりだろうか?

「そんな馬鹿なことがあってたまるか!!」

 さらに攻撃速度をあげる筋肉達磨。
 それを捌きながら俺は筋肉達磨に質問をした。

「貴方は神殿の命令に疑問を持ったことはないんですか?神が人間に暗殺の天啓を示すとは考えられませんが」

「神殿長からの命令は神の言葉に等しい。そこに己の疑問を挟む余地などない!」

 君君たらずとも臣臣たらざるべからずか。
 君主に徳がなくとも、家臣は忠誠を尽くすべしという儒教の教えではあるが、近年の製造会社の不祥事をみるにつけ、忠誠を尽くすべきは徳の無い君主、経営者、上司ではないと思う。
 が、組織の中ではそんなことを言えば爪弾きになる。
 思えば目の前の筋肉達磨も組織の中で道徳観を歪められた被害者か。
 といっても同情するつもりはないが。

 そこから暫くは変わらぬ工房が続く。
 しかし、そこには普通の人間の限界として、5分を過ぎたころから徐々に疲労の色が見えてくる。

「疲労により、同じ事が出来なくなる。それが貴方の変化点であり、限界です」

 まあ、普通の人間は疲れるよね。
 プロのボクサーが1ラウンド3分で戦って、あれだけ疲労するのを見ればわかるだろうか。
 人間は全力で動ける時間は長くはない。
 だから、工場の作業環境は如何に疲労で作業に支障が出るのを防ぐかということに腐心して作られている。
 例えば部品を組つけるのに、成人男性が力一杯押し込まないと組み付かないという製品があれば、それは量産は不可能なのはおわかりだろうか?
 そんなものは8時間どころか、1時間ですら作業を続けるのは難しい。
 なので、弱い力でも組つけられるような治具や設備を作るか、設計を見直して組み付け難さを解消したりする。
 例外として、車両工場の期間工みたいな職場もあるけど、ほとんどの場合において、連続した作業を可能にする工夫がされるのだ。
 車両工場も連続した作業をしてはいるけど、フロントガラスの組み付け工程をみると、あれはちょっとキツイなと思える。
 重たいガラスを持って次々と流れてくる車両に組み付けていくのを、毎日8時間作業するのは誰にでも出来るわけではない。
 余談ではあるが、8時間というのは一般的な労働時間であり、二直や三直の編成で変わることがある。
 なにせ、三直8時間で24時間稼働となる訳ではなく、実際は休憩時間を入れたら会社にいる時間は9時間になるので、8時間作業をすると終業時刻は毎日ずれていってしまう。
 そうならないように、勤務時間は各社で色々と工夫されてます。

 さて、話をもとに戻すと、筋肉達磨は疲労により攻撃が雑になってきたし、連撃のコンビネーションにも乱れが出てきた。
 俺はそれを変化点と指摘したが、変化点では不良が出やすくなる。
 こちらは同じ動作を繰り返しミス無く出来るので、このまま筋肉達磨のミスが出るのを待てばいいわけだ。
 筋肉達磨も自分の疲労を理解して来たようで、顔に焦りが出てきた。

「たかが真似しか出来ない分際で!!」

 筋肉達磨はそういうと大きな動作で拳を自分の耳の辺りまで引いた。
 所謂テレフォンパンチだ。
 初心者がやるようなミスを、この局面でやらかしてくれた。

 俺はそれを見逃さない。

「やっとミスをしてくれましたね」

 隙の出来たところで顎に拳を叩き込んだ。
 
「ぐがっ」

 筋肉達磨は苦しそうな声をあげる。
 顎に加えられた衝撃により、脳が揺れて意識が失われたはずだ。
 が、太い首によって衝撃が軽減されるので、その時間は一瞬でしかない。
 しかし、その一瞬で十分だ。

「せいっ!」

 気合い一閃。
 俺の右拳が筋肉達磨の鳩尾を打ち抜く。

「げぇっっ!!!」

 ダメージは筋肉達磨の厚い腹筋を突き抜け内蔵へと伝わり、その証拠に吐瀉物を床にぶちまけた。
 そしてその場に崩れ落ちる。

「焦りや怒りの感情をコントロール出来ずに、いままで出来たことが出来なくなるというのは散々見てきた。貴方も例にもれず同じミスをしましたね」

 俺は倒れた筋肉達磨に憐みの視線を投げる。
 今まで出来ていたのに、突然不良を作ってしまうのには必ず原因がある。
 そしてそれは今回のように、心の乱れに起因している事も多い。
 心の乱れは品質の乱れ、正しい品質は綺麗な心から。
 心の鍛錬を怠ったのが相手の敗因だ。

「終わったの?」

 スターレットが恐る恐る筋肉達磨を見る。

「うん。しばらくは動けないと思うよ。それに内臓にダメージが入ったから、しばらくは食事をするのも辛いんじゃないかな」

「そいつはアルトが縛りなさいよね」

 他の男達をシルビアが縛り上げながら、倒れている筋肉達磨を顎で指す。

「他の連中と一緒にシルビアが縛ってくれてもいいんだけど」

 俺がそういうと、シルビアは嫌そうな顔をした。

「ゲロまみれの男なんて触りたくもないわ。あたしに縛ってもらいたかったら倒し方を考えてよね」

「あー」

 言われてみればその通りか。
 俺も触りたくない。

「【拘束】の魔法で動けないようにして、後は犯罪ギルドに任せようか」

「それでいいの?」

「うん。聞きたい情報は聞き出せたと思う。黒幕はわかったし、ジャーニーは救出できたからもういいんだ。このまま解放するわけにもいかないし、衛兵に突き出すくらいなら犯罪ギルドに引き渡そうかなと思ってね」

 犯罪ギルドに引き渡せばその後どうなるかは想像に難くないが、自業自得といえば自業自得だ。

「スターレット、ガゼールに事情を話してここの誘拐犯を引き取ってもらうようにお願いしてきてくれるかな。俺とシルビアはここで見張っているから」

「わかった」

 スターレットが部屋から出ていき、しばらくするとガゼールと数名の男がやってきた。
 逃亡するやつが出たら捕まえるつもりで待機していたのだろう。
 こちらにとっては早く引き渡しが出来たので好都合だった。

 ガゼールは室内をじろりと見まわす。
 そして俺に訊いてきた。

「これで全員か?」

「はい。住宅の中には人の気配はもうありません。全員がこの部屋に集まっていたのでやりやすかったです」

 ただ、ガゼールと一緒にやってきたうちの数名が、他の部屋を探索している気配がする。
 みんな手練れの盗賊であろうとわかるのは、二階にいる連中の足音が聞こえてこないことだ。

「そうか。それにしても随分とあっさり片付いたな。こいつら弱かったか?」

 床に転がっている連中を指さして、ガゼールがニヤニヤと笑う。
 その言葉に俺は首を振った。

「魔法で拘束してある筋肉達磨はめちゃくちゃ強かったですよ。冒険者の等級でいえばおそらくは銀等級か金等級でしょう」

「その割には三人とも無傷じゃねえか。それに相手も怪我してるやつはいねえ」

 ガゼールからは筋肉達磨の腹に刻まれた俺の拳の痕が見えないのでそう思うのも仕方がないな。
 しかし、筋肉達磨が実力者なのは事実だ。

「俺のスキルと相性が悪かっただけですよ。尋問するにしても気をつけてくださいね。暴れ始めたら止めるのが大変ですから」

「心配いらねえよ。ボスにかかればどんな奴だって直ぐにおとなしくなって、知っている事をぺらぺらと喋っちまうからな」

 ガゼールは右手で作った手刀で、左手の指を落とす真似をした。
 だが、その顔はとても良い笑顔で、ガゼールもそういう事が好きなんじゃないかと思えた。

 そして、ジャーニー以外は全てガゼールに引き取ってもらい、俺達はジャーニーと一緒にオーランドの待つ冒険者ギルドへ帰ることにした。
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