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38話 鉄は熱いうちに打つのがいいのか?

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 牢屋の床は硬かったので、寝ても疲れが取れなかった。
 どれくらいかというと、硬さはビッカースで1506だ。
 硬度測定スキルで測ったので間違いない。
 なにやっているんだと言われそうだな。
 ビッカースというのは硬さの単位のひとつで、HVと表記される。
 測定方法は、ダイヤモンドで出来た四角錐の圧子を測定物に当て、その圧痕の大きさを測定する。
 測定物が平面でないとうまく圧痕が出来ないので厄介だ。
 特殊鋼の丸棒の表面焼き入れ後の硬度を測定しろと言われても、難しいのでご遠慮したい。
 が、そんなことを許してくれるわけもないか。

 そんなわけで、とても眠い午後の時間をコーヒーで乗りきろうとしていたら、シルビアがやって来た。
 荒い跫音に少しだけ眠気が飛んでくれる。

「原材料がわかったわよ」

 そう言って、相談窓口に座る。
 カウンターを挟んで相向かいになると、彼女は一枚のメモを取り出して、俺に見せてくれた。

「コモ?」

 メモにはコモと書いてあった。
 そして、最近コモの採取依頼を出していた人物も書かれている。

「コモっていうのは山岳地帯に自生している一年草よ。山岳民族の一部はそれを煎じて飲む風習があるって聞いたわ。だけど、街ではそんな需要もないから、口にした事がある人なんて皆無よ。美味しくもないって話だし」

 そうか、そんな植物が原材料だったのか。

「採取依頼の依頼人は?」

「これはそんな需要の無いものを依頼してきたから、レオーネが覚えていたのよ。それなりに美味しい依頼だったらしく、何組かのパーティーが依頼を受けたみたいね。買い取りの上限は無かったから」

「そうなると、それなりの量を確保していますよね。それが市場に出回ってこないってことは、商売するために集めていたって訳じゃないと」

 シルビアは俺の言葉に頷く。

「集めたコモを使って麻薬を作っていたなら、表に出てこないのも納得よね。冒険者ギルドも依頼人の素性を確認するのは仕事だから、キチンと住所も抑えてあるわよ。ただ、これだけだと犯罪じゃないから、乗り込むわけにもいかないけどね」

 住所がわかっているなら十分だ。
 俺には作業標準書があるから、ばれないように忍び込むのも、見張るのも問題ない。
 それにしても……

「何よ?」

 シルビアの顔をみていたら、不機嫌そうになってそう言った。

「いや、随分と常識的になったなって思いましてね。てっきり、今から乗り込むわよとか言うと思ったんだけど」

「殴るわよ!」

 と言うと同時に殴られた。
 痛い。

「殴ったじゃないですか」

「だから殴るわよって宣言したじゃない」

「はい……」

 普通は警告だと思うよね。
 言葉の解釈としては間違っていないけど。

「本当なら直ぐにでも乗り込みたいけど、あんたが捕まったばかりでしょ。そっちも衛兵とグルになっていない保証なんて無いわよ。今はその時じゃないってことよ。それに――」

 そこで言い淀むシルビア。
 どうしたというのだろうか?

「それに?」

 俺が訊くと、シルビアは顔を近づけて耳元で小声で囁く。

「衛兵と繋がっているくらいだから、冒険者ギルドにも仲間がいるかも知れないでしょ」

 そう言われて納得した。
 思った以上に相手の手は長いのかも知れないな。

 落ち着くためにもコーヒーを飲む。
 飲み干した益子焼風のカップをカウンターに置くと、カツンと軽い音がした。

「ならば、これ以上はここで話すのはやめましょうか。どこか盗み聞きされない場所で続きをしましょう」

 そう提案すると、シルビアは首肯した。
 聞かれちゃまずい話しは、絶対に漏れない環境でやらないとね。
 ほら、重大不具合は客先やなんとか省に気付かれないように、極秘裏に動かないといけないからね。
 ちょっと情報を嗅ぎ付けたら、面白がって喋る奴もいるし、脅迫材料にしてくる奴もいる。
 車両メーカーのリコールの情報だって、事前に知っている部外者が居るって聞いたこともあるからな。
 なので、秘密の話しは絶対に漏れない環境が必要なのだ。
 ちょっと嫌な記憶が頭をもたげる。
 いや、今はそんな前世の記憶は封印しておこう。

「盗み聞きされない場所ってどこよ?」

「うーん、連れ込み宿とかなか」

「あんなところ聞き耳を立てている連中ばかりよ」

 シルビアにダメ出しされてしまった。
 一応知らない人のために説明しておくと、連れ込み宿っていうのは、現代風に言えばラブホテルの事だ。
 逆さくらげなんて言われたりもするな。
 いや、それは昭和一桁世代くらいか。
 それにしても、そうか、聞き耳を立てているのか。
 なんなら覗かれていそうだな。
 しかも、そっちも金をとって。
 性風俗産業なんて、どこも似たようなもんだろ。
 というわけで、連れ込み宿は却下となった。

「なにも小さな部屋ばかりが適切な場所って訳じゃないわよ。ようは相手をこちらが確認できればいいんだから、例えば街から出て直ぐの街道脇の見晴らしのよい場所だっていいのよ」

「それなら、街中の広場とかでもいいのかな」

「人通りが少ない方がいいわね」

 確かに、前世のアレの内緒話をするのに、工場内の通路で小声で話していたが、すれ違う人がチラチラとこちらを見ながら、聞き耳を立てていた様な気もしたな。
 工場内で品管がヒソヒソ話をしているのなんて、いい話しは無いから気になるのだろう。
 ラインサイドだったりすると、それは余計に強くなるな。
 気にしすぎて、標準作業を出来なくなったりしてね。
 話がそれたな。

「それじゃあ一先ずここを出ましょうか。歩きながら人通りの少ないところを探しましょう」

「そうね。ただ、外は暑いからあまり動き回りたくはないわね。街の直ぐ近くの森を目指して、その途中によさそうな場所があればそこでということにするわよ」

「はい」

 二人で冒険者ギルドから出て、街の外を目指す。
 なんか、社内で聞かれるとまずい話をするのに、外の会議室を借りたのを思い出すな。
 公民館とか、それなりに人が入れる部屋があるのでお勧めですよ。
 誰向けのアドバイスなんだか。

「尾行に気付いてますか?」

 冒険者ギルドを出たあと、二人で歩いていると尾行されているのに気がついた。
 相手にわからないように、シルビアに訊いてみる。

「下手くそな尾行ね。あんたキチンと教えておきなさいよ」

 シルビアも気づいていたようだ。
 それにしても、なんで俺が尾行のやり方を教えなきゃならないのだ。

「上手くやられたら、気がつかなかったでしょ」

 そう反論すると、シルビアは真面目な顔になった。

「自分の彼女が尾行に失敗して危険なめにあったら嫌でしょ」

 そう、尾行しているのはスターレットだ。
 彼女も冒険者なので、一般人よりはマシな尾行にはなっているが、俺やシルビアにとっては簡単に気づいてしまう程度のレベルにとどまっている。
 これで、犯罪者の尾行とかするのは確かに危険だな。

「彼女も密売組織と関係があると思いますか?」

 とシルビアに訊ねた。
 俺自身はそんなことは無いと思っている。
 贔屓目に見てはいないつもりだが、やはりこればかりは客観的な意見を聞いておきたい。

「無いと思うわ。衛兵を抱き込むくらいの力があるのだから、もっとマシなのを雇うわよ。まあ、あんたとスターレットの関係を知っていれば、接触しようとはするかもしれないけど、それなら尾行なんてさせないで、もっと別の仕掛けをするわよ」

「別の仕掛け?」

「そう。例えば情にうったえかけるような奴ね。惚れた相手には弱いでしょ」

 そう言われると反論が出来ない。
 ハニートラップや結婚詐欺なんてのもそうだよな。
 惚れた弱味ってやつだ。
 親が病気になったからって言われて、手術代150万円を肩代わりしてみたりね。
 俺の事じゃないぞ。
 俺は90万円までしか騙されなかったからな!

「なんか、他の事を考えていそうな顔しているわよ。彼女の事を本当に大切だと思っているなら、ちゃんと教えて上げなさいよね」

 そう言ってくれたシルビアは、頼れるお姉さんみたいだ。
 これで直ぐに手がでなければ、みんなに慕われているだろうに。

「それなら、今すぐに悪いところを指摘してあげますね。鉄は熱いうちに打てって言いますから」

 あれ、冷間鍛造は熱くないか。
 言ったあとに気がつく。
 ことわざ作った人、間違ってますよ。
 鍛造には温度によって熱間、温間、冷間とある。
 900℃以上で加工するのが熱間、600~900℃で加工するのが温間、常温で加工するのが冷間となっている。
 冷間鍛造は他の鍛造よりも精度が高くなるので、鉄は熱いうちに打つのが必ずしも良いとは限らないのだ。

「また余計なこと考えているでしょ。早く行ってきなさい」

 シルビアに尻を叩かれて、スターレットのところへ向かう。
 こちらは比喩表現ではなく、本当に尻を叩かれたので痛い。
 手で叩かれた場所をさすりながら、スターレットの前まで来た。
 尾行がばれたスターレットはバツが悪そうにしており、目を合わせようとしない。
 さて、麻薬の密売に巻き込むのも危険だし、どうやって説明したらよいものか。
 俺もなかなか彼女にかける言葉が出てこなかった。



※作者の独り言
パロディやらずに書いているので、黙っていても良かったのですが、元の方でも書くチャンスがなさそうなので、ここで書いておきます。
シルビアが「殴るわよ」って言ったところは元々は

「殴るわよ」

 アルトがシルビアに殴られる。

「殴ったね」

「だから、殴ると宣言した」

っていう富野調のやり取りをしたかったのですが、我慢しました。
どこかで言っておきたかった。
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