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最終章
最終話 欲しかったもの
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「イリア~? このテーブルとクッションどうしたんだ?」
憤慨しながら――驚かそうと読みを外した後悔を痛感しつつ――キッチンに戻っていたので声を大きくして尋ねる。
「それあたしからのプレゼント。家はなんとか一晩で知り合いに頼んで修繕してもらったけど、壊れた家具とかはどうしようもないから――」
イリアは平べったい白い機械の板を片手にこちらにやってきて、
「これで注文するといいわ。管理会社への諸々の対応や修繕費含めて、あたしがなんとかするから」
渡されたタブレット端末――いつの間にかくすねられていたタブレット――を開くと普通にインターネットに接続されており、家具の写真が載った大手通販サイトが開かれていた。
――あたしがなんとかするというその言葉の根拠はどこから来てるのか。
最もウチはあまり家具を置かないのでその言葉が本当でもかける負担は少なさそうだが。せいぜい言うならベッドくらいで――、
「お前、そんなに金持ちに見えないけど大丈夫なのか? この現状テーブルとクッションしかないリビングと部屋を戻すのにいくらかかると思ってるんだ?」
すると鼻息を立てて、
「大丈夫よ。車でしたあたしの話覚えてる? あたしが何者かって話」
そっと頷いた。今は知らない方がいい――そう言っていた潜入工作員イリアの正体。
「あたしはね、実は警察とグルなの。あの蔭山って刑事ともちょっとした顔見知り」
「じゃあこの事件の間も情報交換したりしてたのか?」
「ええ。でもあたしは――いや、あたし達<XIED>は、警察と共同捜査を行うこともあるというだけの関係だけどね」
あの武器のサンプルが欲しい、製造ルートを知りたい――<XIED>にも独自の目的がある。
「お前が円川組に潜入していたのも、そこの命令か」
「そうよ。でもあたしが裏切り者だということは、もう奴らに知られてしまっただろうから、スパイ活動からは足洗うけどね」
小菅の部下は概ね警察に逮捕されたが、それでも残党や上の存在が気がかりだ。
<XIED>。警察が手に負えない事件や捜査を担当する裏方の組織として、その名前はネットニュースで見かけることがある。
が、それ以上のことは全く知らなかった。いや、それ以前に興味が微塵もなかったのが正しい。いち市民が知った所で何になると。
――だが潜入捜査となると、常識的に考えて警察が行うとも思えない。
「<XIED>は陽の当たらない組織だけど、これでも平和のために動いてる組織なの。今回の民間人であるアンタにやったことは、あたしが申請して責任とってくれることに決まったわ。だから――」
イリアは再びキッチンへ戻って、シチューの鍋に向かった――。
フローリングの上で大きく上半身を倒す。
こんな少女がなぜ危険な潜入任務とかをする潜入工作員として活動しているのか。疑問である。
が、一つ言えることは今回の事件から見ても、自分の知らない所で何か大きなことが動いているのは確かで――。
「――ちょっと! 聞いてるの! シチュー出来たんだけど――」
キッチンから声を出しても反応がない。苛立ってリビングの方へと向かってみる。
途端に反射的に声のトーンが落ちる。
それもそのはず、静かなる寝息を立て、仰向けの状態で眠っていた――。
闇。そこに一筋の光があるのを感じた。背後には気持ちのよさが伝わってくる。
それだけではない。全身がとても暖かい。
目を開けるとそこは、外からの明かりが眩しいリビング。誰もいない。
「ようやく目を覚ましたわね。もう十五時よ」
「悪い、どうやら寝ちまったようだ」
うたた寝したようだ。目を開けると丁寧に布団まで敷いてある。これもイリアが仕入れたのだろう。
「お前が布団敷いてくれたのか?」
「ええ、そうよ。風邪ひいたら大変じゃない? 全く、余計な時間を過ごしたわ! もう!」
やや頬を赤くしながら、労いの気持ちを恥ずかしさから強がってごまかす。
「……ところで、ねえ、シチュー食べる? さすがにもうお腹空いたでしょ?」
「そうだな。なんかぐっすり寝たからか、腹減ったな」
久しぶりにここへ戻ってきて安心感からか、はたまた激動の数日を終えて糸が切れたからか、寝てしまったらしい。
――今朝も思えば、あんな風に緊張感もなくメシにありつけたのは、戻ってきた平穏ゆえの安心感か。
しばらくすると、キッチンから持ってきた白い器に、細かく切った人参と肉、ジャガイモが浮いた料理がテーブルに置かれた。
微かに揺れる表面からは、そのとろっとした感触が視覚から伝わってくる。銃を向けてくる少女の料理の腕前とは思えないほど。
「召し上がれ。あたしの手料理、とくと堪能なさい!」
「おぉ、サンキュー。いただきます」
良い匂いだ。軽く手を合わせ、スプーンで肉とクリーミーな所を丸ごとすくい上げて、口に運ぶ。クリームのスープと肉が調和し、暖かさと美味を演出する。
「美味いなこれ。お前、これどうやって作ったんだよ?」
固唾を飲んで見守っていた彼女に待っていたのは、純粋な意味での褒め言葉。
「ス、スパイ活動は戦闘力以外にも相手に気に入られるためのスキルが必要なのよ。だから手料理もそのために勉強した――それだけよ」
またしても頬を赤くしながら、喜ぶ気持ちを隠して答える。笑われるかもしれない恥ずかしさとプライドが勝って本心を覆い隠し、態度に矛盾が生じる。
これまで、料理を食べてくれる者はいて、褒めてくれる者はいても、そこから出るのは褒められて嬉しいという感情ではない。
任務のために相手を騙せた意味での嬉しさでしかない。任務のためであり、決してそれは食べるその人のためではない。
初めて真心で人に振舞った料理を褒められた――それが内心ではとても嬉しくて、たまらなくて。
「ま、まああたしの手にかかれば、こんなもんだし! 他にもレシピは色々あるのよ」
「それにしばらくは何回かちょくちょくここへ来ることになりそうだから、また作ってあげるわよ……アンタになら」
最後だけは恥ずかしくて、真っ直ぐ向いて話すことが出来ない。
素直に手放しで喜びたい――だが喜べない。おかしく思われて笑われたりするのがイヤだから。
だが、その真の褒め言葉を聞いてたまらなくなる。もっと相手を喜ばせたいという欲求が出てくる。男が喜んで褒めてくれる姿はとてもくすぐられる。
「ところでお前は食べないのか? こんなに美味いのに」
「そ、それもそうよね。うん……」
美味いと言われた自分の料理。それをスプーンで口にすると――普段の自炊で当たり前に口にするものよりも不思議と美味しく感じた。
潜入任務は終わった。が、最近の自分が欲しかったものは任務を終えた名誉や功績もそうだが、それよりも欲しかったもの――飢えていたものが今確かにあったことに気づいた。
誰かに真に褒められることだったのだと。
名誉や功績は実績として褒め称えられる。だが、手料理という自分の一つの個性を誰かに真に褒められることはそれらとは違う意味で格別だ。
その後、鉄生の家は家具も含めてほぼ元の状態を取り戻す。
が、再建に未知数な<XIED>が絡んだことはなかなかとても表には言い出しづらい。
高谷の見舞いへ行った時はテキトーになんとかなった、やりくりしたと言って済んだものの、それを精神的に酷く痛感するのは、上半期が過ぎようとしている暑い夜の友人との会食――だが、それはまた別の話。
憤慨しながら――驚かそうと読みを外した後悔を痛感しつつ――キッチンに戻っていたので声を大きくして尋ねる。
「それあたしからのプレゼント。家はなんとか一晩で知り合いに頼んで修繕してもらったけど、壊れた家具とかはどうしようもないから――」
イリアは平べったい白い機械の板を片手にこちらにやってきて、
「これで注文するといいわ。管理会社への諸々の対応や修繕費含めて、あたしがなんとかするから」
渡されたタブレット端末――いつの間にかくすねられていたタブレット――を開くと普通にインターネットに接続されており、家具の写真が載った大手通販サイトが開かれていた。
――あたしがなんとかするというその言葉の根拠はどこから来てるのか。
最もウチはあまり家具を置かないのでその言葉が本当でもかける負担は少なさそうだが。せいぜい言うならベッドくらいで――、
「お前、そんなに金持ちに見えないけど大丈夫なのか? この現状テーブルとクッションしかないリビングと部屋を戻すのにいくらかかると思ってるんだ?」
すると鼻息を立てて、
「大丈夫よ。車でしたあたしの話覚えてる? あたしが何者かって話」
そっと頷いた。今は知らない方がいい――そう言っていた潜入工作員イリアの正体。
「あたしはね、実は警察とグルなの。あの蔭山って刑事ともちょっとした顔見知り」
「じゃあこの事件の間も情報交換したりしてたのか?」
「ええ。でもあたしは――いや、あたし達<XIED>は、警察と共同捜査を行うこともあるというだけの関係だけどね」
あの武器のサンプルが欲しい、製造ルートを知りたい――<XIED>にも独自の目的がある。
「お前が円川組に潜入していたのも、そこの命令か」
「そうよ。でもあたしが裏切り者だということは、もう奴らに知られてしまっただろうから、スパイ活動からは足洗うけどね」
小菅の部下は概ね警察に逮捕されたが、それでも残党や上の存在が気がかりだ。
<XIED>。警察が手に負えない事件や捜査を担当する裏方の組織として、その名前はネットニュースで見かけることがある。
が、それ以上のことは全く知らなかった。いや、それ以前に興味が微塵もなかったのが正しい。いち市民が知った所で何になると。
――だが潜入捜査となると、常識的に考えて警察が行うとも思えない。
「<XIED>は陽の当たらない組織だけど、これでも平和のために動いてる組織なの。今回の民間人であるアンタにやったことは、あたしが申請して責任とってくれることに決まったわ。だから――」
イリアは再びキッチンへ戻って、シチューの鍋に向かった――。
フローリングの上で大きく上半身を倒す。
こんな少女がなぜ危険な潜入任務とかをする潜入工作員として活動しているのか。疑問である。
が、一つ言えることは今回の事件から見ても、自分の知らない所で何か大きなことが動いているのは確かで――。
「――ちょっと! 聞いてるの! シチュー出来たんだけど――」
キッチンから声を出しても反応がない。苛立ってリビングの方へと向かってみる。
途端に反射的に声のトーンが落ちる。
それもそのはず、静かなる寝息を立て、仰向けの状態で眠っていた――。
闇。そこに一筋の光があるのを感じた。背後には気持ちのよさが伝わってくる。
それだけではない。全身がとても暖かい。
目を開けるとそこは、外からの明かりが眩しいリビング。誰もいない。
「ようやく目を覚ましたわね。もう十五時よ」
「悪い、どうやら寝ちまったようだ」
うたた寝したようだ。目を開けると丁寧に布団まで敷いてある。これもイリアが仕入れたのだろう。
「お前が布団敷いてくれたのか?」
「ええ、そうよ。風邪ひいたら大変じゃない? 全く、余計な時間を過ごしたわ! もう!」
やや頬を赤くしながら、労いの気持ちを恥ずかしさから強がってごまかす。
「……ところで、ねえ、シチュー食べる? さすがにもうお腹空いたでしょ?」
「そうだな。なんかぐっすり寝たからか、腹減ったな」
久しぶりにここへ戻ってきて安心感からか、はたまた激動の数日を終えて糸が切れたからか、寝てしまったらしい。
――今朝も思えば、あんな風に緊張感もなくメシにありつけたのは、戻ってきた平穏ゆえの安心感か。
しばらくすると、キッチンから持ってきた白い器に、細かく切った人参と肉、ジャガイモが浮いた料理がテーブルに置かれた。
微かに揺れる表面からは、そのとろっとした感触が視覚から伝わってくる。銃を向けてくる少女の料理の腕前とは思えないほど。
「召し上がれ。あたしの手料理、とくと堪能なさい!」
「おぉ、サンキュー。いただきます」
良い匂いだ。軽く手を合わせ、スプーンで肉とクリーミーな所を丸ごとすくい上げて、口に運ぶ。クリームのスープと肉が調和し、暖かさと美味を演出する。
「美味いなこれ。お前、これどうやって作ったんだよ?」
固唾を飲んで見守っていた彼女に待っていたのは、純粋な意味での褒め言葉。
「ス、スパイ活動は戦闘力以外にも相手に気に入られるためのスキルが必要なのよ。だから手料理もそのために勉強した――それだけよ」
またしても頬を赤くしながら、喜ぶ気持ちを隠して答える。笑われるかもしれない恥ずかしさとプライドが勝って本心を覆い隠し、態度に矛盾が生じる。
これまで、料理を食べてくれる者はいて、褒めてくれる者はいても、そこから出るのは褒められて嬉しいという感情ではない。
任務のために相手を騙せた意味での嬉しさでしかない。任務のためであり、決してそれは食べるその人のためではない。
初めて真心で人に振舞った料理を褒められた――それが内心ではとても嬉しくて、たまらなくて。
「ま、まああたしの手にかかれば、こんなもんだし! 他にもレシピは色々あるのよ」
「それにしばらくは何回かちょくちょくここへ来ることになりそうだから、また作ってあげるわよ……アンタになら」
最後だけは恥ずかしくて、真っ直ぐ向いて話すことが出来ない。
素直に手放しで喜びたい――だが喜べない。おかしく思われて笑われたりするのがイヤだから。
だが、その真の褒め言葉を聞いてたまらなくなる。もっと相手を喜ばせたいという欲求が出てくる。男が喜んで褒めてくれる姿はとてもくすぐられる。
「ところでお前は食べないのか? こんなに美味いのに」
「そ、それもそうよね。うん……」
美味いと言われた自分の料理。それをスプーンで口にすると――普段の自炊で当たり前に口にするものよりも不思議と美味しく感じた。
潜入任務は終わった。が、最近の自分が欲しかったものは任務を終えた名誉や功績もそうだが、それよりも欲しかったもの――飢えていたものが今確かにあったことに気づいた。
誰かに真に褒められることだったのだと。
名誉や功績は実績として褒め称えられる。だが、手料理という自分の一つの個性を誰かに真に褒められることはそれらとは違う意味で格別だ。
その後、鉄生の家は家具も含めてほぼ元の状態を取り戻す。
が、再建に未知数な<XIED>が絡んだことはなかなかとても表には言い出しづらい。
高谷の見舞いへ行った時はテキトーになんとかなった、やりくりしたと言って済んだものの、それを精神的に酷く痛感するのは、上半期が過ぎようとしている暑い夜の友人との会食――だが、それはまた別の話。
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