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最終章

第37話 過ち

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 灼熱の気候が真っ暗闇の夜にも関わらず、今日のコンクリートジャングルを鉄板の如く焼き尽くす。
 人々が行き交う夜の渋谷の街。見えてきたビルのエレベーターに乗り込む。

 忠犬の像が名物たる駅前に並ぶビルのうち、三階のファミレス。冷房がよく効いていて、暑さのこもった体をあっという間にクールダウンさせてくれる。
 既に先に入店して席取りしている親友がいることを店員にその旨を伝えて手早く入店した。
 横断歩道とコンクリートの上をアリのように人々が右往左往するこの近辺の渋谷の街を、三階の高さから一望出来る窓の近くにあるテーブルにそいつは座っていた。

「お、来たか。待っていたぞ、城崎」
「よお、テツ。ホントだろうな? 今日は僕のために全額奢るって」
 怪訝な目で見る。もう事前に聞いていたことだが、最初は嘘か本当なのか分からなかった。
 効率のために自分勝手で無茶なカネを要求をしたあのテツが仕事帰りで疲れてる中、夕飯代をすべて奢ってくれるのだから。
「勿論だ。半年前の侘びだから今日はもう好きなだけ食べてくれ」

 互いにテーブルを挟んで座る。メニューを手に取り、ここに来る前から考えていたものを即注文。
「すいませーん、枝豆にポテト、唐揚げ。あとビールを……」
 遠慮なく、と言わんばかりに次々と注文する姿に容赦はなかった。が、それはどこか楽しそうで久しぶりに会うその姿はいつもの日常がようやく帰ってきたことを思わせる。
 本当は居酒屋にしたかったが生憎予約が忙しくてとれなかった。

 半年ぶりだ。あの後、壊された家のことや仕事も忙しくなった関係で互いに会うのがここまで伸びてしまった。
 ひとまず最初に来たビールで乾杯を交わしたあと、
「そうそう、高谷も退院後は仕事にも復帰して順調だってよ。クビにされるかとヒヤヒヤしてた」

 ――ヒヤヒヤっぷりは今思い出しても大げさすぎて笑いがこみ上げてくる。
 今の現代社会、大学出て五年社会人やってる人間をあっさり予告なく切る会社がどこにあるのやらと。

 スマホがブルブル。その報が届けられたのはあの決戦を終えた日、蔭山からの取り調べ途中のこと。高谷は正午過ぎに奇跡的に目を覚ましたのだ。
 とはいえ生死の境をさ迷い、血まみれとなって弾けた体はすぐ動けるものではない。
 二ヶ月は入院するよう医師から通告され、その後無事に退院した。エンジニアの仕事が忙しい社畜の城崎に代わり、合間を縫って見舞いに訪れた――最も、その鉄生も見舞いどころではなかった。

「テツもよくお見舞い行けたよな。家も壊されたんだよな? その後大丈夫か?」
「……」
 ――喋りにくい。
 森野――いや、イリアによって壊された家。実はあの後――髪をかきながら説明する。

「あ、あぁ、とりあえずあの蔭山って刑事が助けてくれてさ、事件や災害で家が壊れた人向けに修繕費をなんとかしてくれる保険があるんだと。で、なんだかんだで家もすぐ元通りになった」
 まあ、テキトーすぎるが自分でも妥当な説明だと思った。

「へえー、そういう保険があるのか。だったら良かったじゃないか。森野や元濱は残念だったが、家は戻ってきただけ……」
「あぁ……」
 互いに目を逸らす。森野はもしかしたら仲良くなれていたかもしれない。
 そうすれば元濱も――だが、どのみち二人ともこの平穏にはもう帰ってこれなかった。

 誰しも完璧ではない。必ずどこかで間違える。それは二人だけではない。
 十四年前から、いくつもの人間の過ちが重なりに重なって、事件が起こって、生まれたのが今。
 その過ちはほんの一部は取り返せても、刃となって刺さったそれは永遠に取り除けない傷を残す。

 十四年前の失敗は取り返した。だが、たった一つ残った、四国でやっちまった、この今を決定づけた致命的過ち。もうそれは決着をつけようが取り返せない。一生背負っていく以外何もない。
 だが、同時にこの事件と――己の十四年前の過ちと――向き合って気づかせてくれたものもある。

「ま、まぁもう湿っぽいのはやめよう。テツがせっかく奢ってくれるビールと飯が不味くなるからな」
「……そうだな。今日はたっぷり食べて、くつろいで飲んでくれ」

 平穏に帰ってきて、そして今、目の前にいる友人を見て実感出来ること。

 ――効率を求めすぎてはいけない。
 たとえ窮地に立たされても、不本意でも時には耐える我慢も必要だ。
 求めすぎないのが、丁度良いのだと――。
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