上 下
34 / 39
最終章

第34話 運命

しおりを挟む
『どうだ? 我々の組織で働いてみないかね? ボスもきっと君のような子供は気に入るはずだ』

 寝静まった、冷たい静寂に包まれた白い壁に覆われた豚箱の中。一人の職員がある日やってきた。他の職員同様、しわの目立つオッサン。
 その優しくも、悪魔の誘いでもあった声は十四年経っても憶えている。
『その内に秘めた、憎悪と怨恨。捨て置くのは惜しい。もし承諾すれば、今すぐこの吹き溜まりから出してやるぞ』

 この小奇麗な豚箱に入って、もうすぐ三年。
 脱出をしようにも監視の目が強く、すっかり勉学や職業訓練など、朝から夜まで徹底管理された監獄生活みたいな日常が当たり前となった頃、思わぬ方向から脱出の手引きがやってきた。
 無論、答えは一つだった。這い上がるため――そして復讐するために。
 来たくてこんな所に来たわけじゃない、放り込まれたんだ。願ったり叶ったりだった。

 こうして組織を経て、その下部に位置する円川組に入って毎日、泥を被る日々から半年経った頃、風の噂でこんな話が流れてきた。
 長崎の更正施設は入所者一人の脱走を、保身のために揉み消したと――。

「おれはな――金田。この時のためにどんなに苦しくても、クソみてえな毎日をずっと耐えてきたんだよ。努力は報われる――その努力が今、実る時だ!!」
 トドメと言わんばかりの鋼鉄の拳が、どうにか立ち尽くし、息をする顔面目掛けて迫る――そこを阻む白き光。
「なっ……! まだ抵抗するだけの余力があったか!」
 なんとか苦し紛れに前に出した手。だが抵抗とその先にある意志に腕輪ブレスレットが答えてくれた。

 鋼鉄の拳を白き光が食い止め、それに装備者の力が相乗し、
「森野……お前のこの十四年に渡るオレへの執念、憎悪は痛いほど分かる。だがな――」
 鋼鉄の拳を力強く払い除け、その拳に引き寄せられガラ空きになった所を狙って、
「オレも十四年前のお前に病院送りにされたあの日、何もしなかったわけじゃねえ!」
 白い球体の光を纏った拳は森野の胸部に大きく直撃。血を吐き、吹っ飛ばされるも即座に地面で一回転して瞬時に立ち上がる。

「なんだよ? 今更言い訳するつもりか? テメエのせいでおれがこうなった事がまだ分からないのか!!」
 鋼鉄の腕を振るって何かを投げつけるようにして、伸びて迫り来る触手。吹っ飛ばされ、距離も出来た。が、もうそれも読めていたと言わんばかりの攻撃――。
「違う!! 話を最後まで聞けえ!!」
 打ち砕く。そしてまた既視感のある触手の引き戻し。本人もそれに気づいたか、顔に余裕はない。
「よし」

 歯を強く噛み締め、勢いよく飛び出す。右手にチカラを込める。
 十四年の決着をつけるために――あの時の失敗を取り返すため――白い光の拳は勢いを増していく――森野を救うため。
「な、なんだこのチカラは!! どんどん強くなっていく!! 来るな、来るなぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 
 首を正面から左にへし折る顔面に向けて放たれたストレート。
 衝撃と耳をつんざく絶叫が走り、体が大きく回転し、頭からそのまま地面の硬い灰色に突っ込んで叩きつけられる。
 ――な……ぜ……おれのチカラより強いんだ……

 ここまで執念で這い上がってきたのだろう森野。
 だが、もう立ち上がる気力は限りなくゼロに近い。腕を上げようにも体が起き上がらない。顔と首が言うことを聞かない。
 あるのは朦朧とする意識のみ。が、そこに植物が構成する天井を覆うようにして現れる憎き相手。
「この野郎……何かの間違いだろ? おれが負けるなんて……これで勝った気に――」
「森野。話を聞いてくれ」
「十四年前、オレは確かにお前を準決勝で倒した。だがな――」

 真実を、ありのままに続ける。
「お前はオレが十四年前の地区大会で決勝に上がったと思ってるんだろうがあの後、オレは負けたんだよ。決勝で」
 目が大きく開いた。それはこの十四年で知り得なかった事実――いや、知ったのかもしれないがもう覚えていない。長い時の中で、憎悪と絶望が塗り固めてしまった。
 どうでもいいとしか言えなかった。

 森野戦の時点で死闘だった。だからこの次ももっと強い相手が決勝に上がってくるだろう――そう意気込んでその一週間後、鉄生は決戦の会場へと向かった。
 相手は全くリサーチ外の相手だった。小平こだいらの学校の円城えんじょう
 この時は試合が始まって終始、何が起こったのか分からないまま圧倒され、抵抗するも押し負けた。
 抵抗むなしく、あっさりと最後の一本を取られ、鉄生の地区大会は幕を閉じた。

「でさ、お前が準決勝に敗れた後のことは、隣の国分寺にも風の噂として流れてきた」
 だからあの日、森野に会うために西国分寺を訪れた。決勝戦で敗れた直後、噂を詳しく教えてくれた城崎とともに。
 森野に会って、準決勝のことを謝るために。
 競ったのは一度だけだが、自分が勝ったせいで他人を不幸のドン底に叩き落としたことは罪悪感以外何もない。
 困っていること、何か出来ることがあるならば、力になってやりたいと思った――。
 しかしこの時、現れた一人の少年が二人を背後から襲撃した。
 それはもう感情に駆られ、酷く残酷に殴りまくった。病院送りにするほどに。
 無論、警察は少年を補導し連行。

 退院してから後日、日を改めて西国分寺を訪れる。
 だが、この時既に探していた少年はどこにもいない――そして襲撃事件を起こし、探していた少年こそが――。

「運命ってのは……どうしてこんなにも残酷なんだ……」
 その少年だった男の目から、一粒の結晶が零れ落ちた。
しおりを挟む

処理中です...