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第1章

第6話 白い魔の風

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 電車はやがて神奈川の空から暗いトンネルを突き進んでいく――。

 改札口を抜けた先に逃げる方法は、黒服の先回りによって実質一つだった。
 用賀方面に行き、三軒茶屋さんげんぢゃやや渋谷といった都会の安全な場所に身を隠すこと。
 カラオケ、漫画喫茶、ネットカフェ、いくらでもある。新たな追っ手が来ないうちに早々と電車に飛び乗った――。

 休日出勤のサラリーマン、家族連れなど立っている乗客が沢山いる中、つり革にぶら下がる。
 二子玉川駅の次の用賀駅にて、幸運にもちょうど目の前の席に座っていた乗客が降りた。
 ぐったりと背を預ける。家からここまで、半分が非常識なパジャマ姿だったことも相まって、一時とはいえ落ち着くことが出来る。
 辺りはいつもの電車での日常の風景が広がる。改めて見ると、自分だけがその日常から弾き出されたような。そんな錯覚がしてならなかった。

 ふと鉄生は先ほどイリアに返してもらったスマホを開く。
 ――! 確かに自分のスマホだ。いや、そういうことではない。
 開いた途端に表れた速報ニュースの知らせの見出しを目の当たりにした途端、目にも疑う知らせが飛んできた。

『東京大パニック!! 原因はラクガキか』
 その見出しに背筋が凍り、恐る恐るタップして記事の中身を確認する。

 今から約三十分前――。
 人々の行き交う東京駅の赤レンガ駅舎前の大広場に突如、黒いヘルメットで顔を覆い、バイクのエンジンを響かせて謎の八人組が四方八方より現れた。
 通行人を一切轢かず、間隙を縫う運転で大広場の芝生の上も颯爽と駆け、床のレンガに白いスプレーを一斉に散布して何かを描き始める。
 激しく噴射されるスプレー。辺りを彩る芝生や街路樹も舞い散る白い粉を被り、大きな通路に出来上がった巨大な文字――『テツオカネカエセ!』。

 辺りは雪とはまた異なる白に包まれ、その場に居合わせた者が次々とその場で体を崩し、その場に次々と倒れていく。散布された白いスプレーは真冬の風に乗って周辺に大きく拡散され、白い魔の風となって人々を襲う。
 風は吹き荒び、一人、また一人と包み込んだ者をまるで食らうように健康を食い尽くす。風に吹かれて人間が倒れていく様を見て、人々は我が身を守るべく、その実体のない怪物モンスターから逃げ惑う他ない。

 文字を完成させると実行犯たちは逃げ去るように一目散にバイクで走り去った所で、丁度駆けつけた防護服に身を纏いし救急隊は風に飲まれた者たちを救うために救助と搬送に尽力する。
 辺りに散った大量の白い粉はその間も風に乗って、防護服も着ていない人々を襲い続ける。
 風は白い粉を得ることで竜巻や台風とは全く異なる、人を脅かす存在へと進化を遂げ、白い粉は飲まれその怪物モンスターの原動力となる。

 もはや、ただのラクガキ事件ではない――テロ事件として、駅周辺は白い魔の風とともに混乱と混沌に満ちている。
 そしてこんな事になった原因は言わずもがな――彼である。今、スマホの前でこの現実を突きつけられ、我が目を疑っている鉄生だ。

 自分の蒔いた種が予想だにしない成長を遂げてしまった衝撃と罪悪感。
 無関係な人間も巻き込む無慈悲かつ容赦のない手段でこちらを追い詰める殺し屋どもの卑劣さ――そしてそれを裏で操る城崎への憤りと疑念。
 それらが鉄生の中で複雑に入り混じる。

 そもそも人の道を踏み外してまで十三万カネが欲しいのか?
 無関係な人間を傷つけても構わないというのか?
 十三万カネを得た後はどうせ警察行きになるの分かっていてやるのか?
 自分がどうなってもいいと言わんばかりの事件を起こすほど…… 

 

 全てはあの時、を振りかざしてカネを借りたせいである。
 大勢の人間が次々と正体不明の白い風に飲まれて悶え苦しみ、病院送りになっていく地獄絵図も、そのワガママによって結果的に生まれた負の産物。

 後悔が涙とともににじみ出てくる。心の底から泣きたい。過去に戻れるならやり直したい。
 こんなことになるのであれば、カネを借りるべきではなかった……

 ――いや、それ以前に、狂った方向へと行ってしまった"運命の分け目ターニングポイント"は確かにあった。松山での、あの出来事トラブルに――。
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