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第1章

第4話 カムフラージュ

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「ありがとうございましたー」

 寒さを凌ぐ黒いロングコートに身を包み、顔を見られないように深々と帽子を被ってサングラスをし、店員の挨拶をよそに店を後にした。両手をポケットに入れて。
 コート、靴、靴下、カジュアルワイシャツ、黒ズボン、サングラスで総額八万の出費。変装カムフラージュも兼ねた服は確保出来た。
 本当に、この真新しいクレジットカード様様である――。

 いきなりパジャマ姿で店に駆け込んできた滑稽な客に、店員の女性は困惑と抱腹を堪えながら応対した。
 その当人――鉄生はそんな視線など気にせず、店の奥の試着室に隠れてカタログを見ながら、とにかく各商品の中で一番安いものを店員に持って来させ、ちょうど良いと思った物を直感でオーダーし、身なりを整えた。
 いつ追っ手が来るか焦りながら。幸いなことにこの間にイリアや黒服の男たちが乗り込んでくることはなかった――が。

 朝の二子玉川の街並み。ここに車が通る道はなく、店が至る所に並び、家族連れや人々で賑わっている。
 辺りに注意しながら歩いているととてもそんな光景に不相応な人影が混じっていた。
 バーガー店の前で黒いコートを着たスーツの男、四人組。サングラスをしていて、厚い赤マフラーを首に巻いている。

 この格好なら、同じ仲間か一般人と間違えられて追われることもないだろう。
 通行人に混じって近づき、立ち話をする男たちの少し離れた所で壁に身を預ける。腕を組み、耳だけを男たちの方へ向けた。小声で話をしている。

「標的はマンションから逃走して以降、見つからずじまいだ」
「奴はパジャマ姿だと聞く。見張りをかいくぐってあえて二子新地の方へ行くはずだ。電車で先回りする。行くぞ!」

 立って長話をするかと思いきや、四人組の男たちはそのまま駅の方へと走って行ってしまった。
 ここを真っ直ぐ行けば二子玉川駅だ。
 駅の中は大きな通路となっていて、歩くと切符売り場や改札がある広場に出ることは最寄駅であるため分かっていた。
 平日休日問わず、乗客でごった返している。

 が、その中に自分を狙う追っ手が何人紛れているか――。およそ検討もつかない。となると長居は無用である。
 段取りを頭の中で思い描きながら、人々が行き交う中を通って駅に入っていく。そしてまずは面倒臭いが、切符売り場に向かった。

 いつも当たり前のように使っている、ICカードのありがたみをこれほど感じたことなどあっただろうか。
 クレジットカードには他にキャッシュカードの機能があるだけで、改札口では使えない。
 そうなると切符を買う以外の選択肢はない。

 あの時、無意識とはいえ、開封したばかりのクレジットカードをパジャマの胸ポケットに入れてしまったことを深く後悔する。 
 すぐにICカードも入っているスマホケースに移しておけば、こんなことにはならなかったろうに。
 部屋が滅茶苦茶になる際、両手で自分の身を守ったことが――実はクレジットカードも守れていたので――結果的には良かったのかもしれない。
 が、ちゃんとスマホケースに入れておけば、カードもスマホも傍にある状態だった。

 自分の無意識な行いが効率を下げたとしか言いようがない。そうすればもっと有効な逃走手段も見つけ出せただろうに。
 面倒臭い切符を購入し、すぐに後ろに見える改札口へと全速力で駆け出す――、

「待ちなさい!! 金田鉄生!!」

 駆け出したその先に、いつの間にか現れていたそいつを前にブレーキをかけられる。
 あの水色のツインテールの少女が、両手を腰に当ててそこに立っていた。

「イリア!! なんでここが……!」
「服屋からつけてたのよ。パジャマ姿だし、まずは服をどこかで調達すると思った。ちょうど駅からも近いあの服屋で待ち伏せてたら滑稽な姿のアンタが駆け込んでくの、見えたわよ」

 最後だけ薄ら笑いをした、衝撃の経緯が突き刺さった。
 常識的に考えて、パジャマ姿の男が真冬の中、外を歩いてるの見れば、誰でもスルーは出来ない。誰かに知らせたくなること間違いない。
 そうして住民の間などで少しずつ騒ぎになっている所を――第一目撃者でもある――イリアは嗅ぎつけたのだろう。
 改めて自分がパジャマ姿で走っていた時の周囲の目線を思い知った。
 
「今ここで、あたしが腰にあるをぶっ放すとどうなるか――分かるわよね?」

 コートの裾をたくし上げて、腰の左右のホルダーにしまってある自慢の二丁を見せる。背は小さく、黒いズボンを履いてはいるがそのスレンダーな太股からの下半身はどこか魅力的だ。
 辺りは当然、この騒動を知らない者ばかり。今ここで引き金を引けば、それは日常を非日常へと急転直下させる合図となる。電車も止まり、逃げ場が本当の意味で無となる。

「降伏しろっていうのか」

 裾を戻して左手を腰に当てながら、片方の人差し指が鉄生を指す。
「ええ、大人しく降伏しなさい!」
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