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第百十四話
しおりを挟む ゲッキ貝、という貝がある。名前の音からしてホッキ貝の親戚だろうか、美味しいのかな? と奈々実は思ったが、ホッキ貝は『北寄貝』であるのに対して、ゲッキ貝は『月帰貝』であるらしい。ホッキ貝よりもシャコ貝のような見た目で、大きくなると二メートルを超えるところも似ている。もといた世界のシャコ貝と違うところは、例えばオオシャコ貝は寿命が長く、大きくなるとものすごく重くて移動しないらしいのに対して、この世界のゲッキ貝は成長が早くて貝殻部分がシャコ貝よりも薄く、身軽に動き回るらしい。身はホッキ貝よりもホタテに近い味であるらしいが、二メートルのホタテ、と考えると、調理がものすごく大変そうだ。そして貝殻部分は別の用途に、海辺の街では使われる。
「大きさがね、いろいろあるでしょう? お葬式の時に遺体を入れる棺に使うの」
ゲッキ貝の貝殻に遺体を入れて海に沈めると、遺体は海に、魂は月に帰る。だから『月帰貝』なのだと言う。この世界では、人が死んだらその魂は月に帰るのだそうだ。シャコ貝は暖かい海にしかいないけれど、ゲッキ貝は暖かい海にも冷たい海にも、また深いところにも浅いところにも生息していて、数も多くて簡単に採れる。日本人にとっての浅利や蜆のように身近な貝なのだそうだ。
一・五メートルくらいのゲッキ貝をキレイに磨いて真っ白にした中に、マリエルの小さな遺体が納められる。江里香はその横に、ばっさりと切ってしまった自分の髪を納めた。頭髪が無くなってしまったマリエルの頭を包むように、でも顔にはかからないように、何度も整えてあげる。泣きすぎて赤くなった目元を擦り、鼻を啜り上げる。
「三つ編み、してあげられなくて、ごめんね・・・」
江里香が小さな少女の死に涙する経緯を、奈々実はざっくりとしか、聞かされていない。リゼットとの会話の内容は、イネスも知らない。
奈々実と江里香が発見された砂浜は湾の奥で、主都の前に広がる湖から流れてくる川の河口を挟んで対岸には、川が運んでくる大量の土砂が形成した砂洲、砂の岬が長く伸びている。その先端で、マリエルの葬儀が行われている。まだ太陽が上らない、暗い時刻に、それは行われる。参列者は江里香と奈々実とイネス、リゼットとサナトリウムの職員の数人だけである。マリエルの父親は仕事に復帰して、不参加である。本来なら喪主でしょ、なんでいないの? と奈々実は口に出しそうになったが、江里香の目の色を見て、黙った。喪主という考え方が無いのかもしれないし、江里香の眸には怒りと悲しみと、なにか複雑な色があって、自分は口を出さないほうがいいだろうと悟る。
マリエルの遺体と江里香の髪、そして死後を守るための魔石が納められたゲッキ貝をしっかりと閉じて、そろり・・・、と波に乗せる。川から海への水の流れと潮流とが複雑に交じり合う湾内では、波は単純に寄せて返すのではない。砂洲を形成しながら、湾の中をぐるりと回るようにして外洋へ向かう潮流があるらしい。最初は沈まずにゆらゆらと波間に漂い、行きつ戻りつしている様が、現世への未練に揺れているような、けれどおそらくは母親が先に行って待っているのであろう次の世界へと向かっていくように、ゲッキ貝は徐々に沖へと流れていく。月ではなく、たった今、姿を見せ始めた太陽に向かっていくように、奈々実には見えた。
祈りの声が波に乗って後を追う。ほとんどは波の音に消されてしまうけれど、波間に漂う貝の周りの泡沫のように人の心に一瞬まとわりついて消えていく祈りの音色は、渺渺たる海を渡って遥かな月へと帰る死者の魂をいたわり、慈しむ。ある程度沖へ出て深さを感知すると魔力が貝を沈め、魂が月に帰るまでの間、貝を守り続けるのだそうだ。
「大きさがね、いろいろあるでしょう? お葬式の時に遺体を入れる棺に使うの」
ゲッキ貝の貝殻に遺体を入れて海に沈めると、遺体は海に、魂は月に帰る。だから『月帰貝』なのだと言う。この世界では、人が死んだらその魂は月に帰るのだそうだ。シャコ貝は暖かい海にしかいないけれど、ゲッキ貝は暖かい海にも冷たい海にも、また深いところにも浅いところにも生息していて、数も多くて簡単に採れる。日本人にとっての浅利や蜆のように身近な貝なのだそうだ。
一・五メートルくらいのゲッキ貝をキレイに磨いて真っ白にした中に、マリエルの小さな遺体が納められる。江里香はその横に、ばっさりと切ってしまった自分の髪を納めた。頭髪が無くなってしまったマリエルの頭を包むように、でも顔にはかからないように、何度も整えてあげる。泣きすぎて赤くなった目元を擦り、鼻を啜り上げる。
「三つ編み、してあげられなくて、ごめんね・・・」
江里香が小さな少女の死に涙する経緯を、奈々実はざっくりとしか、聞かされていない。リゼットとの会話の内容は、イネスも知らない。
奈々実と江里香が発見された砂浜は湾の奥で、主都の前に広がる湖から流れてくる川の河口を挟んで対岸には、川が運んでくる大量の土砂が形成した砂洲、砂の岬が長く伸びている。その先端で、マリエルの葬儀が行われている。まだ太陽が上らない、暗い時刻に、それは行われる。参列者は江里香と奈々実とイネス、リゼットとサナトリウムの職員の数人だけである。マリエルの父親は仕事に復帰して、不参加である。本来なら喪主でしょ、なんでいないの? と奈々実は口に出しそうになったが、江里香の目の色を見て、黙った。喪主という考え方が無いのかもしれないし、江里香の眸には怒りと悲しみと、なにか複雑な色があって、自分は口を出さないほうがいいだろうと悟る。
マリエルの遺体と江里香の髪、そして死後を守るための魔石が納められたゲッキ貝をしっかりと閉じて、そろり・・・、と波に乗せる。川から海への水の流れと潮流とが複雑に交じり合う湾内では、波は単純に寄せて返すのではない。砂洲を形成しながら、湾の中をぐるりと回るようにして外洋へ向かう潮流があるらしい。最初は沈まずにゆらゆらと波間に漂い、行きつ戻りつしている様が、現世への未練に揺れているような、けれどおそらくは母親が先に行って待っているのであろう次の世界へと向かっていくように、ゲッキ貝は徐々に沖へと流れていく。月ではなく、たった今、姿を見せ始めた太陽に向かっていくように、奈々実には見えた。
祈りの声が波に乗って後を追う。ほとんどは波の音に消されてしまうけれど、波間に漂う貝の周りの泡沫のように人の心に一瞬まとわりついて消えていく祈りの音色は、渺渺たる海を渡って遥かな月へと帰る死者の魂をいたわり、慈しむ。ある程度沖へ出て深さを感知すると魔力が貝を沈め、魂が月に帰るまでの間、貝を守り続けるのだそうだ。
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