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第百四話
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マリエルの件をイネスから聞いて、奈々実は江里香のことを心配した。江里香の心は、そんな体験に耐えられないだろうと思う。
「大丈夫よ、ナナミ。イネス様がいるわ。ちゃんとエリカの心を守ってあげられる」
イネスの信奉者であるクロエはそう言うけれど、イネスは江里香の恋人とか『大切な人』というのではなくて、保護者代理、くらいの存在でしかない。セヴランが奈々実を守ってくれるように江里香を包み込んであげてくれる男の人がいればいいのだけれど、江里香はまだ、男の人にそれを求めることはできないかもしれない。
もしも達宏がいたら、その役割をしてあげられるだろうか? 奈々実の感覚では達宏は同学年だからまだ子供で、傷ついた女性をしっかりと包み込んであげられるような大人の男ではないから無理だろうと思う。
せっかく帰ってきたのに江里香のいない食卓を、セヴランやイネスと囲む。温かい、美味しい食事なのに、砂を食べているように味気ない。
「ナナミ」
食が進まない奈々実に、セヴランが声をかける。
「食事が終わったら、民法の続きを教えてくれないか」
そんな気分ではない、と断ろうとして、けれどセヴランは奈々実が江里香とどう接していいのかわからないのだということを察して、声をかけてくれたのだと、寸刻遅れて、奈々実はわかった。この世界に来てからほとんどの時間を、江里香と同じ部屋で寝起きしていたけれど、離れていた二週間に経験したことの違いをすり合わせることは、今はできない。奈々実と江里香の間には、経験と認識の『差異』ができていて、魔力を持つ者と持たざる者の違いだけではない、この世界からの受け止められ方、個々の受け止め方の『差異』、立ち位置の違い、そういったものが見えない壁になっていることを、奈々実は漠然と、セヴランははっきりと認識して、壁を叩くことを躊躇せざるを得ない奈々実を、セヴランはちょっと強引に抱き寄せる。江里香にそれをしてやれる男は、まだいないし、江里香はそれを求めていないのだ。
イネスの魔力研究所の経過観察室で二人だけになると、セヴランは奈々実に言った。
「ナナミにとって、エリカはどんな存在なんだ?」
奈々実には言っていなかったが、奈々実が意識が無い状態だった四日間、江里香はずうっと奈々実の側にいたわけではない。奈々実が江里香を心配して心をいためるのが、セヴランは納得がいかない。
「江里香ちゃんは・・・、高校から一緒になったクラスメイトだから、小さい頃から顔見知りだったわけじゃないです。高校でも、わたしはデブでブスだから男子生徒たちに『小荷物』とか言われて、イジメられるほどではないにしても、なんていうか、全然魅力的な存在ではなかったのに対して、江里香ちゃんは可愛くて、守ってあげたいナンバーワン、的な? だから特別に仲良かったわけでもなくて、偶々、宿泊学習の班分けで一緒になって、偶々、一緒にこの世界に来ちゃって・・・」
「しかし、魔力の有無は、『偶々、一緒に』はならなかった」
「そうですね・・・」
そこが、やっぱり重要なのだろうか。奈々実にはわからない。
「ナナミはエリカのことをすごく気にかけていて、エリカのためになにかをしてあげたいと思って努力しているように、俺には見える。だがエリカは、お前に対して同じように思ってくれているようには、見えない。不公平じゃないか?」
「それはやっぱり・・・、魔力があるか無いか、って違いがあるからじゃないんですか?」
魔力を人のために役立てろ、自分のためだけに使うものじゃないって言ったのは他ならぬセヴランだったではないか。
それと、奈々実がもといた世界で培われてきた認識として、なにをどうやっても美人とかイケメンを前にすればドキドキしてしまうし、いい人だと思われたい、優しくしてあげなきゃいけない、親切にしてあげて好かれたいと思ってしまう。美人やイケメンをイジメて苦しませたい、不幸のどん底に叩き落として悲しませてやりたい、嫌われても全然かまわない、と思う人は、よっぽど性格がねじ曲がった奴か、もしくは美人やイケメンをライバル視できるようなすごい自信家なのだろうと思う。奈々実は小心者の小市民なので、美人やイケメンに心無い言動をすると、自分がものすごい悪者、腹黒い悪役になったような気がするから、できない。
「そんなに卑屈にならなくてもいいだろう? 奈々実だって、少しずつ可愛くなってきていると思うぞ?」
そんなことを真顔で言えるのだって、セヴランがイケメンだからであって、ブッサイクな男だったら言う前に恥らうとか躊躇うだろう。恥らったり躊躇ったりする謙虚なブサメンなら、己を客観的にみる冷静さや分別があるということだから、まだいい。不細工で知力体力も権力経済力も無いのに若い美人に愛してもらえると思い込んでいるような身の程知らずの阿呆の場合、言葉そのものが意味をなさない。この世界には『シラノ・ド・ベルジュラック』みたいなストーリーは無いのかな? と、奈々実は思う。デブスでもシラノの女版であるかのようにせめて知的で謙虚でありたい、というのが、奈々実のささやかな矜持なのだ。現状では謙虚と卑屈を混同していることに、本人は気づいていないけれど。
「大丈夫よ、ナナミ。イネス様がいるわ。ちゃんとエリカの心を守ってあげられる」
イネスの信奉者であるクロエはそう言うけれど、イネスは江里香の恋人とか『大切な人』というのではなくて、保護者代理、くらいの存在でしかない。セヴランが奈々実を守ってくれるように江里香を包み込んであげてくれる男の人がいればいいのだけれど、江里香はまだ、男の人にそれを求めることはできないかもしれない。
もしも達宏がいたら、その役割をしてあげられるだろうか? 奈々実の感覚では達宏は同学年だからまだ子供で、傷ついた女性をしっかりと包み込んであげられるような大人の男ではないから無理だろうと思う。
せっかく帰ってきたのに江里香のいない食卓を、セヴランやイネスと囲む。温かい、美味しい食事なのに、砂を食べているように味気ない。
「ナナミ」
食が進まない奈々実に、セヴランが声をかける。
「食事が終わったら、民法の続きを教えてくれないか」
そんな気分ではない、と断ろうとして、けれどセヴランは奈々実が江里香とどう接していいのかわからないのだということを察して、声をかけてくれたのだと、寸刻遅れて、奈々実はわかった。この世界に来てからほとんどの時間を、江里香と同じ部屋で寝起きしていたけれど、離れていた二週間に経験したことの違いをすり合わせることは、今はできない。奈々実と江里香の間には、経験と認識の『差異』ができていて、魔力を持つ者と持たざる者の違いだけではない、この世界からの受け止められ方、個々の受け止め方の『差異』、立ち位置の違い、そういったものが見えない壁になっていることを、奈々実は漠然と、セヴランははっきりと認識して、壁を叩くことを躊躇せざるを得ない奈々実を、セヴランはちょっと強引に抱き寄せる。江里香にそれをしてやれる男は、まだいないし、江里香はそれを求めていないのだ。
イネスの魔力研究所の経過観察室で二人だけになると、セヴランは奈々実に言った。
「ナナミにとって、エリカはどんな存在なんだ?」
奈々実には言っていなかったが、奈々実が意識が無い状態だった四日間、江里香はずうっと奈々実の側にいたわけではない。奈々実が江里香を心配して心をいためるのが、セヴランは納得がいかない。
「江里香ちゃんは・・・、高校から一緒になったクラスメイトだから、小さい頃から顔見知りだったわけじゃないです。高校でも、わたしはデブでブスだから男子生徒たちに『小荷物』とか言われて、イジメられるほどではないにしても、なんていうか、全然魅力的な存在ではなかったのに対して、江里香ちゃんは可愛くて、守ってあげたいナンバーワン、的な? だから特別に仲良かったわけでもなくて、偶々、宿泊学習の班分けで一緒になって、偶々、一緒にこの世界に来ちゃって・・・」
「しかし、魔力の有無は、『偶々、一緒に』はならなかった」
「そうですね・・・」
そこが、やっぱり重要なのだろうか。奈々実にはわからない。
「ナナミはエリカのことをすごく気にかけていて、エリカのためになにかをしてあげたいと思って努力しているように、俺には見える。だがエリカは、お前に対して同じように思ってくれているようには、見えない。不公平じゃないか?」
「それはやっぱり・・・、魔力があるか無いか、って違いがあるからじゃないんですか?」
魔力を人のために役立てろ、自分のためだけに使うものじゃないって言ったのは他ならぬセヴランだったではないか。
それと、奈々実がもといた世界で培われてきた認識として、なにをどうやっても美人とかイケメンを前にすればドキドキしてしまうし、いい人だと思われたい、優しくしてあげなきゃいけない、親切にしてあげて好かれたいと思ってしまう。美人やイケメンをイジメて苦しませたい、不幸のどん底に叩き落として悲しませてやりたい、嫌われても全然かまわない、と思う人は、よっぽど性格がねじ曲がった奴か、もしくは美人やイケメンをライバル視できるようなすごい自信家なのだろうと思う。奈々実は小心者の小市民なので、美人やイケメンに心無い言動をすると、自分がものすごい悪者、腹黒い悪役になったような気がするから、できない。
「そんなに卑屈にならなくてもいいだろう? 奈々実だって、少しずつ可愛くなってきていると思うぞ?」
そんなことを真顔で言えるのだって、セヴランがイケメンだからであって、ブッサイクな男だったら言う前に恥らうとか躊躇うだろう。恥らったり躊躇ったりする謙虚なブサメンなら、己を客観的にみる冷静さや分別があるということだから、まだいい。不細工で知力体力も権力経済力も無いのに若い美人に愛してもらえると思い込んでいるような身の程知らずの阿呆の場合、言葉そのものが意味をなさない。この世界には『シラノ・ド・ベルジュラック』みたいなストーリーは無いのかな? と、奈々実は思う。デブスでもシラノの女版であるかのようにせめて知的で謙虚でありたい、というのが、奈々実のささやかな矜持なのだ。現状では謙虚と卑屈を混同していることに、本人は気づいていないけれど。
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