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第六十五話
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結局、民法の途中まで暗唱したところですべての書記が音を上げた。紙が足らなくなった、というのもあったし、書記たちの手がオーバーワークに達してしまった、というのもあった。
審理は中断され、いったん退廷したセヴランと奈々実は休憩室に案内された。
「あ~、喉が痛い~」
『あ』に濁点をつけた、日本語ひらがな表記では存在しない音で声をあげながら、奈々実はぐったりと椅子によりかかる。普通に暗唱するのではなく、かなり大きな声を張り上げなければならなかったので、思っていたよりも喉を酷使した。
「これを飲むといい」
セヴランが持ってきたのは、蜂蜜とレモン、それからさまざまなハーブを混ぜた、お茶のような薬のような、さわやかに甘酸っぱい飲みものだった。
「ありがとうございます」
のどに優しくしみわたる飲み物を飲んで、奈々実はふ~・・・、と息をつく。
自分が暗唱した日本国憲法に対して、この国の裁判官や法廷の職員など、つまり法律のエキスパートであろう人びとが見せた唖然呆然としか言いようのない表情が、ありありと思い出される。神の声を聞いた聖職者のように、奈々実の暗唱をこの上もないほど貴重なものとして一言一句聞き逃すまいと全身を耳にして聞いてくれていた。なんだか申し訳ないくらいだった。自分は単純に丸暗記しているだけで、法学部で学んだわけでも司法試験に合格しているわけでもない。法の運用とか、判例などはまるっきりわからないのに、法律の第一人者みたいにエラソーにしていていいのだろうか。
「この国の憲法って、どんなのなんですか?」
軽い気持ちで聞いた奈々実に、セヴランは意味深な、なんとも言い難い表情で、休憩室正面の上のほうを指し示した。そこには、学校の『校訓』とか『今月の目標』みたいな感じで、どこかで見たような内容の条文があった。
「え・・・?」
憲法・・・、なのだろうか。・・・これが?
『殺すべからず
犯すべからず
盗むべからず』
なんだこの『べからず集』は。モーセの十戒とかニーチェ語録? まさかこれが・・・、ベルチノアという国家の憲法・・・?
ぽかんと口を開いている奈々実の表情に、セヴランのほうがため息をつく。
「だから一刻も早くきちんとした新憲法を制定したいと、陛下やベアトリスの父君は考えておられる。それなのに政府首脳の中には新憲法を制定するということが、草案を任された私が自分に都合のいいように好き勝手な法律を作ることだという誤解があるんだ。そんな状況で次期宰相だなんて、言われるだけでも迷惑だし、なりたいとも思わない」
「はい」
逆を言えば、この程度の法しかないのによくもまあ政府として成立しているものだと奈々実は思ったけれど、そこは口に出さないでおいた。迂闊なことを言えば、この世界のことをバカにしていると受けとられかねない。膨大な魔力を与えられたとは言っても制御できない身である以上、目立つ言動は控えるにこしたことはない。『実るほど こうべを垂れる 稲穂かな』『和光同塵』自分は偉い人なわけではないし、仏でもないけれど、膨大な魔力と六法全書を全部暗唱できるということを、ひけらかしてはならない。そんなことをしたら、なんだこのデブ、ブスのくせにエラソーにマウンティングしやがって、と、袋叩きにされてしまうかもしれない。セヴランが守ってくれているからといって、自分でフラグを立てるような愚かなことは絶対にしてはならないと、奈々実は思う。『口は禍の元』『出る杭は打たれる』『沈黙は金』だ。
「なにをぶつぶつ言ってるんだ?」
「いえっ、な、なにも言ってないです」
奈々実は慌ててセヴランから距離を取ろうとするが、身体能力では遥かにセヴランのほうが上だ。三分の一くらい残っている飲み物を零さないようにともたもたしている間に、むぎゅっと抱きしめられてしまう。
「俺に聞かれたら都合の悪いことなのか?」
「いいえっ、そんなこと・・・、うみゅっ」
セヴランのくちびるは我儘だと思う。奈々実の側の事情とか心の準備とかなんて斟酌も忖度もせず、いきなり重ねてきて、呼吸ができない。酸欠で死んだら、どう責任を取るつもりなのだろうと思う。
セヴランの舌が奈々実の口腔をなぞり、奈々実の舌を捕らえる。くちびるを強く吸い上げられ、強張っていた奈々実の身体からくったりと力が抜け、やわらかくなってセヴランの腕の中に馴染むまで、セヴランは腕の力を緩めず、重ねたくちびるを離そうともしなかった。やっとセヴランがくちびるを離した時には、奈々実は痴呆のようにポヤン・・・、と思考に霞がかって、目の焦点も合ってないような表情になってしまっていた。さんざん吸われたくちびるがぽってりと赤く腫れていて、濡れている様子が淫らだ。
「こんな蕩けたエロい顔で法廷に臨むのは問題があるな」
誰がそうさせたんですか・・・? そう言い返したいのに、言葉なんか出てこない。蜂蜜とレモンの飲み物を零さないで持ったままでいることが、奇跡だ。
審理は中断され、いったん退廷したセヴランと奈々実は休憩室に案内された。
「あ~、喉が痛い~」
『あ』に濁点をつけた、日本語ひらがな表記では存在しない音で声をあげながら、奈々実はぐったりと椅子によりかかる。普通に暗唱するのではなく、かなり大きな声を張り上げなければならなかったので、思っていたよりも喉を酷使した。
「これを飲むといい」
セヴランが持ってきたのは、蜂蜜とレモン、それからさまざまなハーブを混ぜた、お茶のような薬のような、さわやかに甘酸っぱい飲みものだった。
「ありがとうございます」
のどに優しくしみわたる飲み物を飲んで、奈々実はふ~・・・、と息をつく。
自分が暗唱した日本国憲法に対して、この国の裁判官や法廷の職員など、つまり法律のエキスパートであろう人びとが見せた唖然呆然としか言いようのない表情が、ありありと思い出される。神の声を聞いた聖職者のように、奈々実の暗唱をこの上もないほど貴重なものとして一言一句聞き逃すまいと全身を耳にして聞いてくれていた。なんだか申し訳ないくらいだった。自分は単純に丸暗記しているだけで、法学部で学んだわけでも司法試験に合格しているわけでもない。法の運用とか、判例などはまるっきりわからないのに、法律の第一人者みたいにエラソーにしていていいのだろうか。
「この国の憲法って、どんなのなんですか?」
軽い気持ちで聞いた奈々実に、セヴランは意味深な、なんとも言い難い表情で、休憩室正面の上のほうを指し示した。そこには、学校の『校訓』とか『今月の目標』みたいな感じで、どこかで見たような内容の条文があった。
「え・・・?」
憲法・・・、なのだろうか。・・・これが?
『殺すべからず
犯すべからず
盗むべからず』
なんだこの『べからず集』は。モーセの十戒とかニーチェ語録? まさかこれが・・・、ベルチノアという国家の憲法・・・?
ぽかんと口を開いている奈々実の表情に、セヴランのほうがため息をつく。
「だから一刻も早くきちんとした新憲法を制定したいと、陛下やベアトリスの父君は考えておられる。それなのに政府首脳の中には新憲法を制定するということが、草案を任された私が自分に都合のいいように好き勝手な法律を作ることだという誤解があるんだ。そんな状況で次期宰相だなんて、言われるだけでも迷惑だし、なりたいとも思わない」
「はい」
逆を言えば、この程度の法しかないのによくもまあ政府として成立しているものだと奈々実は思ったけれど、そこは口に出さないでおいた。迂闊なことを言えば、この世界のことをバカにしていると受けとられかねない。膨大な魔力を与えられたとは言っても制御できない身である以上、目立つ言動は控えるにこしたことはない。『実るほど こうべを垂れる 稲穂かな』『和光同塵』自分は偉い人なわけではないし、仏でもないけれど、膨大な魔力と六法全書を全部暗唱できるということを、ひけらかしてはならない。そんなことをしたら、なんだこのデブ、ブスのくせにエラソーにマウンティングしやがって、と、袋叩きにされてしまうかもしれない。セヴランが守ってくれているからといって、自分でフラグを立てるような愚かなことは絶対にしてはならないと、奈々実は思う。『口は禍の元』『出る杭は打たれる』『沈黙は金』だ。
「なにをぶつぶつ言ってるんだ?」
「いえっ、な、なにも言ってないです」
奈々実は慌ててセヴランから距離を取ろうとするが、身体能力では遥かにセヴランのほうが上だ。三分の一くらい残っている飲み物を零さないようにともたもたしている間に、むぎゅっと抱きしめられてしまう。
「俺に聞かれたら都合の悪いことなのか?」
「いいえっ、そんなこと・・・、うみゅっ」
セヴランのくちびるは我儘だと思う。奈々実の側の事情とか心の準備とかなんて斟酌も忖度もせず、いきなり重ねてきて、呼吸ができない。酸欠で死んだら、どう責任を取るつもりなのだろうと思う。
セヴランの舌が奈々実の口腔をなぞり、奈々実の舌を捕らえる。くちびるを強く吸い上げられ、強張っていた奈々実の身体からくったりと力が抜け、やわらかくなってセヴランの腕の中に馴染むまで、セヴランは腕の力を緩めず、重ねたくちびるを離そうともしなかった。やっとセヴランがくちびるを離した時には、奈々実は痴呆のようにポヤン・・・、と思考に霞がかって、目の焦点も合ってないような表情になってしまっていた。さんざん吸われたくちびるがぽってりと赤く腫れていて、濡れている様子が淫らだ。
「こんな蕩けたエロい顔で法廷に臨むのは問題があるな」
誰がそうさせたんですか・・・? そう言い返したいのに、言葉なんか出てこない。蜂蜜とレモンの飲み物を零さないで持ったままでいることが、奇跡だ。
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