異世界ダイエット

Shiori

文字の大きさ
上 下
66 / 200

第六十五話

しおりを挟む
 結局、民法の途中まで暗唱したところですべての書記が音を上げた。紙が足らなくなった、というのもあったし、書記たちの手がオーバーワークに達してしまった、というのもあった。
 審理は中断され、いったん退廷したセヴランと奈々実は休憩室に案内された。
「あ~、喉が痛い~」
『あ』に濁点をつけた、日本語ひらがな表記では存在しない音で声をあげながら、奈々実はぐったりと椅子によりかかる。普通に暗唱するのではなく、かなり大きな声を張り上げなければならなかったので、思っていたよりも喉を酷使した。
「これを飲むといい」
セヴランが持ってきたのは、蜂蜜とレモン、それからさまざまなハーブを混ぜた、お茶のような薬のような、さわやかに甘酸っぱい飲みものだった。
「ありがとうございます」
のどに優しくしみわたる飲み物を飲んで、奈々実はふ~・・・、と息をつく。
 自分が暗唱した日本国憲法に対して、この国の裁判官や法廷の職員など、つまり法律のエキスパートであろう人びとが見せた唖然呆然としか言いようのない表情が、ありありと思い出される。神の声を聞いた聖職者のように、奈々実の暗唱をこの上もないほど貴重なものとして一言一句聞き逃すまいと全身を耳にして聞いてくれていた。なんだか申し訳ないくらいだった。自分は単純に丸暗記しているだけで、法学部で学んだわけでも司法試験に合格しているわけでもない。法の運用とか、判例などはまるっきりわからないのに、法律の第一人者みたいにエラソーにしていていいのだろうか。
 「この国の憲法って、どんなのなんですか?」
軽い気持ちで聞いた奈々実に、セヴランは意味深な、なんとも言い難い表情で、休憩室正面の上のほうを指し示した。そこには、学校の『校訓』とか『今月の目標』みたいな感じで、どこかで見たような内容の条文があった。
「え・・・?」
憲法・・・、なのだろうか。・・・これが?
『殺すべからず
 犯すべからず
 盗むべからず』
なんだこの『べからず集』は。モーセの十戒とかニーチェ語録? まさかこれが・・・、ベルチノアという国家の憲法・・・?
 ぽかんと口を開いている奈々実の表情に、セヴランのほうがため息をつく。
「だから一刻も早くきちんとした新憲法を制定したいと、陛下やベアトリスの父君は考えておられる。それなのに政府首脳の中には新憲法を制定するということが、草案を任された私が自分に都合のいいように好き勝手な法律を作ることだという誤解があるんだ。そんな状況で次期宰相だなんて、言われるだけでも迷惑だし、なりたいとも思わない」
「はい」
逆を言えば、この程度の法しかないのによくもまあ政府として成立しているものだと奈々実は思ったけれど、そこは口に出さないでおいた。迂闊なことを言えば、この世界のことをバカにしていると受けとられかねない。膨大な魔力を与えられたとは言っても制御できない身である以上、目立つ言動は控えるにこしたことはない。『実るほど こうべを垂れる 稲穂かな』『和光同塵』自分は偉い人なわけではないし、仏でもないけれど、膨大な魔力と六法全書を全部暗唱できるということを、ひけらかしてはならない。そんなことをしたら、なんだこのデブ、ブスのくせにエラソーにマウンティングしやがって、と、袋叩きにされてしまうかもしれない。セヴランが守ってくれているからといって、自分でフラグを立てるような愚かなことは絶対にしてはならないと、奈々実は思う。『口は禍の元』『出る杭は打たれる』『沈黙は金』だ。
「なにをぶつぶつ言ってるんだ?」
「いえっ、な、なにも言ってないです」
奈々実は慌ててセヴランから距離を取ろうとするが、身体能力では遥かにセヴランのほうが上だ。三分の一くらい残っている飲み物を零さないようにともたもたしている間に、むぎゅっと抱きしめられてしまう。
「俺に聞かれたら都合の悪いことなのか?」
「いいえっ、そんなこと・・・、うみゅっ」
セヴランのくちびるは我儘だと思う。奈々実の側の事情とか心の準備とかなんて斟酌も忖度もせず、いきなり重ねてきて、呼吸ができない。酸欠で死んだら、どう責任を取るつもりなのだろうと思う。
 セヴランの舌が奈々実の口腔をなぞり、奈々実の舌を捕らえる。くちびるを強く吸い上げられ、強張っていた奈々実の身体からくったりと力が抜け、やわらかくなってセヴランの腕の中に馴染むまで、セヴランは腕の力を緩めず、重ねたくちびるを離そうともしなかった。やっとセヴランがくちびるを離した時には、奈々実は痴呆のようにポヤン・・・、と思考に霞がかって、目の焦点も合ってないような表情になってしまっていた。さんざん吸われたくちびるがぽってりと赤く腫れていて、濡れている様子が淫らだ。
「こんな蕩けたエロい顔で法廷に臨むのは問題があるな」
誰がそうさせたんですか・・・? そう言い返したいのに、言葉なんか出てこない。蜂蜜とレモンの飲み物を零さないで持ったままでいることが、奇跡だ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

パンツを拾わされた男の子の災難?

ミクリ21
恋愛
パンツを拾わされた男の子の話。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...