63 / 200
第六十二話
しおりを挟む
そのエルネストが、あの目障りな下女にどんな悪戯をしたのだろう。エルネストとセヴランは仲の良い腕白兄弟だったのに、エルネストがあの下女を気に入らなかったのだとすれば、セヴランにあの下女の繋留を解除させ、婚約破棄を無かったことにできるかもしれない。ベアトリスはウキウキと妄想を廻らせる。生真面目で一本気なセヴランは、やはりあの下女に騙されているのだ。あれだけあくどい悪戯をするエルネストは、セヴランよりも狡賢く悪魔のように悪知恵があるが、だからこそあの下女の胡散臭いところを見抜いたに違いない。子供の頃にはさんざんな目に遭わされたが、此度はエルネストがベアトリスにとって都合のいいように動いてくれるかもしれない。
「あの下女を放逐してセヴラン様と結ばれたら、お兄様とお呼びしなければならないのですものね」
セヴランがベアトリスと結婚して公爵家を継ぎ、宰相の座に就いたなら、公式の場で顔を合わせた場合は、エルネストのほうが弟であるセヴランとその妻で公爵夫人になったベアトリスに礼をつくさなければならないのだ。今回、あの下女の放逐に役に立ってくれたならば、私的な場で会う時くらいはお兄様と呼んで、義妹として敬ってさしあげてもよろしくてよ、と、ベアトリスは独り言ちる。
「失礼いたします」
ノックの音がして、法廷の職員らしい壮年の男が入って来た。
「大法廷の準備が整いました。ベアトリス様、宣誓書の不備は修正されましたか?」
職員の慇懃な物言いに、ベアトリスはつんと顎を上げて言う。
「サインなら先ほどいたしましたわ。不備だなんて、このわたくしに不躾なことを言っている暇があったら、罪人の証拠をきちんと確認するべきじゃございませんこと?」
「こちらの書式にはベアトリス様の魔力を注入して自己証明をしていただかなければ有効とは認められません。それに公爵邸で働いていらっしゃる方々の宣誓書にも、不備がございます」
ベアトリスの居丈高な物言いをあっさりといなして、職員は事務的に手続きをすすめる。
「まあ、これはどういうこと? 魔力を注入してあるのは、侍女のアネットとロザリーだと思いますけど、血判は魔力が無いシモーヌかしら? 魔力の注入と血判はしてあるのに、サインはしてないなんて、愚かしいにもほどがあるわ」
魔力がある女性は魔力で自己証明ができるが、魔力が無い女性やすべての男性は血液と指紋で自己証明をしなければならない。公式の書類なのに、ベアトリスは汚いものでもさわるかのように、血判を見て眉をひそめる。
「下々にはまだまだ文盲の者も多くおります。しかたありますまい。ではこのお三方の宣誓書は無効ということでよろしいですか?」
「誰に向かって口をきいているの? 栄えあるオランド公爵邸で、文盲の輩など雇うはずありませんでしょう。この者たちの身分は雇い主であるこのわたくしが責任をもって保証いたしますわ。きちんと有効になさい、命令よ」
「雇い主はお嬢様ではなくオランド公爵だと思いますが」
「同じことでしょう! 屁理屈を並べてないで、さっさとなさい!」
「それではこちらの書式にも魔力を注入なさってください。お三方の身分を保証する公式書類として、ベアトリス様が絶対的に責任をもつということですね?」
しつこいほど念を押す職員にイライラと目をつり上げながら、ベアトリスは魔力を注入する。ちょっと前に青だったベアトリスのマジカル・スターは昨日の夜から藍色になっていて、書式に注入すると藍色にほんのりと光る。
「娘と親しくしていただいた頃には黄色でいらした記憶があるのですが、しばらくお会いしない間になにかございましたか? ずいぶんと魔力が少なくなられましたな」
一番言われたくないことをずけずけと言われて、ベアトリスはカッと頭に血が上った。
「口を慎みなさい! そなたの娘などと親しかったことなどありませんわ」
「さようでございましたか?」
ほんの数日前までの自分のマジカル・スターの色のような、職員の青い眸に、ベアトリスは苛立ちを募らせる。こんな色の眸に深い悲しみを湛えて自分を見ていた少女がかつていたような気がしたけれども、思い出せなかったし、思い出そうともしない。
「あの下女を放逐してセヴラン様と結ばれたら、お兄様とお呼びしなければならないのですものね」
セヴランがベアトリスと結婚して公爵家を継ぎ、宰相の座に就いたなら、公式の場で顔を合わせた場合は、エルネストのほうが弟であるセヴランとその妻で公爵夫人になったベアトリスに礼をつくさなければならないのだ。今回、あの下女の放逐に役に立ってくれたならば、私的な場で会う時くらいはお兄様と呼んで、義妹として敬ってさしあげてもよろしくてよ、と、ベアトリスは独り言ちる。
「失礼いたします」
ノックの音がして、法廷の職員らしい壮年の男が入って来た。
「大法廷の準備が整いました。ベアトリス様、宣誓書の不備は修正されましたか?」
職員の慇懃な物言いに、ベアトリスはつんと顎を上げて言う。
「サインなら先ほどいたしましたわ。不備だなんて、このわたくしに不躾なことを言っている暇があったら、罪人の証拠をきちんと確認するべきじゃございませんこと?」
「こちらの書式にはベアトリス様の魔力を注入して自己証明をしていただかなければ有効とは認められません。それに公爵邸で働いていらっしゃる方々の宣誓書にも、不備がございます」
ベアトリスの居丈高な物言いをあっさりといなして、職員は事務的に手続きをすすめる。
「まあ、これはどういうこと? 魔力を注入してあるのは、侍女のアネットとロザリーだと思いますけど、血判は魔力が無いシモーヌかしら? 魔力の注入と血判はしてあるのに、サインはしてないなんて、愚かしいにもほどがあるわ」
魔力がある女性は魔力で自己証明ができるが、魔力が無い女性やすべての男性は血液と指紋で自己証明をしなければならない。公式の書類なのに、ベアトリスは汚いものでもさわるかのように、血判を見て眉をひそめる。
「下々にはまだまだ文盲の者も多くおります。しかたありますまい。ではこのお三方の宣誓書は無効ということでよろしいですか?」
「誰に向かって口をきいているの? 栄えあるオランド公爵邸で、文盲の輩など雇うはずありませんでしょう。この者たちの身分は雇い主であるこのわたくしが責任をもって保証いたしますわ。きちんと有効になさい、命令よ」
「雇い主はお嬢様ではなくオランド公爵だと思いますが」
「同じことでしょう! 屁理屈を並べてないで、さっさとなさい!」
「それではこちらの書式にも魔力を注入なさってください。お三方の身分を保証する公式書類として、ベアトリス様が絶対的に責任をもつということですね?」
しつこいほど念を押す職員にイライラと目をつり上げながら、ベアトリスは魔力を注入する。ちょっと前に青だったベアトリスのマジカル・スターは昨日の夜から藍色になっていて、書式に注入すると藍色にほんのりと光る。
「娘と親しくしていただいた頃には黄色でいらした記憶があるのですが、しばらくお会いしない間になにかございましたか? ずいぶんと魔力が少なくなられましたな」
一番言われたくないことをずけずけと言われて、ベアトリスはカッと頭に血が上った。
「口を慎みなさい! そなたの娘などと親しかったことなどありませんわ」
「さようでございましたか?」
ほんの数日前までの自分のマジカル・スターの色のような、職員の青い眸に、ベアトリスは苛立ちを募らせる。こんな色の眸に深い悲しみを湛えて自分を見ていた少女がかつていたような気がしたけれども、思い出せなかったし、思い出そうともしない。
0
お気に入りに追加
35
あなたにおすすめの小説
【R18】貧しいメイドは、身も心も天才教授に支配される
さんかく ひかる
恋愛
王立大学のメイド、レナは、毎晩、天才教授、アーキス・トレボーの教授室に、コーヒーを届ける。
そして毎晩、教授からレッスンを受けるのであった……誰にも知られてはいけないレッスンを。
神の教えに背く、禁断のレッスンを。
R18です。長編『僕は彼女としたいだけ』のヒロインが書いた異世界恋愛小説を抜き出しました。
独立しているので、この話だけでも楽しめます。
【R18】僕の筆おろし日記(高校生の僕は親友の家で彼の母親と倫ならぬ禁断の行為を…初体験の相手は美しい人妻だった)
幻田恋人
恋愛
夏休みも終盤に入って、僕は親友の家で一緒に宿題をする事になった。
でも、その家には僕が以前から大人の女性として憧れていた親友の母親で、とても魅力的な人妻の小百合がいた。
親友のいない家の中で僕と小百合の二人だけの時間が始まる。
童貞の僕は小百合の美しさに圧倒され、次第に彼女との濃厚な大人の関係に陥っていく。
許されるはずのない、男子高校生の僕と親友の母親との倫を外れた禁断の愛欲の行為が親友の家で展開されていく…
僕はもう我慢の限界を超えてしまった… 早く小百合さんの中に…
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
【R18】騎士たちの監視対象になりました
ぴぃ
恋愛
異世界トリップしたヒロインが騎士や執事や貴族に愛されるお話。
*R18は告知無しです。
*複数プレイ有り。
*逆ハー
*倫理感緩めです。
*作者の都合の良いように作っています。
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる