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第十七話
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「ベアトリス嬢、いらしておられたのですか」
絶妙のタイミングでアンリが研究所から戻って来てくれて、奈々実はほっとした。前庭にこの女の人が乗って来た乗り物があるのを見つけて、来てくれたらしい。正直、この高慢ちきな女とはもう、喋りたくないし、顔も見たくないと思う。
「アンリ、この見苦しい下女はなんですの? いくらマジカル・スターがゴールドになるにしても、こんな下賤の者、セヴラン様の出入りされる場所で使うべきではありませんわ。下女を雇うならもっと品の良い者を使うよう、イネス殿に進言してください。なんなら公爵家から人を遣わしますわ」
「彼女は下女ではありませんから、お気になさらず。魔力量がたいへん多い、貴重な人材なのですよ。なにせ一時的にゴールドに『なる』のではなくて、ずうっとゴールドのままなのですから。多すぎる魔力の制御が上手くできないとのことなので、姉の指導を受けて訓練しているのです」
アンリの態度は決して不遜ではないのだが、どこかベアトリスを揶揄しているような、微妙に慇懃無礼な風情があって、ベアトリスを鼻白ませる。そうした動揺を悟らせまいとするかのように、ベアトリスは憎々し気に奈々実を睨みつけながら言う。
「実験材料なら檻にでも入れて、人目につかない場所においてくださいな。いくら魔力量が多くても使いこなせないなら役に立たないじゃないの。醜いし、目障りだわ。奴隷商人にでも売りはらってしまいなさいな。馬や牛のように鞭でしつけたら、少しは痩せるでしょうし、魔力操作もできるようになるかもしれなくてよ?」
奈々実は耳を疑った。自分で自分を高貴なんぞと言う奴にろくな奴がいた試しが無いが、このハデな女もその部類のようだ。アンリの態度が微妙におかしいと感じられたのは、気のせいではなかったということだ。おそらくアンリも、このベアトリスという女性に親しみがもてない理由があるのだろう。
「王陛下は罪も無い人間を奴隷にすることは強く拒絶されておりますよ? セヴラン様草案の新憲法でも、明記されるはずです。まがりなりにも許嫁であられる方が奴隷制度支持者だとわかったら、セヴラン様はさぞかし悲しまれることでしょうね」
許嫁? 許嫁って言った? 確かに聞いてしまった。聞こえてしまった。この悪趣味なほどゴテゴテと着飾った、化粧が濃くて選民意識に凝り固まったナニサマ女が、セヴラン様の許嫁?
顔に出さないように気をつけながら、思わずセヴランにご愁傷様と言いたくなった。イネスみたいな、すっぴんでもはっとするような美人で笑顔がステキで頭もよくて、っていう女性でなければ、セヴランの怜悧な美貌の隣には不釣り合いだと思う。
「無学で野卑な者に市民権を与えるなんて、陛下もセヴラン様も、お優しすぎますわ。理想主義では国はなりたちませんことよ? 出自のはっきりしない者や不具など、下級市民や奴隷に留めおくべきですのに。特にこんな不細工な下女なんて、人前に出すだけでも公害じゃありませんか。」
ネット民かよこいつ、と、奈々実は呆れるのを通り越して感心してしまった。ある程度の階層社会であることは仕方ないにしても、出自や見た目による差別を上の者がしているようでは、それこそ国はなりたたないだろうと思う。人の上に立つ者は、内心では差別主義者であったとしてもそれをおくびにも出さず、公明正大な高い理想を掲げて見せるのが人心掌握や国家統率のための人間力、政治力だろうと思う。
「セヴラン様がいらっしゃらないならこんなところにいても仕方ないわね。副官なのに本当にどこにいらっしゃるか知らないの? 職務怠慢ではなくて?」
「セヴラン様の命令で、姉とこちらの令嬢の警護についているのですよ」
奈々実を令嬢と言ったことが気に食わなかったのか、ベアトリスはアンリを憎々し気に睨む。アンリは蛙の面になんとやらで、ベアトリスの機嫌など意にも介さない。
「帰ります!」
ふんぞりかえって出て行くベアトリスにアンリは不自然に恭しく頭を下げるものの、いくらなんでも上官の許嫁にその態度はヤバいんじゃないの? と、見ている奈々実のほうがはらはらしてしまう。
「アンリ様、あのひと、本当にセヴラン様の許嫁なんですか・・・?」
露骨に気の毒そうに問う奈々実に、アンリは肩をすくめる。
「親同士が勝手に決めたことだってセヴラン様は言っておられたけどね、あんまり結婚したくないっぽいけど、仕方ないんだろうね」
実際、今日もベアトリスが来ることをセヴランは事前に知っていて、執務室から逃げ出し、ここにいるとか港湾設備の見回りに行ったとか狩りに行ったとかさまざまな嘘の情報をあちこちにばら撒いておいて、こっそり逃げ出したのだそうだ。むべなるかなと思う。
「ベアトリス嬢が馬車で来る整備された道は、山を迂回しているから結構時間かかるんだ。あれだけゴージャスにおめかししてたってことは、暗いうちに主都を発ってこっちの宿舎に入ってからせっせと塗ったくったのかな? セヴラン様は完全に日が昇ってから平服でさらっと馬に乗って出かけていったから、どこに行ったのか誰もわからないらしいよ」
「なんで知ってるんですか?」
「さっき、カミーユが来てたから」
後で紹介するよ、と言う。副官といっても武官ではなくて文官で、セヴランの秘書のような存在であり、部隊内での書類整理や雑務に関しては、セヴランも頭が上がらないと言っていい存在なのだそうだ。
「さっきのひとよりもイネス様みたいな才色兼備のスーパービューティーのほうが、セヴラン様にはお似合いなんじゃありませんか?」
姉をスーパービューティーと評されて、アンリはくすぐったそうに笑う。
「そう? でもそれ、姉の前では言わないほうがいいよ」
「どうしてですか?」
セヴランのことを話す時にはおもしろそうに瞬いていたアンリのヘーゼルの眸が、イネスのことに話題が移ると一転して複雑な色合いを浮かべる。
「失恋・・・、って言っていいのかな、まあ恋してたかどうか微妙だけどね、ちょっと前にお付き合いを終わらせたばっかりなんだ。大人の事情ってやつ? 姉は、セヴラン様とは、色恋無しの信頼を、大切にしていきたいんじゃないかなって思うよ」
絶妙のタイミングでアンリが研究所から戻って来てくれて、奈々実はほっとした。前庭にこの女の人が乗って来た乗り物があるのを見つけて、来てくれたらしい。正直、この高慢ちきな女とはもう、喋りたくないし、顔も見たくないと思う。
「アンリ、この見苦しい下女はなんですの? いくらマジカル・スターがゴールドになるにしても、こんな下賤の者、セヴラン様の出入りされる場所で使うべきではありませんわ。下女を雇うならもっと品の良い者を使うよう、イネス殿に進言してください。なんなら公爵家から人を遣わしますわ」
「彼女は下女ではありませんから、お気になさらず。魔力量がたいへん多い、貴重な人材なのですよ。なにせ一時的にゴールドに『なる』のではなくて、ずうっとゴールドのままなのですから。多すぎる魔力の制御が上手くできないとのことなので、姉の指導を受けて訓練しているのです」
アンリの態度は決して不遜ではないのだが、どこかベアトリスを揶揄しているような、微妙に慇懃無礼な風情があって、ベアトリスを鼻白ませる。そうした動揺を悟らせまいとするかのように、ベアトリスは憎々し気に奈々実を睨みつけながら言う。
「実験材料なら檻にでも入れて、人目につかない場所においてくださいな。いくら魔力量が多くても使いこなせないなら役に立たないじゃないの。醜いし、目障りだわ。奴隷商人にでも売りはらってしまいなさいな。馬や牛のように鞭でしつけたら、少しは痩せるでしょうし、魔力操作もできるようになるかもしれなくてよ?」
奈々実は耳を疑った。自分で自分を高貴なんぞと言う奴にろくな奴がいた試しが無いが、このハデな女もその部類のようだ。アンリの態度が微妙におかしいと感じられたのは、気のせいではなかったということだ。おそらくアンリも、このベアトリスという女性に親しみがもてない理由があるのだろう。
「王陛下は罪も無い人間を奴隷にすることは強く拒絶されておりますよ? セヴラン様草案の新憲法でも、明記されるはずです。まがりなりにも許嫁であられる方が奴隷制度支持者だとわかったら、セヴラン様はさぞかし悲しまれることでしょうね」
許嫁? 許嫁って言った? 確かに聞いてしまった。聞こえてしまった。この悪趣味なほどゴテゴテと着飾った、化粧が濃くて選民意識に凝り固まったナニサマ女が、セヴラン様の許嫁?
顔に出さないように気をつけながら、思わずセヴランにご愁傷様と言いたくなった。イネスみたいな、すっぴんでもはっとするような美人で笑顔がステキで頭もよくて、っていう女性でなければ、セヴランの怜悧な美貌の隣には不釣り合いだと思う。
「無学で野卑な者に市民権を与えるなんて、陛下もセヴラン様も、お優しすぎますわ。理想主義では国はなりたちませんことよ? 出自のはっきりしない者や不具など、下級市民や奴隷に留めおくべきですのに。特にこんな不細工な下女なんて、人前に出すだけでも公害じゃありませんか。」
ネット民かよこいつ、と、奈々実は呆れるのを通り越して感心してしまった。ある程度の階層社会であることは仕方ないにしても、出自や見た目による差別を上の者がしているようでは、それこそ国はなりたたないだろうと思う。人の上に立つ者は、内心では差別主義者であったとしてもそれをおくびにも出さず、公明正大な高い理想を掲げて見せるのが人心掌握や国家統率のための人間力、政治力だろうと思う。
「セヴラン様がいらっしゃらないならこんなところにいても仕方ないわね。副官なのに本当にどこにいらっしゃるか知らないの? 職務怠慢ではなくて?」
「セヴラン様の命令で、姉とこちらの令嬢の警護についているのですよ」
奈々実を令嬢と言ったことが気に食わなかったのか、ベアトリスはアンリを憎々し気に睨む。アンリは蛙の面になんとやらで、ベアトリスの機嫌など意にも介さない。
「帰ります!」
ふんぞりかえって出て行くベアトリスにアンリは不自然に恭しく頭を下げるものの、いくらなんでも上官の許嫁にその態度はヤバいんじゃないの? と、見ている奈々実のほうがはらはらしてしまう。
「アンリ様、あのひと、本当にセヴラン様の許嫁なんですか・・・?」
露骨に気の毒そうに問う奈々実に、アンリは肩をすくめる。
「親同士が勝手に決めたことだってセヴラン様は言っておられたけどね、あんまり結婚したくないっぽいけど、仕方ないんだろうね」
実際、今日もベアトリスが来ることをセヴランは事前に知っていて、執務室から逃げ出し、ここにいるとか港湾設備の見回りに行ったとか狩りに行ったとかさまざまな嘘の情報をあちこちにばら撒いておいて、こっそり逃げ出したのだそうだ。むべなるかなと思う。
「ベアトリス嬢が馬車で来る整備された道は、山を迂回しているから結構時間かかるんだ。あれだけゴージャスにおめかししてたってことは、暗いうちに主都を発ってこっちの宿舎に入ってからせっせと塗ったくったのかな? セヴラン様は完全に日が昇ってから平服でさらっと馬に乗って出かけていったから、どこに行ったのか誰もわからないらしいよ」
「なんで知ってるんですか?」
「さっき、カミーユが来てたから」
後で紹介するよ、と言う。副官といっても武官ではなくて文官で、セヴランの秘書のような存在であり、部隊内での書類整理や雑務に関しては、セヴランも頭が上がらないと言っていい存在なのだそうだ。
「さっきのひとよりもイネス様みたいな才色兼備のスーパービューティーのほうが、セヴラン様にはお似合いなんじゃありませんか?」
姉をスーパービューティーと評されて、アンリはくすぐったそうに笑う。
「そう? でもそれ、姉の前では言わないほうがいいよ」
「どうしてですか?」
セヴランのことを話す時にはおもしろそうに瞬いていたアンリのヘーゼルの眸が、イネスのことに話題が移ると一転して複雑な色合いを浮かべる。
「失恋・・・、って言っていいのかな、まあ恋してたかどうか微妙だけどね、ちょっと前にお付き合いを終わらせたばっかりなんだ。大人の事情ってやつ? 姉は、セヴラン様とは、色恋無しの信頼を、大切にしていきたいんじゃないかなって思うよ」
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