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4.魔女の化粧水
番犬の叫び声
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ポローシェ侯爵とリベリオが遭遇した夜。
公都の中心からやや西に居を構えるマルレンディ商会の中庭で一人の男が酒を飲みながら、悪態をついている。
「クソがあっ……!! なにがオーナーだ。調香師になり損ねた男が飼ってるただの遊びじゃねぇか!」
ブロンドの男、リベリオは今日の交渉の失敗の責任をその場にいたポローシェ侯爵に押し付けていた。
「たかが一人の調香師を手放したって惜しくないだろうに。それをなんで、あいつがしゃしゃり出てくるんだ……!」
彼の悪態はまったく的を射てないものだが、彼にとってそんなことはどうでもいい。重要なことは、自分の思い通りにコトが進んでいないことと、周りが自分の重要性を理解してくれないこと。
だからこそ、リベリオは投資に失敗しているのだが、それに気づく様子もない。
「リベリオ様」
不意に悪態をついている彼を現実に引き戻したのは、黒髪の青年だった。彼はリベリオの秘書のような存在で、酒盛り中の彼が呼びかけるということはなにかが起こったようだ。一度空気を吸って、呼吸を落ち着かせたリベリオはどうしたと尋ねると、青年は一枚の手紙を差し出してきた。
「ツェンバル男爵から明後日、お茶会に来ないかと誘われてますが」
「捨てておけ。あの二流調香師に用はない。ああ、あちらもまともに返答してくれないから、返答はしなくていいぞ」
ツェンバル男爵はエリザベータほどではないが、エルスオング大公国の調香師界では有名な人物。その人物からお茶会の誘いを受けたということは、今後も調香製品などの取り扱いを見込んでのことだとリベリオは分かっていたものの、今は『ステルラ』を相手にしている。
自分で調香できない第二級認定調香師のツェンバル男爵との重要度の差は当然あった。
それに別の製品の商談のときに一度、ツェンバル男爵と手紙のやり取りを行ったのだが、そのときに重要な確認事項を記した紙が失われているのだ。
もちろんツェンバル男爵は否定したが、それ以来、できる限りは顔を合わせないようにしている。
「……承知いたしました」
青年秘書は少し不服そうな顔をしたが、それに構うことなくリベリオはそういえばと口を開いた。
「明日の午後、もう一度約束なしであの店に向かうぞ。あの邪魔者がいなければ、こっちのもんだからな」
「かしこまりました」
口に浮かんだ昏い笑みを秘書は見逃さなかったが、なにも言わずに頭を下げる。そうしなければこのリベリオの店ではやっていけない。それをわかっている彼はなにも言わずに去っていき、再び主人を一人きりにした。
翌日の午後、宣言通りにリベリオは『ステルラ』にやってきた。
今日はアポイントメントを取ってないから、案の定この店のオーナーはおらず、店には先日の若い調香師――フェオドーラだけがいた。
もう一度、この前相談しなかった内容を彼女にするが、すぐに顔を曇らせる。
「お断りします」
「なぜだ? かなりいい条件にしてやったんだぞ」
リベリオはまさか拒否されるとは思わず、近くにあった机をこぶしでたたく。
木でできた机はあまり振動は伝わらなかったものの、いくつかの薄手のガラス器具はぶつかり合って、音を立てる。
「それでもです。先日もポローシェ侯爵がおっしゃっていましたが、この店が侯爵様の持ち物である以上、私の処方箋を勝手に公開するわけにはいかないのです」
侯爵が使っていいというならば、使ってやろう。フェオドーラは侯爵の言葉をそのまま引用して返答するが、今回のリベリオは対策を立ててきていた。
すっと身を乗り出して、フェオドーラの耳元で囁くように脅す。
「俺がこの店を買うって言ってるんだ。侯爵の店である『ステルラ』に所属しているお前が開示できなくても、それならできるだろ? だから、侯爵と交渉がしたい」
「……――――!!」
「ふざけるな」
ドーラが答えに詰まった瞬間、してやったりとニヤッとしたリベリオだが、その直後、何者かに背後から腕をつかまれ、勢いよく引きはがされた。
「……――――っ! だれだ、貴様は」
「この店の番犬だよ。行儀の悪い客人を追っ払わなきゃいけないもんでな」
現れたのは金髪の青年で、目の前の調香師と同い年ぐらいの年齢。男は自分を番犬だという。
こんな男もここにはいるのかとリベリオは目を細めたが、金髪の青年――ミールのほうが煽るには一枚上手だった。
「ま、そもそも今、ご主人様が相手してるのはどうやら客人じゃなくて、無法者だったようだがな。あんたにとっては都合が悪いかもしれねぇが、ここで起きたことはすべてポローシェ侯爵サマに話させていただくぜ」
「なん、だとぉ!?」
「なんだともクソもない。あんたは、今、ここで、ポローシェ侯爵を、完全に、敵に、回したんだ。だから、それなりの、報いを受けてもらう」
普段だったら口よりも先に手が出そうなミールだが、侯爵に手を出すなと言われているので、手を出していない。もちろんリベリオはそれを知らないので、ただ煽られているとしか感じていないのだが。顔面蒼白になっているリベリオにさらに追い打ちをかけるミール。
「すでにこの店には侯爵様の部下たちが多く配備されている。多分、その中のだれかがもう侯爵様のもとに行っただろうな」
「な、に……!?」
「あーあ、残念だったなぁ。もうちょっと穏便にコトを済ましてくれりゃ、こっちもあんたにあわせて落ちついた行動をとれたのに」
言外に『煽った責任どう取ってくれるんだ!?』と言われたリベリオは口をパクパクさせるだけでなにも言えなかった。
「いいか、番犬から一度だけ言わせてもらう。『さっさと帰れ。さもなくば、俺が牙をむく』」
公都の中心からやや西に居を構えるマルレンディ商会の中庭で一人の男が酒を飲みながら、悪態をついている。
「クソがあっ……!! なにがオーナーだ。調香師になり損ねた男が飼ってるただの遊びじゃねぇか!」
ブロンドの男、リベリオは今日の交渉の失敗の責任をその場にいたポローシェ侯爵に押し付けていた。
「たかが一人の調香師を手放したって惜しくないだろうに。それをなんで、あいつがしゃしゃり出てくるんだ……!」
彼の悪態はまったく的を射てないものだが、彼にとってそんなことはどうでもいい。重要なことは、自分の思い通りにコトが進んでいないことと、周りが自分の重要性を理解してくれないこと。
だからこそ、リベリオは投資に失敗しているのだが、それに気づく様子もない。
「リベリオ様」
不意に悪態をついている彼を現実に引き戻したのは、黒髪の青年だった。彼はリベリオの秘書のような存在で、酒盛り中の彼が呼びかけるということはなにかが起こったようだ。一度空気を吸って、呼吸を落ち着かせたリベリオはどうしたと尋ねると、青年は一枚の手紙を差し出してきた。
「ツェンバル男爵から明後日、お茶会に来ないかと誘われてますが」
「捨てておけ。あの二流調香師に用はない。ああ、あちらもまともに返答してくれないから、返答はしなくていいぞ」
ツェンバル男爵はエリザベータほどではないが、エルスオング大公国の調香師界では有名な人物。その人物からお茶会の誘いを受けたということは、今後も調香製品などの取り扱いを見込んでのことだとリベリオは分かっていたものの、今は『ステルラ』を相手にしている。
自分で調香できない第二級認定調香師のツェンバル男爵との重要度の差は当然あった。
それに別の製品の商談のときに一度、ツェンバル男爵と手紙のやり取りを行ったのだが、そのときに重要な確認事項を記した紙が失われているのだ。
もちろんツェンバル男爵は否定したが、それ以来、できる限りは顔を合わせないようにしている。
「……承知いたしました」
青年秘書は少し不服そうな顔をしたが、それに構うことなくリベリオはそういえばと口を開いた。
「明日の午後、もう一度約束なしであの店に向かうぞ。あの邪魔者がいなければ、こっちのもんだからな」
「かしこまりました」
口に浮かんだ昏い笑みを秘書は見逃さなかったが、なにも言わずに頭を下げる。そうしなければこのリベリオの店ではやっていけない。それをわかっている彼はなにも言わずに去っていき、再び主人を一人きりにした。
翌日の午後、宣言通りにリベリオは『ステルラ』にやってきた。
今日はアポイントメントを取ってないから、案の定この店のオーナーはおらず、店には先日の若い調香師――フェオドーラだけがいた。
もう一度、この前相談しなかった内容を彼女にするが、すぐに顔を曇らせる。
「お断りします」
「なぜだ? かなりいい条件にしてやったんだぞ」
リベリオはまさか拒否されるとは思わず、近くにあった机をこぶしでたたく。
木でできた机はあまり振動は伝わらなかったものの、いくつかの薄手のガラス器具はぶつかり合って、音を立てる。
「それでもです。先日もポローシェ侯爵がおっしゃっていましたが、この店が侯爵様の持ち物である以上、私の処方箋を勝手に公開するわけにはいかないのです」
侯爵が使っていいというならば、使ってやろう。フェオドーラは侯爵の言葉をそのまま引用して返答するが、今回のリベリオは対策を立ててきていた。
すっと身を乗り出して、フェオドーラの耳元で囁くように脅す。
「俺がこの店を買うって言ってるんだ。侯爵の店である『ステルラ』に所属しているお前が開示できなくても、それならできるだろ? だから、侯爵と交渉がしたい」
「……――――!!」
「ふざけるな」
ドーラが答えに詰まった瞬間、してやったりとニヤッとしたリベリオだが、その直後、何者かに背後から腕をつかまれ、勢いよく引きはがされた。
「……――――っ! だれだ、貴様は」
「この店の番犬だよ。行儀の悪い客人を追っ払わなきゃいけないもんでな」
現れたのは金髪の青年で、目の前の調香師と同い年ぐらいの年齢。男は自分を番犬だという。
こんな男もここにはいるのかとリベリオは目を細めたが、金髪の青年――ミールのほうが煽るには一枚上手だった。
「ま、そもそも今、ご主人様が相手してるのはどうやら客人じゃなくて、無法者だったようだがな。あんたにとっては都合が悪いかもしれねぇが、ここで起きたことはすべてポローシェ侯爵サマに話させていただくぜ」
「なん、だとぉ!?」
「なんだともクソもない。あんたは、今、ここで、ポローシェ侯爵を、完全に、敵に、回したんだ。だから、それなりの、報いを受けてもらう」
普段だったら口よりも先に手が出そうなミールだが、侯爵に手を出すなと言われているので、手を出していない。もちろんリベリオはそれを知らないので、ただ煽られているとしか感じていないのだが。顔面蒼白になっているリベリオにさらに追い打ちをかけるミール。
「すでにこの店には侯爵様の部下たちが多く配備されている。多分、その中のだれかがもう侯爵様のもとに行っただろうな」
「な、に……!?」
「あーあ、残念だったなぁ。もうちょっと穏便にコトを済ましてくれりゃ、こっちもあんたにあわせて落ちついた行動をとれたのに」
言外に『煽った責任どう取ってくれるんだ!?』と言われたリベリオは口をパクパクさせるだけでなにも言えなかった。
「いいか、番犬から一度だけ言わせてもらう。『さっさと帰れ。さもなくば、俺が牙をむく』」
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