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2.黄金の夜鳴鶯
目の前の少女と記憶の中の少女
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話がまとまったあと、クララには泊まり込む準備をしてきてもらい、その間、ドーラはアンナと世間話をしていた。
「今度の五大公会議が開かれるわね」
茶菓子を摘みながら話題に出したのは、三ヶ月後、エルスオング大公国で開かれる五大公会議。
「五年前もここで開催されたときは、かなりの人で溢れてたわねぇ」
アンナはしみじみとそう話し出した。
五大公国の君主である五人の大公が一堂に集う五大公会議は年に一度開催され、開催地は五国で持ち回りだ。
エルスオング大公国は丁度、今年が開催国であり、五年前にも開催している。
しかし、そのときは残念なことに調香師試験の直前であり、基本的な技能はともかく、医学や薬理学などの筆記試験勉強や利き香の勉強を必死にしていた時期であり、五大公会議のあまり記憶がなかった。
「そういえば、あなたはまだ、調香師になる前でしたわね」
伯爵夫人はそういえば、とフェオドーラに言った。はい、そうです、ドーラはカップを持ちながら頷く。
「じゃあ、あの会議のあとに開かれるフレグランスコンテストは知らないかしら?」
それならば、とアンナはメイドの一人にあの瓶を持ってきて頂戴、と頼んだ。
頼まれたメイドはかしこまりました、と言って、部屋から出ていった。
「そのときに優秀賞をとったフレグランスオイルを、夫に頼んで落札してもらったのよ。確か製作者の名前はエルヴィとか、エルヴァラっていう名前だったかしら」
どうだったかしら、と首を傾げながら言う伯爵夫人。
ドーラはその頃に活躍していた調香師に会ったことがあるが、伯爵夫人が挙げた名前に記憶はなかった。
どうでしょうか、残念ながら私は存じ上げません、とドーラは少ししょんぼりした表情を作った。
丁度そのとき、部屋を出ていったメイドが戻ってきた。彼女が持つお盆には小ぶりの瓶が載っている。
「あら、ちょうど良いタイミングねぇ。ありがとう」
お待たせいたしました、と言って、メイドから渡されたアンナは、そうそう、カトリーヌ・エルヴェラナ、という名前だったわね、全然、違っていたわ、とはにかみながら訂正した。
「よかったら、使って頂戴?」
アンナはドーラに直に手渡した。主人の行動にメイドたちは慌てる。どんな人でも焦る事態だった。
そりゃ、そうだろう。
五大公国会議後に行われるフレグランスコンテストはかなり多くの目利きが訪れることで有名だ。そもそもフレグランスオイル自体が高価である。そのうえそのコンテストで優勝したものとなれば、かなりの値がついただろう。
価格は分からないが、せっかく伯爵に買ってもらったものを、たかが一塊の調香師に渡す理由がない。
ドーラも慌てた。
「あ、あの……――」
「良いのよ。夫に頼んで買ってもらったけど、結局、今までに一回しか使ったことないの。だから、よかったらあなたがもしコンテストに出品するときにでも、研究する材料にしちゃって頂戴な」
メイドたちやドーラが心配していることを夫人は先回りして言った。
すると、メイドたちからは期待の眼差しになり、ドーラに向けた。
「……――はい。分かりました。このようなものをいただいて、ありがとうございます」
アンナの言葉にそんな機会があれば、と心の中で付け加えた。
五大公国内の調香師が集うフレグランスコンテストは出品するだけでもかなりの倍率だと聞いたことがある。
それに加え、貴族のお抱え調香師の方が有利である、とも。
だから、もし、そんな機会があれば、嬉しい。
そう思いながら、ドーラはそのこ瓶をギュッと持った。
「お待たせしました」
少ししてから、クララが荷物をメイドに持たせて戻ってきた。
着ているものも簡素なものにかわっていて、非常に動きやすそうだった。
「いえ、大丈夫ですよ」
ドーラも立ち上がり、アンナに向かって頭を下げた。
「では、しばらくお嬢さんをお借りします」
ドーラの言葉にこちらこそ、よろしくお願いね、と夫人も頭を下げた。
伯爵家の馬車を借りて、『ステルラ』に戻ってきた。
今日は一度にさまざまなことがあったので、ひとまず、休みをとることにした。
「こちらが客間になります」
その前にクララと彼女付きのメイド、アリーナに泊まってもらう部屋を案内していた。
今回のクララのようにまれに泊まり込みでの治療を行うこともある。
なので、すぐに客人が泊まれるようにいつも清掃している。
「アリーナさんはこちらの続きの部屋をお使いください。そういえば、食事はどうされますか? こちらでも準備はできますが、アリーナさんが作られるほうがよければそちらでも構いませんが?」
食事について尋ねると、クララはクスッと笑って、アリーナは料理が苦手なの、と小声で囁いた。しかし、残念なことにアリーナにも聞こえていたようで、お嬢様! と顔を真っ赤にして、怒られていた。
二人のやり取りは微笑ましいものだったが、やはり、クララのふとした表情は悲しげだ。
ここから帰るころにはその表情がなくなっていることを願ってしまったドーラだった。
そうしてあれやこれやとしているうちにすでに日が沈みかけていた。
「改めまして、よろしくお願いします」
クララとドーラは応接間で向き合って座っていた。本当はアリーナも手伝いたがっていたけれど、ここまでついてきたんだから、料理以外のことはお願いね、とクララに言われてしまい、泣く泣く掃除や洗濯などをしにいってきます、と去っていった。
ドーラの目の前には何種類かの小瓶や多くの乾燥させた葉っぱ、ドライハーブが置かれていた。
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
クララはちょこんと頭を下げた。
その姿は実に可愛らしいものだった。
ドーラには難しいことがわからないが、なぜ、彼女の幼なじみであり、婚約者は彼女を選ばなかったのだろうか。
「では、先ほど、ご自宅でお話ししたとおり、まず治療は効果的には強くない芳香浴とハーブティーから入っていきます。その芳香浴とハーブティーに使うエッセンシャルオイルやドライハーブを選んでいきましょう」
ドーラは処方箋を準備しながらそう言った。
「え? 私なんかが選んでもいいんですか?」
彼女の言葉に首を傾げるクララ。
「大丈夫ですよ」
もちろん、処方箋の最終決定は第一級調香師がしなければならない。
しかし、体質や体調の細かい違いによって、使うエッセンシャルオイルやハーブは人によって違ってくる。
だから、こうやって治療を始める前に、こうやって打ち合わせをするのだ。
「もちろん、治療するのに使わなければならないものもありますし、使ってはいけないハーブもあります。ですが、それぞれ人によって好みや体質に合う、合わないという細かい違いもあります。だから、最初にある程度、自分の好みや体質に合うものを選び、後から変えていく、ということもあります」
フェオドーラの説明になるほど、とクララは頷いた。
二人で一緒にいろいろなハーブやエッセンシャルオイルを選んだ。
「なんか、いろいろあって面白いですわ」
選び終わったあと、クララは香りを嗅ぎながら、そう言った。
「私にはとても覚えられないわ」
参考用にと一応、持ってきていた分厚い香調大事典を眺めながら、むうと唸っていた。
「そうでしょうか? 貴族女性の方も多く調香師を目指している方は多いですよ? 先日も、アイゼル=ワード大公国でそのようなお嬢さんにお会いしましたよ」
クララにそう言いながら、金髪の伯爵令嬢のことを思い出していた。
思い出してみれば、自分が初めて処分を下した彼女も、今、婚約者――元婚約者と言ったほうが正しいのか――に悩んでいる彼女もともに十五歳。
そういえば、彼女は今ごろ、どうしているのだろうか。
一年間の資格停止処分が終わったら、戻ってきてほしい、というのがドーラの本心だ。
技術はあるのだから、『調香師』というものが何故、厳しい試験を通らなければならないのか、その理由を一年をかけて思い出してほしい。
ふと目の前の少女を見ながらも、別の少女を気にしてしまったドーラではあるが、すぐにその幻影を追い払った。
目の前には紺色の髪をした少女がパラパラと事典をめくっている。しかし、どうにもわからなかったようで、首を捻っていた。
「今度の五大公会議が開かれるわね」
茶菓子を摘みながら話題に出したのは、三ヶ月後、エルスオング大公国で開かれる五大公会議。
「五年前もここで開催されたときは、かなりの人で溢れてたわねぇ」
アンナはしみじみとそう話し出した。
五大公国の君主である五人の大公が一堂に集う五大公会議は年に一度開催され、開催地は五国で持ち回りだ。
エルスオング大公国は丁度、今年が開催国であり、五年前にも開催している。
しかし、そのときは残念なことに調香師試験の直前であり、基本的な技能はともかく、医学や薬理学などの筆記試験勉強や利き香の勉強を必死にしていた時期であり、五大公会議のあまり記憶がなかった。
「そういえば、あなたはまだ、調香師になる前でしたわね」
伯爵夫人はそういえば、とフェオドーラに言った。はい、そうです、ドーラはカップを持ちながら頷く。
「じゃあ、あの会議のあとに開かれるフレグランスコンテストは知らないかしら?」
それならば、とアンナはメイドの一人にあの瓶を持ってきて頂戴、と頼んだ。
頼まれたメイドはかしこまりました、と言って、部屋から出ていった。
「そのときに優秀賞をとったフレグランスオイルを、夫に頼んで落札してもらったのよ。確か製作者の名前はエルヴィとか、エルヴァラっていう名前だったかしら」
どうだったかしら、と首を傾げながら言う伯爵夫人。
ドーラはその頃に活躍していた調香師に会ったことがあるが、伯爵夫人が挙げた名前に記憶はなかった。
どうでしょうか、残念ながら私は存じ上げません、とドーラは少ししょんぼりした表情を作った。
丁度そのとき、部屋を出ていったメイドが戻ってきた。彼女が持つお盆には小ぶりの瓶が載っている。
「あら、ちょうど良いタイミングねぇ。ありがとう」
お待たせいたしました、と言って、メイドから渡されたアンナは、そうそう、カトリーヌ・エルヴェラナ、という名前だったわね、全然、違っていたわ、とはにかみながら訂正した。
「よかったら、使って頂戴?」
アンナはドーラに直に手渡した。主人の行動にメイドたちは慌てる。どんな人でも焦る事態だった。
そりゃ、そうだろう。
五大公国会議後に行われるフレグランスコンテストはかなり多くの目利きが訪れることで有名だ。そもそもフレグランスオイル自体が高価である。そのうえそのコンテストで優勝したものとなれば、かなりの値がついただろう。
価格は分からないが、せっかく伯爵に買ってもらったものを、たかが一塊の調香師に渡す理由がない。
ドーラも慌てた。
「あ、あの……――」
「良いのよ。夫に頼んで買ってもらったけど、結局、今までに一回しか使ったことないの。だから、よかったらあなたがもしコンテストに出品するときにでも、研究する材料にしちゃって頂戴な」
メイドたちやドーラが心配していることを夫人は先回りして言った。
すると、メイドたちからは期待の眼差しになり、ドーラに向けた。
「……――はい。分かりました。このようなものをいただいて、ありがとうございます」
アンナの言葉にそんな機会があれば、と心の中で付け加えた。
五大公国内の調香師が集うフレグランスコンテストは出品するだけでもかなりの倍率だと聞いたことがある。
それに加え、貴族のお抱え調香師の方が有利である、とも。
だから、もし、そんな機会があれば、嬉しい。
そう思いながら、ドーラはそのこ瓶をギュッと持った。
「お待たせしました」
少ししてから、クララが荷物をメイドに持たせて戻ってきた。
着ているものも簡素なものにかわっていて、非常に動きやすそうだった。
「いえ、大丈夫ですよ」
ドーラも立ち上がり、アンナに向かって頭を下げた。
「では、しばらくお嬢さんをお借りします」
ドーラの言葉にこちらこそ、よろしくお願いね、と夫人も頭を下げた。
伯爵家の馬車を借りて、『ステルラ』に戻ってきた。
今日は一度にさまざまなことがあったので、ひとまず、休みをとることにした。
「こちらが客間になります」
その前にクララと彼女付きのメイド、アリーナに泊まってもらう部屋を案内していた。
今回のクララのようにまれに泊まり込みでの治療を行うこともある。
なので、すぐに客人が泊まれるようにいつも清掃している。
「アリーナさんはこちらの続きの部屋をお使いください。そういえば、食事はどうされますか? こちらでも準備はできますが、アリーナさんが作られるほうがよければそちらでも構いませんが?」
食事について尋ねると、クララはクスッと笑って、アリーナは料理が苦手なの、と小声で囁いた。しかし、残念なことにアリーナにも聞こえていたようで、お嬢様! と顔を真っ赤にして、怒られていた。
二人のやり取りは微笑ましいものだったが、やはり、クララのふとした表情は悲しげだ。
ここから帰るころにはその表情がなくなっていることを願ってしまったドーラだった。
そうしてあれやこれやとしているうちにすでに日が沈みかけていた。
「改めまして、よろしくお願いします」
クララとドーラは応接間で向き合って座っていた。本当はアリーナも手伝いたがっていたけれど、ここまでついてきたんだから、料理以外のことはお願いね、とクララに言われてしまい、泣く泣く掃除や洗濯などをしにいってきます、と去っていった。
ドーラの目の前には何種類かの小瓶や多くの乾燥させた葉っぱ、ドライハーブが置かれていた。
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
クララはちょこんと頭を下げた。
その姿は実に可愛らしいものだった。
ドーラには難しいことがわからないが、なぜ、彼女の幼なじみであり、婚約者は彼女を選ばなかったのだろうか。
「では、先ほど、ご自宅でお話ししたとおり、まず治療は効果的には強くない芳香浴とハーブティーから入っていきます。その芳香浴とハーブティーに使うエッセンシャルオイルやドライハーブを選んでいきましょう」
ドーラは処方箋を準備しながらそう言った。
「え? 私なんかが選んでもいいんですか?」
彼女の言葉に首を傾げるクララ。
「大丈夫ですよ」
もちろん、処方箋の最終決定は第一級調香師がしなければならない。
しかし、体質や体調の細かい違いによって、使うエッセンシャルオイルやハーブは人によって違ってくる。
だから、こうやって治療を始める前に、こうやって打ち合わせをするのだ。
「もちろん、治療するのに使わなければならないものもありますし、使ってはいけないハーブもあります。ですが、それぞれ人によって好みや体質に合う、合わないという細かい違いもあります。だから、最初にある程度、自分の好みや体質に合うものを選び、後から変えていく、ということもあります」
フェオドーラの説明になるほど、とクララは頷いた。
二人で一緒にいろいろなハーブやエッセンシャルオイルを選んだ。
「なんか、いろいろあって面白いですわ」
選び終わったあと、クララは香りを嗅ぎながら、そう言った。
「私にはとても覚えられないわ」
参考用にと一応、持ってきていた分厚い香調大事典を眺めながら、むうと唸っていた。
「そうでしょうか? 貴族女性の方も多く調香師を目指している方は多いですよ? 先日も、アイゼル=ワード大公国でそのようなお嬢さんにお会いしましたよ」
クララにそう言いながら、金髪の伯爵令嬢のことを思い出していた。
思い出してみれば、自分が初めて処分を下した彼女も、今、婚約者――元婚約者と言ったほうが正しいのか――に悩んでいる彼女もともに十五歳。
そういえば、彼女は今ごろ、どうしているのだろうか。
一年間の資格停止処分が終わったら、戻ってきてほしい、というのがドーラの本心だ。
技術はあるのだから、『調香師』というものが何故、厳しい試験を通らなければならないのか、その理由を一年をかけて思い出してほしい。
ふと目の前の少女を見ながらも、別の少女を気にしてしまったドーラではあるが、すぐにその幻影を追い払った。
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