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1.少女のハンドクリーム
道中
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彼女の言葉にドーラは驚いた。エルスオング大公の命令であっても、拒否するのではないかと思ったからだった。驚いたのは、ドーラだけではなかった。エルスオング大公はじっと、興味深そうな視線をテレーゼに送った。それに負けない視線を返したアイゼル=ワード大公は言葉を続けた。
「すでに彼女には実績を示してくれている。
だから、彼女ならばきっと、正しい答えを導いてくれるだろう。そう私は信じている」
フェオドーラに向けられたテレーゼの視線は暖かいものだった。そうかい、と脱力したエルスオング大公は書類を一枚、ドーラに差し出した。
「これ、ラススヴェーテ嬢ならいらないとは思ったけれど、簡単にゲオルグ癒身師の経歴をまとめておいたから、一応、渡しておくよ。道中で読んでおいてくれ」
差し出された紙を受け取り、一礼して、テレーゼとともにフェオドーラもエルスオング大公の部屋を辞した。
すぐに大公邸を出て、『ステルラ』へ戻った。
大公邸を出る際、テレーゼからはこちらの準備が整い次第、迎えに行くから、必要な荷物はまとめておいてくれ、と言われていた。しかし、すでに荷物をまとめていたドーラは本当ならば、この機会を作ってくれたミールに挨拶してから行きたった。でも、彼はポローシェ侯爵の屋敷で仕事をしている。侯爵邸は少し離れたところにあり、時間がなかったので、そこまで行く余裕がない。だから、帰ってきてから、ちゃんと『ありがとう』っていう事にした。
その代わり、一つだけ、短い時間で作れるアロマクラフトを作ることにした。
透明な液体が入った大瓶を棚から取り出し、小瓶の容量の十分の一くらい入れて、イランイラン、サンダルウッドをそれぞれ三滴ずつ、ラベンダーの精油を十滴その小瓶に加えた。
さらに、その中に別の大瓶から透明な液体を規定線まで加えた。
最後に小瓶の蓋をしっかりと閉めて、よく振った。
この作業を行うのに、片づけを含めて十五分。まだ、呼び鈴が鳴らされてないことを考えると、テレーゼは来ていなかったようだ。
それをハンドバッグの中に入れ、あらかじめ用意しておいた旅行鞄を持って表に出た。
ちょうどその時、目の前に馬車が止まった。
その馬車はあくまでも質素で、ぱっと見、誰が所有しているかわからないものだった。だが、その答えはすぐに分かった。
内側から扉が開き、先ほどとは違って、ラフな格好のテレーゼが降りてきたのだ。
「さあ、乗って」
彼女はドーラをエスコートして馬車に乗せてくれた。
馬車の中は外見に反して、広く、やはり大公が乗るものだからだろうか、クッションは柔らかい素材でできていた。
ドーラの荷物をテレーゼ自ら入れてくれ、扉が御者の手によって閉まると、早く座って、とテレーゼの隣に座らせられた。
「びっくりしたよね?」
馬車が動き出した後、テレーゼにそう問いかけられた。ドーラは一瞬、どうこたえようかと悩んだが、はい、と小さく答えた。
ドーラの返答にフフフ、と笑みを漏らしたテレーゼ。その目は十分に笑いをこらえているようなものだった。
「この馬車はあの父親が作らせたものだ。あの、クソ父親がね」
テレーゼは窓の外を見ながら、そう喋り出した。
「自分が偵察に行くときに、この馬車を使っていくんだ、と。そうすれば、たとえ御者台に乗っていたとしても、暑っついマントやフードなんか被らんでも、うまくごまかせるんだってね」
馬鹿だよなぁとぼやきながらも懐かしそうに話すテレーゼ。口ではあんなことを言いながらも、どこか尊敬しているような雰囲気だった。
「ま、これがあったおかげでキミに会えたんだから、私はこの馬車に関してはあの人に感謝しているさ」
だが、テレーゼは最後の一言で、全く感情のこもっていない目に変わったのをドーラは見逃さなかった。
それ以上何も言わずに、しばらくの間、二人とも外を眺めていた。
手工業国であるエルスオング大公国の街並みは郊外になっても、ほとんど変わらないものだったが、少し人がまばらになってきた。そして、もうしばらく進むと、夕暮れ時になって来たのか、空が赤く染まっていた。
「もうそろそろだな」
テレーゼが何やら鞄の中を探していた。少ししてあったあった、と呟いて取り出したのは、手帳のようなものと少しよれた封書だった。ドーラは何をするのだろうかと思ったが、テレーゼは取り出した以外に何もしなかった。
しばらくして、その答えが分かった。
「これだね」
馬車がゆっくりと停まったのち、扉が開かれた。テレーゼは馬車から降りて、その手帳と封書を誰かに渡した。少しの間があってから、あ、これは失礼しました、という声が聞こえてきた。門番なのか見張り番なのか、どちらなのかは分からないが、役人のような堅い声だった。
「では、道中のご無事を」
テレーゼが馬車に乗る間際、同じ声が聞こえてきた。ありがとさん、とテレーゼが応えると、馬車の扉が閉まり、ほんの少ししてから、馬車が動き出した。
「今は、カンベルタ大公国との国境だ」
動き出してから、ドーラだけが知らなかった事実をテレーゼが言ってくれた。
「え、でも――――?」
ドーラはそのテレーゼの言葉に耳を疑った。カンベルタ大公国との国境まで、エルスオング大国の都、ベルッディナからはかなりの距離があるはずだ。それなのに、たった半日、たった数時間で駆け抜けていた――――
その疑問に答えるかのように、テレーゼはにっこりと笑った。
「まあ、驚くだろうね。でも、これはあの父親が遺していったものの一つさ。
さっきいっただろう? この馬車は偵察用だと」
テレーゼの言葉で、少しだけ分かったような気がした。
「――――――もしかして、何かあった時に――知らせを受けた時に、ただの馬車で行くのでは遅い。だから、改良――改造して、もっと速度を出せるようにしたのですか?」
ドーラの言葉に、お見事、と拍手したテレーゼ。
「その通りさ。キミの言う通りさ。あの父親は自分自身の欲望――いや、野望のためにこの馬車を作らせた。誰よりも早く、誰よりも自分の目で現場を確認するために、ね。でも、そんな機会は訪れなかった、いや、天が訪れさせなかったんだろうね」
彼女は相変わらずの無感情でそう父親を評した。
「そう。だから、私はあの父親がもし、もう少しの間、生きていて、戦を起こしていたと考えると、ぞっとしたよ。
だって、あのミュードラのいけすかねぇ澄まし野郎にも、フレングスの腹黒じじぃにも戦いを挑むことになったんだよ? 下手すりゃぁ、帝国のおっさん相手にも戦いを挑むことになるんだから、いくら『軍事のアイゼル=ワード』といえども、勝算なんかゼロだ。
ま、あの父親のことだから、何らかの策を張っていくんじゃないかとは思うが、それでも勝てる要素は少ない。だから、あいつが死んだとき、うちの軍部以上に私がホッとしたもんだよ」
テレーゼは心底、そう思っているようで、そう言い終わった後、少し息切れしていた。
その様子のテレーゼにドーラは何かを言うことはできなかった――――何も言えなかった。少し困惑した様子の彼女にテレーゼはつまらないことを聞かせたな、と謝ってきた。
ドーラはその言葉に横に首を振った。
「私でもよければ、少しでも毒を吐いてください」
その方が、ため込むよりもいいと思いますよ、そう言ったドーラの顔を見たテレーゼは少し虚を突かれていたような気がした。
「あのな、私はキミにぶしつけな質問をしたんだよ? それでも、いいのかい?」
一瞬、テレーゼの言葉の意味を理解できなかったが、すぐに昨日のあのことを指したのだと気づいたドーラはそれでも、首を横に振った。
「それでもです。それに、あの話は不意を突かれた、というのもありますし――――ええと、とにもかくにも、不満があったら、私にぶちまけてください――ああ、私自身への不平不満でもいいので――――――!」
最後の方は、なんだか早口になってしまったが、テレーゼは聞き取っていたようで、くすくすと笑っていた。
それから、しばらくテレーゼの父親や護衛たちへの愚痴を聞かされたドーラだったが、護衛たちへの愚痴を言っているテレーゼは少し幸せそうな様子だった。
「すでに彼女には実績を示してくれている。
だから、彼女ならばきっと、正しい答えを導いてくれるだろう。そう私は信じている」
フェオドーラに向けられたテレーゼの視線は暖かいものだった。そうかい、と脱力したエルスオング大公は書類を一枚、ドーラに差し出した。
「これ、ラススヴェーテ嬢ならいらないとは思ったけれど、簡単にゲオルグ癒身師の経歴をまとめておいたから、一応、渡しておくよ。道中で読んでおいてくれ」
差し出された紙を受け取り、一礼して、テレーゼとともにフェオドーラもエルスオング大公の部屋を辞した。
すぐに大公邸を出て、『ステルラ』へ戻った。
大公邸を出る際、テレーゼからはこちらの準備が整い次第、迎えに行くから、必要な荷物はまとめておいてくれ、と言われていた。しかし、すでに荷物をまとめていたドーラは本当ならば、この機会を作ってくれたミールに挨拶してから行きたった。でも、彼はポローシェ侯爵の屋敷で仕事をしている。侯爵邸は少し離れたところにあり、時間がなかったので、そこまで行く余裕がない。だから、帰ってきてから、ちゃんと『ありがとう』っていう事にした。
その代わり、一つだけ、短い時間で作れるアロマクラフトを作ることにした。
透明な液体が入った大瓶を棚から取り出し、小瓶の容量の十分の一くらい入れて、イランイラン、サンダルウッドをそれぞれ三滴ずつ、ラベンダーの精油を十滴その小瓶に加えた。
さらに、その中に別の大瓶から透明な液体を規定線まで加えた。
最後に小瓶の蓋をしっかりと閉めて、よく振った。
この作業を行うのに、片づけを含めて十五分。まだ、呼び鈴が鳴らされてないことを考えると、テレーゼは来ていなかったようだ。
それをハンドバッグの中に入れ、あらかじめ用意しておいた旅行鞄を持って表に出た。
ちょうどその時、目の前に馬車が止まった。
その馬車はあくまでも質素で、ぱっと見、誰が所有しているかわからないものだった。だが、その答えはすぐに分かった。
内側から扉が開き、先ほどとは違って、ラフな格好のテレーゼが降りてきたのだ。
「さあ、乗って」
彼女はドーラをエスコートして馬車に乗せてくれた。
馬車の中は外見に反して、広く、やはり大公が乗るものだからだろうか、クッションは柔らかい素材でできていた。
ドーラの荷物をテレーゼ自ら入れてくれ、扉が御者の手によって閉まると、早く座って、とテレーゼの隣に座らせられた。
「びっくりしたよね?」
馬車が動き出した後、テレーゼにそう問いかけられた。ドーラは一瞬、どうこたえようかと悩んだが、はい、と小さく答えた。
ドーラの返答にフフフ、と笑みを漏らしたテレーゼ。その目は十分に笑いをこらえているようなものだった。
「この馬車はあの父親が作らせたものだ。あの、クソ父親がね」
テレーゼは窓の外を見ながら、そう喋り出した。
「自分が偵察に行くときに、この馬車を使っていくんだ、と。そうすれば、たとえ御者台に乗っていたとしても、暑っついマントやフードなんか被らんでも、うまくごまかせるんだってね」
馬鹿だよなぁとぼやきながらも懐かしそうに話すテレーゼ。口ではあんなことを言いながらも、どこか尊敬しているような雰囲気だった。
「ま、これがあったおかげでキミに会えたんだから、私はこの馬車に関してはあの人に感謝しているさ」
だが、テレーゼは最後の一言で、全く感情のこもっていない目に変わったのをドーラは見逃さなかった。
それ以上何も言わずに、しばらくの間、二人とも外を眺めていた。
手工業国であるエルスオング大公国の街並みは郊外になっても、ほとんど変わらないものだったが、少し人がまばらになってきた。そして、もうしばらく進むと、夕暮れ時になって来たのか、空が赤く染まっていた。
「もうそろそろだな」
テレーゼが何やら鞄の中を探していた。少ししてあったあった、と呟いて取り出したのは、手帳のようなものと少しよれた封書だった。ドーラは何をするのだろうかと思ったが、テレーゼは取り出した以外に何もしなかった。
しばらくして、その答えが分かった。
「これだね」
馬車がゆっくりと停まったのち、扉が開かれた。テレーゼは馬車から降りて、その手帳と封書を誰かに渡した。少しの間があってから、あ、これは失礼しました、という声が聞こえてきた。門番なのか見張り番なのか、どちらなのかは分からないが、役人のような堅い声だった。
「では、道中のご無事を」
テレーゼが馬車に乗る間際、同じ声が聞こえてきた。ありがとさん、とテレーゼが応えると、馬車の扉が閉まり、ほんの少ししてから、馬車が動き出した。
「今は、カンベルタ大公国との国境だ」
動き出してから、ドーラだけが知らなかった事実をテレーゼが言ってくれた。
「え、でも――――?」
ドーラはそのテレーゼの言葉に耳を疑った。カンベルタ大公国との国境まで、エルスオング大国の都、ベルッディナからはかなりの距離があるはずだ。それなのに、たった半日、たった数時間で駆け抜けていた――――
その疑問に答えるかのように、テレーゼはにっこりと笑った。
「まあ、驚くだろうね。でも、これはあの父親が遺していったものの一つさ。
さっきいっただろう? この馬車は偵察用だと」
テレーゼの言葉で、少しだけ分かったような気がした。
「――――――もしかして、何かあった時に――知らせを受けた時に、ただの馬車で行くのでは遅い。だから、改良――改造して、もっと速度を出せるようにしたのですか?」
ドーラの言葉に、お見事、と拍手したテレーゼ。
「その通りさ。キミの言う通りさ。あの父親は自分自身の欲望――いや、野望のためにこの馬車を作らせた。誰よりも早く、誰よりも自分の目で現場を確認するために、ね。でも、そんな機会は訪れなかった、いや、天が訪れさせなかったんだろうね」
彼女は相変わらずの無感情でそう父親を評した。
「そう。だから、私はあの父親がもし、もう少しの間、生きていて、戦を起こしていたと考えると、ぞっとしたよ。
だって、あのミュードラのいけすかねぇ澄まし野郎にも、フレングスの腹黒じじぃにも戦いを挑むことになったんだよ? 下手すりゃぁ、帝国のおっさん相手にも戦いを挑むことになるんだから、いくら『軍事のアイゼル=ワード』といえども、勝算なんかゼロだ。
ま、あの父親のことだから、何らかの策を張っていくんじゃないかとは思うが、それでも勝てる要素は少ない。だから、あいつが死んだとき、うちの軍部以上に私がホッとしたもんだよ」
テレーゼは心底、そう思っているようで、そう言い終わった後、少し息切れしていた。
その様子のテレーゼにドーラは何かを言うことはできなかった――――何も言えなかった。少し困惑した様子の彼女にテレーゼはつまらないことを聞かせたな、と謝ってきた。
ドーラはその言葉に横に首を振った。
「私でもよければ、少しでも毒を吐いてください」
その方が、ため込むよりもいいと思いますよ、そう言ったドーラの顔を見たテレーゼは少し虚を突かれていたような気がした。
「あのな、私はキミにぶしつけな質問をしたんだよ? それでも、いいのかい?」
一瞬、テレーゼの言葉の意味を理解できなかったが、すぐに昨日のあのことを指したのだと気づいたドーラはそれでも、首を横に振った。
「それでもです。それに、あの話は不意を突かれた、というのもありますし――――ええと、とにもかくにも、不満があったら、私にぶちまけてください――ああ、私自身への不平不満でもいいので――――――!」
最後の方は、なんだか早口になってしまったが、テレーゼは聞き取っていたようで、くすくすと笑っていた。
それから、しばらくテレーゼの父親や護衛たちへの愚痴を聞かされたドーラだったが、護衛たちへの愚痴を言っているテレーゼは少し幸せそうな様子だった。
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