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1.少女のハンドクリーム

さあ、調香しましょう

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 翌日、ミールはしばらく向こうの屋敷に詰めてるわ、と言って侯爵邸に向かった。調香師である彼だったが、彼はある事情で調香出来ない。その代わりに、『ステルラ』のスポンサーである侯爵の手伝いをしている。なので、日中は屋敷におらず、時には、泊まり込んでの仕事の時もある。
 だから、ドーラはいつも通りに彼を送り出した。

 彼女は彼女で、テレーゼのかゆみの原因を調査するために、『本日、予約客以外お断り』と看板に記し、どうしてもしなければならないこと以外の時間は、テレーゼから借りたハンドオイルの成分の特定に費やした。

 もちろん、成分の特定と言ってもほいそれと、簡単にできるものではない。
 世の中に存在する様々な精油の中から、数種類、場合によっては十種類以上の精油を選び、配合量を調節していく、という地道な作業だった。
 調香師の元締めである国立調香院には匂いや香りを嗅いだだけで、その中に含まれる精油やベースとなるキャリアオイルや素地、その他含有成分を当てる『利き香』が得意なものもいるが、ドーラにはそのセンスはほとんどなく、当てることができても、せいぜい四種類までの混合物だった。
 そのため、彼女にとって、含有している精油を調べ上げるための近道は、複製をつくることだった。


 『ステルラ』奥の作業室内。

「さて」
 そう言いながら、ドーラが机の中から取り出したのは、空の小瓶数個と、白くて細長い紙の束。
 すでに机上に置かれている褐色の小瓶たちを何かの法則があるのか、迷うことなく並べ替える。

 並べ変えた後、うーん、と迷いながらも、メモに何かを記入していく。その姿は真剣そのもので、十八歳という年には見えなかった。

「でもなぁ。この匂いを作るんだったら、もう少し甘くない匂いが必要なのかなぁ」
 メモを取る手は止めないまま、頭の中で別の精油の可能性を考えていく。

 数種類、書ききったところで、別の褐色の小瓶を棚から取り出し、先ほどの褐色瓶の列に加えていく。

「確実に入っているのはラベンダーとローズマリー。だけども、それ以外が分からないのよねぇ」
 そう言いながら、二つの瓶を別のところに置く。

「レモンは光毒性をもつから除外できたとしても、爽やかな柑橘の匂い、という意味ではレモングラスやレモンマートル、シトロネラのどれが入っているのか、が区別できない」
 次に三つの小瓶の蓋を開け、匂いを確認しつつそう呟く。
 これらの三つとも似たような香りだ。もちろん、細かい匂いの違いはあるが、ブレンドされている状態では、それが分かりづらくなっている。

 ラベンダーとローズマリーの精油が入った小瓶から数滴ずつ、空き瓶に精油を落とし、それに加えて、先程、香りの区別がつかないと言った三種類をそれぞれ入れ、よく混ぜた。

 それらをよくかき混ぜ、細長い紙に小さなスポイトで一滴ずつ垂らす。

 垂らした部分を鼻に近づけ、その近くを手で仰ぐ。
「うーん、なんか違うなぁ」
 ドーラは首を傾げ、原本であるハンドオイルの匂いを嗅いだ。再び、作製したサンプルを嗅ぎ、足りないと感じたものを書き込んだ。
 そして、先程入れた精油の一部をもう一滴ずつ入れ、しっかりとかき混ぜた。

 先程と同じように出来上がったものの匂いを嗅いだが、やはり原本とは程遠い。
何回か同じ事を繰り返した後、ようやく似通ったものになった。

「だいぶ近くなってきたかな」

 どうやら、ハンドオイルに入っていた柑橘の香りは、レモングラスのようだった。それが分かり、大まかな配合割合も分析できたのは、大きな進歩だ。
 だが、繰り返し繰り返し同じ事をしていたので、鼻が疲れてきており、さらに、外を眺めると、既に日が落ちかけていたので一度、休憩がてら夕食をとることにした。

 いつもと違って、久しぶりの一人きりの夕ご飯だが、あまり寂しいとは思っていなかった。
 それよりも、明日、テレーズが来るための準備をしなければならず、そちらに気を取られていた。

「さて」

 作業室に戻ったドーラは、今度はいくつかのキャリアオイルを取り出していた。

 キャリアオイルとは、アロマクラフトを作る時やアロママッサージを施術する時には欠かせないもので、普段、食用とする油脂と同じ種類のオイルもあるが、それらよりも精製度が高い。そのため、肌につけても刺激が強くなく、保湿に適している。

 その中でも、比較的サラサラしているタイプのキャリアオイルを数種類、取り出し、お昼間に作ったブレンド精油の一部に加えていく。

 昼間とは違い、今度は香りを嗅ぐだけではなく、色や粘り気も見ていた。

「――――やっぱり違うなぁ」

 数種類のキャリアオイルを試してみたが、何か、深みのようなものが足りない。だが、キャリアオイルの匂いではないのは確か。

「と、なると――――」

 残る可能性は別の精油。
 だが、メインとなる香りの奥に隠されている香りは中々、出てこない・・・・・

 ここで突き止める時間は終了だ。

 もちろん、ここにある精油を組み合わせてみれば良いのだろうが、それをするのには膨大な時間もかかるし、何よりコストがかかり過ぎる。
 先程、レモンマートルやシトロネラを加えた混合精油も没にはなったが、まだ、そちらはまとまった量があるので、何かのアロマクラフトに変える事が出来るが、もしブレンドしたとして、出来る副産物の量はそれが出来ない。

 だったら、ここで調べるのを止めて、別の事を考えれば良い。

 ――――例えば、テレーゼの肌荒れを治す方法を探す、とか。

 もう一度、きちんと彼女の肌を診なければならないが、昨日、診た感じだと、希少価値の高いものや特殊な器具、素材を使う必要も無いだろう。そう思い、いつもの肌荒れ用対処セットを用意しておいた。




 翌朝、店の裏口からテレーゼを招き入れ、作業室に通した。

「これが調香師の部屋、というもんなのだな」

 どうやら、大公邸では調香師達が詰めている部屋には入った事がないようで、棚に入った小瓶や多量の書籍類に、少しばかりかはしゃいでいるようだった。

「はい。少し散らかっていますが、そこは目をつぶって下さい」

 ドーラの言葉にいいや、と首を横に振るテレーゼ。

「昨日、街を散策していてこの店の評判を聞いたんだが、キミの評判はすこぶる良い。貴族、平民問わず、その客のためのアロマクラフトを作る、と。

 そのためには様々、研究が必要だと思う。

 だから、これくらいの汚れは仕方ない。むしろ、私が来ると分かっていたから、片付けてくれたんだろ?

 そうテレーゼに問われたドーラは、褒められているのにもかかわらず、恥ずかしくなった。まさか、自分が街中でそんな風に言われているなんて、知らなかったのだ。
 しどろもどろになりながら、ありがとうございます、というと、先日、案内した応接室に連れて行った。

「では、改めてもう一度、手を診せていただけますか?」

 差し出された手を取り、皮膚の乾燥具合を確認した。

「先日、診せていただいた時からは、ほとんど変わっていないようなので、このままこのハンドオイルをつけることはお勧めできません」

 先日、テレーゼが帰るときに、本当はハンドオイルを持って帰ろうとした。だが、ドーラはそれを止めた。手荒れが出てしまっている以上、彼女の肌に負担になることは避けたい。ほかのクリームや軟膏については一瞬、迷ったが、それでも組み合わせの問題などもあるので、一度すべて塗るのをやめてもらったのだ。

 やはり、やめておいてよかった。
 そう思いながら、ドーラはそう呟いた。

「そうか。だが、塗っても塗らなくても変わらないんだが、それでもかい?」
 テレーゼは皮肉とかではなく、純粋な疑問として尋ねた。

「はい。もしかしたら、今までもハンドオイルを塗っていても、症状は変わらなかったかもしれませんが、他のハンドクリームや軟膏が原因とは考えられないんです。
 なので、しばらくの間、ハンドオイルを塗るのをやめて、別のものを塗っていただきたいんです」
 ドーラの言葉に、嫌な顔をしたテレーゼ。

 そうだろう、と彼女は理解できた。

 これまでも、癒身師や粉黛師たちに様々なハンドクリームや軟膏を処方されてきたのに、それらがすべて効かなかった。いくら街中では有名といえども、所詮は市井の人間。お抱えの癒身師に比べたら、自分の信頼なんて無いに等しいだろう。
 ましてや、自身のお抱え癒身師の作製したアロマクラフトを否定されたのだ。

 そりゃぁ、嫌な顔をしたくなる。

 テレーゼの気持ちは嫌というほど、分かった。
 だが、ドーラにも第一級認定調香師としてのプライドがある。
 ここで引き下がりたくなかった。

「テレーゼさん。いえ、テレーゼ・アイゼル=ワード女大公殿下」

 ドーラの気迫に、たじろぎを見せたテレーゼ。
 一人の客として扱ってくれ、と言って、素直に従っていた女調香師から、まさかそう呼ばれるとは思わなかったんだろう。

「私はアイゼル=ワード家の事情なんて知りませんが、あなた方のお抱え癒身師であるゲオルグさんの処方したハンドオイルを大切にするのは、ごくごく一般的なものだと思います。
 ですが、それを使うことによって肌荒れを起こす、というものはまた別の話です。そして、そんな肌荒れを引き起こしたものを今までも使っていた、ということはもっと別問題です」

 ドーラの言葉に、ばつが悪そうな顔をするテレーゼ。
 その一方で、テレーゼに言いすぎた、と後悔するドーラ。

 白で整えられた部屋に沈黙がおちる。

「――――すまない」

 先に言葉を発したのは、テレーゼだった。

「少し私情を入れ込みすぎていたようだな」

 彼女から謝罪の言葉を聞いてしまったドーラは、いいえ、と返答した。

「こちらこそ、生意気なことを言って申し訳ありませんでした」

 ドーラも謝罪した。
「ですが、先ほど言ったことは本心なんで――――」
「分かっているさ」
 ドーラは続けようとしたが、テレーゼはそれを遮った。


「キミに言われたとおりにしよう」


 彼女が言った言葉に驚いたドーラだったが、意味を理解すると、ありがとございます、と勢いよく頭を下げた。
 その後、もう一度、テレーゼの肌質を確認し、ハンドオイルを作ることにした。
 ハンドオイルを作るのに時間はかからないので、美容に良いハーブティーを淹れて、休憩ついでに待ってもらうことにした。
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