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月下でのダンス
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どの国でも裕福を表すものは金。
貴族ならばそれをどこに使うかによって、その家のなりが明らかになる。
その夜、ロンドルド王国の支配者、エドモンズ家が開く夜会はまさしく絢爛豪華。もともとも王宮の大広間は接待などに使うための場所で、シャンデリアなどが吊り下げられていたが、夜会ということもあり、生演奏のための楽団なども呼びこみ、さらに豪華に見えた。
そこに集うすべての貴族たちはステータスであるお金も好きだが、噂好きでもある。彼らは流行りの服や髪形、小物に敏感で次から次へと目が移っていく。
それは人間関係もまたしかり。
その夜、まだ夜会が始まる前から話題に挙がっていたのは、この国の王太子ルドウィックについてだった。
「ルドウィック殿下はアリアナ嬢にべったりだな」
ある一人の青年貴族がそう言いだすと、周りの青年たちも噂に花を咲かせはじめる。
王太子ルドウィックにはすでに婚約候補者として数人の名前が挙がっているが、爵位の低い家の出身であるアリアナではない。彼女は近年爵位を与えられたヴィルンデ男爵の娘で、だれにでも愛想がよく、まわりの庇護欲をかきたてる娘だった。
しかし、所詮は成り上がりの貴族の娘。それを快く思わない人もいる。
「仕方ないだろ。だって、婚約者候補筆頭のシャルロッテ様が虐め始めたらしいからな」
「ああ、そうらしいな。アリアナ嬢の頬を叩いたり、殿下からのプレゼントを奪おうとしたりしたらしいぜ」
シャルロッテ嬢。
この国で王家の次に位が高いエマンズル公爵家の長女であり、ルドウィック王太子の婚約者候補の筆頭。氷細工のような銀髪を持ち、アリアナとは違ってかなり落ち着きはらっている。それに父親が公爵でありながら有名な外交官で、幼い時から一緒に外国を飛び回っていたため頭も回り、とくに語学力はずば抜けていた。
青年たちの言葉に周りも驚いたようなそぶりをする。
二人が直接言い争っているところを見ていなくても、“噂”があれば十分。彼らにとって真実かどうかは定かでなくてもいい。ただ彼らの話のネタにはもってこいなだけだから。
「ヴィルンデ男爵家につくか、そのまま公爵家につくか」
「いやいや、エマンズル家はどうやら領地で税金の取り立てが厳しいくせに、王家に納める金は少ないらしい」
「ほんとかよ? だったらなんで王家はエマンズル家を処罰しないんだよ」
「確たる証拠がないから動けないんだよ。証拠もすべて握りつぶされ、証人たちも消されじゃ、太刀打ちできないだろ?」
「マジか。だったら、俺たちは泣き寝入りするしかないってか」
青年たちの話題は王太子たちの話からエマンズル家の黒い噂に移ったが、これもまた真実かどうかはわからないもの。しかし彼らにとって重要なのは酒の肴にできるかどうか。
彼らが噂に花を咲かせている間に貴族が集まりつつあった。
先ほど話題が挙がったエマンズル公爵とその娘シャルロッテもであり、父親のエスコートで現れた彼女は父親譲りのまっすぐな銀髪と、母親譲りのサファイアのような青い瞳が少し印象を冷たくさせるものの、薄青色のふわりとしたドレスで雪の精のようにも見えた。十七歳にしては貫禄のある姿は周りの視線を引き付けるには十分なものだった。
彼らの登場にすでにそこにいた青年貴族たちは表立っては言わないが、視線は敬うものではなく、しごく冷たいものだった。しかし、公爵父娘は歓迎されていないことをあらかじめ知っていたかのように、彼らの視線をものともせずに顔なじみの貴族たちへとあいさつに向かう。
シャルロッテたちが現れてからしばらくして、主催者である国王の長男、王太子ルドウィックとアリアナが連れ立って現れた。王家の象徴である金色の瞳を持つ彼は、同い年にもかかわらず幼く見えるアリアナとの仲の良さを見せつけるためか、公の場であるにもかかわらずべったりとくっついていた。
「ねぇ、あの女と同じ色なんだけれど。あの公爵って、観察眼がないのかしら?」
会場の大広間に入って早々にアリアナが目ざとく気づいたのは、シャルロッテとのドレスの色かぶり。厳密にいえば彼女が着ているのは小柄な体形に合った鮮やかな水色のドレスなのだが、それでも気に食わないらしく王太子に言うと、彼もアリアナにならって眉を顰める。
「本当だな。注意してくるか」
「ううん、そんなことしなくていいよ――その代わりにさ、また新しいドレス作ってよ」
自分から話題を振っておいてどうでもよくなったのか、それともそれが目的だったのか、アリアナは新しいプレゼントをねだる。その移り身の早さにルドウィックはそれで済むならばと彼女の頭をなでながら笑う。
「男爵令嬢は心が広いな」
「へへっ、だって、私、未来の王妃様だもん。心が広くなくっちゃ」
そう言いながら、横目で見るアリアナ。
アリアナにとってシャルロッテは目の上のたんこぶだった。シャルロッテは公爵家の生まれ、父親が名外交官で母親も隣の王国の皇室に連なる家柄という十分すぎるほどの家柄のうえ、幼いころから勤勉だったのもあり、ある事件が起こるまでは多くの人に頼られていた。
一方のアリアナは成り上がりの男爵家、両親とも自分のことにしか興味がなく、ただお飾りの人形として育てられてきた。さらにどんな努力をしてもシャルロッテのようにはうまくできない。だからこそ王太子の寵愛、ただそれだけは彼女に勝りたいと思ってしまった。
国王夫妻が登場し、短い言葉で始まりのあいさつがなされたあと、楽団の演奏が始まり、参加者たちは各々のパートナーと踊り始めた。ルドウィックもアリアナと無邪気に踊り始めた。
王太子は同い年の青年たちと比べて文武の才能が秀でて、ダンスもまんべんなく踊れるが、同じ年数生きてきたはずのアリアナのほうはあまり得意ではないらしい。何回もステップを踏み間違えるわ、ルドウィックの足を何度も踏んでいるが、彼は指摘する様子もなく、ただ彼女を甘やかすだけだった。
しかし、アリアナを寵愛しているという事実がある今は、彼が彼女を甘やかすということは彼女を心から愛している、じきに婚約者にするのではという見方しか広まらない。
「あの様子じゃ、婚約破棄も近いのでは?」
「ならば、ヴィルンデ男爵家やアリアナ嬢に今から恩を売っておいたほうがいいな」
二人が踊っているそばにいた誰かがそう言い出した。それに頷くほかの貴族たち。そうなると、当然出てくる名前もある。
「それはそうと、殿下も罪ですわね」
「どうして?」
「だって、いろいろお噂のあったシャルロッテ様を陛下たちに無理やり婚約者候補筆頭にさせられてしまって我慢されていたのに、結局はアリアナ様の持ち物を引き裂いてしまったようで、殿下はもうカンカンでしたわ」
「それじゃあ、公爵令嬢様はもう……――」
公爵令嬢シャルロッテの“噂”。
二年前に成人を迎えた彼女はその才覚を買われ、父公爵とともに隣国に派遣されていたのだが、当時王国との国交をよく思わない過激派により拉致・監禁された。
助け出されたときに着ていたものはほとんどぼろきれの状態になっていたため、事の顛末を聞いた王国の貴族たちは、彼女がすでに処女ではないのではと噂していた。彼女自身もそれを否定しないため、“噂”は“真実”となっていた。
「ええ。それにどうやらあくまでも“噂”ですが、修道院行きが決まっているとか」
「なんと! それは公爵令嬢として残念なことですわねぇ」
心にもない憐憫の言葉を吐く貴族たち。
それを部屋の隅で聞いていたシャルロッテはその場で否定はできなかったものの、耐えきれずに大広間からひっそりと抜けだして、夜の空気を吸いにいった。
絢爛豪華なのは内部だけではなく、庭園もだ。王宮に雇われている何十人もの庭師によって、季節に合った色とりどりの花が整えられている。今も何種類もの薔薇がきれいに咲きほこっている。
父親に連れられて普段から出入りしている王宮にもかかわらず、方向感覚を失っていたのか、気づいたら王宮の外に近い四阿まで来てしまっていたことに気づいたシャルロッテ。
いつも言われ慣れているはずなのに。
『いろいろお噂のあったシャルロッテ様を陛下たちに無理やり婚約者候補筆頭にさせられてしまって我慢されていたのに』
たしかにそうだ。
自分を王太子の婚約者候補筆頭として扱ってもらったのは、二年前の“あの事件”で色々と噂があるせいだ。
それなのになにもできない自分が恨めしい。
挙句の果てにはただの男爵令嬢に父親まで貶されている。先ほど大広間でのアリアナの言葉はすべて、シャルロッテの耳に入っていた。
前々からアリアナの言葉や行動を王太子に直訴していたが、改善されるばかりか悪化している。
噂していた貴族たちのように気軽でいられたのなら。
そう思わずにはいられなかったが、実際には違う。自分は公爵家の娘であり、アリアナのようにはふるまえない。同じ年齢とは思えないほどの行動だけれど、それが王太子の目にかなうのならば。
そう思って目の前にあった薔薇を一輪手折ろうと茂みに手を伸ばそうとしたとき、誰かに手首をつかまれた。
シャルロッテは驚いてその手の持ち主を見るとすらりとした長身の男で、雰囲気から彼女と同じ年齢ぐらい、顔は仮面で隠されているものの、この夜会に招待されていたのか、夜空のような深い色の礼装を身にまとっていた。月明りしかないこの場では彼がぼさぼさの髪をしていることしかわからない。
「あなたが触るようなものではない」
仮面の青年はそう言ってシャルロッテが手折ろうとしていた薔薇を一輪手折り、茎についている棘を取った後、彼女の髪に挿した。
「綺麗だ」
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彼は彼女の姿に目を細め、彼女の手をそっと握ろうとしたものの、少し恥ずかしがるように彼はすぐにひっこめた。
「ありがとう、ございます……あの、お怪我はありませんでしょうか」
「……大丈夫だ。こんなときでも自分のことを後回しにするのか」
シャルロッテはまさかここで優しくされると思ってなく、自分が褒められたことよりも手を怪我してないか心配になって尋ねるが、青年は呆れたようにため息をつき、シャルロッテの頬に手を伸ばし、彼女の頬に流れていた涙をやさしくぬぐった。
「あなたが大広間から消えたから、つい追いかけてきてしまったよ。よければ一曲、踊ってくれないか」
右手を差しだしながら言われた言葉に、シャルロッテは自分が求められたことに嬉しくなった。もう一人、自分を求めてくれた人がいたが、彼が今ここにいないことは知っている。だから、その人の代わりというわけではないが、目の前の人物に身をゆだねてしまいたく、その差し出された手を迷わず取った。
二人はホールからかすかに聞こえてくる演奏をバックに無言でダンスをはじめた。
シャルロッテは複数の言語以前に公爵令嬢としてのたしなみとして作法やダンスもきちんと学んでいる。青年のリードにあわせて踏み間違えることなく丁寧にステップを踏んでいく。
先ほどまでとは違って温かみのある時間が流れていき、自然と顔がほころんでしまうのを抑えきれなかった。
「さすがは“ネロリの妖精”だな」
ネロリとは上品な香りを放つ花で、よく“麗しい貴婦人”に喩えられるものだ。しかし、その喩えを昔、件の少年からされたことのあったシャルロッテはえっ?と聞き返したが、青年はなんでもないと笑うだけだった。
「永遠にこの時間が続けばいいのに」
「……――――」
踊っている最中にそう漏らした青年にシャルロッテも頷きたかったが、そっと心の奥だけでとどめておいた。最初はワルツ、次はメヌエット、再びワルツと続けて踊っていたものの、互いに息を上げない。二人ともこの時間が永遠に続くことを祈っていたが、終わりは突然やってきた。
建物から簡素なドレスの女性が出てきたのに気付いた青年は残念とつぶやき、そっとシャルロッテの手を放す。いきなり終わってしまった静かな時間に彼女は寂しく思う反面、少しだけほっとした。
だれかに見つかってしまえば、婚約者候補から外れるのに十分な大義になってしまう。そうならならないためにもそのほうがいい。もちろん自分が婚約者になるとは思ってはいないが、それでもまた妙な噂はされたくもない。
しばらくは静かに去っていった青年のほうを見て、さっきまで握られていた手のぬくもりを味わっていたが、先ほど建物から出てきた女性――シャルロッテの侍女にお嬢様、そろそろ帰りましょうかと促された彼女は分かったわと頷く。まだ夜会の半ばであるはずだけれど、彼女がそう言ってきたのはおそらく父親がそう判断したのだろうと察せられた。
シャルロッテがその判断を拒否することはない。
父親と合流したシャルロッテは帰りの馬車の中でも先ほどの青年のことを考えていて、ずっと彼のぬくもりが残る手のひら同士を無意識のうちに重ね合わせていた。さらに家に帰ってからも彼の言葉がずっと頭から離れず、いつか彼と出会えたらと寝る間際まで願ってしまった。
貴族ならばそれをどこに使うかによって、その家のなりが明らかになる。
その夜、ロンドルド王国の支配者、エドモンズ家が開く夜会はまさしく絢爛豪華。もともとも王宮の大広間は接待などに使うための場所で、シャンデリアなどが吊り下げられていたが、夜会ということもあり、生演奏のための楽団なども呼びこみ、さらに豪華に見えた。
そこに集うすべての貴族たちはステータスであるお金も好きだが、噂好きでもある。彼らは流行りの服や髪形、小物に敏感で次から次へと目が移っていく。
それは人間関係もまたしかり。
その夜、まだ夜会が始まる前から話題に挙がっていたのは、この国の王太子ルドウィックについてだった。
「ルドウィック殿下はアリアナ嬢にべったりだな」
ある一人の青年貴族がそう言いだすと、周りの青年たちも噂に花を咲かせはじめる。
王太子ルドウィックにはすでに婚約候補者として数人の名前が挙がっているが、爵位の低い家の出身であるアリアナではない。彼女は近年爵位を与えられたヴィルンデ男爵の娘で、だれにでも愛想がよく、まわりの庇護欲をかきたてる娘だった。
しかし、所詮は成り上がりの貴族の娘。それを快く思わない人もいる。
「仕方ないだろ。だって、婚約者候補筆頭のシャルロッテ様が虐め始めたらしいからな」
「ああ、そうらしいな。アリアナ嬢の頬を叩いたり、殿下からのプレゼントを奪おうとしたりしたらしいぜ」
シャルロッテ嬢。
この国で王家の次に位が高いエマンズル公爵家の長女であり、ルドウィック王太子の婚約者候補の筆頭。氷細工のような銀髪を持ち、アリアナとは違ってかなり落ち着きはらっている。それに父親が公爵でありながら有名な外交官で、幼い時から一緒に外国を飛び回っていたため頭も回り、とくに語学力はずば抜けていた。
青年たちの言葉に周りも驚いたようなそぶりをする。
二人が直接言い争っているところを見ていなくても、“噂”があれば十分。彼らにとって真実かどうかは定かでなくてもいい。ただ彼らの話のネタにはもってこいなだけだから。
「ヴィルンデ男爵家につくか、そのまま公爵家につくか」
「いやいや、エマンズル家はどうやら領地で税金の取り立てが厳しいくせに、王家に納める金は少ないらしい」
「ほんとかよ? だったらなんで王家はエマンズル家を処罰しないんだよ」
「確たる証拠がないから動けないんだよ。証拠もすべて握りつぶされ、証人たちも消されじゃ、太刀打ちできないだろ?」
「マジか。だったら、俺たちは泣き寝入りするしかないってか」
青年たちの話題は王太子たちの話からエマンズル家の黒い噂に移ったが、これもまた真実かどうかはわからないもの。しかし彼らにとって重要なのは酒の肴にできるかどうか。
彼らが噂に花を咲かせている間に貴族が集まりつつあった。
先ほど話題が挙がったエマンズル公爵とその娘シャルロッテもであり、父親のエスコートで現れた彼女は父親譲りのまっすぐな銀髪と、母親譲りのサファイアのような青い瞳が少し印象を冷たくさせるものの、薄青色のふわりとしたドレスで雪の精のようにも見えた。十七歳にしては貫禄のある姿は周りの視線を引き付けるには十分なものだった。
彼らの登場にすでにそこにいた青年貴族たちは表立っては言わないが、視線は敬うものではなく、しごく冷たいものだった。しかし、公爵父娘は歓迎されていないことをあらかじめ知っていたかのように、彼らの視線をものともせずに顔なじみの貴族たちへとあいさつに向かう。
シャルロッテたちが現れてからしばらくして、主催者である国王の長男、王太子ルドウィックとアリアナが連れ立って現れた。王家の象徴である金色の瞳を持つ彼は、同い年にもかかわらず幼く見えるアリアナとの仲の良さを見せつけるためか、公の場であるにもかかわらずべったりとくっついていた。
「ねぇ、あの女と同じ色なんだけれど。あの公爵って、観察眼がないのかしら?」
会場の大広間に入って早々にアリアナが目ざとく気づいたのは、シャルロッテとのドレスの色かぶり。厳密にいえば彼女が着ているのは小柄な体形に合った鮮やかな水色のドレスなのだが、それでも気に食わないらしく王太子に言うと、彼もアリアナにならって眉を顰める。
「本当だな。注意してくるか」
「ううん、そんなことしなくていいよ――その代わりにさ、また新しいドレス作ってよ」
自分から話題を振っておいてどうでもよくなったのか、それともそれが目的だったのか、アリアナは新しいプレゼントをねだる。その移り身の早さにルドウィックはそれで済むならばと彼女の頭をなでながら笑う。
「男爵令嬢は心が広いな」
「へへっ、だって、私、未来の王妃様だもん。心が広くなくっちゃ」
そう言いながら、横目で見るアリアナ。
アリアナにとってシャルロッテは目の上のたんこぶだった。シャルロッテは公爵家の生まれ、父親が名外交官で母親も隣の王国の皇室に連なる家柄という十分すぎるほどの家柄のうえ、幼いころから勤勉だったのもあり、ある事件が起こるまでは多くの人に頼られていた。
一方のアリアナは成り上がりの男爵家、両親とも自分のことにしか興味がなく、ただお飾りの人形として育てられてきた。さらにどんな努力をしてもシャルロッテのようにはうまくできない。だからこそ王太子の寵愛、ただそれだけは彼女に勝りたいと思ってしまった。
国王夫妻が登場し、短い言葉で始まりのあいさつがなされたあと、楽団の演奏が始まり、参加者たちは各々のパートナーと踊り始めた。ルドウィックもアリアナと無邪気に踊り始めた。
王太子は同い年の青年たちと比べて文武の才能が秀でて、ダンスもまんべんなく踊れるが、同じ年数生きてきたはずのアリアナのほうはあまり得意ではないらしい。何回もステップを踏み間違えるわ、ルドウィックの足を何度も踏んでいるが、彼は指摘する様子もなく、ただ彼女を甘やかすだけだった。
しかし、アリアナを寵愛しているという事実がある今は、彼が彼女を甘やかすということは彼女を心から愛している、じきに婚約者にするのではという見方しか広まらない。
「あの様子じゃ、婚約破棄も近いのでは?」
「ならば、ヴィルンデ男爵家やアリアナ嬢に今から恩を売っておいたほうがいいな」
二人が踊っているそばにいた誰かがそう言い出した。それに頷くほかの貴族たち。そうなると、当然出てくる名前もある。
「それはそうと、殿下も罪ですわね」
「どうして?」
「だって、いろいろお噂のあったシャルロッテ様を陛下たちに無理やり婚約者候補筆頭にさせられてしまって我慢されていたのに、結局はアリアナ様の持ち物を引き裂いてしまったようで、殿下はもうカンカンでしたわ」
「それじゃあ、公爵令嬢様はもう……――」
公爵令嬢シャルロッテの“噂”。
二年前に成人を迎えた彼女はその才覚を買われ、父公爵とともに隣国に派遣されていたのだが、当時王国との国交をよく思わない過激派により拉致・監禁された。
助け出されたときに着ていたものはほとんどぼろきれの状態になっていたため、事の顛末を聞いた王国の貴族たちは、彼女がすでに処女ではないのではと噂していた。彼女自身もそれを否定しないため、“噂”は“真実”となっていた。
「ええ。それにどうやらあくまでも“噂”ですが、修道院行きが決まっているとか」
「なんと! それは公爵令嬢として残念なことですわねぇ」
心にもない憐憫の言葉を吐く貴族たち。
それを部屋の隅で聞いていたシャルロッテはその場で否定はできなかったものの、耐えきれずに大広間からひっそりと抜けだして、夜の空気を吸いにいった。
絢爛豪華なのは内部だけではなく、庭園もだ。王宮に雇われている何十人もの庭師によって、季節に合った色とりどりの花が整えられている。今も何種類もの薔薇がきれいに咲きほこっている。
父親に連れられて普段から出入りしている王宮にもかかわらず、方向感覚を失っていたのか、気づいたら王宮の外に近い四阿まで来てしまっていたことに気づいたシャルロッテ。
いつも言われ慣れているはずなのに。
『いろいろお噂のあったシャルロッテ様を陛下たちに無理やり婚約者候補筆頭にさせられてしまって我慢されていたのに』
たしかにそうだ。
自分を王太子の婚約者候補筆頭として扱ってもらったのは、二年前の“あの事件”で色々と噂があるせいだ。
それなのになにもできない自分が恨めしい。
挙句の果てにはただの男爵令嬢に父親まで貶されている。先ほど大広間でのアリアナの言葉はすべて、シャルロッテの耳に入っていた。
前々からアリアナの言葉や行動を王太子に直訴していたが、改善されるばかりか悪化している。
噂していた貴族たちのように気軽でいられたのなら。
そう思わずにはいられなかったが、実際には違う。自分は公爵家の娘であり、アリアナのようにはふるまえない。同じ年齢とは思えないほどの行動だけれど、それが王太子の目にかなうのならば。
そう思って目の前にあった薔薇を一輪手折ろうと茂みに手を伸ばそうとしたとき、誰かに手首をつかまれた。
シャルロッテは驚いてその手の持ち主を見るとすらりとした長身の男で、雰囲気から彼女と同じ年齢ぐらい、顔は仮面で隠されているものの、この夜会に招待されていたのか、夜空のような深い色の礼装を身にまとっていた。月明りしかないこの場では彼がぼさぼさの髪をしていることしかわからない。
「あなたが触るようなものではない」
仮面の青年はそう言ってシャルロッテが手折ろうとしていた薔薇を一輪手折り、茎についている棘を取った後、彼女の髪に挿した。
「綺麗だ」
<i499738|22494>
彼は彼女の姿に目を細め、彼女の手をそっと握ろうとしたものの、少し恥ずかしがるように彼はすぐにひっこめた。
「ありがとう、ございます……あの、お怪我はありませんでしょうか」
「……大丈夫だ。こんなときでも自分のことを後回しにするのか」
シャルロッテはまさかここで優しくされると思ってなく、自分が褒められたことよりも手を怪我してないか心配になって尋ねるが、青年は呆れたようにため息をつき、シャルロッテの頬に手を伸ばし、彼女の頬に流れていた涙をやさしくぬぐった。
「あなたが大広間から消えたから、つい追いかけてきてしまったよ。よければ一曲、踊ってくれないか」
右手を差しだしながら言われた言葉に、シャルロッテは自分が求められたことに嬉しくなった。もう一人、自分を求めてくれた人がいたが、彼が今ここにいないことは知っている。だから、その人の代わりというわけではないが、目の前の人物に身をゆだねてしまいたく、その差し出された手を迷わず取った。
二人はホールからかすかに聞こえてくる演奏をバックに無言でダンスをはじめた。
シャルロッテは複数の言語以前に公爵令嬢としてのたしなみとして作法やダンスもきちんと学んでいる。青年のリードにあわせて踏み間違えることなく丁寧にステップを踏んでいく。
先ほどまでとは違って温かみのある時間が流れていき、自然と顔がほころんでしまうのを抑えきれなかった。
「さすがは“ネロリの妖精”だな」
ネロリとは上品な香りを放つ花で、よく“麗しい貴婦人”に喩えられるものだ。しかし、その喩えを昔、件の少年からされたことのあったシャルロッテはえっ?と聞き返したが、青年はなんでもないと笑うだけだった。
「永遠にこの時間が続けばいいのに」
「……――――」
踊っている最中にそう漏らした青年にシャルロッテも頷きたかったが、そっと心の奥だけでとどめておいた。最初はワルツ、次はメヌエット、再びワルツと続けて踊っていたものの、互いに息を上げない。二人ともこの時間が永遠に続くことを祈っていたが、終わりは突然やってきた。
建物から簡素なドレスの女性が出てきたのに気付いた青年は残念とつぶやき、そっとシャルロッテの手を放す。いきなり終わってしまった静かな時間に彼女は寂しく思う反面、少しだけほっとした。
だれかに見つかってしまえば、婚約者候補から外れるのに十分な大義になってしまう。そうならならないためにもそのほうがいい。もちろん自分が婚約者になるとは思ってはいないが、それでもまた妙な噂はされたくもない。
しばらくは静かに去っていった青年のほうを見て、さっきまで握られていた手のぬくもりを味わっていたが、先ほど建物から出てきた女性――シャルロッテの侍女にお嬢様、そろそろ帰りましょうかと促された彼女は分かったわと頷く。まだ夜会の半ばであるはずだけれど、彼女がそう言ってきたのはおそらく父親がそう判断したのだろうと察せられた。
シャルロッテがその判断を拒否することはない。
父親と合流したシャルロッテは帰りの馬車の中でも先ほどの青年のことを考えていて、ずっと彼のぬくもりが残る手のひら同士を無意識のうちに重ね合わせていた。さらに家に帰ってからも彼の言葉がずっと頭から離れず、いつか彼と出会えたらと寝る間際まで願ってしまった。
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