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第二部
悪役令嬢の恋心
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「終わったーーーー!!」
嬉しげな声が響くのに私は顔をあげました。目の前では満面の笑みを浮かべるさやかさんの姿が。できたのですかと私が聞くとうん、できたよと明るい声が返ってきます。
「ノルマ達成!! でもまだ時間あるし、もうちょっと何かやっとこう」
さやかさんがそう言うのに私はそれは良いことです。と笑みを浮かべました。放課後、今日は何時もとは違い会議室の方で私とさやかさん二人でお勉強会をしていました。四人娘は今日家庭の方で用事があってそれぞれ帰りました。ルーシュリック様はグリシーヌ先生に魔法教わりに行くぞと数十分程前に出掛けていきました。
多分帰ることぐらいになったら戻ってくるつもりだろうなのではないでしょうか。だとしたら……
「さやか樣、勉強を始める前に少し話したい事があるのですが」
「へ、何?」
話しておくチャンスはここだけですかね。
「セラフィード様の事なのですが」
「セラフィードの」
「ええ。貴方にこんなことを云うのも何なのですけど、こないだあの方と偶然出会ったのです。それでセラフィード様が幼馴染みなのだしいいだろうと言ってお話しすることになったのですけど……。その時は言いませんでしたが、後から考えてやはりいくら幼馴染みでも異性が二人きりになるのはよくないと思いますの。特に私たちは元婚約者ですし、何か妙な噂になっても困ります。
だからセラフィード様に今後はもし二人で会うようなことがあっても話し掛けてこないように言っておいてもらえないでしょうか。
私からはもう話し掛けるのも難しいですが、さやかさんなら出来ますでしょう」
ぱちくりとさやかさんの目がまばたきをしました。じっとさやかさんが私を見つめてきます。
「セラフィードと話したんだ」
「そうですが、……もしかして不快でしたか」
「いや。そんなんじゃないけど、」
声はカラッとしていて悪意じみたものは感じません。ですがその目は穴が開くのではないかと思えるほどに見つめてきます。困惑してしまいます。
「ええと、どうしたんですの……」
「ううーーん。どうもはしないんだけど、それより伝える話は分かったよ。伝えておくね」
「ええ、お願いします。あ、後それから女性に好きな人がいるかどうかなど聞くものでもないと言っておいてください」
「え」
さやかさんがまばたきをしました。二回、三回、四回、五回。長いですわね。目が見開いてそれから笑います。突然の変化が理解できずに私は首を傾げ、そこにさやかさんは聞いてきました。
「好きな人ってもしかしてトレーフルブランさんに聞いたの?」
「ええ、何でも私に告白しようとしていた人達が居たらしくて、それで気になったそうですよ。興味を持つのはいいのですが、流石に不躾な行為だときつく言っておいてください」
「うん。でもさトレーフルブランさん」
「何です」
「それ私に云うのはちょっとやめといてほしかったな」
「え?」
「まあ、気付いてないんだと思うし、どうせ分かっていたことだから良いんだけど」
さやかさんが苦しげに微笑みました。私にはそれがどうしてか分からず、えっと思ってしまいます。さやかさんの目が私を見てそれから机の上に落とされました。
「セラフィードがさ、貴方に好きな人がいるのかって聞いたのは、貴方のことまだ好きだからなんだよ」
「はい?」
何を云うのですか貴女は。呆れた声が私からでました。笑みを浮かべることも忘れて馬鹿を見るような目で見てしまった。
「私とあの人はもう終わったのですよ。それに何よりあの方は私の事が嫌いでしたから」
「別に嫌ってなんてなかったよ。トレーフルブランさんもわかってるでしょ。色々こじれていたみたいだけど、ずっとセラフィードはトレーフルブランさんのことを気にしていたでしょ。それって嫌いだからじゃなくて好きだったからだよ」
言われるのに私は押し黙りました。さやかさんの静かな目が私を見つめます。
「ですが、貴女と「ああ」
言葉は途中で遮られました。さやかさんの指先が机の上におかれていた紙を弄ります。はあとため息が彼女から落ちました。視線をはずして、それから戻して、彼女は口許に笑みを浮かべました。
「うん。付き合ってるよ。一応ね。でもなんだろうな、形だけ?? は違うかな。言葉だけかな。何かあればすぐ終わっちゃうような関係だよ。風が吹いたら飛んでいきそうなね」
これまた軽い口調で彼女は言いました。私は驚きで何も言えばいいのか分からなくなってしまいます。喉が渇いて唾を飲み込みました。震える唇が動きます。
「そんなので貴方は」
良いのですかと言えば返ってくるのはあの軽い笑み。
「まあ、仕方ないんじゃない。最初から私達、利用し合うだけの関係だったんだから。それは今も変わらないよ。」
明るい口調です。とても明るい口調で彼女は言ってきてでもと繋げました。
「あの人達の傍から私は離れたりしないよ。何があっても支えるって決めたから。
私はさ、セラフィードの事好きなんだよ。それにさ利用するような関係でセラフィードはどうしようもないほど貴方のことを愛しているけど、それはそれとして私の事を好きなのも本当なのよ。
じゃないと都合のいい相手だったとしてもセラフィードは私を恋人に何か出来なかったよ
だから私は諦めないの。
諦めないであの人の傍で支えて一番にはなれなくても妻の座は手に入れて見せるの」
私それぐらいは図々しくなっていいと思っているの。だってこの世界にたった一人で連れてこられたんだもん。それぐらいはね、生きぬくためには必要でしょ。
さやかさんの言葉に私はそうですねと返しました。実際にそう思ったからなのですが、何故かさやかさんはきょとんとまばたきをまたしました。本当にそう思うのと聞いてくるのに思いますけどと私こそ不思議に思いながら答えます。何処もかしこも狸の化かし合いが起こっているのが貴族の世界です。そんな場所で生きるなら図々しさは必要でしょう
身に付けていることを嬉しく思うぐらいなのですが。
「何かさー」
さやかさんが困ったような声を出します。
「トレーフルブランさんの事がよくわからないんだよね。私、前にさ結構失礼な事云ったと思うんだよね。まあ、それはトレーフルブランさんの反応を確かめるためだったんだけど。だってトレーフルブランさんまでセラフィードと同じような感じだったら私が負けちゃうじゃん。
だから確かめて起きたくて酷い言い方とかしたのに怒りもしないし、悲しそうな顔もしないでしょう。それどころか本当に勉強教えてくれるし……。今は好きじゃなくとも元は好きだったわけだし、もうちょっともうちょっと何かあってもいいんじゃないかなって思うんだけど」
わかんないなーーと首を傾げるさやかさんを見てああ、その事かと思いました。今度は私がさやかさんから視線をはずしました。青い空の広がる窓のそとを見ました。
「私が好きだったのは王になるセラフィード様だったのですよ」
ぼそりと落としたのにまた大きく見開いたさやかさんが私を見ます。
へっと聞こえてくるのに私は笑いました。そうですよねと思ったからです。初めてこの話を聞いたときは何だそれはと思いましたから。でも今はこれほどしっくり言葉もありません。
「私はこの国の王となるあの人の姿を思い描いては恋をしていたのですよ。その傍で生きて必要とされる私を思い描いていたのです。だからあの方のために貴方にも勉強を教えるのですよ。もうその恋は終わりましたがそれでもあの方にはいい王になってほしいですから」
さやかさんはまだ首をかしげていました。んーーと唇を尖らして唸ります
「良く分からないけど、セラフィードの事は好きじゃないってこと」
「そうですね。始まりはセラフィード様自身を好きになっていた筈なのですが、いつの間にかその辺の事をみえなくなっていたようです。
今は……大切な幼馴染みだと思っていますわ。元に戻ることはもうないでしょうね」
どうしてとさやかさんが聞いてきます。じっと見つめてきたのに、私も見つめてきました。
「間違ってしまったからですわ。私もセラフィード様も大きく道を間違ってしまいました。その問題は解決しましたし、もう二度と犯さないと私は誓いましたし、あの方も誓ったと思います。
でも、それでも婚約者に戻ることはありませんわ。戻ったとしてきっと二人とも気不味い思いをすることになると思います。間違ったことを何時までも忘れられず、まちがえないようにと今度は気張りすぎて苦しくなるんだと。
それならこれからは幼馴染みとして新しい関係を築いていきたいのです」
そうなんだとさやかさんが言いました。そしてふっつと明るく笑います。
「これはセラフィードも無理だね。諦めるしかないって感じ」
ええ、あの方には悪いですが諦めて貰いますわと私も明るい声で話しました。
「グリシーヌ先生がいるから無理だろうとは知ってたけど、でもここまでだったなんて。少し同情しちゃうかも」
「ちょ、ちょっと待ってください」
同情してあげてくださいと言いたかったのに言えませんでした。その前の言葉に吃驚して椅子から思わず立ち上がってしまいそうになりました。
「何でそこでグリシーヌ先生がでてくるんです」
「え、だって先生とトレーフルブランさんって付き合ってるんでしょ」
「はい??」
すとんきょうな声が漏れてしまいました。凍りついたでさやかさんを見つめてしまいます
「何を言うんですか。貴女は」
「え? グリシーヌ先生と付き合っているんでしょう」
「はい?」
引き攣った口を無理矢理動かして問いかけたのにさらりともう一度同じ内容が返されました。言葉としては聞こえていたが、意味としては理解できなかったものがに止めに言われたことによって理解してしまった。
うげという顔をしてさやかさんを見てしまいます。今にも吐いてしまいそうです。
「え、なにその顔。……何でそんな顔」
何でもなにも貴方が馬鹿なことを言い出すからでしょうと言いたいのに固まって口が動きません。
本当に何を言い出すのでしょうか。このお馬鹿さんは。
「もしかして違うの」
心底信じられないと言う顔で見つめてくるさやかさんを私も同じ目で見つめてしまいます。重苦しい沈黙が落ちました。
二人して見つめあったまま、動くことひとつできません。
「な、なんで……」
やっと声がでました。でも震える声でそれ以上がでていきません。
「だ、だって、トレーフルブランさんとグリシーヌ先生って何かこう特別な感じあるじゃない…」
「? はい? 何を言っていますの、貴女は……」
さやかさんの声も震えていてそれでも私よりは言葉にできていました。だけどそうして言われた言葉すら何を言われたのか一欠片も分かりませんでした。
「いや、え、なんと言うか、何かこう……。あ、そう。トレーフルブランさんってグリシーヌ先生に対してだけちょっと態度が違うじゃない。何か他の人よりずっと親しそうな感じがする……」
「……それは」
嫌いだからであって親しそうに見えるなんて目がおかしいのではなくてと言いそうになって口を閉ざしました。
「まあ、あの先生とは色々ありましたから」
濁しに濁した言葉をなんとか口にすることができました。でも表情だけは整えられなくて蛆虫を見るような目をしてしまったと思います。そんな私をさやかさんは胡散臭いものを見る目で見てきます。
「色々ってやっぱり付き合ってるんじゃ」
「違います!」
「だってグリシーヌ先生の方もトレーフルブランさんに対してだけなんか他と態度違うんだよ。こう他よりちょっと優しいと言うか特別な感じがする。
六ヶ月前のパーティーの時だってトレーフルブランさんを助けていたし、魔王の時も着いてきていたでしょ。だから、そうなんだって思ったんだけどな。ダンジョンの時の二人とかそれこそ何か怪しい雰囲気感じたし。トレーフルブランさんが落ちたときもグリシーヌ先生凄く慌てて。極めつけは別れた後で合流した時、二人の姿見たとき凄くお似合いと思ったと言うか、ちょっとときめいちゃって
何か二人の世界みたいな雰囲気あ「そんなものありません」
ええと言う顔をさやかさんがしますが、ええと言いたいのは私の方です。何を見ているのですか、彼女は。あの日のどこにときめくような要素があったと。さやかさんの目、実は腐っているんじゃないでしょうね。医者を紹介すべきなのかしら。
「いや、でもさーー」
まだ不振な目で見つめてきますが、その目で見つめているのはわたしのほうなのですからね。
「えーー、何か信じられない。絶対そうだと思っていたのに」
「あり得ませんわ」
「だって凄く仲良いじゃない」
「よくありません。普通です普通」
むしろグリシーヌ先生は私の敵です。もう復讐することは止めましたが、あの人から受けた屈辱を忘れたわけではないのです。
「えーー。でも、うーーん」
ありえないだとか何だとかいってさやかさんが唸っています。だってを何度も繰り返すのにいい加減にしてくださいませと思いました。これ以上馬鹿な話に付き合うのも嫌ですわ。まだ時間はありますが帰ってしまいましょう。机の上に出していた荷物を片付けます。
あ、そうだ。
最後のひとつをしまうとき、悩んでいた声が明るい声になって耳に届きました。
みれば良いことを思い付いたとばかりににんまりと笑うさやかさん。悪い予感がしましたわ。
「トレーフルブランさん」
「何ですか」
名前を呼ばれるのに少し警戒してしまいます。お願いがあるのと彼女は小首を傾げた可愛いポーズをして可愛い声を出しました。そう言うのは男にしなさいませと心の中で声をあげる私を前ににひりと口元が上がります。
まるで一歩一歩近付いてこられるような感覚を覚え、椅子ごと後ろに下がってしまいました。
「今からグリシーヌ先生の所に行ってきてくれないかな」
悪戯をする子供のようなキラキラとした目をさやかさんはしていました。
「はい??」
ああ、今日の会話は同じような反応ばかりをしてしまっています。でもそれも仕方ないでしょう。
何を言われたのかまた理解できない。むしろ理解すらしたくないのですが。
「えっと……、誰のところに何をしてほしいと」
「だから、グリシーヌ先生の所に」
「……はい」
「今から言ってほしいの」
「…………はい」
わざわざ一つ一つ区切った彼女は私に分からなかったを言わせないためか、言う度に私が返事をするのを待った。おかげで私も何を言われたのか勘違いすることが出来ない。
「……何のためにですか」
「実験しに」
「…………なんの実験ですか」
「恋の実験だよ」
大丈夫。とても簡単なことだからと明るく言い切られますが、先生の所に行くと言う時点で欠片も大丈夫ではありません。
「お断りします。何故私がそのような事を「まあいいじゃん。好きな人の事をちゃんと把握しておくのは乙女として大事なことだよ」
「先生など好きではありません。魔法学においてだけは尊敬はしていますがそれ以外は全然です」
「それが本当かどうか確かめに行くんだよ」
「行く必要なんて」
ポンと私の肩にさやかさんの手が置かれました。いつの間にかテーブルに身を乗り上げていた彼女がすぐ近くでにこりと笑います
「行かないと明日にでもトレーフルブランさんはグリシーヌ先生が好きなんだって噂流しちゃうからね」
はしたないとしかる暇もありませんでした。
告げられた言葉に青ざめて、私の中から行かないと言う選択肢が消えてしまいました。
トントンとノックをします。もうみたくもなかった扉。何処かに出掛けていてくれないかなと淡い期待を抱きましたが、無情にも扉は開いてしまいました。
ただそこから出てきたのはあの小汚ない姿ではなく、無駄だとわかっていても少しだけホッとしました。
「あれ? トレーフルブランじゃん! 何どうしたの。お前も魔法の特訓しに来たの。ならちょっと俺の特訓も手伝ってくれよ」
相変わらず魔法の事しか頭にないルーシュリック様が騒いでくるのに心が和らぎます。まさかこんな経験をすることがくるとは思いもよりませんでした。なあなあなあなあと声をかけてくるのに今なら良いですよと慈愛の気持ちで言えそうです。
思わずじっとルーシュリック様の目を見つめてしまいました。
これではダメでしょうか。
「ん? え、なに、トレーフルブラン」
何でだかルーシュリック様も真っ赤になったし本当にこれで…。
「何をやっているんだ。ルーシュリック。客人が来たのなら早くいれろ。立ち話をし続けるな」
「あ、はーーい」
はぁ。今一番聞きたくない声を聞いてしまいましたわ。やはりいるのですね。グリシーヌ先生。
ルーシュリック様がどうぞどうぞ。魔法の部屋にーーになんておどけながら招いてきますが入りたくないです。帰っては駄目かしら?
でもここで帰ればまたさやかさんが何を言い出すか愚かな勘違いを早くたださねば。覚悟を決めるのです。トレーフルブラン。
これが終わればもう二度と先生の部屋になど来ませんわ。そうこんな汚部屋なんかには………
え? 何とか覚悟を振り絞って一歩先生の部屋に踏み込んだ私は目にしたものが信じられずに固まってしまいました。ほんの二週間ほど前に塵一つ落ちていない理想の部屋へと片付けられたはずの先生の部屋はまたゴミ屋敷レベルの汚部屋に戻っていました。
どうやったらたった二週間でこんな部屋になるのかとつい、部屋の中をがん見してしまいます。
「おい、トレーフルブラン」
なめ回すように見ていますと先生からは低い声が。はっとして先生を見ると先生は真っ直ぐにルーシュリック様を指差していました。
「言っておくがこの部屋を汚したのは俺じゃなく彼処の馬鹿だからな。空間操作の魔法を極めたいとかいいだしてあっちこっち色々なところに空間を繋げては何かしら召喚しようとあの馬鹿がしたせいだ。それに失敗して埃や泥、砂、虫、ゴミいらん品ばかり持ってきたんだ」
「ごめんってーー。ちゃんと謝っただろう。それにこの部屋普段からそう変わらないから良いじゃん」
最初はまだ反省している感がありましたのに、最後の方はカラーンとした声で反省の色を全く感じられませんでした。次は大丈夫だからと何処からくるか分からない謎の自信で告げているルーシュリック様を見て先生に同情してしまいました。
先生の部屋が汚いのにはそう言った理由もありましたのね。だからと云ってマイナスがプラスになることはないんですけど
「そうなんですの」
平坦に近い声が出てしまいました。先生はまだ何か言いたそうにしながらも口を閉ざします。そして話題を変えるように何かようかと口にします。
「ええ。ちょっと魔法の事で先生に聞きたいことがありまして……」
笑顔が引き攣りそうになりながら用意したここに来た理由を口にします。言いながら曇ったガラスの奥にある黒い目を見つめます
髪で隠れてほとんど見えないのに、それでも良く見えているように思えてしまう不思議な目です。
そうかと言いながら先生の目も私を見ていて、ん?と訝しむように細められました。それでもじっと見てきます。私も見つめます。
黒い目は白く曇ったガラス越しにみてもハッキリとわかるほどに濃い色をしていて、こうしてじっくりと見てみると目は美しいのだなと馬鹿げた感想が浮かびます。
何を思うのかと自己嫌悪です。さきも自分で言いましたがマイナスはそう簡単にプラスにはなったりしませんのよ。
「トレーフルブラン。どうした」
聞こえてきたのに肩が震えました。何かを言わなければと思うのに声が出ません。
「んん?? どうしたんだよ、トレーフルブラン。あ!! もしかして何を聞きたかったか忘れた。分かる。俺も良くある。先生に聞こうって色々考えてたら何を聞けば良かったのか忘れるの! 仕方ないからそういうときは俺全部聞いてるぜ」
「お前は黙っていろ。ルーシュリック」
「ええーー」
ルーシュリック様のお馬鹿発言により先生の目が一瞬私から逸らされました。私はそれにホッとしてしまいます。ドクドクと音がするのに気のせい。気のせいなのだと言い聞かせました。
「で、どうしたんだ。トレーフルブラン」
もう一度真っ直ぐ見つめてくる目にひっと変な声が出てしまいました。
先生の目が小さく見開きます。
「どうしたんだ。トレーフルブラン。様子がおかしいが熱でもあるのか」
先生の腕が何故か私の方に伸ばされました。それを見つめて私はあっと声をあげました。
「わ、私ルーシュリック様の言うように何を聞けば良いのか忘れてしまいましたわ。もう一度整理してから出直してきます」
何て馬鹿なことを言っているのとわずかに残った冷静な部分が訴えてきましたが、それに答える暇はありませんでした。兎に角急いで先生の部屋をでます。
グリシーヌ先生の目から一刻も早く逃げ出したかったのです。
あ、おい。トレーフルブランと私のなを呼ぶ声が聞こえますがそれにも振り返らずに早足で逃げました。
歩きながら思い出すのはさやかさんの自慢げな声。
じっと先生の目を見てきてほしいの
相手の目をずっと見ていたら自分がどう思っているのか分かっちゃうもんなんだからね
胸を張って告げた彼女。何を馬鹿な仮に本当だとしても先生の目をみても何も起こりませんわと思っていたのに。どういたしましょう。
今滅茶苦茶ドキドキしています。
何故。まさか、本当に好きだとでも。でもそんな。ぐるぐるぐるぐる言葉が巡っていきます。あり得ないと声を大にして言いたいのに今は言えません。くらくらするなかで思い出すのはグリシーヌ先生に助けられたとかだとか、心配の声をかけられた時の事ととかで……。ああと思います。
出会いの日を思い出して私は心内であああああと絶叫しました。それは半分怒りの声です。
貴女と言う子はと怒鳴ります。
本当に貴女と言う子は。何て単純なんですか。白詰そうか!
思い出すあの日。屈辱を晴らすために先生の部屋に赴いたときに渡された包帯と薬。
怪我をしているところをあんな風に気遣って貰ったのは実はあれが初めての事で。前世はもちろんながら、今世でも私が剣をやることを良く思っている人はいないから怪我しても怒られるぐらいで手当てを真っ先にしてくれる人なんていなくて……。
だからと云ってだからと云って単純過ぎてよ。本当に!!
あんなことでときめいてるなんて!
今思い出してみるとあの日から先生を前にしたら白詰そうかの部分は奥に引っ込んで出てくることが一度もなかったのだけど、その理由が分かる。
グリシーヌ先生に欠片でもときめいてしまってでるのが恐かったのだ。本気で好きになって死にたくなくなるのが嫌で先生がいるときはすぐに奥に引っ込んだのだ。
ああ、もう!
何故私が先生をあそこまで毛嫌いしたのかも理解してしまいましたわ! 白詰そうかの部分に引きづられて好きにならないようにと防衛本能を発揮してしまったのですわ。
本当にもう。白詰そうか。貴方単純すぎてよ。いえ、結局私なのだから私が言えたことではないのですけど。
どうしろと言うのですか。これはもう!
嬉しげな声が響くのに私は顔をあげました。目の前では満面の笑みを浮かべるさやかさんの姿が。できたのですかと私が聞くとうん、できたよと明るい声が返ってきます。
「ノルマ達成!! でもまだ時間あるし、もうちょっと何かやっとこう」
さやかさんがそう言うのに私はそれは良いことです。と笑みを浮かべました。放課後、今日は何時もとは違い会議室の方で私とさやかさん二人でお勉強会をしていました。四人娘は今日家庭の方で用事があってそれぞれ帰りました。ルーシュリック様はグリシーヌ先生に魔法教わりに行くぞと数十分程前に出掛けていきました。
多分帰ることぐらいになったら戻ってくるつもりだろうなのではないでしょうか。だとしたら……
「さやか樣、勉強を始める前に少し話したい事があるのですが」
「へ、何?」
話しておくチャンスはここだけですかね。
「セラフィード様の事なのですが」
「セラフィードの」
「ええ。貴方にこんなことを云うのも何なのですけど、こないだあの方と偶然出会ったのです。それでセラフィード様が幼馴染みなのだしいいだろうと言ってお話しすることになったのですけど……。その時は言いませんでしたが、後から考えてやはりいくら幼馴染みでも異性が二人きりになるのはよくないと思いますの。特に私たちは元婚約者ですし、何か妙な噂になっても困ります。
だからセラフィード様に今後はもし二人で会うようなことがあっても話し掛けてこないように言っておいてもらえないでしょうか。
私からはもう話し掛けるのも難しいですが、さやかさんなら出来ますでしょう」
ぱちくりとさやかさんの目がまばたきをしました。じっとさやかさんが私を見つめてきます。
「セラフィードと話したんだ」
「そうですが、……もしかして不快でしたか」
「いや。そんなんじゃないけど、」
声はカラッとしていて悪意じみたものは感じません。ですがその目は穴が開くのではないかと思えるほどに見つめてきます。困惑してしまいます。
「ええと、どうしたんですの……」
「ううーーん。どうもはしないんだけど、それより伝える話は分かったよ。伝えておくね」
「ええ、お願いします。あ、後それから女性に好きな人がいるかどうかなど聞くものでもないと言っておいてください」
「え」
さやかさんがまばたきをしました。二回、三回、四回、五回。長いですわね。目が見開いてそれから笑います。突然の変化が理解できずに私は首を傾げ、そこにさやかさんは聞いてきました。
「好きな人ってもしかしてトレーフルブランさんに聞いたの?」
「ええ、何でも私に告白しようとしていた人達が居たらしくて、それで気になったそうですよ。興味を持つのはいいのですが、流石に不躾な行為だときつく言っておいてください」
「うん。でもさトレーフルブランさん」
「何です」
「それ私に云うのはちょっとやめといてほしかったな」
「え?」
「まあ、気付いてないんだと思うし、どうせ分かっていたことだから良いんだけど」
さやかさんが苦しげに微笑みました。私にはそれがどうしてか分からず、えっと思ってしまいます。さやかさんの目が私を見てそれから机の上に落とされました。
「セラフィードがさ、貴方に好きな人がいるのかって聞いたのは、貴方のことまだ好きだからなんだよ」
「はい?」
何を云うのですか貴女は。呆れた声が私からでました。笑みを浮かべることも忘れて馬鹿を見るような目で見てしまった。
「私とあの人はもう終わったのですよ。それに何よりあの方は私の事が嫌いでしたから」
「別に嫌ってなんてなかったよ。トレーフルブランさんもわかってるでしょ。色々こじれていたみたいだけど、ずっとセラフィードはトレーフルブランさんのことを気にしていたでしょ。それって嫌いだからじゃなくて好きだったからだよ」
言われるのに私は押し黙りました。さやかさんの静かな目が私を見つめます。
「ですが、貴女と「ああ」
言葉は途中で遮られました。さやかさんの指先が机の上におかれていた紙を弄ります。はあとため息が彼女から落ちました。視線をはずして、それから戻して、彼女は口許に笑みを浮かべました。
「うん。付き合ってるよ。一応ね。でもなんだろうな、形だけ?? は違うかな。言葉だけかな。何かあればすぐ終わっちゃうような関係だよ。風が吹いたら飛んでいきそうなね」
これまた軽い口調で彼女は言いました。私は驚きで何も言えばいいのか分からなくなってしまいます。喉が渇いて唾を飲み込みました。震える唇が動きます。
「そんなので貴方は」
良いのですかと言えば返ってくるのはあの軽い笑み。
「まあ、仕方ないんじゃない。最初から私達、利用し合うだけの関係だったんだから。それは今も変わらないよ。」
明るい口調です。とても明るい口調で彼女は言ってきてでもと繋げました。
「あの人達の傍から私は離れたりしないよ。何があっても支えるって決めたから。
私はさ、セラフィードの事好きなんだよ。それにさ利用するような関係でセラフィードはどうしようもないほど貴方のことを愛しているけど、それはそれとして私の事を好きなのも本当なのよ。
じゃないと都合のいい相手だったとしてもセラフィードは私を恋人に何か出来なかったよ
だから私は諦めないの。
諦めないであの人の傍で支えて一番にはなれなくても妻の座は手に入れて見せるの」
私それぐらいは図々しくなっていいと思っているの。だってこの世界にたった一人で連れてこられたんだもん。それぐらいはね、生きぬくためには必要でしょ。
さやかさんの言葉に私はそうですねと返しました。実際にそう思ったからなのですが、何故かさやかさんはきょとんとまばたきをまたしました。本当にそう思うのと聞いてくるのに思いますけどと私こそ不思議に思いながら答えます。何処もかしこも狸の化かし合いが起こっているのが貴族の世界です。そんな場所で生きるなら図々しさは必要でしょう
身に付けていることを嬉しく思うぐらいなのですが。
「何かさー」
さやかさんが困ったような声を出します。
「トレーフルブランさんの事がよくわからないんだよね。私、前にさ結構失礼な事云ったと思うんだよね。まあ、それはトレーフルブランさんの反応を確かめるためだったんだけど。だってトレーフルブランさんまでセラフィードと同じような感じだったら私が負けちゃうじゃん。
だから確かめて起きたくて酷い言い方とかしたのに怒りもしないし、悲しそうな顔もしないでしょう。それどころか本当に勉強教えてくれるし……。今は好きじゃなくとも元は好きだったわけだし、もうちょっともうちょっと何かあってもいいんじゃないかなって思うんだけど」
わかんないなーーと首を傾げるさやかさんを見てああ、その事かと思いました。今度は私がさやかさんから視線をはずしました。青い空の広がる窓のそとを見ました。
「私が好きだったのは王になるセラフィード様だったのですよ」
ぼそりと落としたのにまた大きく見開いたさやかさんが私を見ます。
へっと聞こえてくるのに私は笑いました。そうですよねと思ったからです。初めてこの話を聞いたときは何だそれはと思いましたから。でも今はこれほどしっくり言葉もありません。
「私はこの国の王となるあの人の姿を思い描いては恋をしていたのですよ。その傍で生きて必要とされる私を思い描いていたのです。だからあの方のために貴方にも勉強を教えるのですよ。もうその恋は終わりましたがそれでもあの方にはいい王になってほしいですから」
さやかさんはまだ首をかしげていました。んーーと唇を尖らして唸ります
「良く分からないけど、セラフィードの事は好きじゃないってこと」
「そうですね。始まりはセラフィード様自身を好きになっていた筈なのですが、いつの間にかその辺の事をみえなくなっていたようです。
今は……大切な幼馴染みだと思っていますわ。元に戻ることはもうないでしょうね」
どうしてとさやかさんが聞いてきます。じっと見つめてきたのに、私も見つめてきました。
「間違ってしまったからですわ。私もセラフィード様も大きく道を間違ってしまいました。その問題は解決しましたし、もう二度と犯さないと私は誓いましたし、あの方も誓ったと思います。
でも、それでも婚約者に戻ることはありませんわ。戻ったとしてきっと二人とも気不味い思いをすることになると思います。間違ったことを何時までも忘れられず、まちがえないようにと今度は気張りすぎて苦しくなるんだと。
それならこれからは幼馴染みとして新しい関係を築いていきたいのです」
そうなんだとさやかさんが言いました。そしてふっつと明るく笑います。
「これはセラフィードも無理だね。諦めるしかないって感じ」
ええ、あの方には悪いですが諦めて貰いますわと私も明るい声で話しました。
「グリシーヌ先生がいるから無理だろうとは知ってたけど、でもここまでだったなんて。少し同情しちゃうかも」
「ちょ、ちょっと待ってください」
同情してあげてくださいと言いたかったのに言えませんでした。その前の言葉に吃驚して椅子から思わず立ち上がってしまいそうになりました。
「何でそこでグリシーヌ先生がでてくるんです」
「え、だって先生とトレーフルブランさんって付き合ってるんでしょ」
「はい??」
すとんきょうな声が漏れてしまいました。凍りついたでさやかさんを見つめてしまいます
「何を言うんですか。貴女は」
「え? グリシーヌ先生と付き合っているんでしょう」
「はい?」
引き攣った口を無理矢理動かして問いかけたのにさらりともう一度同じ内容が返されました。言葉としては聞こえていたが、意味としては理解できなかったものがに止めに言われたことによって理解してしまった。
うげという顔をしてさやかさんを見てしまいます。今にも吐いてしまいそうです。
「え、なにその顔。……何でそんな顔」
何でもなにも貴方が馬鹿なことを言い出すからでしょうと言いたいのに固まって口が動きません。
本当に何を言い出すのでしょうか。このお馬鹿さんは。
「もしかして違うの」
心底信じられないと言う顔で見つめてくるさやかさんを私も同じ目で見つめてしまいます。重苦しい沈黙が落ちました。
二人して見つめあったまま、動くことひとつできません。
「な、なんで……」
やっと声がでました。でも震える声でそれ以上がでていきません。
「だ、だって、トレーフルブランさんとグリシーヌ先生って何かこう特別な感じあるじゃない…」
「? はい? 何を言っていますの、貴女は……」
さやかさんの声も震えていてそれでも私よりは言葉にできていました。だけどそうして言われた言葉すら何を言われたのか一欠片も分かりませんでした。
「いや、え、なんと言うか、何かこう……。あ、そう。トレーフルブランさんってグリシーヌ先生に対してだけちょっと態度が違うじゃない。何か他の人よりずっと親しそうな感じがする……」
「……それは」
嫌いだからであって親しそうに見えるなんて目がおかしいのではなくてと言いそうになって口を閉ざしました。
「まあ、あの先生とは色々ありましたから」
濁しに濁した言葉をなんとか口にすることができました。でも表情だけは整えられなくて蛆虫を見るような目をしてしまったと思います。そんな私をさやかさんは胡散臭いものを見る目で見てきます。
「色々ってやっぱり付き合ってるんじゃ」
「違います!」
「だってグリシーヌ先生の方もトレーフルブランさんに対してだけなんか他と態度違うんだよ。こう他よりちょっと優しいと言うか特別な感じがする。
六ヶ月前のパーティーの時だってトレーフルブランさんを助けていたし、魔王の時も着いてきていたでしょ。だから、そうなんだって思ったんだけどな。ダンジョンの時の二人とかそれこそ何か怪しい雰囲気感じたし。トレーフルブランさんが落ちたときもグリシーヌ先生凄く慌てて。極めつけは別れた後で合流した時、二人の姿見たとき凄くお似合いと思ったと言うか、ちょっとときめいちゃって
何か二人の世界みたいな雰囲気あ「そんなものありません」
ええと言う顔をさやかさんがしますが、ええと言いたいのは私の方です。何を見ているのですか、彼女は。あの日のどこにときめくような要素があったと。さやかさんの目、実は腐っているんじゃないでしょうね。医者を紹介すべきなのかしら。
「いや、でもさーー」
まだ不振な目で見つめてきますが、その目で見つめているのはわたしのほうなのですからね。
「えーー、何か信じられない。絶対そうだと思っていたのに」
「あり得ませんわ」
「だって凄く仲良いじゃない」
「よくありません。普通です普通」
むしろグリシーヌ先生は私の敵です。もう復讐することは止めましたが、あの人から受けた屈辱を忘れたわけではないのです。
「えーー。でも、うーーん」
ありえないだとか何だとかいってさやかさんが唸っています。だってを何度も繰り返すのにいい加減にしてくださいませと思いました。これ以上馬鹿な話に付き合うのも嫌ですわ。まだ時間はありますが帰ってしまいましょう。机の上に出していた荷物を片付けます。
あ、そうだ。
最後のひとつをしまうとき、悩んでいた声が明るい声になって耳に届きました。
みれば良いことを思い付いたとばかりににんまりと笑うさやかさん。悪い予感がしましたわ。
「トレーフルブランさん」
「何ですか」
名前を呼ばれるのに少し警戒してしまいます。お願いがあるのと彼女は小首を傾げた可愛いポーズをして可愛い声を出しました。そう言うのは男にしなさいませと心の中で声をあげる私を前ににひりと口元が上がります。
まるで一歩一歩近付いてこられるような感覚を覚え、椅子ごと後ろに下がってしまいました。
「今からグリシーヌ先生の所に行ってきてくれないかな」
悪戯をする子供のようなキラキラとした目をさやかさんはしていました。
「はい??」
ああ、今日の会話は同じような反応ばかりをしてしまっています。でもそれも仕方ないでしょう。
何を言われたのかまた理解できない。むしろ理解すらしたくないのですが。
「えっと……、誰のところに何をしてほしいと」
「だから、グリシーヌ先生の所に」
「……はい」
「今から言ってほしいの」
「…………はい」
わざわざ一つ一つ区切った彼女は私に分からなかったを言わせないためか、言う度に私が返事をするのを待った。おかげで私も何を言われたのか勘違いすることが出来ない。
「……何のためにですか」
「実験しに」
「…………なんの実験ですか」
「恋の実験だよ」
大丈夫。とても簡単なことだからと明るく言い切られますが、先生の所に行くと言う時点で欠片も大丈夫ではありません。
「お断りします。何故私がそのような事を「まあいいじゃん。好きな人の事をちゃんと把握しておくのは乙女として大事なことだよ」
「先生など好きではありません。魔法学においてだけは尊敬はしていますがそれ以外は全然です」
「それが本当かどうか確かめに行くんだよ」
「行く必要なんて」
ポンと私の肩にさやかさんの手が置かれました。いつの間にかテーブルに身を乗り上げていた彼女がすぐ近くでにこりと笑います
「行かないと明日にでもトレーフルブランさんはグリシーヌ先生が好きなんだって噂流しちゃうからね」
はしたないとしかる暇もありませんでした。
告げられた言葉に青ざめて、私の中から行かないと言う選択肢が消えてしまいました。
トントンとノックをします。もうみたくもなかった扉。何処かに出掛けていてくれないかなと淡い期待を抱きましたが、無情にも扉は開いてしまいました。
ただそこから出てきたのはあの小汚ない姿ではなく、無駄だとわかっていても少しだけホッとしました。
「あれ? トレーフルブランじゃん! 何どうしたの。お前も魔法の特訓しに来たの。ならちょっと俺の特訓も手伝ってくれよ」
相変わらず魔法の事しか頭にないルーシュリック様が騒いでくるのに心が和らぎます。まさかこんな経験をすることがくるとは思いもよりませんでした。なあなあなあなあと声をかけてくるのに今なら良いですよと慈愛の気持ちで言えそうです。
思わずじっとルーシュリック様の目を見つめてしまいました。
これではダメでしょうか。
「ん? え、なに、トレーフルブラン」
何でだかルーシュリック様も真っ赤になったし本当にこれで…。
「何をやっているんだ。ルーシュリック。客人が来たのなら早くいれろ。立ち話をし続けるな」
「あ、はーーい」
はぁ。今一番聞きたくない声を聞いてしまいましたわ。やはりいるのですね。グリシーヌ先生。
ルーシュリック様がどうぞどうぞ。魔法の部屋にーーになんておどけながら招いてきますが入りたくないです。帰っては駄目かしら?
でもここで帰ればまたさやかさんが何を言い出すか愚かな勘違いを早くたださねば。覚悟を決めるのです。トレーフルブラン。
これが終わればもう二度と先生の部屋になど来ませんわ。そうこんな汚部屋なんかには………
え? 何とか覚悟を振り絞って一歩先生の部屋に踏み込んだ私は目にしたものが信じられずに固まってしまいました。ほんの二週間ほど前に塵一つ落ちていない理想の部屋へと片付けられたはずの先生の部屋はまたゴミ屋敷レベルの汚部屋に戻っていました。
どうやったらたった二週間でこんな部屋になるのかとつい、部屋の中をがん見してしまいます。
「おい、トレーフルブラン」
なめ回すように見ていますと先生からは低い声が。はっとして先生を見ると先生は真っ直ぐにルーシュリック様を指差していました。
「言っておくがこの部屋を汚したのは俺じゃなく彼処の馬鹿だからな。空間操作の魔法を極めたいとかいいだしてあっちこっち色々なところに空間を繋げては何かしら召喚しようとあの馬鹿がしたせいだ。それに失敗して埃や泥、砂、虫、ゴミいらん品ばかり持ってきたんだ」
「ごめんってーー。ちゃんと謝っただろう。それにこの部屋普段からそう変わらないから良いじゃん」
最初はまだ反省している感がありましたのに、最後の方はカラーンとした声で反省の色を全く感じられませんでした。次は大丈夫だからと何処からくるか分からない謎の自信で告げているルーシュリック様を見て先生に同情してしまいました。
先生の部屋が汚いのにはそう言った理由もありましたのね。だからと云ってマイナスがプラスになることはないんですけど
「そうなんですの」
平坦に近い声が出てしまいました。先生はまだ何か言いたそうにしながらも口を閉ざします。そして話題を変えるように何かようかと口にします。
「ええ。ちょっと魔法の事で先生に聞きたいことがありまして……」
笑顔が引き攣りそうになりながら用意したここに来た理由を口にします。言いながら曇ったガラスの奥にある黒い目を見つめます
髪で隠れてほとんど見えないのに、それでも良く見えているように思えてしまう不思議な目です。
そうかと言いながら先生の目も私を見ていて、ん?と訝しむように細められました。それでもじっと見てきます。私も見つめます。
黒い目は白く曇ったガラス越しにみてもハッキリとわかるほどに濃い色をしていて、こうしてじっくりと見てみると目は美しいのだなと馬鹿げた感想が浮かびます。
何を思うのかと自己嫌悪です。さきも自分で言いましたがマイナスはそう簡単にプラスにはなったりしませんのよ。
「トレーフルブラン。どうした」
聞こえてきたのに肩が震えました。何かを言わなければと思うのに声が出ません。
「んん?? どうしたんだよ、トレーフルブラン。あ!! もしかして何を聞きたかったか忘れた。分かる。俺も良くある。先生に聞こうって色々考えてたら何を聞けば良かったのか忘れるの! 仕方ないからそういうときは俺全部聞いてるぜ」
「お前は黙っていろ。ルーシュリック」
「ええーー」
ルーシュリック様のお馬鹿発言により先生の目が一瞬私から逸らされました。私はそれにホッとしてしまいます。ドクドクと音がするのに気のせい。気のせいなのだと言い聞かせました。
「で、どうしたんだ。トレーフルブラン」
もう一度真っ直ぐ見つめてくる目にひっと変な声が出てしまいました。
先生の目が小さく見開きます。
「どうしたんだ。トレーフルブラン。様子がおかしいが熱でもあるのか」
先生の腕が何故か私の方に伸ばされました。それを見つめて私はあっと声をあげました。
「わ、私ルーシュリック様の言うように何を聞けば良いのか忘れてしまいましたわ。もう一度整理してから出直してきます」
何て馬鹿なことを言っているのとわずかに残った冷静な部分が訴えてきましたが、それに答える暇はありませんでした。兎に角急いで先生の部屋をでます。
グリシーヌ先生の目から一刻も早く逃げ出したかったのです。
あ、おい。トレーフルブランと私のなを呼ぶ声が聞こえますがそれにも振り返らずに早足で逃げました。
歩きながら思い出すのはさやかさんの自慢げな声。
じっと先生の目を見てきてほしいの
相手の目をずっと見ていたら自分がどう思っているのか分かっちゃうもんなんだからね
胸を張って告げた彼女。何を馬鹿な仮に本当だとしても先生の目をみても何も起こりませんわと思っていたのに。どういたしましょう。
今滅茶苦茶ドキドキしています。
何故。まさか、本当に好きだとでも。でもそんな。ぐるぐるぐるぐる言葉が巡っていきます。あり得ないと声を大にして言いたいのに今は言えません。くらくらするなかで思い出すのはグリシーヌ先生に助けられたとかだとか、心配の声をかけられた時の事ととかで……。ああと思います。
出会いの日を思い出して私は心内であああああと絶叫しました。それは半分怒りの声です。
貴女と言う子はと怒鳴ります。
本当に貴女と言う子は。何て単純なんですか。白詰そうか!
思い出すあの日。屈辱を晴らすために先生の部屋に赴いたときに渡された包帯と薬。
怪我をしているところをあんな風に気遣って貰ったのは実はあれが初めての事で。前世はもちろんながら、今世でも私が剣をやることを良く思っている人はいないから怪我しても怒られるぐらいで手当てを真っ先にしてくれる人なんていなくて……。
だからと云ってだからと云って単純過ぎてよ。本当に!!
あんなことでときめいてるなんて!
今思い出してみるとあの日から先生を前にしたら白詰そうかの部分は奥に引っ込んで出てくることが一度もなかったのだけど、その理由が分かる。
グリシーヌ先生に欠片でもときめいてしまってでるのが恐かったのだ。本気で好きになって死にたくなくなるのが嫌で先生がいるときはすぐに奥に引っ込んだのだ。
ああ、もう!
何故私が先生をあそこまで毛嫌いしたのかも理解してしまいましたわ! 白詰そうかの部分に引きづられて好きにならないようにと防衛本能を発揮してしまったのですわ。
本当にもう。白詰そうか。貴方単純すぎてよ。いえ、結局私なのだから私が言えたことではないのですけど。
どうしろと言うのですか。これはもう!
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