死にたがりの悪役令嬢

わたちょ

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悪役令嬢の痛み

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甲高い声が暗闇の中を切り裂いていく。耳に届くそれが私のものだとさえ理解できない。ただただ溢れる感情のままに動いた。
「な、なんだ急に、おいこら黙れ!」
 男が殴りかかろうとしてくるのに別の映像が重なる。喉が痛い。頬に衝撃が走るのに何をされたのかもわからない。
「この糞が」
 男の手が剣を持つ。振り下ろされようとするのに再び映像が流れる。目の前が真っ赤になって真っ黒になって真っ赤になる。目が疼いた。切られたのは右肩なのに左の肩が熱を持つ。
「あ、あああ、あああああああああああ」
「黙れ」
 響いたのは何の音だろう
「ぶ、大丈夫だ!落ち着け! トレーフルブラン」
 気付くと私は誰かの腕の中にいました。誰かの腕に包まれて名前を呼ばれます。荒い息を吐いていることに少しずつ気づいていきました。
「……落ち着いたかトレーフルブラン」
 低い声が耳元をくすぐります。覗き込んでいらしたのはグリシーヌ先生でした。
「大丈夫です」
 私の声は震えていました。
「そうか。……良かった」
 安堵の吐息が先生から漏れて私は自分がどう云った状況だったのか思い出しました。また失態を起こしてしまったのです。取り戻そうと先生の肩を押し腕の中から抜け出そうとします。だけど強くなった力に抑え込まれてしまいました。
「もう少しこうしていろ。大丈夫。誰にも見られてはいないし、誰かに話したりもしない。安心して休め」
 そんな言葉など信じられない。そう云わなければならないのに言えませんでした。体から力が抜けてしまい寄りかかってしまいます。先生はとても暖かくて緊張で冷たくなっていた私には心地の良いぬくもりでした。
「あの人たちはどこに行きましたの」
 あれから数十分後。私と先生は場所を移動してまたあの小汚い部屋に来ていました。二度と来ないと決めていましたのにと悔しさも沸きますが今日ばかりは仕方ないでしょう。先生による手当を受けながら気まずい空気を何とかするために質問をひねり出します。とは言っても後で聞かなくてはいけないと思っていたことです。
「さあな、何処かに逃げたんじゃないか」
「そうですか。あの人たち誰かを探して殺すつもりだったようなのですが、もしかして先生ですか」
「……俺には殺される理由なんてないだろう」
「そうですけど先生しかこの時間学園にはいませんわ」
「……確かにな。だけど調べてみたら三か所鍵が開いている場所があった。侵入者はもう一人いたということじゃないのか」
「そうなんですか。それならばよいのですが……」
 狙っていたのが侵入者であるならまた来ることはないでしょう。でももし違いましたら……。言え、あまり悪い方向にばかり考えるのもよくありませんわよね。先生には別に狙われるような理由はなさそうですし、ここは信じることにしましょう。
 また沈黙が落ちてしまいます。
 私の傷の手当てをしている先生はそちらのほうに意識が向いているようで今はまだ話し出すつもりはないようですが一人待つ時間と云うのはムズムズしますわ。一通りの良い訳は考えていますが通じるかどうか……。
 終わったという先生の声につい肩が跳ねてしまいます。男たちと戦った時とはまた別の緊張で体が強張ってしまっているのが分かり、自分が情けないです。覚悟を決めて待つというのに先生は薬箱を片付けた後すらも何も言ってきません。じっと立ちすくんでいたかと思えば口を開いて言ったのは今日は遅いし家まで送ろうの一言。おもわずはいと声が出てしまいました。あまりにも拍子抜けで抑えることができませんでした。
「どうした」
「どうしたと言われましても……」
 なかなか次の言葉は声に出せない。しばらく考えていえ、何でもないですわと言おうとしました。だけども先生が先に口を開いてしまいます。
「ああ、安心しろ。何故こんな夜遅くまでいたのかとは問うつもりがない。大体わかるからな。どうせセラフィードの一件だろう」
 あの形で開いたくちが一瞬閉じられなくなってしまいました。何とか閉じて笑みの形は作ります。矢張りこの先生は嫌いですわ。助けてもらい怪我の手当までしてもらって今までの屈辱も少しは許してもいいかなと思っていたんですが、撤回します。一つたりとも許してやるものですか。
 色々言い訳を考えていたというのに無にしやがりまして。いえ、無にしたのは私なんですけど……。大人しく帰ればよかったのに帰らなかったから。いますぐ帰ってやります。
「あれもそろそろ目に余る愚かさだ。お前も今回の件で愛想をつかしたんじゃないか」
 ……立ち上がろうとしていたのに体の力が抜けてしまいました。突然の言葉に顔から表情をなくしてしまうのが分かります。分かって一つ深呼吸をした。目を閉じて開けた時には最高級の笑みを浮かべます。
「何を言っているんですの。グリシーヌ先生。王子に対してその言葉は不敬罪になりましてよ」
 柔らかに笑い穏やかな声で言いながらも棘を散らすことを忘れない。だけど先生は静かな目で私を見つめてきた。
「ここには俺とお前しかいない」
「だから大丈夫だと? ふざけないでくださいませ。私はあのお方の婚約者なのですよ。セラフィード様を侮蔑することをこの私が許すと思って」
「いいや。だが不釣り合いだろう。あの王子にお前は贅沢すぎる。家畜にダイヤをやるようなものだ。お前も見限ってもいいころだと思うのだが」
「妙なことを言わないでくださいませ。あのお方は立派な方です」
「どこがだ。目先の事に捕われて周りの事が何一つ見えていない馬鹿ではないか。あれは王の器じゃない」
「そんなことはありませんわ。セラフィード様は立派な王になります」
「今朝みたいなことをしたのにか」
 うっと言葉が詰まってしまいました。それに対しては弁明する言葉もありません。ですが平民である先生にセラフィード様を馬鹿にされるわけにはいきません。
「あのお方は成績もとても優秀ですわ。いつも学園トップで論文も素晴らしいもの。馬鹿にされるようなところなど何一つありません」
「お前がわざとじぶんの成績を下げているからだろう。論文だってほとんどはお前が書いている。まあ、それでも確かに勉強はできるな。だがそれだけだ。他の事は何一つわかっていない。見ようともしていない。お前が幾らフォローしたところであれは愚かな王にしかなれない。だからもう止めたらどうだ。お前が支える価値なんてあの王子にはない」
「そんなこと」
「あるだろう」
 ぎゅっと噛み締めた歯が軋んだ音を立てた。笑みを張り続けているが後一歩でも何か刺激があれば崩れてしまいそうだった。そしてその刺激はあっさりと訪れる。
「あの馬鹿な王子のためにお前が身を削る必要が何処にある。もう止めてしまえ。完璧な令嬢になどもうならなくてもいいだろう」
 目の前が真っ赤になって何も考えられなくなりました。湧き上がるのは強い怒りです。
「馬鹿なことを言わないでくださいませ。何も知らないくせに」
 怒りのままに言葉にしました。笑顔を作ることさえも忘れてしまい先生を睨み付けてしまいます。それでも先生はただ静かに私を見ていました。先生がため息を零す。
「分かるさ」
 いつもより数倍強い口調でした。真っ直ぐに見つめてくる目は眼鏡越しでも思わずそらしてしまいそうになるほど強くて……
「お前は平民でだと思っているのかもしれないがそれでも俺はここの教師だ。貴族たちを見てきている。その世界が煌びやかに見えて本当はどれだけ重々しく他人を陥れ合うどろどろとした場所かという事も知っている。そして平民だからこそ気付くことだってある。国が傾けばすぐに物価やら何やらがあがるからな。分かっているさ」
 先生の言葉に息を飲み込みます。否定することすらできません。
「この国は今。周辺諸国との摩擦や王家と貴族との間で対立。貴族ばかりが優遇される制度に不満を持った民。何時争いが起きても不思議ではない状態にまでなっている。だからお前は必要以上に完璧な令嬢であろうとするのだろう。
 いつ誰が裏切るか分からないから誰の前でも弱みを見せず誰に対しても如何なるときでも笑って見せる。あの馬鹿な男を支えるために。
 この状況で王子が愚かだと知れたらそれこそ国が大きく揺れることになるからな。王子を厳しく律して裏で色々とサポートしては周囲にこれ以上ないほど素晴らしい王子だと思わせてこの国とあの男を守っている。
 でもそれもあの馬鹿王子のせいで殆ど無意味になっただろう。これ以上あの馬鹿王に尽くす意味が何処にある。これ以上無茶をしてみろ。お前が」
「それでも」
 声を張り上げた。何も言い返せない。何一つ言い返せやしない。だって全部本当の事ですから。それでも言えることがある。言わなくてもいけない台詞がある。
「私はトレーフルブラン・アイレット。このマモニール王国が次期国王セレフィード・マモニールの婚約者にして次期王妃です。王妃となる者としてセラフィード様を支え、そしてこの国を守っていかねばならないのです。
 この国の民を誰が見捨てられるというのですか」
 言い切れば先生の目が見開いてそれから少し悲しげに笑った。
「そうか。やはりお前は王の妻ではなく王妃なのだろう」
 は? 何を言っているのです? そんなものに何の違いがあると……。そう云おうとしたけれども、その前に先生が悪かったと言ってしまいました。帰ろうと言われて私は頷いてしまいます。疑問は残るもののそれを問うことはできなかった。悪かったの一言で消えてしまったのです。その一言で今までの事すべてを思い出して何を馬鹿なことをしてしまったのだろうと自分の愚かさを嫌になったのです。
 もうすでに終わっているようなものだというのに……。それでも私は……
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