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第三章 煉獄の龍
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ティアたちは二十五階層にたどり着いた。
ここまでに遭遇した魔獣は、いずれもA級だった。S級魔獣に出会わなかったことにより、ティアは蒼炎の神刃だけで魔獣を倒すことが出来た。
「この威圧、今までと違う」
「いるな」
「間違いないわね、木龍よ」
二十五階層に足を踏み入れた瞬間、かつて受けたこともないほど強大な威圧がティアたちの肌をビリビリと震撼させた。
「今のうちに、スノープリンセスをかけるわ」
「はい」
真剣な光を浮かべた黒曜石の瞳を真っ直ぐに見つめると、ティアが大きく頷いた。
「黄泉を支配する氷雪の女王よ! 汝に命ずる! 我が名は<氷麗姫>! 黄泉の門を開き、我に力を貸せ! スノープリンセスシールド!」
ティアの周囲の大気がキラキラと煌めき始めた。その煌めきが無数に広がり、濃密な光を反射した。凄まじい勢いで氷と光の乱舞が沸き起こった。その氷結晶が複雑に重なり合い、融合し結束していった。
「すごい……」
ヘテロクロミアの瞳を驚愕に大きく見開きながら、ティアが呆然と呟いた。
自分の周囲を、厚さ二メッツェを超える氷の結晶が覆い尽くしていたのだ。
「ティアの動きに合わせて、移動するようにしてあるわ。あたしたちは少し安全な場所に移動するから、気をつけて。<イルシオン>を構える時は、見やすいように頭上でお願いね」
「分かった。行ってくる!」
そう告げると、ティアは濃密な魔気を感じる方向へと走り出した。木龍がその中心にいることは疑いもなかった。
(凄まじい威圧だわ。今まで戦ってきた魔獣たちが可愛く思える。S級魔獣のサラマンダーでさえ、これと比べたら赤児と変わらないわね)
だが、ティアは怖れを抱いてはいなかった。勝てると確信したわけではない。
ただ、知っていたのだ。
この木龍さえ遥かに超越するほどの存在を……。
その超越者と、ティアは対峙した経験があった。
ユピテル皇国元帥にして、ムズンガルド大陸最強の剣士クラスSS。
勇者イシュタールの直系にして、その再来とも呼ばれる存在。
スカーレット=フォン=ロイエンタール。
彼女が放つ覇気と比べれば、木龍でさえ可愛く感じたのだった。
「いた!」
ティアの前方二百メッツェ先に、巨大な龍が翼をたたんで佇んでいた。
それだけの距離があるにもかかわらず、木龍の大きさは異常だった。ダグラスが言っていた全高三十メッツェどころではなく、優に四十メッツェは超えていた。両翼を広げたら、五十メッツェ以上は間違いなくありそうだった。
全身を濃茶色の鱗に覆われており、鱗一枚の大きさも一メッツェ四方はあった。今回の依頼は、この鱗を三枚持ち帰ることだ。
龍独特の縦長の頭部には、太い鬣のような角が何本も伸びていた。極端に釣り上がった眼にある金色の虹彩が、接近してくるティアに気づきギロリと睨みつけてきた。
風神と見紛うほどの風圧を立てながら、木龍が巨大な翼を広げて羽ばたいた。木龍が一瞬で二十メッツェ以上も上昇した。
「来るッ!」
鋭利な牙に覆われた口を大きく開くと、凄絶な衝撃波が螺旋を描きながら凄まじい速度でティアに迫ってきた。
ティアは<イルシオン>を抜刀し、左から右に薙ごうとしてその動きを止めた。
スノープリンセスの中では全ての攻撃が無効化されるといったアルフィの言葉を思い出したのだ。
衝撃波が轟音とともにティアの目前に激突し、飛散した。古代禁呪魔法スノープリンセスが木龍の衝撃波を防いだのだ。
「すごい!」
林さえも消滅させると言われる木龍の衝撃波を受けて、スノープリンセスには傷一つついていなかった。聞いていたこととはいえ、目の前でその衝撃波を受けたティアは驚きに目を見張った。
「グッガァアアア……!」
大気を震撼させ、大地を鳴動させるほどの咆吼が木龍から発せられた。実際に近くの木々が烈風に煽られたように激しく揺らいでいた。
再び木龍が大きく口を開いた。
衝撃波の連撃がティアに向かって放たれた。壮絶な奔流が螺旋状に回転しながら、急迫してきた。それも、少しの時間差で三発続いていた。
(連撃出来るとはやっかいね!)
アルフィのスノープリンセスを信じ、ティアは防御を捨てて木龍に向かって走り続けた。木龍との距離は、あと五十メッツェくらいに迫った。
衝撃波の凄まじい激突音が連続して三度響き渡った。だが、スノープリンセスにはまったく変化はなかった。本当に天龍のブレスさえも防ぐことが出来そうだった。
走りながら、ティアは丹田に力を込めて覇気を練り上げた。テアの全身から蒼炎が立ち上り始めた。
(二十メッツェを切ったら、攻撃する!)
木龍との距離は残り三十メッツェほどだった。ティアは白い覇気の有効範囲を正確に把握していない。だが、先ほどのヴァンパイアの群れを爆散させた時には、五十メッツェ以上離れていた。ヴァンパイアよりも数段格上の木龍を一撃で倒すには、その半分以下の距離で白い覇気の威力を落とさないことが必要だとティアは考えた。
木龍がティア目がけて急降下してきた。ブレスではティアを倒せないことに気づき、肉弾戦に切り替えたのだ。
木龍の牙は巨木をも噛み砕き、その爪はアダマンタイトの防具でさえ斬り裂く。そして最も恐ろしいのが、尾の力だった。長さ十メッツェ、太さ二メッツェを超える龍の尾は、その全てが筋肉で出来ている。サイクロプスの数倍の威力を秘めた木龍の尾は、かすっただけでも人の体など両断してしまうことは容易に想像できた。
(避けきれないっ!)
四十メッツェを超える巨体が肉迫してきた。少しくらい左右に飛んだくらいで避けきれるものではなかった。ティアは避けることを諦め、スノープリンセスの耐久力に賭けた。
ズッドォオーン!
木龍の巨体がスノープリンセスに激突した。
その衝撃で、スノープリンセスごとティアは後方に吹き飛ばされた。風に舞う木の葉のように、数十メッツェを地面に叩きつけられながら転がった。
(怪我は……ない?)
痛みさえどこにもなかった。吹き飛ばされはしたものの、スノープリンセスは中にいるティアを完全に護ってくれていた。
(さすが、アルフィだわ……!)
起き上がり、スノープリンセスの激突面を見て愕然とした。木龍のブレスにさえ耐えたスノープリンセスに大きなヒビが入っていたのだ。
(物理攻撃は完全に防げないの?)
ブレスのような魔法攻撃には完全な耐久性を持つスノープリンセスだが、どうやら物理攻撃では違うようだった。
ティアは<イルシオン>を頭上に構えた。
当初の予定とは異なるが、スノープリンセスに亀裂が走ったとなれば一刻も早く木龍を倒さなくてはならなかった。たぶん、この状態では木龍のブレスを防ぐことは出来そうになかった。
だが、木龍はティアに覇気を纏わせる時間など与えてくれなかった。
地面すれすれに飛翔しティアに肉迫すると、木龍は反転して強力無比なその尾を叩きつけてきた。サイクロプスの拳の数十倍の威力を秘めた巨大な尾が、凄まじい速度でティアの右から迫ってきた。
避けている暇などなかった。
ティアは慌てて<イルシオン>を振り抜いた。だが、十分な覇気を纏ってもいない状態では、白い覇気はおろか蒼炎の覇気さえも<イルシオン>から発しなかった。単に空気を斬り裂いただけであった。
(やられるッ……)
木龍の尾が目前に迫っていた。ティアはヘテロクロミアの瞳を閉じて、襲いかかる衝撃を覚悟した。
ガッシィイイーン!
壮絶な激突音が響き渡った。
だが、衝撃はまったくなかった。
ティアが目を開くと、ダグラスの背中が見えた。全身に覇気を纏わせ、ダグラスが盾で木龍の尾を防いでいた。
「ティア、今のうちに覇気を纏え! それまで攻撃は全部俺が受ける!」
「は、はい!」
ダグラスの言葉に、ティアは我に返った。丹田に力を込め、精神集中を始める。
木龍が巨大な口を開き、牙を剥き出しにしてダグラスに挑みかかった。その凄絶な破壊力を込めた攻撃さえ、ダグラスは覇気を纏わせた盾で防いだ。盾士クラスAの本領が発揮されていた。
テアの全身から蒼炎の覇気が舞い上がった。
だが、その瞬間に、木龍が巨大な口を開くと、至近距離からティアに向けて衝撃波を放ってきた。
「……!」
亀裂が入ったスノープリンセスが、その衝撃波に耐えられるとは思えなかった。ティアは再び、中途半端な状態で<イルシオン>を振りおとそうとした。
「そのまま覇気を練っていろっ!」
そう叫ぶと、ダグラスがティアの目の前に飛び込んできた。そして、覇気を纏わせた盾をかざし、衝撃波を受け止めた。
「ぐっ……うぉおおおお!」
ダグラスは盾をティアと木龍の直線上に構え、右手で持っていた。
「ダグラスッ!」
ティアの口から悲鳴が迸った。ダグラスの左腕が、肩から消滅したのだ。だが、ダグラスは自分の腕には一切構わずに、ひたすらティアを護り続けた。
「気にするな! そのまま、覇気を纏えッ!」
ダグラスの言葉に、ティアは精神集中を続けた。蒼炎の覇気が濃密さを増し、炎のように激しく噴き上がった。その色が急激に薄くなり、真っ白な火炎と化した。そして、純白の火炎が<イルシオン>の刀身を包み込み、閃光を放った。
「アルフィ、お願いッ!」
凄まじい閃光を発する<イルシオン>を上段に構えながら、ティアが叫んだ。その叫びがアルフィに届いた瞬間、スノープリンセスが消滅した。
「ハァアアッ!」
ヘテロクロミアの瞳に強い意志を込めると、ティアは気合いとともに<イルシオン>を一閃した。
白い光が螺旋状に回転しながら凄絶な奔流となって木龍に突き刺さった。
「ギ……ェエ……」
断末魔の叫びさえも上げられず、木龍の体が爆散した。
ティアががっくりと膝をついた。覇気を使いすぎたのだ。八割で留めるつもりが、九割以上の覇気を使い切っていた。
「大丈夫か、ティア……」
左肩を押さえながら、ダグラスがティアに歩み寄ってきた。その左肩からは腕が消失していた。
「ダグラス……!」
ティアは立ち上がると、ダグラスの胸に飛び込んだ。
「ごめんなさい! 私のせいで……」
ヘテロクロミアの瞳から大粒の涙が溢れ、頬を伝って流れ落ちた。
「気にするな。それより、大丈夫か?」
「私は平気……でも、腕が……」
命を賭けて自分を護ってくれたダグラスは左腕を失っていた。ティアはダグラスの背中に手を廻すと、全身で縋り付くようにその胸の中で泣きだした。
ダグラスが優しくティアの淡紫色の髪を撫でながら言った。
「お前のせいじゃない。俺が未熟だっただけだ。気にするな」
「でも……でも……ダグラス……腕がぁ……」
泣き叫ぶティアの背中を優しく抱くと、ダグラスは子供をあやすように背中をさすった。
「ダグラス……私、どうしたらいい? その腕……私、どうすればいい?」
ティアの質問に答えたのは、後ろから歩いてきたアルフィだった。
「どうもしなくていいわよ。ティア、そろそろダグラスから離れてね。はい、ダグラス」
そう告げると、アルフィはダグラスに美しい意匠が施された小瓶を渡した。中に透明な青い液体が入っていた。
「ありがとう、アルフィ」
ダグラスはティアの体を引き離すと、片手で小瓶の栓を開けて一気に飲み干した。
次の瞬間、ダグラスの左肩が光に包まれた。そして、光が収束すると、怪我一つない左腕が元通りあった。
「うん、大丈夫みたいだ」
左手を閉じたり開いたりして動きを確かめると、ダグラスが笑顔を浮かべながら告げた。
「え……何で……」
呆然としてその様子を見ていたティアが、呟くような小声でダグラスに訊ねた。
「ん? 上級回復ポーションを飲んだんだ。元に戻るのは当たり前だろう?」
「ティア、もしかして回復ポーションって疲れを取るだけだと思ってたの?」
ダグラスとアルフィが笑いながらティアに告げた。アルフィの言うとおり、ティアは疲労を回復するものだと思い込んでいた。
「上級回復ポーションは、即死以外のほとんどの怪我を瞬時に治すのよ。今みたいな欠損部位でさえ復元できるの。さすがに、頭とか心臓みたいな致命的な部位の復元は無理らしいけどね」
「そ、そうなの……?」
「だから一本で白金貨三枚もするんだ。知らなかったのか?」
「し、知らなかった……」
ティアは自分の行動を思い出して赤面した。自分を護るために左腕を失ったダグラスに、縋り付いて泣き叫んだ。そして、自分の一生をかけて償おうと心に決めたのだった。
それらが、まったく不要な行動だと知らされ、恥ずかしくて逃げ出したい気持ちだった。
「まあ、冒険者になったばかりなら仕方ないか。それより、白い覇気も完璧に扱えるようになったみたいだな。おめでとう」
ティアの心の葛藤に気づかないように、ダグラスが爽やかな笑顔で告げてきた。
「あ、ありがとう」
「でも、覇気が凄すぎて、木龍も見事にバラバラだな。手分けしていいのを探そう」
「探すって?」
「何言ってるんだ? 木龍の鱗を三枚っていうのが元々の依頼だろう? できるだけ綺麗な奴を持って帰った方がいいだろう?」
ダグラスの言葉で、ティアは今回の依頼内容を思い出した。いつの間にか、ティアの中では木龍を討伐することに置き換わっていたのだ。
(やっぱり私、まだまだだわ。ポーションを知らないどころか、依頼の内容さえ忘れてるなんて……。こんな私が昇格試験なんて、受けてもいいのかしら?)
ベテランの冒険者らしくテキパキと判断して動くダグラスを見つめて、ティアはため息をついた。それを横で見ていたアルフィが微笑みながら言った。
「ティア、誰でも最初は初心者よ。気にすることはないわ。同じミスを繰り返さなければ、それで十分なの。さあ、あたしたちも鱗を探しに行きましょう」
「はい、ありがとう、アルフィ」
アルフィの言葉に救われたような気持ちになり、ティアは笑顔を浮かべて彼女の後を追った。そして、いつかこの二人と肩を並べられる冒険者になりたいと、心から思った。
ここまでに遭遇した魔獣は、いずれもA級だった。S級魔獣に出会わなかったことにより、ティアは蒼炎の神刃だけで魔獣を倒すことが出来た。
「この威圧、今までと違う」
「いるな」
「間違いないわね、木龍よ」
二十五階層に足を踏み入れた瞬間、かつて受けたこともないほど強大な威圧がティアたちの肌をビリビリと震撼させた。
「今のうちに、スノープリンセスをかけるわ」
「はい」
真剣な光を浮かべた黒曜石の瞳を真っ直ぐに見つめると、ティアが大きく頷いた。
「黄泉を支配する氷雪の女王よ! 汝に命ずる! 我が名は<氷麗姫>! 黄泉の門を開き、我に力を貸せ! スノープリンセスシールド!」
ティアの周囲の大気がキラキラと煌めき始めた。その煌めきが無数に広がり、濃密な光を反射した。凄まじい勢いで氷と光の乱舞が沸き起こった。その氷結晶が複雑に重なり合い、融合し結束していった。
「すごい……」
ヘテロクロミアの瞳を驚愕に大きく見開きながら、ティアが呆然と呟いた。
自分の周囲を、厚さ二メッツェを超える氷の結晶が覆い尽くしていたのだ。
「ティアの動きに合わせて、移動するようにしてあるわ。あたしたちは少し安全な場所に移動するから、気をつけて。<イルシオン>を構える時は、見やすいように頭上でお願いね」
「分かった。行ってくる!」
そう告げると、ティアは濃密な魔気を感じる方向へと走り出した。木龍がその中心にいることは疑いもなかった。
(凄まじい威圧だわ。今まで戦ってきた魔獣たちが可愛く思える。S級魔獣のサラマンダーでさえ、これと比べたら赤児と変わらないわね)
だが、ティアは怖れを抱いてはいなかった。勝てると確信したわけではない。
ただ、知っていたのだ。
この木龍さえ遥かに超越するほどの存在を……。
その超越者と、ティアは対峙した経験があった。
ユピテル皇国元帥にして、ムズンガルド大陸最強の剣士クラスSS。
勇者イシュタールの直系にして、その再来とも呼ばれる存在。
スカーレット=フォン=ロイエンタール。
彼女が放つ覇気と比べれば、木龍でさえ可愛く感じたのだった。
「いた!」
ティアの前方二百メッツェ先に、巨大な龍が翼をたたんで佇んでいた。
それだけの距離があるにもかかわらず、木龍の大きさは異常だった。ダグラスが言っていた全高三十メッツェどころではなく、優に四十メッツェは超えていた。両翼を広げたら、五十メッツェ以上は間違いなくありそうだった。
全身を濃茶色の鱗に覆われており、鱗一枚の大きさも一メッツェ四方はあった。今回の依頼は、この鱗を三枚持ち帰ることだ。
龍独特の縦長の頭部には、太い鬣のような角が何本も伸びていた。極端に釣り上がった眼にある金色の虹彩が、接近してくるティアに気づきギロリと睨みつけてきた。
風神と見紛うほどの風圧を立てながら、木龍が巨大な翼を広げて羽ばたいた。木龍が一瞬で二十メッツェ以上も上昇した。
「来るッ!」
鋭利な牙に覆われた口を大きく開くと、凄絶な衝撃波が螺旋を描きながら凄まじい速度でティアに迫ってきた。
ティアは<イルシオン>を抜刀し、左から右に薙ごうとしてその動きを止めた。
スノープリンセスの中では全ての攻撃が無効化されるといったアルフィの言葉を思い出したのだ。
衝撃波が轟音とともにティアの目前に激突し、飛散した。古代禁呪魔法スノープリンセスが木龍の衝撃波を防いだのだ。
「すごい!」
林さえも消滅させると言われる木龍の衝撃波を受けて、スノープリンセスには傷一つついていなかった。聞いていたこととはいえ、目の前でその衝撃波を受けたティアは驚きに目を見張った。
「グッガァアアア……!」
大気を震撼させ、大地を鳴動させるほどの咆吼が木龍から発せられた。実際に近くの木々が烈風に煽られたように激しく揺らいでいた。
再び木龍が大きく口を開いた。
衝撃波の連撃がティアに向かって放たれた。壮絶な奔流が螺旋状に回転しながら、急迫してきた。それも、少しの時間差で三発続いていた。
(連撃出来るとはやっかいね!)
アルフィのスノープリンセスを信じ、ティアは防御を捨てて木龍に向かって走り続けた。木龍との距離は、あと五十メッツェくらいに迫った。
衝撃波の凄まじい激突音が連続して三度響き渡った。だが、スノープリンセスにはまったく変化はなかった。本当に天龍のブレスさえも防ぐことが出来そうだった。
走りながら、ティアは丹田に力を込めて覇気を練り上げた。テアの全身から蒼炎が立ち上り始めた。
(二十メッツェを切ったら、攻撃する!)
木龍との距離は残り三十メッツェほどだった。ティアは白い覇気の有効範囲を正確に把握していない。だが、先ほどのヴァンパイアの群れを爆散させた時には、五十メッツェ以上離れていた。ヴァンパイアよりも数段格上の木龍を一撃で倒すには、その半分以下の距離で白い覇気の威力を落とさないことが必要だとティアは考えた。
木龍がティア目がけて急降下してきた。ブレスではティアを倒せないことに気づき、肉弾戦に切り替えたのだ。
木龍の牙は巨木をも噛み砕き、その爪はアダマンタイトの防具でさえ斬り裂く。そして最も恐ろしいのが、尾の力だった。長さ十メッツェ、太さ二メッツェを超える龍の尾は、その全てが筋肉で出来ている。サイクロプスの数倍の威力を秘めた木龍の尾は、かすっただけでも人の体など両断してしまうことは容易に想像できた。
(避けきれないっ!)
四十メッツェを超える巨体が肉迫してきた。少しくらい左右に飛んだくらいで避けきれるものではなかった。ティアは避けることを諦め、スノープリンセスの耐久力に賭けた。
ズッドォオーン!
木龍の巨体がスノープリンセスに激突した。
その衝撃で、スノープリンセスごとティアは後方に吹き飛ばされた。風に舞う木の葉のように、数十メッツェを地面に叩きつけられながら転がった。
(怪我は……ない?)
痛みさえどこにもなかった。吹き飛ばされはしたものの、スノープリンセスは中にいるティアを完全に護ってくれていた。
(さすが、アルフィだわ……!)
起き上がり、スノープリンセスの激突面を見て愕然とした。木龍のブレスにさえ耐えたスノープリンセスに大きなヒビが入っていたのだ。
(物理攻撃は完全に防げないの?)
ブレスのような魔法攻撃には完全な耐久性を持つスノープリンセスだが、どうやら物理攻撃では違うようだった。
ティアは<イルシオン>を頭上に構えた。
当初の予定とは異なるが、スノープリンセスに亀裂が走ったとなれば一刻も早く木龍を倒さなくてはならなかった。たぶん、この状態では木龍のブレスを防ぐことは出来そうになかった。
だが、木龍はティアに覇気を纏わせる時間など与えてくれなかった。
地面すれすれに飛翔しティアに肉迫すると、木龍は反転して強力無比なその尾を叩きつけてきた。サイクロプスの拳の数十倍の威力を秘めた巨大な尾が、凄まじい速度でティアの右から迫ってきた。
避けている暇などなかった。
ティアは慌てて<イルシオン>を振り抜いた。だが、十分な覇気を纏ってもいない状態では、白い覇気はおろか蒼炎の覇気さえも<イルシオン>から発しなかった。単に空気を斬り裂いただけであった。
(やられるッ……)
木龍の尾が目前に迫っていた。ティアはヘテロクロミアの瞳を閉じて、襲いかかる衝撃を覚悟した。
ガッシィイイーン!
壮絶な激突音が響き渡った。
だが、衝撃はまったくなかった。
ティアが目を開くと、ダグラスの背中が見えた。全身に覇気を纏わせ、ダグラスが盾で木龍の尾を防いでいた。
「ティア、今のうちに覇気を纏え! それまで攻撃は全部俺が受ける!」
「は、はい!」
ダグラスの言葉に、ティアは我に返った。丹田に力を込め、精神集中を始める。
木龍が巨大な口を開き、牙を剥き出しにしてダグラスに挑みかかった。その凄絶な破壊力を込めた攻撃さえ、ダグラスは覇気を纏わせた盾で防いだ。盾士クラスAの本領が発揮されていた。
テアの全身から蒼炎の覇気が舞い上がった。
だが、その瞬間に、木龍が巨大な口を開くと、至近距離からティアに向けて衝撃波を放ってきた。
「……!」
亀裂が入ったスノープリンセスが、その衝撃波に耐えられるとは思えなかった。ティアは再び、中途半端な状態で<イルシオン>を振りおとそうとした。
「そのまま覇気を練っていろっ!」
そう叫ぶと、ダグラスがティアの目の前に飛び込んできた。そして、覇気を纏わせた盾をかざし、衝撃波を受け止めた。
「ぐっ……うぉおおおお!」
ダグラスは盾をティアと木龍の直線上に構え、右手で持っていた。
「ダグラスッ!」
ティアの口から悲鳴が迸った。ダグラスの左腕が、肩から消滅したのだ。だが、ダグラスは自分の腕には一切構わずに、ひたすらティアを護り続けた。
「気にするな! そのまま、覇気を纏えッ!」
ダグラスの言葉に、ティアは精神集中を続けた。蒼炎の覇気が濃密さを増し、炎のように激しく噴き上がった。その色が急激に薄くなり、真っ白な火炎と化した。そして、純白の火炎が<イルシオン>の刀身を包み込み、閃光を放った。
「アルフィ、お願いッ!」
凄まじい閃光を発する<イルシオン>を上段に構えながら、ティアが叫んだ。その叫びがアルフィに届いた瞬間、スノープリンセスが消滅した。
「ハァアアッ!」
ヘテロクロミアの瞳に強い意志を込めると、ティアは気合いとともに<イルシオン>を一閃した。
白い光が螺旋状に回転しながら凄絶な奔流となって木龍に突き刺さった。
「ギ……ェエ……」
断末魔の叫びさえも上げられず、木龍の体が爆散した。
ティアががっくりと膝をついた。覇気を使いすぎたのだ。八割で留めるつもりが、九割以上の覇気を使い切っていた。
「大丈夫か、ティア……」
左肩を押さえながら、ダグラスがティアに歩み寄ってきた。その左肩からは腕が消失していた。
「ダグラス……!」
ティアは立ち上がると、ダグラスの胸に飛び込んだ。
「ごめんなさい! 私のせいで……」
ヘテロクロミアの瞳から大粒の涙が溢れ、頬を伝って流れ落ちた。
「気にするな。それより、大丈夫か?」
「私は平気……でも、腕が……」
命を賭けて自分を護ってくれたダグラスは左腕を失っていた。ティアはダグラスの背中に手を廻すと、全身で縋り付くようにその胸の中で泣きだした。
ダグラスが優しくティアの淡紫色の髪を撫でながら言った。
「お前のせいじゃない。俺が未熟だっただけだ。気にするな」
「でも……でも……ダグラス……腕がぁ……」
泣き叫ぶティアの背中を優しく抱くと、ダグラスは子供をあやすように背中をさすった。
「ダグラス……私、どうしたらいい? その腕……私、どうすればいい?」
ティアの質問に答えたのは、後ろから歩いてきたアルフィだった。
「どうもしなくていいわよ。ティア、そろそろダグラスから離れてね。はい、ダグラス」
そう告げると、アルフィはダグラスに美しい意匠が施された小瓶を渡した。中に透明な青い液体が入っていた。
「ありがとう、アルフィ」
ダグラスはティアの体を引き離すと、片手で小瓶の栓を開けて一気に飲み干した。
次の瞬間、ダグラスの左肩が光に包まれた。そして、光が収束すると、怪我一つない左腕が元通りあった。
「うん、大丈夫みたいだ」
左手を閉じたり開いたりして動きを確かめると、ダグラスが笑顔を浮かべながら告げた。
「え……何で……」
呆然としてその様子を見ていたティアが、呟くような小声でダグラスに訊ねた。
「ん? 上級回復ポーションを飲んだんだ。元に戻るのは当たり前だろう?」
「ティア、もしかして回復ポーションって疲れを取るだけだと思ってたの?」
ダグラスとアルフィが笑いながらティアに告げた。アルフィの言うとおり、ティアは疲労を回復するものだと思い込んでいた。
「上級回復ポーションは、即死以外のほとんどの怪我を瞬時に治すのよ。今みたいな欠損部位でさえ復元できるの。さすがに、頭とか心臓みたいな致命的な部位の復元は無理らしいけどね」
「そ、そうなの……?」
「だから一本で白金貨三枚もするんだ。知らなかったのか?」
「し、知らなかった……」
ティアは自分の行動を思い出して赤面した。自分を護るために左腕を失ったダグラスに、縋り付いて泣き叫んだ。そして、自分の一生をかけて償おうと心に決めたのだった。
それらが、まったく不要な行動だと知らされ、恥ずかしくて逃げ出したい気持ちだった。
「まあ、冒険者になったばかりなら仕方ないか。それより、白い覇気も完璧に扱えるようになったみたいだな。おめでとう」
ティアの心の葛藤に気づかないように、ダグラスが爽やかな笑顔で告げてきた。
「あ、ありがとう」
「でも、覇気が凄すぎて、木龍も見事にバラバラだな。手分けしていいのを探そう」
「探すって?」
「何言ってるんだ? 木龍の鱗を三枚っていうのが元々の依頼だろう? できるだけ綺麗な奴を持って帰った方がいいだろう?」
ダグラスの言葉で、ティアは今回の依頼内容を思い出した。いつの間にか、ティアの中では木龍を討伐することに置き換わっていたのだ。
(やっぱり私、まだまだだわ。ポーションを知らないどころか、依頼の内容さえ忘れてるなんて……。こんな私が昇格試験なんて、受けてもいいのかしら?)
ベテランの冒険者らしくテキパキと判断して動くダグラスを見つめて、ティアはため息をついた。それを横で見ていたアルフィが微笑みながら言った。
「ティア、誰でも最初は初心者よ。気にすることはないわ。同じミスを繰り返さなければ、それで十分なの。さあ、あたしたちも鱗を探しに行きましょう」
「はい、ありがとう、アルフィ」
アルフィの言葉に救われたような気持ちになり、ティアは笑顔を浮かべて彼女の後を追った。そして、いつかこの二人と肩を並べられる冒険者になりたいと、心から思った。
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ファンタジー
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国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
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