【ブルー・ウィッチ・シリーズ】 復讐の魔女

椎名 将也

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第1章 鮮血の雨

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 惑星ファラオ。
 GPSが管轄するプレアデス星域にある惑星国家である。総人口約五億三千万人。海洋比率八三パーセントの美しい惑星だ。
 かつては、銀河系随一の学術惑星として知られ、著名な学者や、優秀な科学者が数多く訪れた。ギャラクシー・ユニバーシティを始め、銀河系に名だたる大学の十五パーセントはこのファラオにあったのである。

 しかし、銀河系人類の三分の一を滅亡させたあの第二次DNA戦争の嵐は、この惑星ファラオをも呑み込んだのだった。
 戦乱が貴重な先史文明の遺跡を破壊し、暴動が人類学的文化資産を灰燼と化した。人々は、学術的資産を守るよりも、一切れのパンを手に入れるために暴徒となったのである。彼らにとっては、過去の遺跡よりも今日を生き延びる事の方が急務だったのだ。

 現在の惑星ファラオは、銀河系に約千五百ある惑星国家の中でも、最も治安が悪い危険国家であった。もっとも、この星に治安という言葉の意味を理解している者が残っていればの話であるが……。

 惑星ファラオの首都バーミリオンは、暴行や恐喝は言うに及ばず、殺人、麻薬、不法人体改造など、ありとあらゆる犯罪の宝庫であった。SD一三〇五年、GPSはバーミリオンをMDZモスト・デンジャラス・ゾーンに指定して惑星警察の強化を図ったが、その効果は未だ上がっていなかった。


「ブラッディ・レインを……」
 MDZの歓楽街にあるバー『ヘル・エンジェル』のカウンター・スツールに腰掛けながら、男が短く告げた。

 浅黒く日焼けした顔に漆黒の瞳を持つ、精悍な青年だった。年齢は二十歳を少し過ぎたくらいだが、幾多の戦場を生き抜いてきた戦士のみが持ちうる、強烈な自信と深い哀愁とを全身から放っていた。
 マスターは無言で頷くと、ショート・グラスに鮮血色のカクテルを注いで彼の前に差し出した。

「最近、面白いことはあるかい?」
 青年はカクテルと引き替えに、一万クレジット札をバーテンダーに渡した。
 この『ヘル・エンジェル』のマスターは、知る人ぞ知るMDZ随一の情報屋であった。

「ある女が、MDZに潜入した。A級指名手配を受けている女だ」
「何処にいる?」
 柔和な笑みを浮かべていた顔を引き締めながら、青年が訊ねた。
 マスターは、黙ってブラッディ・レインをもう一杯つくり、青年の前に差し出した。
「足もと見やがって……」
 青年がもう二枚、一万クレジット札をカウンターに置いた。マスターはニヤリと笑みを浮かべると青年に向かって小声で告げた。
「もうじき、この店にやってくる。あんたの隣が彼女の指定席だ」

 数分後、一人の女が『ヘル・エンジェル』に入って来た。同時に、男たちの賛美と卑猥さを兼ねた視線が一斉に彼女に絡み付いた。
 美しい女だった。ただ美しいだけの女性ならば、広大な銀河系に星の数ほどいる。
 しかし、彼女は銀河系の名だたる美女たちと並べてさえ、異彩を放っていた。彼女に初めて会った者は誰でも思うであろう。

『この女は違う!』と……。

 彼女の持つ圧倒的なプレッシャーが人々の視線を釘付けにして離さないのである。それは、普通の人々には決して理解できない<危険>と<悲哀>であった。

 彼女は男たちの視線を無視してカウンター・スツールに腰を下ろすと、マスターに声をかけた。
「いつものを……」
 マスターが頷き、彼女の前に果汁百パーセントのオレンジ・ジュースを差し出した。

 『ヘル・エンジェル』は、MDZの中でも最も危険な区域にあった。惑星警察官も、絶対に一人では決して足を踏み入れようとしない地域である。若い女性が暴行され、翌朝に全裸死体となっている程度の事件は、日常茶飯事であった。しかし、彼女は既に一週間もこの店に通い続けていた。

 マスターは、最初に彼女を見たときの印象を忘れようとしても忘れられなかった。
 彼女は一枚のポスターを彼に渡しながら、こう言ったのである。
「これを、この店に貼ってくれないかしら……」
 ポスターには、彼女自身の写真が『WANTED-ランクA』の文字とともに印刷されていた。

 流れ落ちる滝のような淡青色のロング・ヘアー。思慮深く、強い意志を浮かべたプルシアン・ブルーの瞳。透き通るような白く滑らかな肌。細く高い鼻梁と魅惑的なローズ・ピンクの唇。
 それは紛れもなく、銀河系で指折りの美女であった。ただひとつ、左頬のy字型の裂傷を除けば……。

「あんたのお見合い写真かね?」
 美しい蒼炎を映す瞳を見つめながら、マスターが訊ねた。
「そんなところね。それに興味を示す人がいたら教えてね。それと、オレンジ・ジュース頂けるかしら……?」
「ジュース? ここは酒場だぜ」
「アルコールはやらない主義なの。判断力が鈍るから」
 彼女の言葉をマスターは理解した。彼もMDZで生活する者の一人だ。彼の知人には、幾多の戦場を駆け抜けてきた傭兵もいた。本当の戦士という者は、いかなる時も一切アルコールを口にしない事を思い出したのである。

「まだ、ご指名はないかしら……」
 彼女――テア=スクルトは、マスターに訊ねた。
 マスターは黙って彼女の隣に座っている青年に視線を移した。テアは初めて隣の青年に気づいたように顔を向けた。

「半年間捜した……」
 満面に笑みを浮かべながら、青年が告げた。
「私を口説くのに、半年くらいじゃ落ちないわよ」
 テアが微笑んだ。見る者を魅了する素晴らしい笑顔だった。

「俺は、シュン=カイザード。元GPSアクロバット・チームのパイロットだ」
 青年が二杯目のブラッディ・レインを空けて名のった。
「シュン=カイザード中尉? あの<ノヴァ>のエース・パイロットの?」
 テアが驚いたように訊ねた。

 GPSアクロバット・チーム<ノヴァ>は、GPS戦闘機乗りの憧れの的であった。GPSが年に一回行うコスモ・デモンストレーションで、<ノヴァ>の実演するアクロバット・フライトは多くの人々を魅了しているのだ。

「俺を知っているとは光栄だな」
「約六ヶ月前、義兄の仇敵を討つためにGPSを出奔したD級指名手配犯リスター。仇敵討ちは済んだの?」
「……! そこまで知っているとは……? さすが、元SHスペシャル・ハンターだ。だが、その様子じゃ、俺が捜している仇敵が誰かまでは知らないらしい」
 シュンがニヤリと笑った。同時にカウンターの下で、携帯型レイガンXM-257の銃口がテアに向けられた。

「やめた方がいいわ。マスターに迷惑がかかるわよ」
 テアはシュンに視線を向けずに言った。彼女は彼の放つ殺気に最初から気づいていたのである。
「冗談だ。いくら俺でも、こんな物であんたを倒せるなんて思っちゃいないさ」
 そう言って、シュンはレイガンをホルスターに戻そうとした。
「それ、すぐに役に立つわよ。別のお客さんが来たから……」
 そう告げると、テアはストールから降り立った。シュンは彼女の言葉の意味に気づいた。いつの間にか、彼ら二人の背後には、漆黒のスペース・スーツに身を包んだ四人の男が立ちはだかっていた。

「ブルー・ウィッチだな」
 男の一人が言った。身長百九十センチを越える屈強な男である。腰のホルスターには、黒光りする大柄なレイガンが装備されている。
 テアはそのレイガンに見覚えがあった。
 銀河系最大の麻薬ギルド<テュポーン>の高出力レイガンZMK-37である。その破壊力は、至近距離ならば厚さ九十ミリの特殊チタン装甲でさえ貫通する。シュンの持っていた携帯型レイガンXM-257の比ではなかった。

「私をその名前で呼んで、生きて戻った人はいないわよ」
 テアが微笑んだ。
「では、俺たちがその栄誉を戴こう。ついて来い!」
 男たちはテアを四方から取り囲むようにして店を出ようとした。

「待ちな。彼女は俺の連れだ。きちんと挨拶してもらいたいね」
 シュンがゆっくりとスツールから立ち上がった。
「坊や、ここが何処だか知っているのか。泣く子も黙るMDZだぜ! 怪我しないうちに帰んな!」
 男の一人が凄んだ。気の小さな者ならば、それだけで失神しそうな迫力であった。

「テア、カウンターに戻っていろ。ちょっと話し合ってくるから」
 シュンが柔和な笑みをテアに見せた。
「ちょっと……、大丈夫なの……?」
 テアの方が驚いて訊ねた。
「大丈夫、彼らと話し合うだけだから。それとマスター、ブラッディ・レインのおかわり作っといてくれ」
 シュンはウィンクすると、男たちとともに店の外へ出て行った。

 テアはカウンターに戻ると、マスターに訊ねた。
「彼、強いの?」
 男たちはたぶん、<テュポーン>のバイオ・ソルジャーだろう。そうでなければ、たとえMDZと言えども、<銀河系最強の魔女>と知って彼女に絡んでくる者はいない。

 人体強化戦士バイオ・ソルジャーとは、第二次DNA戦争中にDNAアンドロイドに対抗すべく、銀河連邦(GPSの前身)が開発した人間兵器である。簡単に言えば、脳と中枢神経の一部以外を全て人工組織に置き換えた戦闘マシーンだ。
 バイオ・ソルジャーが、従来のサイボーグと決定的に違う点は、人工的に培養された強化細胞を使用し、機械化されていない事だ。それによって、従来のサイボーグにはない圧倒的なスピードとパワー、そして驚異的な治癒能力を有している。
 バイオ・ソルジャーの戦闘能力は、訓練された兵士の数百人分に当たると言われている。彼らは、運動能力、反射速度、筋力の何れをとっても、普通人の数十倍に達する戦闘マシーンであった。

「さあ、初めてのお客さんだから……」
 マスターは肩を竦めた。
「仕方ないわね……」
 テアがスツールを立った。元々、男たちの目的は彼女である。見ず知らずのシュンを犠牲にするわけにはいかなかった。

「戻って来ましたよ」
  マスターが入り口を見て言った。
「えッ……?」
 テアが驚いて振り返った。
 シュンが真っ直ぐにカウンターへ歩いて来た。怪我はおろか、呼吸ひとつ乱していなかった。

「お待たせ」
 彼は何もなかったように、スツールに腰掛けると、マスターが差し出したブラッディ・レインを一口飲んだ。
「あいつらは……?」
 テアがシュンの横顔を見つめながら訊ねた。
「疲れたみたいで、道に寝ているよ」
 シュンが男たちと出て行ってから、一分と経っていなかった。テアは驚いて彼の黒瞳こくどうを見つめた。

「……? 何だい?」
「さすが、<ノヴァ>のエース・パイロットね。<テュポーン>のバイオ・ソルジャーを一瞬で倒すなんて……」
「あれが噂のバイオ・ソルジャーか? <テュポーン>も大したことはないんだな」
 シュンが笑った。
「あなた、ESPね。それもBクラス以上の……」
 テアが真剣な表情を浮かべて訊ねた。

 GPSに登録されているESPの能力は、Σナンバーを筆頭にAからEクラスまで、大きく六つに分類されている。
「さあ……。そんな事より、俺はあんたに訊きたい事があるんだ。とにかくここを出ないか?」
 笑顔でそう告げると、シュンは一気にブラッディ・レインを飲み干した。
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