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終章

8 二つの戦力

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 欠片を集めていた。
 レオナルドによってバラバラに砕かれた自尊心の欠片だった。凛桜は必死でその欠片を集め、繋ぎ止めていた。その欠片の一つ一つが自意識であり、龍成への愛情であった。粉々に破壊され、打ち砕かれた欠片は、二度と元に戻るはずなどなかった。それにも拘わらず、凛桜は必死で欠片をかき集めていた。

(龍成、ごめん……。あたし、穢された……。それだけじゃない。殺したいほど憎い相手に犯されて、あたしは感じてた。頭の中が真っ白になるほどの快感に、数え切れないくらい絶頂オーガズムを極めたわ。あの男に犯されながら、あたしの躰は悦びに打ち震えていた。あたし、あなたを裏切った……)
 大きく見開いた瞳から涙が溢れて、ツゥツーッと白い頬を伝って流れ落ちた。自分が女であることが、今日ほどいとわしく思えたことはなかった。

(死のう……。二度と龍成の顔を見られない……。もう、龍成に愛される資格なんて、あたしにはない……)
 だが、今の凛桜にはそのささやかな望みさえ叶えることができなかった。口にはボールギャグが噛まされ、両手は後ろ手で縛られ、両足首も縄で一つに括られていた。自殺と逃亡を防ぐための措置に他ならなかった。

(このまま海に飛び込めたらいいのに……。そうすれば、息も出来ず、泳ぐこともできないで死ねるのに……)
 ベッドに横たわりながら窓の外に広がる夜の海原を見つめて、凛桜は漠然と思った。
(でも、溺死って体中がブヨブヨになるって聞いたことがある……。そんな死体を龍成に見られるのは嫌だな……。こんな汚れたあたしでも、龍成の記憶には綺麗なまま残りたい……。やはり、拳銃で心臓を撃ち抜くのが一番いいかも……)

 凛桜は顔を上げると、改めて室内を見渡した。だが、当然のことながら、拳銃どころかナイフ一本置いてあるはずなどなかった。仮にあったとしても、手足を拘束されている状態では、自殺などできるはずもなかった。
(仕方ない……。次にベーカーが来たら、逆らって殺されよう……。できれば、撃ち殺してくれないかな……。殴ったり蹴られたりするのは嫌だな。痛いし、恐い……。特に、顔は殴らないで欲しい……)
 その時、漠然と死に方を考えていた凛桜を凄まじい衝撃が襲った。

 ドッカーンッ……!

 鼓膜を引き裂く爆音とともに、ベッドがきしみを上げて大きく震撼した。凛桜は悲鳴を上げながら、ベッドから転がり落ちた。
(何ッ……! 何が起こったのッ……!)
 両脚を拘束されているため、立つこともできずに凛桜は床に横たわりながら周囲を見渡した。

 ドガーンッ……!

 再び轟音が響き渡り、船が激しく揺れた。大地震の最中にいるような激しい震動に、凛桜は驚愕して窓の外を見た。だが、窓からは黒い海原と漆黒の夜空に輝く星々が見えるだけだった。

 ダッ、ダッ、ダッ、ダッ、ダッ、ダッ……!

 聞き慣れた連撃音が周囲を席巻した。その凄まじい銃撃音は、凛桜が良く知るものだった。
(ガトリング砲ッ……! 戦闘ヘリのガトリング砲の音だッ……!)
 その壮絶な射撃音と波打つような衝撃に、凛桜はこの船が戦闘ヘリコプターの攻撃を受けていることを悟った。
(ステルス・コブラのガトリング砲よりも軽いッ……? 20mmガトリング砲の連射音だわッ!)
 凛桜の愛機AH-10Sステルス・コブラに搭載されている30mmガトリング砲は、もっと重厚な射撃音だった。一流の戦闘ヘリ・パイロットである凛桜の耳は、その違いを明確に聞き分けた。

(間違いないッ! 20mmガトリング砲の音だわッ! AH-1ZヴァイパーかAH-64Dアパッチのガトリング砲だッ……!)
 凛桜は床を這いながら窓に近づくと、夜空を見上げた。そこには見慣れた機影が月明かりを反射して飛翔していた。
(アパッチッだッ! AH-64Dアパッチだわッ!)
 アパッチの機首にあるガトリング砲からマズルフラッシュが点滅した。

 ダッ、ダッ、ダッ、ダッ、ダッ、ダッ……!

 壮絶な連射音とともに、船が激しく震動した。
(一斉射撃で甲板を制圧しているッ? すると、さっきの爆音はハイドラ70だわッ……!)
 その攻撃パターンは、凛桜の良く知るものだった。遠距離から70mmロケット弾ハイドラ70を撃ち込んで敵艦の武装を破壊し、20mmガトリング砲で甲板を一掃する。そして、後方のヘリポートに輸送ヘリを着陸させて戦闘員を送り込み、内部を武力制圧する。要人救護の際のイージス艦攻撃マニュアルどおりだった。

(第四対戦車ヘリコプター隊の戦い方だわッ! 助けに来てくれたんだッ!)
 陸自の訓練で何度も叩き込まれた対イージス艦攻撃に間違いなかった。鬼二佐と呼ばれる水島の顔を思い浮かべると、凛桜は大きな瞳から溢れる涙で視界が滲んだ。
 その時、バタンという音とともに背後のドアが開いた。驚いて振り向くと、凄まじい形相をしたベーカーが息を切らせて立っていた。

「<星月夜シュテルネンナハト>めッ! 七機も戦闘ヘリを連れてきやがったッ! 立て、リオッ! お前を人質にして、切り抜けるッ!」
 ベーカーが凛桜のボールギャグを外すと、左腕を掴んで立ち上がらせた。その右手には、デザートイーグルMark XIXが握られていた。市販されている拳銃弾の中で最強と言われる.50AE弾を発射可能な大型拳銃だ。

「これで終わりね、ベーカー。<星月夜シュテルネンナハト>と第四対戦車ヘリコプター隊に攻め込まれたら、逃げ道なんてないわよ」
 凛桜が微笑を浮かべながら告げた。ベーカーの言葉から、凛桜は状況を把握したのだ。恐らく、龍成たちが水島二佐に依頼して第四対戦車ヘリコプター隊に協力を要請したのだ。
 ベーカーは七機の戦闘ヘリコプターだと告げた。そのことから、AH-1Zヴァイパー三機とAH-64Dアパッチ四機のチームであることが凛桜には分かった。それは、第四対戦車ヘリコプター隊が誇る最強のフォーメーションだった。

「黙れッ! お前を人質にすれば、奴らも私を撃てまいッ! 一緒に来るんだッ!」
 名前を呼び捨てにされたことにも気づかずに、レオナルドがデザートイーグルの銃口を凛桜に向けながら叫んだ。
「撃ちたければ、撃ちなさい、ベーカーッ! あたしの仇は必ず龍成が取ってくれるわッ! それに、こんな状態で歩けるはずないでしょッ!」
 両足首を縛っている縄に視線を移しながら、凛桜が笑った。44マグナム以上の破壊力を持つ.50AE弾であれば、一発食らっただけで即死は間違いなかった。銃による自殺を望んでいる凛桜にとって、ベーカーに射殺されることはまさに最高の選択だったのだ。

くそったれヴァッファンクーロッ! 今、解いてやるッ!」
 今までの自信に満ちた態度からは考えられないスラングで叫ぶと、レオナルドはデザートイーグルを床に置いて凛桜の両脚を拘束している縄を解き始めた。
「どうせなら、手も解いてよ。痛くて敵わないわ……」
「黙れッ! 脚の縄を解いてやるだけ、ありがたく思えッ!」
 きつく結ばれた縄を苦労して解きながら、レオナルドが叫んだ。

(そんなに甘くないか……。でも、脚の縄が解かれたら、あれを蹴飛ばしてやるッ!)
 レオナルドの右横に置かれたデザートイーグルをチラッと見つめながら、凛桜は考えた。
(ベーカーを激怒させて射殺されれば、龍成に会わなくてすむわッ……!)
 けがされた体で龍成と会いたくなかった。だが、レオナルドは凛桜を人質にすると言った。たとえ怒り狂ったとしても、今は絶対に殺されないはずだった。

(撃たれるのが無理なら、あれを使えないようにすればいいッ! ベッドの下に蹴ってやるわッ!)
 最高威力の.50AE弾を発射可能なデザートイーグルは、龍成たちにとって脅威となるはずだった。その脅威を取り除こうと凛桜は考えた。
 凛桜はデザートイーグルとベッドの位置関係を目測した。凛桜から見て左後方四十五度くらいの位置に蹴れば、デザートイーグルはベッドの下に入るはずだった。

(今だッ……!)
 両脚の縄が解かれた瞬間、凛桜は右脚でデザートイーグルを蹴った。
「何をするッ!」
 慌てて伸ばしたレオナルドの手をすり抜けて、デザートイーグルがベッドに向かって滑っていった。

 ガンッ……!

(しまったッ……!)
 ベッドの手前の脚に衝突して、デザートイーグルが弾き返された。レオナルドに視線を戻した瞬間、凄まじい勢いで左頬を張られた。
「ぐふッ……!」
 左頬の激痛とともに、凛桜は床に叩きつけられた。叩かれた左頬が熱を持ったように熱く、切れた唇の端から血が流れた。

「相変わらず、舐めたマネをしてくれるな、リオ……」
 デザートイーグルを右手で拾い上げると、レオナルドが凛桜の髪を鷲づかみにした。
「痛ッ……! 離してッ……!」
 髪の毛を掴まれたまま立たされると、凛桜は苦痛に顔を顰めながら叫んだ。
「人質でなければ、殺しているところだッ! 一緒に来いッ!」
 レオナルドは凛桜の右腕を掴むと、まるで囚人を引き立てるようにして部屋を出た。

(こんな姿で龍成と会うなんて……!)
 ボサボサの髪で左頬を腫らし、唇から血を流した顔のまま凛桜はレオナルドに連れ出された。何よりも凌辱の後も生々しい全裸で、両腕は後ろで拘束されていた。屈辱と恥ずかしさのあまり、涙が滲んだ。

(こうなったら、舌を噛んで死んでやるッ!)
 大きく口を開いた途端、レオナルドが凛桜の顎を掴んでボールギャグを押しつけてきた。
「んッ……んやぁッ……!」
「死なれたら人質の意味はないからな……」
 再びボールギャグを噛ませながら、レオナルドが凛桜の考えを見抜いてニヤリと笑った。

「さあ、来るんだッ!」
 フルフルと首を振って抵抗する凛桜を、奴隷のように扱いながらレオナルドが足を進めた。恥辱の涙を流しながら、凛桜はレオナルドに右腕を掴まれて引き立てられていった。
(龍成……! イヤだ、こんな姿を見られたくないッ……!)
 望まない龍成との再会の時が、近づいていった。凛桜は大きな瞳に涙を滲ませながら、前を歩くレオナルドを睨みつけた。


「A班四名は俺と一緒に艦橋の制圧だ。リューセイはB班三名を率いて機関室を制圧してくれ。はるかはミズキとカンザキの三人でリオの捜索だ。今回の作戦は非常時特別発砲権エマージェンシー・プレヴレッジが発令されているが、可能な限り不必要な射殺は避けてくれ」
 後部ヘリポートに着艦したシコルスキーS-110から下りると、アランが全員に指示を出した。

「分かった、行くぞッ!」
 アランに頷くと、龍成が若手の特別捜査官エージェント三人を率いて機関室に向かおうとした。その背中に、瑞紀が声を掛けた。
「龍成、気をつけてッ!」
「分かっているッ! 瑞紀も気をつけろッ! 凛桜を頼むッ!」
「分かったわッ!」
 瑞紀の返事に龍成が真剣な表情で頷いた。そして、特別捜査官エージェントたちの後を後を追って走り去っていった。

「アランも気をつけてッ!」
「ミズキも……! ハルカ、ミズキが無茶しないようによく見張っていてくれッ!」
「はいッ!」
 はるかに頷き返すと、アランが四人の特別捜査官エージェントたちとともに、艦橋へと向かった走り出した。

「私たちも行くわよッ! 凛桜さんが監禁されているとすれば、船室の可能性が高いわッ! 片っ端から船室を捜すわよッ!」
「分かったッ!」
「はいッ!」
 瑞紀の言葉に、純一郎とはるかが頷いた。二人に頷き返すと、瑞紀は下層へ続く階段を下りていった。

 ラサール級コルベットの下層は、二層構造になっていた。地下一階に当たる一層目に艦橋やブリーフィング・ルームがあり、二層目に船倉と船室、機関室があった。瑞紀たちは一層目を通過して、二層目に向かった。

 パンッ、パンッ、パンッ……!

 二層目の踊り場に着いた途端に、銃撃を受けた。射撃音の軽さから、二十二口径だと思われた。
「はるか、できるだけ右肩を狙ってッ! 純は相手が動けなくなったら後ろ手に指錠を掛けてッ!」
「はいッ!」
「分かったッ!」
 二人の返事を背中で聞くと、瑞紀は脚からスライディングして廊下に飛び出し、M93RMK2の銃口を向けて銃爪トリガーを二度引いた。

 ダンッ、ダンッ、ダンッ……!
 ダンッ、ダンッ、ダンッ……!

 3点射スリー・ポイント・バーストの連撃音が二度響き渡ると、男たちは拳銃を落として右肩を押さえながら床に膝をついた。すかさず純一郎が駆け寄り、男たちの顎を蹴り上げた。空手二段の純一郎の蹴りは、一撃で男たちの意識を奪うには十分すぎるものだった。純一郎は気絶した男たちの両腕を背中に回すと、左右の親指に指錠を嵌めた。

 二層目の廊下を挟んで、船室は左右に十室ずつあった。
「手分けして、船室を捜しましょうッ! 銃撃があるかも知れないから、気をつけてッ!」
「分かったッ!」
「はいッ!」
 手前の船室を二人に任せると、瑞紀は奥にある六室目の右船室に向かって走った。ドアの左横に身を隠しながら、右手でノブに手を掛けた。ノブに鍵は掛かっていなかった。瑞紀はノブを回すと一気に廊下側にドアを開いた。

 パンッ、パンッ、パンッ……!
 パンッ、パンッ、パンッ……!

 その瞬間、中から激しい銃撃を受けた。壁を盾にして銃撃をやり過ごしながら、瑞紀は銃撃音を数えた。
(さっきの男たちが使っていたのは、ワルサーPPKだった。同じだとすると、装弾数は最大で八発……。銃撃の間隔から、二挺……二人ね)
 十六発の銃撃を数えた瞬間、瑞紀の耳はカチャッという音を捉えた。全弾を撃ち終えてスライドが戻る音だった。

 ダンッ、ダンッ、ダンッ……!
 ダンッ、ダンッ、ダンッ……!

 ドアから半身を出してM93RMK2を構えると、瑞紀は銃爪トリガーを二度引き絞った。3点射スリー・ポイント・バーストの連撃音が二回響き渡り、二人の男たちが右肩を押さえてワルサーPPKを取り落とした。瑞紀は室内に駆け入ると、右の男の顎を蹴り上げた。そして、左側の男の額にM93RMK2の銃口を向けながら、冷めた口調で訊ねた。

「西園寺凛桜はどこにいるの?」
知らねえノン・ロ・ソー……」
 震える声で答える男の額に銃口を押しつけながら、瑞紀が告げた。
「知らなければ、この場で殺すわッ!」
 カシャッと言う音とともに左手でM93RMK2のスライドを引き、瑞紀はシングル・アクションに切り替えた。これで銃爪トリガーが軽くなり、9mmパラベラム弾がすぐに発射されるようになった。

「つ、突き当たりの特別室だ……。ベーカー様と一緒のはずだ……」
 碧い瞳に明確な恐怖を映しながら、男が告げた。
「あなたも、凛桜さんに乱暴した一人……?」
「……知らねえ」
 その質問に、男の碧眼が泳いだことを瑞紀は見逃さなかった。
「そう……。男に無理矢理犯されることが、女にとってどれほどの苦痛か教えて上げるわ」
 瑞紀はM93RMK2の銃口を下げると、躊躇なく銃爪トリガーを引いた。

 ダンッ、ダンッ、ダンッ……!

「ぎゃあッ……!」
 3点射スリー・ポイント・バーストによる三発の9mmパラベラム弾が、男の睾丸を破裂させ、男根を轢断れきだんした。男は両手で血だらけの股間を押さえると、口から泡を噴いて意識を失った。瑞紀は男を一瞥すると、身を翻して凛桜が囚われている部屋に向かって駆け出していった。
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