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終章

6 会頭の娘

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 <櫻華会>本部の三階にある会頭室は、二十畳はある畳敷きの和室だった。その奥にある神棚の下に、一人の老人が座椅子に座っていた。
 年齢は七十歳を遙かに超えており、八十歳近くに見えた。薄くなった白髪と細面の皺顔は、一見してどこにでもいる好々爺に思えた。だが、老齢を感じさせない眼光の鋭さが、その老人が只者ではないことを物語っていた。

会頭おやじ、ご無沙汰しています」
 部屋の入口に腰を下ろすと、純一郎が正座をして奥に座る<櫻華会>会頭、鳴門讓司に頭を下げた。瑞紀も純一郎の左隣に腰を下ろし、彼に倣って深く頭を下げた。
「最近、目が霞んできてな……。そんな遠くじゃ、顔が見えねえ。もっと、近くに来い」
 高齢の老人とは思えぬ張りのある声で、鳴門が純一郎に向かって告げた。

「はッ……。失礼します」
 そう告げると、純一郎は立ち上がり、鳴門の二メートルほど前まで歩み寄ってから再び正座をした。瑞紀は純一郎から少し下がった位置に座り、真っ直ぐに鳴門の顔を見つめた。
 極道の社会は男社会である。純一郎を立てる意味でも、少し後ろに座った方が良いと判断したのだ。

「あんたがゆずりは瑞紀さんか? 儂が<櫻華会>の鳴門じゃ。純一郎がいつも世話になっておるそうじゃの?」
「楪瑞紀です。こちらこそ、純一郎さんには色々と面倒をお掛けしております」
 笑顔を浮かべてそう告げると、瑞紀は再び鳴門に頭を下げた。思っていたよりも気さくな老人だと瑞紀は感じた。

会頭おやじ、今日会いに来たのは他でもねえ。この瑞紀と所帯を持つことにしたので、その報告に来ました……」
 純一郎が真剣な表情で鳴門に向かって告げた。その声が緊張を含んでいることに、瑞紀は気づいた。
(鳴門さんって、純の義理のお父さんよね? 義父とは言え、自分の親に婚約の報告をすることが、そんなに緊張することなのかしら……?)
 瑞紀のその考えは、鳴門が次に告げた言葉で打ち砕かれた。

「お前さん、今までに何人殺してきた?」
 純一郎の言葉に頷くと、鳴門が真っ直ぐに瑞紀の黒瞳を見据えながら訊ねた。その眼光の鋭さに、瑞紀はビクンッと体を震わせた。鳴門が放つ威圧感プレッシャーに、瑞紀はゴクリと生唾を飲み込んでから答えた。
「十二人……です」
「そのカバンの中にある物でか……?」
 瑞紀が左脇に置いたエルメスのバーキンを見据えながら、鳴門が訊ねた。

 ベレッタM93RMK2とまでは分からないにせよ、鳴門はバーキンの中に銃があることに気づいていたのだ。その眼力の鋭さに、瑞紀は驚愕した。
(さすがに<櫻華会>の会頭だけあるわ……)
「はい……。おっしゃるとおりです」
 そう告げると、瑞紀はバーキンの中からM93RMK2を取りだして、鳴門の目の前に置いた。鳴門は無造作にM93RMK2を右手で握り締めると、カチリと安全装置を解除した。

「十二人もの命を奪っておいて、自分だけは倖せに結婚しようって言うのか? そんな我が儘が許されると思っておるのか?」
 右手に持ったM93RMK2の銃口を瑞紀に真っ直ぐに向けながら、鳴門が厳しい表情で告げた。その射抜くような視線には、瑞紀の答えによっては躊躇わず銃爪トリガーを引く気迫がこもっていた。

会頭おやじ、待ってくれッ!」
 鳴門の態度に、純一郎が驚愕して右膝を立てた。瑞紀は純一郎の左膝に右手を置くと、落ち着いた口調で鳴門に告げた。
「おっしゃるとおりです。私には純一郎さんと添い遂げる資格などありません。それ以前に、私は純一郎さんとの結婚を望んでいるわけではありません」

「瑞紀ッ……!」
 瑞紀の言葉に愕然とした表情を浮かべて、純一郎が彼女の名を呼んだ。純一郎に優しく微笑みかけると、瑞紀が続けた。
「私はこの命を純一郎さんのためだけに使うと誓っています。妻だろうが愛人だろうが、立場などどうでも構いません。私は純一郎さんの側にいて、彼の盾となります。そして、純一郎さんに万一のことがあれば、私は迷わずに彼の後を追います」
 黒曜石の瞳に激烈な炎を燃やしながら、瑞紀は鳴門の眼を真っ直ぐに見つめて言い放った。その真摯な激情の吐露に、鳴門は言葉を失って瑞紀を見つめ返した。

「純一郎ッ!」
 突然、鋭い口調で鳴門が純一郎の名前を叫んだ。だが、その視線は瑞紀の黒瞳に据えられたままだった。
「はッ……!」
「生涯、この瑞紀さんを手放すなッ! 浮気など、この儂が許さぬッ! お前などには過ぎた娘じゃッ! 儂は<櫻華会>の代紋を、瑞紀さんに渡したくなったわいッ!」
 ニヤリと笑みを浮かべると、鳴門は年齢を感じさせないほど豪快に笑った。

「はッ……! お言葉、肝に銘じますッ……」
 純一郎が深々と鳴門に頭を下げた。その様子を見て満足そうに頷くと、鳴門はM93RMK2の安全装置をロックして瑞紀の前に置いた。
「試すようなマネをして悪かったのう、瑞紀さん……」
「いえ……」
 愛しい孫娘を見守る好々爺のような表情で、鳴門が瑞紀に謝罪した。

「この馬鹿をよろしく頼む。あんたなら、安心して純一郎も<櫻華会>も預けられるわい。それから、今後は儂を本当の父親と思うて何でも相談するがよい。純一郎が浮気でもしたら即破門して、<櫻華会>の代紋はあんたに渡すからのう……」
「はい。ありがとうございます。不束者ふつつかものですが、よろしくお願いいたします」
 ニッコリと微笑むと、瑞紀が鳴門に深く頭を下げた。

「お、会頭おやじ……」
 有力な後ろ盾を瑞紀に攫われて、純一郎が情けない声を上げた。それを笑いながら聞き流すと、鳴門が純一郎に命じた。
「何をしておる、純一郎……。早く盃を持って来ぬか? 儂と瑞紀さんの親子盃じゃ。ついでに、お前が瑞紀さんを娶る祝いも兼ねてやろう。盃は三つ用意しろ……」
「は、はいッ……」
 純一郎が席を立って、盃の用意を命じるために会頭室から出て行った。今の鳴門の言葉は、瑞紀を純一郎の上に置いたも同然であった。

「瑞紀さん……。儂はあんたが女であることが残念じゃ……。男なら間違いなく、<櫻華会>どころか日本中の極道の頂点に立てたものを……」
 ため息をつきながら告げた鳴門の言葉に、瑞紀は微笑みを浮かべながら応えた。
「会頭……お義父さまとお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「おお、嬉しいのう。ぜひ、そう呼んでくれ……。儂も瑞紀と呼ばせてもらうとしよう」
 心の底から嬉しそうな表情を浮かべながら、鳴門が告げた。

「ありがとうございます、お義父さま……。純一郎さんは次期<櫻華会>の会頭だと伺っております。私はあくまで純一郎さんを立てて参ります。そのことをお心にお留め頂ければ幸甚です」
 長い黒髪を揺らしながら、瑞紀が鳴門に深々と頭を下げた。
「分かった……。先ほどのような言葉は慎むとしよう」
 鳴門が瑞紀の言わんとしていることを理解して頷いた。

「お待たせしました、会頭おやじ……」
 純一郎が自ら盃と御神酒の盆を携えて戻ってきた。そして、朱色の盃を鳴門、瑞紀の順で手渡し、最後の一枚を自分の膝の前に置いた。
「では、瑞紀……。酌をせい」
「はい、失礼します……」
 瑞紀が御神酒の入った取っ手付きの徳利とっくりを右手に取って、左手を添えながら鳴門の盃を満たした。

「本来であれば若頭たる純一郎からじゃが、今日だけは親子盃を優先する。瑞紀、盃を差し出せ……」
「はい……」
 両手で盃を差し出すと、鳴門が瑞紀の盃に御神酒を注いだ。
「次は純一郎じゃ……」
「はッ……」
 鳴門が純一郎の盃にも御神酒を注いだ。

「本日、ただいまを持って、楪瑞紀を<櫻華会>会頭、鳴門讓司の娘とする。そして、若頭、神崎純一郎と楪瑞紀の婚約をここに認める。媒酌人は、この鳴門讓司が務める。では、乾杯ッ……!」
「乾杯ッ!」
「乾杯……」
 鳴門の音頭で、三人は一気に朱色の盃を呷った。

「いや、めでたいのう……。瑞紀、儂が生きている間に孫の顔を見せるんじゃぞ……」
「お、お義父さま……」
 鳴門の言葉に、瑞紀はカアッと顔を赤らめて俯いた。その様子を見て、鳴門と純一郎が声を上げて笑った。

(これで、私は本当に<櫻華会>の姐さんになったんだ……。まさか、自分が極妻になるなんて、思いもしなかったわ……)
 倖せそうな笑顔を浮かべると、瑞紀は隣に座る純一郎の横顔を愛おしそうに見つめた。


「あの会頭おやじが一目で気に入るとは、さすがに<星月夜の女豹レオパーディン・シュテルネンナハト>と呼ばれるだけあるな、瑞紀……」
 会頭室を後にして二階の応接室に戻ると、ドサリとソファに腰を下ろしながら純一郎が告げた。
「さすがなのは、お義父さまの方よ。あのお歳であれほどの洞察力と威圧感は、只者じゃないわ……」
 純一郎の目の前に座りながら、瑞紀がフウッと緊張を解いて答えた。

「それにしても、浮気をしたら即破門とは、どれだけ気に入られたんだ……」
「あら? そんなに浮気したいの? 別に私は構わないわよ……」
 苦笑いを浮かべながら告げた純一郎の顔を見つめると、瑞紀がニッコリと笑顔を浮かべた。その右手がバーキンの中に差し込まれたことに気づき、純一郎が慌てて言い募った。
「冗談だ。浮気なんてするはずねえだろう……」

「本当かしらね……? あ、龍成から連絡が入ったわ。スピーカーにして出るわね」
 そう告げると、瑞紀が左腕のリスト・タブレットを操作して通話アイコンをタップした。
『瑞紀か? 俺だ……』
「どうだった、龍成? 凛桜さんの足どりは掴めたの?」
 リスト・タブレットのマイクロフォンに向かって、瑞紀が訊ねた。

『凛桜は花園神社の唐獅子門で、数人の男と一緒に黒いワゴンに乗せられたようだ。ワゴンはレンタカーで、借主は新宿区内に住む普通の会社員だ。だが、本人は免許証を紛失しており、レンタカーを借りたことがないと言っている。それどころか、十年以上も運転をしていないペーパードライバーだ』
「つまり、偽装免許証でレンタカーを借りたってことね? それで、そのワゴンの行方は……?」
 偽装免許証まで用意していたとなると、凛桜の拉致は綿密な計画の上で実行された可能性が大きかった。

『Nシステムの検索履歴では、首都高速中央環状線の初台南ICから入って、湾岸線経由で横浜横須賀道路を進み、逗子ICで高速を下りている。その後は一般道のため、Nシステムでは追い切れなかった……』
「逗子IC……。飛行機じゃなく、船ね……。あの辺りで大型船舶が係留できる港だと、横須賀港か逗子マリーナ、それと葉山マリーナだわ」
 逗子の辺りの地図を頭に描きながら、瑞紀が告げた。

「横須賀港の可能性は低いと思う。横須賀には海上自衛隊横須賀地方総監部がある。日本の表玄関とも言われる海域だし、その規模も海上自衛隊で最大だ。いかにシチリアン・マフィアといえども、拉致した人間を乗せて横須賀地方総監部の目の前から出港するとは考えにくい……」
「それもそうね……。そうなると、残りは逗子マリーナか葉山マリーナね。船舶なら逗子、ヨットなら葉山ってところかな?」
「イタリアに向かうかどうかは不明だが、ヨットで遊覧って訳じゃないだろう? 恐らく船舶だ。今、俺たちは逗子マリーナに向かっている」
 瑞紀も龍成と同意見だった。船の規模は分からないが、ある程度大型の船舶ならば逗子マリーナに係留していた可能性が高かった。

「ねえ、龍成……。仮に船舶が特定できたとして、どうやって追うつもりなの?」
 ヘリパイロットの凛桜が拉致されたため、AH-10Sステルス・コブラを投入することは不可能だった。<星月夜シュテルネンナハト>には凛桜の他に数名のヘリパイロットがいたが、いずれも操縦士としての技量は凛桜と比べて大きく劣っていた。通常飛行であれば問題ないが、戦闘飛行を行うには不安があった。

『口惜しいが、ベーカーの目の付け所は確かだったな。凛桜がいなければ、ステルス・コブラは運用できない。<星月夜シュテルネンナハト>のシコルスキーS-110を利用するか、海上保安庁か海上自衛隊に協力要請をするしかない』
 無念さを隠しきれない口調で、龍成が告げた。

「シコルスキーS-110には武装がなかったはずよ。ベーカーの船舶の種類にもよるけど、相手に対空砲があった場合には簡単に撃墜されるわ」
 シコルスキーS-110は十八人乗りの輸送ヘリコプターだ。<星月夜シュテルネンナハト>の特別捜査官エージェント時代に瑞紀も搭乗したことがあったが、バルカン砲一つ搭載されていなかった。

「分かっている。だが、海上保安庁にせよ海上自衛隊にせよ、協力を要請してから受理されるまでには時間がかかる。その間にシチリアまで逃げられたら、姫川警視の二の舞になる怖れが大きい」
「私に考えがあるわ。龍成は船舶の割り出しを続けて……」
 瑞紀が龍成の言葉を思い出しながら告げた。龍成は横須賀に、海上自衛隊横須賀地方総監部があると言ったのだ。

「どうするつもりだ? 海上保安庁か海上自衛隊にコネでもあるのか?」
「まあね……。ダメ元で頼んでみるわ。結果は、後で連絡をする。龍成も、ベーカーの船舶が特定できたら連絡して……」
 コネと言うには希薄すぎるものだった。だが、可能性はゼロではないため、試してみる価値はあった。
「分かった。無理するなよ、瑞紀……」
「龍成も……。また、後で……」
 そう告げると、瑞紀は龍成との通信を切った。

「水島二佐に連絡するつもりか? あの人は、陸上・・自衛隊の二等陸佐だぞ」
 瑞紀の考えを読んで、純一郎が顔をしかめながら訊ねた。水島二佐は麗華の実の父親だ。麗華の死に直接関与した瑞紀は、水島二佐にとって娘の仇とも言える存在のはずだった。その水島二佐が瑞紀の依頼を素直に聞いてくれるとは思えなかった。

「確かに水島二佐は私を憎んでいるかも知れないわ。でも、今回は凛桜さんの命に関わる案件よ。そして、凛桜さんは水島二佐の直属の部下だったはず……。協力してもらえる可能性はゼロではないと思う……」
「仮に水島二佐の協力が得られたとして、陸自の彼が海自の武装艦を動かす権限などないぞ……」
 最終的に海上自衛隊の武装艦を動かせなければ、瑞紀のしようとしていることは全くの無駄だった。最悪の場合は、水島二佐に瑞紀が罵倒されるだけで終わるかも知れなかった。ただでさえ瑞紀は麗華の死に責任を感じている。水島二佐にそれを抉られて、瑞紀が傷つくことを純一郎は心配した。

「純の言いたいことは分かるわ。でも、青ヶ島に<蛇咬会じゃこうかい>の本部があるという情報は、水島二佐がくれたと聞いたわ。その時に二佐は龍成に、陸自、海自、空自のあらゆるコネを使って調べたと告げたそうよ。だとすれば、水島二佐が海自にも強力なコネを持っている可能性があるわ」
「瑞紀……。一つ訊いていいか?」
 瑞紀の話を聞いて、純一郎が以前から気になっていたことを訊ねる決心をした。

「何……?」
「凛桜は、お前から白銀を奪った女だ。お前にとっては殺しても飽き足りない存在じゃないのか?」
 真剣な表情で瑞紀の黒瞳を見つめながら、純一郎が言った。
「確かに、私は凛桜さんを怨んだわ。凛桜さんさえいなければ、龍成との関係が壊れることはなかった。実際に、9mm弾を二、三発撃ち込んでやろうと思ったことも何度かあるわ……」
「だったら、何故だ……? 自分が傷つくことが分かっていて、どうして凛桜を助けようとする?」
 純一郎の問いに、瑞紀は笑顔を浮かべた。それは、見る者を魅了する素晴らしい笑顔だった。

「凛桜さんが私の命の恩人だからよ。今の私があるのは、凛桜さんのおかげだわ。私が純を愛し、純に愛されるようになれたのは、凛桜さんがいたからなの……。さっきも言ったけど、以前は凛桜さんを殺したいほど憎んだわ。でも、今は凛桜さんに感謝さえしている……。だから、例え可能性が低くても、凛桜さんを助けるために全力を尽くすわ。そのために私が嫌な思いをしたり、傷ついたりすることなんて、些細なことよ……」
「瑞紀……。お前って奴は……」
 瑞紀の真情を聞いて、純一郎は言葉を失った。

「お義父さまにも言われたけど、十二人も殺した私が純と結ばれて倖せを掴むなんて、許されることではないのかも知れない。だから、玲奈さんや凛桜さんを助けて、少しでも罪を減じたいって気持ちがないっていったら嘘になるわ。口では色々と自分を正当化しているけど、所詮は身勝手な女なのよ、私は……。どう、純……? 幻滅した……?」
 自虐的な笑みを浮かべながら、瑞紀が純一郎を見つめた。その黒瞳は、本当に純一郎に幻滅されるのではないかという不安に揺れていた。

「馬鹿言うな……」
 そう告げると純一郎は席を立ち、目の前に座る瑞紀の隣りに腰を下ろした。そして、右手で瑞紀の肩を抱き寄せると、耳元で囁いた。
「惚れ直したぞ、瑞紀……」
「純……」
 純一郎が瑞紀の唇を塞いだ。濃厚にお互いの舌を絡め合い、長い口づけを交わした。

「水島二佐に連絡を取るわ……。その前に、トシ君から水島二佐の携帯番号を教えてもらわないと……」
 細い唾液の糸を引きながら唇を離すと、瑞紀は照れたように早口で告げた。その顔は恥ずかしさと官能とで真っ赤に染まっていた。
「分かった……。続きは今夜だな……」
「ばか……」
 カアッと耳まで赤く染めると、瑞紀は左手のリスト・タブレットを操作して部下の水島俊誠を呼び出した。


「ありがとう、トシ君……。じゃあ、また……」
 俊誠との通話を切ると、瑞紀は彼から聞き出した携帯番号をプッシュした。呼び出し音を三回数えると、低い男の声がスピーカーから響き渡った。
『はい、水島です……』
「ご無沙汰しております。ゆずりはです……」
 瑞紀が名乗ると、しばらく沈黙が続いた。怒りを抑えているのか、それとも戸惑っているのか、その沈黙からは判断が付かなかった。

「突然ご連絡をして、申し訳ありません……」
 長い沈黙に耐えかねるように瑞紀が告げた。緊張で声が震えているのが、自分でも分かった。
『何のご用でしょうか?』
 感情を押し殺した口調で水島が訊ねてきた。瑞紀はゴクリと生唾を飲み込むと、本題に入ることにした。

「水島さんのお力をお借りしたくて、ご連絡させて頂きました。以前に<星月夜シュテルネンナハト>の白銀龍成に、水島さんは海自や空自にもコネがあるとおっしゃったと伺っております。不躾で申し訳ありませんが、海自の佐官をご紹介頂けませんでしょうか?」
 瑞紀の言葉を聞くと、水島は再び沈黙した。そして、二十秒近く経ってから、厳しい口調で訊ねてきた。

『麗華の件は、あなたに責任がないと言うことは理解しています。ですが、理性と感情は別物です。感情的には、私はあなたを許せません。申し訳ないが、あなたに協力するつもりはありません。失礼します……』
 通話が切られる気配を感じ、瑞紀は慌てて叫んだ。
「待ってくださいッ! 西園寺凛桜が拉致されましたッ! 私に協力するのではなく、凛桜さんの命を救うために力を貸してくださいッ!」
 瑞紀の言葉に、水島が息を呑む気配が伝わって来た。

『西園寺が拉致された……? どういうことですか?』
「シチリアン・マフィアの相談役コンシリエーレであるレオナルド=ベーカーという男に、凛桜さんが拉致されたことが確認されました。今から約二時間前のことです。調査をした結果、凛桜さんは逗子マリーナから船で連れ出された可能性が高いんです」
『船で……。それで、私に海自の佐官を紹介しろと……? 海自のイージス艦でマフィアを追うつもりですか?』
 瑞紀の説明で、水島は何故彼女が連絡してきたのかを理解した。同時に、瑞紀がどう対処するつもりなのかも察した。

「<星月夜シュテルネンナハト>のAH-10Sステルス・コブラを操縦できるのは、凛桜さんしかいません。彼女が拉致された今、<星月夜シュテルネンナハト>で作戦投入できるのは、輸送ヘリコプターであるシコルスキーS-110しかないんです。ご存じのとおり、S-110には武装がありません。敵の船舶の種類は調査中ですが、万一対空砲などを有していれば、S-110では簡単に撃墜されてしまいます。ですから、海自の武装艦を貸して頂きたいんです。そのために、武装艦の運用権限がある海自の佐官を紹介して頂けませんか?」
 瑞紀が必死の表情で、水島を説得した。

『状況は理解しました。ですが、海自にいる私の知人は、イージス艦の運用権を有していません。他を当たってみてはいかがですか?』
「他ですか……。そうは言っても、他に自衛隊の知り合いはいません……」
 水島の言葉にガクリと肩を落としながら、瑞紀が告げた。例え海自の佐官を紹介されても、イージス艦の運用権がなければ意味がなかった。

『楪さん、先ほど言いましたが、私はまだあなたを許すことはできません。ですから、あなたに協力するつもりはありません』
「分かりました……。突然のご連絡申し訳ございませんでした。失礼します……」
 瑞紀は水島との通話を切ろうとした。恨み言なら後でいくらでも聞くつもりだが、今は時間が惜しかった。水島の協力が得られないのであれば、他の手を考えるしかなかった。

『待ちなさいッ! 私の話はまだ終わっていませんッ!』
「失礼しました。ですが、私に対するご不満であれば後日承ります。今はご容赦ください。至急、凛桜さんを救う手立てを考えなければなりません……」
 瑞紀は困った表情で純一郎を見つめた。純一郎は首を横に振り、早く切れと無言で伝えてきた。

『あなたは、何か誤解をされているようだ。私はあなたに協力するつもりはないと言いましたが、西園寺の命がかかっているとなれば、好き嫌いなどと言っている場合ではない……。だから、他を当たれとアドバイスしたのです』
「アドバイス……? おっしゃっている意味が……」
 水島の真意を測りかねて、瑞紀が戸惑った表情を浮かべた。

『楪さん、あなたは私の肩書きをご存じのはずだ』
「はい……。陸上自衛隊木更津駐屯地所属、東部方面航空隊第四対戦車ヘリコプター隊の二等陸佐と伺っております」
 水島は凛桜の元上官だった。だからこそ、凛桜の危機に助力を求めたのだ。

『そうです。私は、東部方面航空隊の責任者です。つまり、海自の力を借りなくても、第四ヘリコプター隊は私の権限でいつでも出動させることが可能です』
「……! 水島さんッ!」
 瑞紀は水島が言いたいことを理解した。
『元同僚である西園寺の危機であれば、隊員たちも喜んで出動するでしょう。AH-1Zヴァイパー三機、AH-64Dアパッチ四機の発進準備をさせておきます。戦闘ヘリコプターが七機あれば、イージス艦相手でも引けを取りません』
 自信に満ちた水島の言葉に、瑞紀は嬉しさのあまり涙が滲んできた。

「ありがとうございます、水島さん……」
『マフィアの船舶の現在位置が分かったら、すぐに連絡をください』
「はい、必ず……」
 溢れ出た涙を右手で拭いながら、瑞紀が頷いた。
『それと今回、あなたに協力するのに一つだけ条件があります』
「は、はい……」
 突然告げられた水島の言葉に、瑞紀は緊張した。どんな条件を突きつけられるのか、予想もできなかった。

『西園寺を無事に救出したら、横浜にある私の自宅を訪ねてください。そして、麗華に会いに来てください』
「水島さん……」
 麗華の葬儀に参列はしたが、瑞紀は今まで麗華の自宅に上げさせてもらえなかったのだ。

『条件と言うより、お願いですね。よろしいですか、楪さん……?』
「はい……。ぜひ、麗華と会わせてくださいッ!」
 黒曜石の瞳から溢れ出た涙が、頬を伝って流れ落ちた。
『ありがとう。では、連絡を待っています』
「はい、ありがとうございました、水島さん……」
 麗華の父親である水島に許されたことが、瑞紀は何よりも嬉しかった。通話を切ると、瑞紀は喜びのあまり両手で顔を覆って泣き出した。

「さすがに麗華の父親だけある。立派な男だな、水島二佐は……」
 瑞紀の肩を抱きながら、純一郎が告げた。
「うん……。そうね……。これで、麗華に会うこともできるわ。それに、戦闘ヘリコプターが七機もあれば、ステルス・コブラ以上の戦力よ。後は、龍成たちからの連絡を待つだけだわ……」
 溢れ出た涙を拭いながら、瑞紀が嬉しそうに笑顔を見せた。

(麗華……。今回、水島さんを動かしてくれたのは、きっとあなたなのね。ありがとう、麗華……。凛桜さんを助けたら、必ず逢いに行くから待っていて……)
 自分を護って死んだ親友の顔を思い浮かべると、瑞紀はそっと眼を閉じて心の中で彼女に両手を合わせた。純一郎がその様子を優しい眼差しで見守っていた。
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