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終章
5 若獅子の求婚
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「凛桜さんが来ていない? どういうこと……?」
「一時間以上前にここに向かうと連絡があってから、まだ来ていない。奴らに捕まった可能性がある……」
<櫻華会>本部の二階にある応接室で、目の前に座る瑞紀とはるかに向かって純一郎が告げた。
「そんな……。ベーカーの標的に凛桜さんは入っていなかったはず……」
純一郎の言葉に蒼白になりながら、瑞紀が呟いた。
「確かに玲奈からの情報では、凛桜は標的ではなかった。だが、よく考えてみれば、凛桜の役割は大きい。ステルス・コブラを操縦できるのは、凛桜だけだからな……」
「白銀さんやアランさんには連絡したんですか?」
苦汁を噛みしめた口調で告げた純一郎に、はるかが訊ねた。
「さっき、白銀に連絡を入れた。もうじき、ここに来る頃だ……」
純一郎がそう告げた瞬間、応接室のドアが荒々しく開かれて龍成とアランが駆け込んできた。
「神崎、凛桜はまだ来ていないのかッ?」
応接室に入るや否や、龍成が純一郎に叫んだ。
「まだだ……。すまない、白銀……。迎えを出すべきだった。次の標的は瑞紀だと思い込んでいた俺のミスだ……」
龍成の表情を見据えながら、純一郎が謝罪した。
「落ち着け、リューセイ。カンザキに非はない。リオを一人で行かせた我々のミスだ」
純一郎に掴みかかりかねない形相の龍成を、アランが宥めるように告げた。
「まだ、凛桜さんがベーカーに拉致されたと決まったわけじゃないわ。不測の事態に巻き込まれて、遅れているってことも……」
「さっき、東口交番にリスト・タブレットの落とし物が届いた。シリアルナンバーを確認したら、リオの物だった」
瑞紀の言葉を遮るように、アランが険しい表情で告げた。<星月夜>では、リスト・タブレットを二十四時間、肌身離さずに装着する義務があった。それが拾得物として届けられることなど、通常では考えられないことだった。
「では、やはり凛桜さんは……」
はるかが確認するようにアランの顔を見上げた。それに頷くと、アランが厳しい口調で告げた。
「特別捜査官を総動員して、リスト・タブレットがあった花園神社周辺の目撃情報を調査する。ハルカ、ヒメカワ警視に連絡を取って、警察に協力を要請してくれ」
「はいッ!」
はるかは席を立つと、玲奈に電話を掛けるために応接室から出て行った。
「玲奈さんの時のように、イタリアまで連れて行かれたら厄介よ。日本にいる間に捜し出さないと……」
「凛桜から着信があったのは、午後一時三十二分だ。今から一時間十五分ほど前だな……」
瑞紀の言葉に頷くと、純一郎がリスト・タブレットの着信時間を確認しながら告げた。海外へ飛び立つには、ここから最も近い飛行場は調布飛行場だった。一時間十五分あれば、渋滞していない限り調布飛行場に到着するには十分な時間だった。
「アラン、本部から調布飛行場を離陸した飛行機がないか確認を入れてもらう」
純一郎と同じ考えに至った龍成がリスト・タブレットを操作し、<星月夜>本部にいる特別捜査部長の藤木に連絡を取った。
「藤木さんから調布飛行場に確認の連絡をしてもらえるそうだ。分かり次第、折り返し連絡をもらうことになった」
リスト・タブレットの通話を終えると、龍成が厳しい表情のまま告げた。
だが、五分後、藤木からの電話に出た龍成はさらに厳しい表情を浮かべながら告げた。
「今日は調布飛行場から民間機の離陸予定はないそうだ」
「外交官機は……?」
瑞紀の質問に、龍成は首を振った。
「外交官機も含めて、調布飛行場が所有している機体以外の離陸予定はない……」
龍成の言葉に、全員が沈黙した。
「でも、逆に言えば捜査範囲が国内に絞られるってことですよね? 外国に行かれるよりは捜しやすいんじゃないですか?」
場の雰囲気を和らげるように、はるかが明るい声で言った。
「そうだとしても、目撃情報が得られるまでは何一つ手がかりがない……。その間に、凛桜がどんな眼に遭っているかを考えると……」
唇を噛みしめながら龍成が拳を固く握り締めた。マフィアに拉致された女性がどのような悲惨な眼に遭わされるかを、龍成は瑞紀や玲奈を見て知っているのだ。
(龍成……。凛桜さんを本気で愛しているのね……。きっと、私の時もこんな風に苛立っていたんだ……)
龍成の態度を見て、彼が凛桜を愛していることを実感するとともに、かつて<蛇咬会>に拉致された自分を重ねていることに瑞紀は気づいた。
「龍成……。凛桜さんを絶対に助け出しましょう。それには、あなたが冷静にならないとダメよ。感情にまかせて動いたら、助けられる命も助けられないわ……」
瑞紀が龍成の広い背中に左手を添えながら告げた。その様子を、純一郎がジロリと睨むように見つめた。
「ああ……。そうだな。ありがとう、瑞紀……」
瑞紀の言葉に頷くと、龍成がアランに向かって言った。
「アラン、本部に戻って聞き込みの人選をするぞ。瑞紀、神崎……、何か分かったら連絡を入れる」
「分かったわ。無茶しないで、龍成……」
「うちの若い連中にも、聞き込みをさせる。こっちも、何か分かったら連絡してやる」
純一郎に頷くと、龍成とアランは応接室から出て行った。それと入れ替わりに、はるかが応接室に入ってきた。
「姫川課長に状況を説明して、聞き込みの協力をしてもらうように依頼しました。こういった地道な捜査は、<星月夜>よりも警察の方が慣れています」
プロファイリングが発達した現在でも、捜査の基本は靴を磨り減らせての聞き込みだった。警察の組織力を味方に付ければ、<星月夜>単独での聞き込みよりも効果が期待できた。
「ところで、あんたは白銀たちと一緒に戻らなくていいのか?」
応接室に残ったはるかに、純一郎が怪訝な表情で訊ねた。西新宿署を退職したはるかは、今では<星月夜>の特別捜査官だったからだ。
「はい。アランさんから当面は何があっても瑞紀さんのガードに付くように言われていますから……」
ニッコリと笑顔を浮かべながら、はるかが告げた。その様子を複雑な表情で純一郎が見つめた。龍成に対する瑞紀の態度に嫉妬し、純一郎は彼女に誰の女であるかを思い知らせてやるつもりだったのだ。
「純、心配しなくても大丈夫よ……。龍成に対しては、もう友情しか感じていないわ」
純一郎の表情から彼の考えを読み取ると、瑞紀が笑顔を浮かべながら告げた。
「心配などしていない。お前が誰の女か忘れたようだったから、お仕置きしてやろうかと思っただけだ」
「お仕置き……?」
純一郎の言葉の意味に気づき、瑞紀はカアッと顔を赤らめた。そして、はるかの顔をちらりと見ると、純一郎に向かって叫んだ。
「バカなこと言ってないで、早く聞き込みをするように言いなさいッ!」
「ハッ、ハッ、ハハッ……! 義一、いるかッ?」
楽しそうに笑うと、純一郎が大声で早川義一の名を呼んだ。
「はッ! 若頭、失礼しますッ! 姉御もご一緒でしたか? ご無沙汰していますッ!」
応接室の扉をノックして、義一が入ってきた。そして、純一郎と瑞紀に深く頭を下げた。
「姉御って……?」
義一の言葉に、はるかが驚いて瑞紀の顔を見つめた。
「ちょっとね……。義一君、その呼び方は止めるように言ったはずよ」
「そうだぞ、義一。二度と瑞紀のことは姉御と呼ぶんじゃねえ……」
「は、はいッ! 失礼しました……」
瑞紀と純一郎から厳しく注意され、義一が慌てて二人に頭を下げた。
「これからは、瑞紀のことを姐さんと呼べッ! いいな、義一?」
「あ、姐さんですかッ! は、はいッ!」
満面に笑みを浮かべながら、義一が元気よく答えた。
「ちょっと、純ッ! その呼び方は……」
カアッと真っ赤に顔を染めながら、瑞紀が慌てて純一郎に文句を言った。
「俺と一緒になれば、いずれそう呼ばれるようになる。今から慣れておけ、瑞紀……」
「そういうことですか? よろしくお願いします、姐さんッ!」
耳まで赤く染め上げながら、瑞紀が恨めしそうな視線で純一郎を見つめた。
「なるほど……。極妻ってことですね、瑞紀さん?」
今のやり取りを聞いて、はるかがニヤつきながら瑞紀に告げた。
「そんなんじゃ……。もう、好き呼んで……」
大きくため息をつくと、瑞紀は真っ赤な顔を逸らしながら呟いた。その様子を笑いながら見つめると、純一郎が義一に命じた。
「若い連中を集めて、花園神社周辺の聞き込みをして来い。西園寺凛桜がシチリアン・マフィアに拉致られた。車に乗せられたと思うから、その車種やナンバーを確認しろ。他にも役立つ情報があれば、一つ残らず聞いてこいッ!」
「はいッ!」
純一郎の命令に答えると、義一は飛び出すように応接室から出て行った。それを見送りながら、瑞紀が純一郎に文句を言った。
「もう……。義一君、完璧にその気になってるじゃないの?」
「いいじゃねえか? 凛桜を助け出したら、指輪を買いに行くからそのつもりでいろ」
「指輪……?」
純一郎の言葉に、瑞紀が驚いて彼の顔を見つめた。
「わあッ! 婚約指輪ですか? おめでとうございますッ!」
はるかが両手を叩いて、はしゃいだ声を上げた。
「ちょっと、純……。私、まだプロポーズなんてされてないわよ!」
勝手に話を進める純一郎に、瑞紀は不満そうな表情で告げた。
「何、言ってる? 昨夜、お前と俺は一心同体だって言ったろう? そうしたら、嬉しいって言って抱きついてきたじゃねえか?」
「あ、あれって、プロポーズだったの?」
ベッドの中の睦言をはるかの前で暴露され、瑞紀は茹で上がったように真っ赤に染まった。
「当たり前だ。あんな言葉、他の女に言うはずねえだろう?」
「それは……そうだけど……」
ちらっとはるかの顔を見つめると、瑞紀は恥ずかしそうに赤面した顔を伏せた。
「あたし、外に出ていますね……」
あまりに生々しいやり取りに、はるかが顔を赤くしながら席を立とうとした。
「いや、はるか……。ここにいて見届け人になってくれ。鈍感な瑞紀は、俺のプロポーズに気づいていなかったようだ。改めて言うぞ。俺と一緒になれ、瑞紀……」
「もう……。こういうことは、二人だけの時に言うものじゃないの……?」
プロポーズに見届け人を付けるなど、瑞紀は聞いたこともなかった。
「どうなんだ、瑞紀? 答えは……?」
「分かったわよ……。プロポーズ、お受けします……」
全身を真っ赤に染め上げながら、瑞紀が小声で囁くように答えた。嬉しさと恥ずかしさで、穴があったら入りたい心境だった。
「おめでとうございますッ! プロポーズの現場に立ち会うなんて、初めてですッ!」
はるかが興奮を隠せない表情で、嬉しそうに叫んだ。
「私も人前でプロポーズされるなんて、思ってもみなかったわ……」
「昨夜のプロポーズに気づかなかったお前が悪い……。後で、会頭に報告に行くぞ、瑞紀……」
「ええ……。分かったわ……」
笑顔で告げる純一郎に笑いかけると、瑞紀は改めてプロポーズを受けたことを実感した。考えてみれば、<櫻華会>会頭である純一郎の義父、鳴門讓司とはまだ面識がなかったのだ。
(私、本当に純の奥さんに……極妻になるんだ……)
自分が鳴門讓司に受け入れられるかどうか、瑞紀にはまったく自信がなかった。だが、愛する純一郎の妻になることだけは、思っていた以上に嬉しかった。瑞紀は純一郎の顔を見つめると、心の底から微笑みを浮かべた。
(愛しているわ、純……。これからは何があってもずっと一緒よ……)
かつて感じたことのない倖せに、瑞紀は涙で純一郎の顔が滲んで見えた。白い頬を伝って流れ落ちる涙が倖せの証であることを、その時の瑞紀は信じて疑いもしなかった。
(地震……?)
意識を取り戻すと、凛桜は地面が揺れているように感じて違和感を覚えた。周囲を見渡すと、ホテルの一室のような部屋に立たされていた。いや、正確に言うと、両手首を一つに括られて天井から吊られていた。そして、両脚は大きく開かされ、足かせを嵌められて床に繋がれていた。
(何、これ……? いったい、どういうこと……?)
ブラウスのボタンは千切れて無くなっていたものの、一応衣服は身につけていた。シチリアン・マフィアの男たちに車に押し込まれ、指と舌で何度もイカされまくった記憶が蘇ってきた。
(あいつら、絶対に許さないわッ!)
恥辱と怒りのあまり、凛桜は手足を激しく動かした。だが、手枷と足枷は太い鎖に繋がれており、凛桜の動きを嘲笑うかのように微動だにしなかった。
「ここは……船……?」
窓から見える海はすぐ目の前に広がっていた。足元から伝わる揺れも、船の中にいることを凛桜に教えていた。
(どこに向かっているの? イタリアまで船で行ったら、一ヶ月以上はかかるはず……)
玲奈が囚われていたというレオナルドのハレムを思い出し、凛桜は嫌悪感にブルッと体を震わせた。
(ハレムなんて、冗談じゃないわッ! 隙を見て逃げ出して、泳いでだって日本に帰ってやるッ!)
その時、入口の扉が開かれ、一人の男が入ってきた。百八十センチを越える長身に、堂々たる体躯をした男だった。年齢は四十歳前後で、彫りの深い容貌に凍てつくような蒼青色の瞳が印象的だった。黄金の髪を整髪料でオールバックに固めており、太い眉と薄い唇が、男の持つ意志の強さと酷薄さを物語っていた。
「あんたが、レオナルド=ベーカーさんね……」
男の持つ圧倒的な存在感に気圧されながら、凛桜が訊ねた。その声が自分のものとは思えないほど、掠れて震えていることに凛桜は驚いた。
「いかにも……。私がレオナルド=ベーカーだ。ファヴィニーナでは世話になったな、リオ=サイオンジ……」
レオナルドが自分のフルネームを知っていることに、凛桜は驚いた。その驚愕を読み取ったかのように、レオナルドが薄らと笑みを浮かべながら告げた。
「君のことは調べさせてもらった。元陸上自衛隊の二等陸尉で、現在は<星月夜>で唯一のAH-10Sステルス・コブラの女性ヘリパイロットだろう。会えて光栄だ、リオ……」
「馴れ馴れしくファーストネームを呼ばないで……。それよりも、早くこの拘束を解きなさい、ベーカーッ!」
そう告げた途端、凄まじい力で左頬に平手打ちを受けた。手加減の欠片もない力に、凛桜は鎖を軋ませながら大きく上体を揺らした。左頬が熱を持ったように熱くなり、切れた唇から血が流れ落ちた。
「二度と私を呼び捨てにするなッ! 私の名を呼ぶときには、ベーカー様と敬称を付けろッ!」
「女の顔を殴るなんて、野蛮もいいところね、ベーカー……」
今度は左頬を張られた。そして、即座に右頬、左頬と、凄まじい往復ビンタが凛桜を襲った。止めどなく続く平手打ちの嵐に、凛桜が激痛と恐怖のあまり泣き叫んだ。
「やめてッ……! 許してッ! 痛いッ! もう、許してッ!」
美しい貌を無残に腫らしながら、切れた唇から血を流して凛桜が絶叫した。レオナルドは息一つ乱さずに平手打ちを止めると、凛桜の前髪を掴みながら顔を上向かせた。
「私の名を呼んでみろッ!」
「……ベーカー……様……」
凄まじい痛みと激甚な恐怖に震え上がりながら、凛桜が囁くような小声で告げた。
(こいつに逆らったら、殺される……)
<西新宿の女豹>と呼ばれる玲奈が、あれほどまでにレオナルドを恐れた理由を、凛桜は実感を持って理解した。目の前に立つ男は、圧倒的な力と冷酷さを併せ持った紛れもない怪物だった。例え女であろうと、己に逆らう者には一切の容赦をしない苛烈さに、凛桜は心の底から震え上がった。
「最初から素直にそう言えば、痛い思いをせずにすんだものを……。愚かな女め……。だが、体は中々のものだな。大人しく私に抱かれれば、かつてない悦楽を与えてやろう」
そう告げると、レオナルドは衣服の上から右手で凛桜の左胸をむんずと掴んだ。そして、その弾力を確かめるかのようにシナシナと揉みしだき始めた。
「いや……やめて……触らないで……」
ギロリとベーカーに睨まれると、凛桜は唇を噛みしめて抗議の言葉を呑み込んだ。レオナルドの恐ろしさが骨身に刻みつけられていた。
(犯される……。助けて、龍成……)
ギュッと眼を閉じると、愛しい男の顔を瞼に描きながら凛桜は凌辱の恐怖にガタガタと体を震わせた。
「さっきまでの威勢はどうした、リオ……? そんなに体を強張らせたら、快感など感じられぬぞ……」
「許してください……ベーカー様……」
大きな瞳に涙を溜めながら、凛桜が哀願の言葉を告げた。だが、凛桜の懇願に答える代わりに、レオナルドは左乳房を力一杯握りつぶした。
「ひぃいいッ! 痛いッ! 止めてぇッ!」
女の急所に加えられた暴虐に、凛桜は激痛のあまり悲鳴を上げた。
「逆らうなと告げたはずだ。乳房を捻り切られたいかッ!」
「ごめんなさいッ! 痛いッ! 許してッ! お願いしますッ!」
顔を真っ赤に染めて涙を流しながら、凛桜が激痛から逃げ出すように激しく首を振った。赤茶色の髪が振り乱れ、悲壮な女の色香を撒き散らした。
「今からお前の拘束を解いてやる。最初に言っておくが、二度と私に逆らうな」
レオナルドは左乳房から手を離すと、再び凛桜の前髪を掴んで顔を寄せながら告げた。
「逆らったら、殺すッ! お前を抱くのは、女だからに過ぎぬ。本来であれば、ステルス・コブラのパイロットを抹殺するだけでいいのだ。お前が男なら、有無を言わさずに殺している。女に生まれた幸運を神に感謝するがいい……」
そう告げると、レオナルドは頭上で拘束されている両手の枷を外し始めた。
(素手では絶対に勝てないわ……)
凛桜は足かせを外された瞬間に、レオナルドの顎を蹴り上げることを考えた。だが、どうイメージしても、レオナルドに蹴りを避けられるか掴み取られる予想しかできなかった。
(何か、武器になる物は……)
素早く室内を見渡すと、入口の扉の右横に二本の剣が壁に飾られていることに気づいた。そこまでの距離は、およそ三メートルほどだ。凛桜から見て、左側の壁だった。
(お願い、左足から先に外して……)
左足が自由になれば、右脚の拘束を外された瞬間に剣に向かって駆け出すことができそうだった。だが、先に右脚を外されると、左足の拘束を外しているレオナルドの体が邪魔になって剣に向かうことは不可能だった。
両手の拘束を外し終えると、レオナルドが片膝を床について凛桜の左足の拘束を外し始めた。内心の喜びを隠しながら、凛桜は剣までの歩数を目算した。駆け足で三歩だった。
(剣を二本取ったら、一本をベーカーに投げつける。そして、ベーカーが怯んだ隙にドアを開けて外に逃げる。後は甲板に出て、海に飛び込む。陸地が遠くても構わない。ベーカーに凌辱されるくらいなら、溺れ死んだ方がマシだわッ!)
(今だッ……!)
左足の足かせを外された瞬間、凛桜は全力で床を蹴った。予想通り三歩で左手の壁に到達すると、両手で二本の剣の柄を掴み取った。後ろを振り返ると、レオナルドが凄まじい形相で凛桜を睨みつけていた。激甚な恐怖に竦みそうになる気持ちを叱咤して、凛桜は右手に持った剣を大きく振りかぶった。
「ベーカーッ……!」
レオナルドの名を叫ぶと同時に、凛桜は右手の剣を投げつけた。鋭く回転しながら剣がレオナルドの顔面に向かって飛翔した。
レオナルドが大きく上体を仰け反らせて、剣を避けた。それを視線の片隅で確認すると、凛桜はドアの取っ手に手を掛けた。
(開かないッ! そんなッ……!)
ドアには鍵が掛かっていた。ガチャガチャとノブを回す凛桜の背後に、レオナルドが立ち塞がった。凛桜は身を翻してレオナルドに対峙すると、両手で剣を構えた。剣を持つ手が無意識に震えていた。
「ずいぶんと舐めたマネをしてくれたな、リオ……。だが、この部屋のドアは俺の指紋でしか解除できない。そんな玩具は捨てて、こっちへ来いッ! 今ならば、まだ許してやる」
「冗談じゃないわッ! あんたに犯されるくらいなら、死んだ方がマシよッ! それに、いくらあんたが強くても、武器を持った相手を簡単にどうにかできるなんて思わないでッ!」
そう告げると、凛桜は両手で剣を握り締め、右上段から袈裟懸けを放った。
「ハッ……!」
凛桜の剣筋を完全に読み切っていたレオナルドは、左に体を開くと右の手刀で宙を切った剣身を叩き落とした。ボキッという音とともに、剣が中程から折られた。
「そんな……!」
驚きに眼を見開いた凛桜に、レオナルドが冷徹な笑みを浮かべながら告げた。
「玩具だと言っただろう……? 本物が部屋に飾られているとでも思ったのか?」
「こ、来ないで……」
半分の長さになった剣を震える手で持ちながら、凛桜が後ずさった。だが、二歩目で背中が壁に押しつけられた。
(龍成、ごめんッ! 最期にもう一度会いたかったッ!)
凛桜が剣を持ち替えると、折れた剣身を自分に向けて振りかぶった。そして、自らの左胸目掛けて剣を突き刺そうとした。
「あッ、痛ッ……!」
レオナルドが右脚で、凛桜の左手の甲を蹴った。凄まじい激痛を感じた瞬間、凛桜は剣を弾き飛ばされた。凛桜が右手で左手の甲を庇いながら、レオナルドを見つめた。骨折か少なくても骨にヒビが入ったことは間違いなかった。
「<西新宿の女豹>と呼ばれたレナよりも、お前の方が余程肝が据わっているな……。だが、ここまでだ。気の強い女は嫌いじゃない。お前が屈服するまで、犯し抜いてやろうッ!」
レオナルドは冷酷な笑みを浮かべると、凛桜のブラウスに両手を掛けた。そして、凄まじい膂力でブラウスを真っ二つに引き裂いた。
「いやぁああ……!」
ブラジャー一枚にされた胸元を、凛桜が両手で隠しながら悲鳴を上げた。レオナルドが力尽くで凛桜の両手を引き剥がすと、ブラジャーをも二つに引き裂いた。豊かな白い双乳が、レオナルドの目に晒された。その先端には薄紅色の乳首が恐怖に震えていた。
「やめてぇッ……! 助けてッ、龍成ッ……!」
愛する男の名を叫びながら暴れる凛桜を、レオナルドが右肩に担ぎ上げた。そして、部屋の奥に置かれた寝台の上に投げ捨てると、凛桜の上にのしかかってきた。
「やだぁああッ……! やめろぉおッ……! 龍成ッ、助けてぇえッ……!」
泣き叫ぶ凛桜の両手首を左手で掴むと、レオナルドは頭上でベッドに押しつけた。そして、右手でフレアスカートのファスナーを下ろし、暴れる凛桜の両脚から抜き去った。
「いやあぁあッ……! やめてぇッ……! 許してぇッ……!」
「抵抗するのは構わんが、舌を噛まれるのは厄介だ。これでも咥えていろッ!」
凛桜の両脚からパンティーを抜き取ると、それを丸めて口に押し込んだ。
「むぐッ……! ん、んぐぅッ……!」
大きな瞳から涙を流しながら、凛桜が激しく首を振った。レオナルドが右乳首を口に含み、左の乳房を右手で激しく揉みしだき始めた。
「んッ……んむッ……ん、んやぁあッ……!」
両手を頭上に押しつけられたまま、凛桜は全身をくねらせながら激しく抵抗をした。
(龍成ッ……! 助けてッ……! 龍成ッ……!)
硬く眼を閉じた瞼の裏に愛する男の面影を映しながら、凛桜は凌辱の恐怖に震えて大粒の涙を流した。
凛桜にとっての地獄の時間は、始まったばかりであった。
「一時間以上前にここに向かうと連絡があってから、まだ来ていない。奴らに捕まった可能性がある……」
<櫻華会>本部の二階にある応接室で、目の前に座る瑞紀とはるかに向かって純一郎が告げた。
「そんな……。ベーカーの標的に凛桜さんは入っていなかったはず……」
純一郎の言葉に蒼白になりながら、瑞紀が呟いた。
「確かに玲奈からの情報では、凛桜は標的ではなかった。だが、よく考えてみれば、凛桜の役割は大きい。ステルス・コブラを操縦できるのは、凛桜だけだからな……」
「白銀さんやアランさんには連絡したんですか?」
苦汁を噛みしめた口調で告げた純一郎に、はるかが訊ねた。
「さっき、白銀に連絡を入れた。もうじき、ここに来る頃だ……」
純一郎がそう告げた瞬間、応接室のドアが荒々しく開かれて龍成とアランが駆け込んできた。
「神崎、凛桜はまだ来ていないのかッ?」
応接室に入るや否や、龍成が純一郎に叫んだ。
「まだだ……。すまない、白銀……。迎えを出すべきだった。次の標的は瑞紀だと思い込んでいた俺のミスだ……」
龍成の表情を見据えながら、純一郎が謝罪した。
「落ち着け、リューセイ。カンザキに非はない。リオを一人で行かせた我々のミスだ」
純一郎に掴みかかりかねない形相の龍成を、アランが宥めるように告げた。
「まだ、凛桜さんがベーカーに拉致されたと決まったわけじゃないわ。不測の事態に巻き込まれて、遅れているってことも……」
「さっき、東口交番にリスト・タブレットの落とし物が届いた。シリアルナンバーを確認したら、リオの物だった」
瑞紀の言葉を遮るように、アランが険しい表情で告げた。<星月夜>では、リスト・タブレットを二十四時間、肌身離さずに装着する義務があった。それが拾得物として届けられることなど、通常では考えられないことだった。
「では、やはり凛桜さんは……」
はるかが確認するようにアランの顔を見上げた。それに頷くと、アランが厳しい口調で告げた。
「特別捜査官を総動員して、リスト・タブレットがあった花園神社周辺の目撃情報を調査する。ハルカ、ヒメカワ警視に連絡を取って、警察に協力を要請してくれ」
「はいッ!」
はるかは席を立つと、玲奈に電話を掛けるために応接室から出て行った。
「玲奈さんの時のように、イタリアまで連れて行かれたら厄介よ。日本にいる間に捜し出さないと……」
「凛桜から着信があったのは、午後一時三十二分だ。今から一時間十五分ほど前だな……」
瑞紀の言葉に頷くと、純一郎がリスト・タブレットの着信時間を確認しながら告げた。海外へ飛び立つには、ここから最も近い飛行場は調布飛行場だった。一時間十五分あれば、渋滞していない限り調布飛行場に到着するには十分な時間だった。
「アラン、本部から調布飛行場を離陸した飛行機がないか確認を入れてもらう」
純一郎と同じ考えに至った龍成がリスト・タブレットを操作し、<星月夜>本部にいる特別捜査部長の藤木に連絡を取った。
「藤木さんから調布飛行場に確認の連絡をしてもらえるそうだ。分かり次第、折り返し連絡をもらうことになった」
リスト・タブレットの通話を終えると、龍成が厳しい表情のまま告げた。
だが、五分後、藤木からの電話に出た龍成はさらに厳しい表情を浮かべながら告げた。
「今日は調布飛行場から民間機の離陸予定はないそうだ」
「外交官機は……?」
瑞紀の質問に、龍成は首を振った。
「外交官機も含めて、調布飛行場が所有している機体以外の離陸予定はない……」
龍成の言葉に、全員が沈黙した。
「でも、逆に言えば捜査範囲が国内に絞られるってことですよね? 外国に行かれるよりは捜しやすいんじゃないですか?」
場の雰囲気を和らげるように、はるかが明るい声で言った。
「そうだとしても、目撃情報が得られるまでは何一つ手がかりがない……。その間に、凛桜がどんな眼に遭っているかを考えると……」
唇を噛みしめながら龍成が拳を固く握り締めた。マフィアに拉致された女性がどのような悲惨な眼に遭わされるかを、龍成は瑞紀や玲奈を見て知っているのだ。
(龍成……。凛桜さんを本気で愛しているのね……。きっと、私の時もこんな風に苛立っていたんだ……)
龍成の態度を見て、彼が凛桜を愛していることを実感するとともに、かつて<蛇咬会>に拉致された自分を重ねていることに瑞紀は気づいた。
「龍成……。凛桜さんを絶対に助け出しましょう。それには、あなたが冷静にならないとダメよ。感情にまかせて動いたら、助けられる命も助けられないわ……」
瑞紀が龍成の広い背中に左手を添えながら告げた。その様子を、純一郎がジロリと睨むように見つめた。
「ああ……。そうだな。ありがとう、瑞紀……」
瑞紀の言葉に頷くと、龍成がアランに向かって言った。
「アラン、本部に戻って聞き込みの人選をするぞ。瑞紀、神崎……、何か分かったら連絡を入れる」
「分かったわ。無茶しないで、龍成……」
「うちの若い連中にも、聞き込みをさせる。こっちも、何か分かったら連絡してやる」
純一郎に頷くと、龍成とアランは応接室から出て行った。それと入れ替わりに、はるかが応接室に入ってきた。
「姫川課長に状況を説明して、聞き込みの協力をしてもらうように依頼しました。こういった地道な捜査は、<星月夜>よりも警察の方が慣れています」
プロファイリングが発達した現在でも、捜査の基本は靴を磨り減らせての聞き込みだった。警察の組織力を味方に付ければ、<星月夜>単独での聞き込みよりも効果が期待できた。
「ところで、あんたは白銀たちと一緒に戻らなくていいのか?」
応接室に残ったはるかに、純一郎が怪訝な表情で訊ねた。西新宿署を退職したはるかは、今では<星月夜>の特別捜査官だったからだ。
「はい。アランさんから当面は何があっても瑞紀さんのガードに付くように言われていますから……」
ニッコリと笑顔を浮かべながら、はるかが告げた。その様子を複雑な表情で純一郎が見つめた。龍成に対する瑞紀の態度に嫉妬し、純一郎は彼女に誰の女であるかを思い知らせてやるつもりだったのだ。
「純、心配しなくても大丈夫よ……。龍成に対しては、もう友情しか感じていないわ」
純一郎の表情から彼の考えを読み取ると、瑞紀が笑顔を浮かべながら告げた。
「心配などしていない。お前が誰の女か忘れたようだったから、お仕置きしてやろうかと思っただけだ」
「お仕置き……?」
純一郎の言葉の意味に気づき、瑞紀はカアッと顔を赤らめた。そして、はるかの顔をちらりと見ると、純一郎に向かって叫んだ。
「バカなこと言ってないで、早く聞き込みをするように言いなさいッ!」
「ハッ、ハッ、ハハッ……! 義一、いるかッ?」
楽しそうに笑うと、純一郎が大声で早川義一の名を呼んだ。
「はッ! 若頭、失礼しますッ! 姉御もご一緒でしたか? ご無沙汰していますッ!」
応接室の扉をノックして、義一が入ってきた。そして、純一郎と瑞紀に深く頭を下げた。
「姉御って……?」
義一の言葉に、はるかが驚いて瑞紀の顔を見つめた。
「ちょっとね……。義一君、その呼び方は止めるように言ったはずよ」
「そうだぞ、義一。二度と瑞紀のことは姉御と呼ぶんじゃねえ……」
「は、はいッ! 失礼しました……」
瑞紀と純一郎から厳しく注意され、義一が慌てて二人に頭を下げた。
「これからは、瑞紀のことを姐さんと呼べッ! いいな、義一?」
「あ、姐さんですかッ! は、はいッ!」
満面に笑みを浮かべながら、義一が元気よく答えた。
「ちょっと、純ッ! その呼び方は……」
カアッと真っ赤に顔を染めながら、瑞紀が慌てて純一郎に文句を言った。
「俺と一緒になれば、いずれそう呼ばれるようになる。今から慣れておけ、瑞紀……」
「そういうことですか? よろしくお願いします、姐さんッ!」
耳まで赤く染め上げながら、瑞紀が恨めしそうな視線で純一郎を見つめた。
「なるほど……。極妻ってことですね、瑞紀さん?」
今のやり取りを聞いて、はるかがニヤつきながら瑞紀に告げた。
「そんなんじゃ……。もう、好き呼んで……」
大きくため息をつくと、瑞紀は真っ赤な顔を逸らしながら呟いた。その様子を笑いながら見つめると、純一郎が義一に命じた。
「若い連中を集めて、花園神社周辺の聞き込みをして来い。西園寺凛桜がシチリアン・マフィアに拉致られた。車に乗せられたと思うから、その車種やナンバーを確認しろ。他にも役立つ情報があれば、一つ残らず聞いてこいッ!」
「はいッ!」
純一郎の命令に答えると、義一は飛び出すように応接室から出て行った。それを見送りながら、瑞紀が純一郎に文句を言った。
「もう……。義一君、完璧にその気になってるじゃないの?」
「いいじゃねえか? 凛桜を助け出したら、指輪を買いに行くからそのつもりでいろ」
「指輪……?」
純一郎の言葉に、瑞紀が驚いて彼の顔を見つめた。
「わあッ! 婚約指輪ですか? おめでとうございますッ!」
はるかが両手を叩いて、はしゃいだ声を上げた。
「ちょっと、純……。私、まだプロポーズなんてされてないわよ!」
勝手に話を進める純一郎に、瑞紀は不満そうな表情で告げた。
「何、言ってる? 昨夜、お前と俺は一心同体だって言ったろう? そうしたら、嬉しいって言って抱きついてきたじゃねえか?」
「あ、あれって、プロポーズだったの?」
ベッドの中の睦言をはるかの前で暴露され、瑞紀は茹で上がったように真っ赤に染まった。
「当たり前だ。あんな言葉、他の女に言うはずねえだろう?」
「それは……そうだけど……」
ちらっとはるかの顔を見つめると、瑞紀は恥ずかしそうに赤面した顔を伏せた。
「あたし、外に出ていますね……」
あまりに生々しいやり取りに、はるかが顔を赤くしながら席を立とうとした。
「いや、はるか……。ここにいて見届け人になってくれ。鈍感な瑞紀は、俺のプロポーズに気づいていなかったようだ。改めて言うぞ。俺と一緒になれ、瑞紀……」
「もう……。こういうことは、二人だけの時に言うものじゃないの……?」
プロポーズに見届け人を付けるなど、瑞紀は聞いたこともなかった。
「どうなんだ、瑞紀? 答えは……?」
「分かったわよ……。プロポーズ、お受けします……」
全身を真っ赤に染め上げながら、瑞紀が小声で囁くように答えた。嬉しさと恥ずかしさで、穴があったら入りたい心境だった。
「おめでとうございますッ! プロポーズの現場に立ち会うなんて、初めてですッ!」
はるかが興奮を隠せない表情で、嬉しそうに叫んだ。
「私も人前でプロポーズされるなんて、思ってもみなかったわ……」
「昨夜のプロポーズに気づかなかったお前が悪い……。後で、会頭に報告に行くぞ、瑞紀……」
「ええ……。分かったわ……」
笑顔で告げる純一郎に笑いかけると、瑞紀は改めてプロポーズを受けたことを実感した。考えてみれば、<櫻華会>会頭である純一郎の義父、鳴門讓司とはまだ面識がなかったのだ。
(私、本当に純の奥さんに……極妻になるんだ……)
自分が鳴門讓司に受け入れられるかどうか、瑞紀にはまったく自信がなかった。だが、愛する純一郎の妻になることだけは、思っていた以上に嬉しかった。瑞紀は純一郎の顔を見つめると、心の底から微笑みを浮かべた。
(愛しているわ、純……。これからは何があってもずっと一緒よ……)
かつて感じたことのない倖せに、瑞紀は涙で純一郎の顔が滲んで見えた。白い頬を伝って流れ落ちる涙が倖せの証であることを、その時の瑞紀は信じて疑いもしなかった。
(地震……?)
意識を取り戻すと、凛桜は地面が揺れているように感じて違和感を覚えた。周囲を見渡すと、ホテルの一室のような部屋に立たされていた。いや、正確に言うと、両手首を一つに括られて天井から吊られていた。そして、両脚は大きく開かされ、足かせを嵌められて床に繋がれていた。
(何、これ……? いったい、どういうこと……?)
ブラウスのボタンは千切れて無くなっていたものの、一応衣服は身につけていた。シチリアン・マフィアの男たちに車に押し込まれ、指と舌で何度もイカされまくった記憶が蘇ってきた。
(あいつら、絶対に許さないわッ!)
恥辱と怒りのあまり、凛桜は手足を激しく動かした。だが、手枷と足枷は太い鎖に繋がれており、凛桜の動きを嘲笑うかのように微動だにしなかった。
「ここは……船……?」
窓から見える海はすぐ目の前に広がっていた。足元から伝わる揺れも、船の中にいることを凛桜に教えていた。
(どこに向かっているの? イタリアまで船で行ったら、一ヶ月以上はかかるはず……)
玲奈が囚われていたというレオナルドのハレムを思い出し、凛桜は嫌悪感にブルッと体を震わせた。
(ハレムなんて、冗談じゃないわッ! 隙を見て逃げ出して、泳いでだって日本に帰ってやるッ!)
その時、入口の扉が開かれ、一人の男が入ってきた。百八十センチを越える長身に、堂々たる体躯をした男だった。年齢は四十歳前後で、彫りの深い容貌に凍てつくような蒼青色の瞳が印象的だった。黄金の髪を整髪料でオールバックに固めており、太い眉と薄い唇が、男の持つ意志の強さと酷薄さを物語っていた。
「あんたが、レオナルド=ベーカーさんね……」
男の持つ圧倒的な存在感に気圧されながら、凛桜が訊ねた。その声が自分のものとは思えないほど、掠れて震えていることに凛桜は驚いた。
「いかにも……。私がレオナルド=ベーカーだ。ファヴィニーナでは世話になったな、リオ=サイオンジ……」
レオナルドが自分のフルネームを知っていることに、凛桜は驚いた。その驚愕を読み取ったかのように、レオナルドが薄らと笑みを浮かべながら告げた。
「君のことは調べさせてもらった。元陸上自衛隊の二等陸尉で、現在は<星月夜>で唯一のAH-10Sステルス・コブラの女性ヘリパイロットだろう。会えて光栄だ、リオ……」
「馴れ馴れしくファーストネームを呼ばないで……。それよりも、早くこの拘束を解きなさい、ベーカーッ!」
そう告げた途端、凄まじい力で左頬に平手打ちを受けた。手加減の欠片もない力に、凛桜は鎖を軋ませながら大きく上体を揺らした。左頬が熱を持ったように熱くなり、切れた唇から血が流れ落ちた。
「二度と私を呼び捨てにするなッ! 私の名を呼ぶときには、ベーカー様と敬称を付けろッ!」
「女の顔を殴るなんて、野蛮もいいところね、ベーカー……」
今度は左頬を張られた。そして、即座に右頬、左頬と、凄まじい往復ビンタが凛桜を襲った。止めどなく続く平手打ちの嵐に、凛桜が激痛と恐怖のあまり泣き叫んだ。
「やめてッ……! 許してッ! 痛いッ! もう、許してッ!」
美しい貌を無残に腫らしながら、切れた唇から血を流して凛桜が絶叫した。レオナルドは息一つ乱さずに平手打ちを止めると、凛桜の前髪を掴みながら顔を上向かせた。
「私の名を呼んでみろッ!」
「……ベーカー……様……」
凄まじい痛みと激甚な恐怖に震え上がりながら、凛桜が囁くような小声で告げた。
(こいつに逆らったら、殺される……)
<西新宿の女豹>と呼ばれる玲奈が、あれほどまでにレオナルドを恐れた理由を、凛桜は実感を持って理解した。目の前に立つ男は、圧倒的な力と冷酷さを併せ持った紛れもない怪物だった。例え女であろうと、己に逆らう者には一切の容赦をしない苛烈さに、凛桜は心の底から震え上がった。
「最初から素直にそう言えば、痛い思いをせずにすんだものを……。愚かな女め……。だが、体は中々のものだな。大人しく私に抱かれれば、かつてない悦楽を与えてやろう」
そう告げると、レオナルドは衣服の上から右手で凛桜の左胸をむんずと掴んだ。そして、その弾力を確かめるかのようにシナシナと揉みしだき始めた。
「いや……やめて……触らないで……」
ギロリとベーカーに睨まれると、凛桜は唇を噛みしめて抗議の言葉を呑み込んだ。レオナルドの恐ろしさが骨身に刻みつけられていた。
(犯される……。助けて、龍成……)
ギュッと眼を閉じると、愛しい男の顔を瞼に描きながら凛桜は凌辱の恐怖にガタガタと体を震わせた。
「さっきまでの威勢はどうした、リオ……? そんなに体を強張らせたら、快感など感じられぬぞ……」
「許してください……ベーカー様……」
大きな瞳に涙を溜めながら、凛桜が哀願の言葉を告げた。だが、凛桜の懇願に答える代わりに、レオナルドは左乳房を力一杯握りつぶした。
「ひぃいいッ! 痛いッ! 止めてぇッ!」
女の急所に加えられた暴虐に、凛桜は激痛のあまり悲鳴を上げた。
「逆らうなと告げたはずだ。乳房を捻り切られたいかッ!」
「ごめんなさいッ! 痛いッ! 許してッ! お願いしますッ!」
顔を真っ赤に染めて涙を流しながら、凛桜が激痛から逃げ出すように激しく首を振った。赤茶色の髪が振り乱れ、悲壮な女の色香を撒き散らした。
「今からお前の拘束を解いてやる。最初に言っておくが、二度と私に逆らうな」
レオナルドは左乳房から手を離すと、再び凛桜の前髪を掴んで顔を寄せながら告げた。
「逆らったら、殺すッ! お前を抱くのは、女だからに過ぎぬ。本来であれば、ステルス・コブラのパイロットを抹殺するだけでいいのだ。お前が男なら、有無を言わさずに殺している。女に生まれた幸運を神に感謝するがいい……」
そう告げると、レオナルドは頭上で拘束されている両手の枷を外し始めた。
(素手では絶対に勝てないわ……)
凛桜は足かせを外された瞬間に、レオナルドの顎を蹴り上げることを考えた。だが、どうイメージしても、レオナルドに蹴りを避けられるか掴み取られる予想しかできなかった。
(何か、武器になる物は……)
素早く室内を見渡すと、入口の扉の右横に二本の剣が壁に飾られていることに気づいた。そこまでの距離は、およそ三メートルほどだ。凛桜から見て、左側の壁だった。
(お願い、左足から先に外して……)
左足が自由になれば、右脚の拘束を外された瞬間に剣に向かって駆け出すことができそうだった。だが、先に右脚を外されると、左足の拘束を外しているレオナルドの体が邪魔になって剣に向かうことは不可能だった。
両手の拘束を外し終えると、レオナルドが片膝を床について凛桜の左足の拘束を外し始めた。内心の喜びを隠しながら、凛桜は剣までの歩数を目算した。駆け足で三歩だった。
(剣を二本取ったら、一本をベーカーに投げつける。そして、ベーカーが怯んだ隙にドアを開けて外に逃げる。後は甲板に出て、海に飛び込む。陸地が遠くても構わない。ベーカーに凌辱されるくらいなら、溺れ死んだ方がマシだわッ!)
(今だッ……!)
左足の足かせを外された瞬間、凛桜は全力で床を蹴った。予想通り三歩で左手の壁に到達すると、両手で二本の剣の柄を掴み取った。後ろを振り返ると、レオナルドが凄まじい形相で凛桜を睨みつけていた。激甚な恐怖に竦みそうになる気持ちを叱咤して、凛桜は右手に持った剣を大きく振りかぶった。
「ベーカーッ……!」
レオナルドの名を叫ぶと同時に、凛桜は右手の剣を投げつけた。鋭く回転しながら剣がレオナルドの顔面に向かって飛翔した。
レオナルドが大きく上体を仰け反らせて、剣を避けた。それを視線の片隅で確認すると、凛桜はドアの取っ手に手を掛けた。
(開かないッ! そんなッ……!)
ドアには鍵が掛かっていた。ガチャガチャとノブを回す凛桜の背後に、レオナルドが立ち塞がった。凛桜は身を翻してレオナルドに対峙すると、両手で剣を構えた。剣を持つ手が無意識に震えていた。
「ずいぶんと舐めたマネをしてくれたな、リオ……。だが、この部屋のドアは俺の指紋でしか解除できない。そんな玩具は捨てて、こっちへ来いッ! 今ならば、まだ許してやる」
「冗談じゃないわッ! あんたに犯されるくらいなら、死んだ方がマシよッ! それに、いくらあんたが強くても、武器を持った相手を簡単にどうにかできるなんて思わないでッ!」
そう告げると、凛桜は両手で剣を握り締め、右上段から袈裟懸けを放った。
「ハッ……!」
凛桜の剣筋を完全に読み切っていたレオナルドは、左に体を開くと右の手刀で宙を切った剣身を叩き落とした。ボキッという音とともに、剣が中程から折られた。
「そんな……!」
驚きに眼を見開いた凛桜に、レオナルドが冷徹な笑みを浮かべながら告げた。
「玩具だと言っただろう……? 本物が部屋に飾られているとでも思ったのか?」
「こ、来ないで……」
半分の長さになった剣を震える手で持ちながら、凛桜が後ずさった。だが、二歩目で背中が壁に押しつけられた。
(龍成、ごめんッ! 最期にもう一度会いたかったッ!)
凛桜が剣を持ち替えると、折れた剣身を自分に向けて振りかぶった。そして、自らの左胸目掛けて剣を突き刺そうとした。
「あッ、痛ッ……!」
レオナルドが右脚で、凛桜の左手の甲を蹴った。凄まじい激痛を感じた瞬間、凛桜は剣を弾き飛ばされた。凛桜が右手で左手の甲を庇いながら、レオナルドを見つめた。骨折か少なくても骨にヒビが入ったことは間違いなかった。
「<西新宿の女豹>と呼ばれたレナよりも、お前の方が余程肝が据わっているな……。だが、ここまでだ。気の強い女は嫌いじゃない。お前が屈服するまで、犯し抜いてやろうッ!」
レオナルドは冷酷な笑みを浮かべると、凛桜のブラウスに両手を掛けた。そして、凄まじい膂力でブラウスを真っ二つに引き裂いた。
「いやぁああ……!」
ブラジャー一枚にされた胸元を、凛桜が両手で隠しながら悲鳴を上げた。レオナルドが力尽くで凛桜の両手を引き剥がすと、ブラジャーをも二つに引き裂いた。豊かな白い双乳が、レオナルドの目に晒された。その先端には薄紅色の乳首が恐怖に震えていた。
「やめてぇッ……! 助けてッ、龍成ッ……!」
愛する男の名を叫びながら暴れる凛桜を、レオナルドが右肩に担ぎ上げた。そして、部屋の奥に置かれた寝台の上に投げ捨てると、凛桜の上にのしかかってきた。
「やだぁああッ……! やめろぉおッ……! 龍成ッ、助けてぇえッ……!」
泣き叫ぶ凛桜の両手首を左手で掴むと、レオナルドは頭上でベッドに押しつけた。そして、右手でフレアスカートのファスナーを下ろし、暴れる凛桜の両脚から抜き去った。
「いやあぁあッ……! やめてぇッ……! 許してぇッ……!」
「抵抗するのは構わんが、舌を噛まれるのは厄介だ。これでも咥えていろッ!」
凛桜の両脚からパンティーを抜き取ると、それを丸めて口に押し込んだ。
「むぐッ……! ん、んぐぅッ……!」
大きな瞳から涙を流しながら、凛桜が激しく首を振った。レオナルドが右乳首を口に含み、左の乳房を右手で激しく揉みしだき始めた。
「んッ……んむッ……ん、んやぁあッ……!」
両手を頭上に押しつけられたまま、凛桜は全身をくねらせながら激しく抵抗をした。
(龍成ッ……! 助けてッ……! 龍成ッ……!)
硬く眼を閉じた瞼の裏に愛する男の面影を映しながら、凛桜は凌辱の恐怖に震えて大粒の涙を流した。
凛桜にとっての地獄の時間は、始まったばかりであった。
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