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第4章 愛と硝煙の日々
4 優しい嘘
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「いったい、どんな体力をしているのよ……。この絶倫魔神……」
瑞紀の言葉を聞いて、純一郎は麗華からも同じようなことを言われたのを思い出した。
(たしか、麗華は「絶倫魔王」と言っていたっけか……? 魔王から魔神に昇格か?)
純一郎は麗華に告げたのと同じ台詞を答えた。
「その絶倫魔神に犯されて、涙を流しながら失神までした女は誰だったかな……?」
「バカッ! 知らないッ!」
真っ赤に顔を染め上げると、瑞紀はプイッと純一郎から顔を逸らせた。
(こんなの毎晩続けられたら、私、本当におかしくなっちゃうわ……)
「許して」という言葉を何度口にしたのか、瑞紀は覚えていなかった。愉悦に続く絶頂、絶頂の先にある極致感を幾度極めさせられたのかさえ、数え切れなかった。
超絶過ぎる快感に失禁した上に、最後には失神までさせられたのだった。まだ、体の芯に快絶の残り火が灯っており、子宮が熱く疼いていた。今も、純一郎に縋っていないと、足腰が震えて上手く歩けなかった。
「着いたぞ。そんな状態で銃を撃てるのか?」
「誰のせいでこうなったと思ってるのよ? 今夜からは、別の部屋で寝るわ!」
耳まで赤く染めながら、瑞紀がジロリと純一郎を睨んで文句を言った。
「ハッ、ハッ、ハハッ……。そうしたら、夜這いに行ってやるよ」
まったく反省した様子も見せずに、純一郎は<新月>のドアを開けて店の中に入った。瑞紀も純一郎の左腕に縋り付きながら、店内に足を踏み入れた。
「ラニエロ、また来たぞ。シルヴェリオはいるか?」
カウンターの中で新聞を読んでいたラニエロに、純一郎が声を掛けた。壁の時計は朝の十時四十分を指していた。昼前の店内には、まだ客は一人いなかった。
「ジュンイチロー? どうしたんだ、こんな時間に……?」
新聞から顔を上げると、ラニエロが驚いた表情で訊ねてきた。
「ちょっと物入りになってな……。また、シルヴェリオから買いたいんだが、今いるか?」
「ああ。もう起きていると思うが……。えーと、ミズキだったかな? 顔が赤いけど、大丈夫かい?」
純一郎の左腕にしがみついている瑞紀に向かって、ラニエロが心配そうな声で告げた。
「ええ……。大丈夫です、ラニエロさん。ちょっと船に酔って……」
英語で答えた瑞紀に、純一郎がニヤリと笑いながら日本語で告げた。
「ベッドの上で快感にのたうち廻ってましたって、本当のことを教えてやれよ。ラニエロのヤツ、喜んでビールくらい奢ってくれるかもしれねえぞ……痛ッ!」
純一郎の左足を思いっきり踏みつけると、瑞紀はニッコリと笑顔を浮かべながら言った。
「心配してくれてありがとうございます、ラニエロさん。少し経てばすぐに良くなりますから……」
「そうか……。それならいいけど……。シルヴェリオに用事なんだろう? 通ってくれ……」
ラニエロがカウンターのスイング扉を開くと、瑞紀たちを中に通した。二人はラニエロに礼を言って、奥の扉から地下に続く階段を下りていった。
「変なこと言わないでよ、純……!」
「大丈夫だ。ラニエロに日本語は分からねえから……」
笑いながら告げた純一郎の顔を睨みつけると、瑞紀がニッコリと微笑みながら告げた。
「ねえ、純……。今の私は誰かのせいで足腰が立たないから、上手く照準が合わせられないかも知れないわ。標的を狙っているつもりで、あなたの自慢のあそこを撃ち抜いちゃったらごめんね」
「わ、分かった! 俺が悪かった! そんなに怒るな、瑞紀……」
昨夜、ベレッタで脅された恐怖を思い出して、純一郎が顔を引き攣らせながら叫んだ。
「別に怒ってないわ。下品な冗談が嫌いなだけよ。シルヴェリオさんの前では、変なこと言わないでね、純……」
「も、もちろんだとも……」
(おっかねえ女だな……。ベッドの中ではあんなに可愛いのに……。昼と夜とで別人じゃねえか? まあ、それが魅力でもあるんだがな……)
昨夜の快感に悶え啼く瑞紀の姿を思い出しながら、純一郎は地下室の扉をノックした。
「誰じゃ……?」
「純一郎だ。また顔を出しに来た……」
そう告げたと同時に、ドアが開かれてシルヴェリオが嬉しそうな顔を見せた。
「よく来てくれた、ジュンイチロー、ミズキも……。さあ、入ってくれ。ファヴィニーナ島はどうじゃった?」
「最高だった。さすがに、地上の楽園と呼ばれるだけあるな、瑞紀?」
「はい。海が凄く綺麗で驚きました。あんなところに住めたら、最高ですね」
お世辞でも何でもなく、本心からの感想を瑞紀は告げた。利便性は新宿に遥かに及ばないにせよ、あの自然の美しさは何物にも勝る価値があった。
「これは土産だ、シルヴェリオ。ファヴィニーナと言えばマグロ料理だからな。マグロのオイル漬け缶だ。たくさん買ってきたから、酒のつまみにでもしてくれ」
「おお、ありがとう、ジュンイチロー! ファヴィニーナのマグロは最高じゃ! ありがたく頂いておくよ!」
純一郎が差し出した紙袋を、シルヴェリオが嬉しそうに受け取った。
(いつの間にお土産なんて買ったのかしら? 全然、気づかなかったわ。意外と心配りが上手いのね、純って……)
土産を買うどころか、土産を持っていくことさえ考えてもいなかった瑞紀は、純一郎の気遣いに感心した。
「ところで、シルヴェリオ……。せっかくイタリアに来た記念に、知り合いとサバゲーをやることになったんだ。そのための装備や銃を売ってくれないか?」
「サバゲー? 実弾でか……?」
シルヴェリオが怪訝な表情で純一郎を見つめた。サバイバル・ゲームはBB弾と呼ばれるプラスチック製の球形弾を使い、遊戯用の電動ガンやガスブローバックガンで行うのが一般的だった。
「サバゲーと言っても、山の中で標的に向かって色々な銃をぶっ放すだけだ。銃規制のうるさい日本じゃできないからな。ただ、念のためにヘルメットやゴーグル、防弾ベストなどの装備品も一緒に買っておきたいんだ」
人当たりの良い笑顔を浮かべながら、純一郎がもっともらしい説明をした。
「よく分からねえが、銃を撃つだけならそこらの射撃訓練場で十分じゃねえのか? わざわざ山なんかに行く必要がどこにあるんじゃ?」
納得のいかない表情で、シルヴェリオが訊ねた。だが、まさかマフィアの別荘を襲撃するとは思ってもいないようだった。
「射撃訓練場でなら、日本でも撃てるんですよ。やはり、自然の中で好きな銃を思いっきり撃ってみたいじゃないですか?」
助け船を出すつもりで、瑞紀が笑顔を浮かべながらシルヴェリオに告げた。その横で、純一郎が余計なことを言いやがってとでも言いたげに、瑞紀をジト目で見つめてきた。
「見た目によらず、過激な女じゃな、ミズキは……。マフィアの連中でも、山の中で実弾をぶっ放そうなんてヤツはいねえぞ。まあ、ヤクザの女房になろうなんて女は、ネジの一、二本外れてるくらいじゃなきゃ務まんねえのかのう?」
「そ、そう……ですか……?」
シルヴェリオの感想を聞いて、純一郎が憐れみの視線を送った意味に瑞紀は気づいた。
「まあ、そんなところだ……。惚れた弱みだ。こんなぶっ飛んだ女の希望でも、聞いてやらないわけには行かねえ……。装備と武器を売ってくれないか、シルヴェリオ」
「仕方ねえな。本当ならそんなことのために武器なんて売るつもりはねえが、純一郎のためじゃ。何が欲しい……?」
ハアッと大きなため息をつくと、シルヴェリオが瑞紀の顔を見つめながら訊ねた。それは、この愚行の原因が瑞紀であると思い込んだ眼差しだった。
(いつの間にか、私が全部悪者じゃないの? 純のヤツ、ニヤニヤしちゃって……。覚えてなさいよッ!)
「M16系で3点射が可能な短機関銃ってありませんか?」
純一郎を睨むと、自棄になって瑞紀がシルヴェリオに希望を告げた。
「3点射か……。M93系で3点射に慣れている瑞紀なら、そういう選択もありか? ちょっと待っていろ……」
変に納得をしながら、シルヴェリオが奥の部屋に入っていった。そして、一挺の短機関銃を両手で持って出て来た。
「M4コマンドーZ3じゃ。二〇五一年製の最新式短機関銃じゃぞ。全長は370mm、重量1,860gで、発射速度は毎分1,500発、銃口初速は350m/sじゃ。通常マガジンは9mmパラベラム弾が32発で、単射と3点射の切り替えが可能な代物じゃ」
手渡されたM4コマンドーZ3からは、ズシリとした重さが両手に伝わって来た。右腕が高性能義手でなければ、女性の瑞紀には扱いかねる重量だった。
「撃ってみてもいいですか?」
「当然じゃ。奥の射撃訓練場で試してみろ」
瑞紀の言葉に頷きながら、シルヴェリオが二人を奥の部屋へと案内した。射座にM4コマンドーZ3を置くと、瑞紀は射撃用ゴーグルと防音イヤーマフを装着した。そして、一度マガジンを引き抜き、全弾が装填されていることを確認してから再びマガジンを装着した。
「では、撃ちますッ!」
安全装置を解除すると、両手でM4コマンドーZ3を構えて照準器から標的を狙った。
ダンッ……!
9mmパラベラム弾特有の射撃音が響き渡り、標的中心円の真ん中を銃弾が貫通した。
(銃口の跳ね上がりも思ったほど大きくないし、照準も合わせやすいわ。命中精度はどうかしら……?)
ダンッ……ダンッ……ダンッ……ダンッ……!
続けて四回銃爪を引き絞ると、四発の銃弾が標的中心円に穴を開けた。ワン・オブ・サウザンドであるM93RCCのようにワンホール・ショットという訳にはいかなかったが、最初の一発を含めて五発すべてが標的中心円を撃ち抜いていた。
「相変わらず、いい腕じゃな、瑞紀……」
シルヴェリオが感嘆の声を上げた。初めて使った短機関銃で、標的中心円命中率100パーセントを出せる者などほとんどいなかった。
「ありがとうございます、シルヴェリオさん。次は3点射を試してみますね」
そう告げると、瑞紀は発射モードを「3shot」に切り替えてM4コマンドーZ3を構えた。
ダンッ、ダンッ、ダンッ……!
ダンッ、ダンッ、ダンッ……!
ダンッ、ダンッ、ダンッ……!
3点射特有の連射音が射撃訓練場に響き渡った。九回の3点射を撃ち終えると、瑞紀は射座に置かれた自動採点装置のモニターを確認した。
3100/3200の得点と、標的中心円命中率96.875パーセントの数字が表示されていた。三十二発中二十七発が標的中心円で、残りの五発が八十点の周辺円に着弾していた。
「Bravo、ミズキッ! 短機関銃で標的中心円命中率96パーセント以上なんて、初めて見たぞッ!」
シルヴェリオが拍手をしながら、興奮して叫んだ。その横で、不思議そうな表情を浮かべながら、純一郎がおざなりに拍手をしていた。シルヴェリオが興奮している意味が、まったく分かっていないようだった。
「はい、純……。撃ってみて……」
「俺がか……?」
突然、M4コマンドーZ3を渡されて、純一郎が戸惑った顔で瑞紀を見つめた。瑞紀の意図に気づき、シルヴェリオがニヤニヤと笑みを浮かべながら告げた。
「<櫻華の若獅子>が女に負けたら恥ずかしいぞ。やめておけ、ジュンイチロー」
「あら、大丈夫ですよ、シルヴェリオさん。私の男が女に負けるはずないですから……」
ニッコリと笑顔を浮かべながら、瑞紀が純一郎を煽った。二人の言葉にムッとして、純一郎が射撃用ゴーグルと防音イヤーマフを身につけた。
「くそッ! 舐めやがって瑞紀のヤツ……!」
純一郎がM4コマンドーZ3の銃口を標的に向けた。右手の親指で安全装置を解除すると、純一郎が銃爪を引き絞った。
ダンッ、ダンッ、ダンッ……!
ダンッ、ダンッ、ダンッ……!
ダンッ、ダンッ、ダンッ……!
瑞紀が最後に設定した3点射のまま、純一郎はM4コマンドーZ3の銃爪を引き続けた。射撃訓練場に3点射特有の連射音が響き渡り続けた。
三十二発をすべてを撃ち終えると、純一郎は自動採点装置のモニターに目をやった。1660/3200の点数と、標的中心円命中率51.875パーセントの数字が表示されていた。
「凄いわ、純ッ! 初めての短機関銃で、命中率51.875パーセントなんて……!」
瑞紀が驚きに眼を見開きながら叫んだ。
「何言ってやがるッ! 自分は96パーセント以上も叩き出しておいて、人をおちょくるなッ!」
瑞紀の言葉に、純一郎が文句を言った。
「バカモン、素人が初めて短機関銃を撃てば、命中率20パーセントも行けばいい方じゃッ! ミズキは本気でお前を褒めておるんじゃぞッ!」
「そう……なのか?」
シルヴェリオの説明に、純一郎が驚いて瑞紀の顔を見つめた。
「シルヴェリオさんの言う通りよ、純……。私はM4コマンドーZ3は初めてだけど、<星月夜>にいた頃にM16系は何度も撃ったことがあるわ。私でも初めてM16を撃ったときには、命中率45パーセントくらいだったのよ」
笑顔で告げた瑞紀の言葉に、純一郎がニヤリと笑みを浮かべながら機嫌を直した。
「そうか……。まあ、撃ちやすい銃だからな。シルヴェリオ、これを二挺売ってくれ」
「フフフ……、マガジンはいくつ付けるんじゃ?」
意味ありげな視線を瑞紀に送りながら、シルヴェリオが純一郎に訊ねた。
「そうだな……。どうする、瑞紀?」
「そうね。五本ずつ、合計十本でいいわ。この間買った自動拳銃もあるから、それだけあれば十分に遊べるわ」
瑞紀の言葉に、シルヴェリオが頷いた。
「ジュンイチロー、そこの梯子であそこにあるダンボールを取ってくれないか? その中にもう一挺のM4コマンドーZ3とマガジンが入っておる。年を取ると、梯子を登るのが大変でな……」
「分かった。ちょっと待っていてくれ……」
シルヴェリオの頼みを受けて、純一郎が脚立を手に取り棚の前に設置した。
「あの一番上の箱でいいのか?」
「そうじゃ。重いから気をつけるんじゃぞ」
そう告げると、シルヴェリオは年寄りとは思えぬ俊敏な足どりで瑞紀に近づいた。そして、瑞紀の耳元に顔を寄せると、小声で訊ねた。
「M16を初めて撃ったとき、本当は何点じゃった?」
「たしか、3020/3200で、命中率94.375パーセントだったかと……」
笑顔を浮かべながら、瑞紀がシルヴェリオに向かって囁いた。シルヴェリオは楽しそうに頷くと、瑞紀に向かって短く告げた。
「いい女じゃよ、あんたは……」
「ありがとうございます、シルヴェリオさん」
シルヴェリオの言葉に、瑞紀が嬉しそうな笑顔を浮かべた。
瑞紀たちはシルヴェリオから、M4コマンドーZ3を二挺とマガジン十本、暗視ゴーグル付ヘルメットと防弾ベストを二つずつ購入した。全部で六千二百ドルのところを六千ドルにまけてもらった。支払いはすべて純一郎が受け持ち、シルヴェリオの口座に振り込んだ。ファヴィニーナまでの旅費や宿泊代、食事代などすべて純一郎が払ってくれていた。日本円で優に三百万円は超えているはずだった。
瑞紀はさすがに申し訳なく思い、純一郎に訊ねた。
「純、私も少し出すわ。半分はきついけど、三分の一くらいなら……」
「細かいこと気にするんじゃねえよ。こう見えても、俺は<櫻華会>の若頭だ。このくらいの金なら、どうにでもなる。それに、お前にはそれ以上のものを払ってもらっているしな……」
「え……? それ以上のものを払って……?」
純一郎の言葉に首を傾げた瑞紀だったが、その意味に気づくとカアッと顔を真っ赤に染めた。
「分かったようだな? だから、気にするな、瑞紀……」
「変なこと言わないで……。私は別にお金のためにあなたに抱かれたわけじゃないわ!」
ギロリと純一郎を睨みながら、瑞紀が文句を言った。
「分かってるさ、言葉の綾だ。お前の価値は金になんか換えられねえってことが言いたかったんだ。そう怒るな……」
「純……」
遠回しに口説かれたように感じて、瑞紀は嬉しそうに純一郎の左腕に腕を絡めた。
「さっき買った武器や装備が届くのは明日の夕方か……。それまでは、ゆっくりと英気を養うとしようぜ……」
自動拳銃くらいなら隠し持てるが、短機関銃や装備一式をフェリーに持ち込むわけには行かなかった。手荷物検査ですぐにバレてしまうからだ。純一郎はシルヴェリオに依頼して、受取人指定宅急便でファヴィニーナで宿泊している<テンポ ディ マレ>まで送付してもらうことにした。この宅急便であれば、税関のようなX線検査でも受けない限り、中身を特定することはできないからだ。
「英気を養うのなら、今夜は別々の部屋で寝ましょう。何なら、私がソファで寝てもいいわよ」
三日も連続であのような凄まじいセックスをされたら体が保たないと思いながら、瑞紀が冷たく言い放った。
「何、言ってるんだ? 愛する女と二人でイタリアまで来ているんだ。独り寝なんてできるはずねえだろう?」
(愛する女……?)
純一郎に初めて愛を告げられ、瑞紀は驚いて彼の顔を見つめた。
(純が、私を愛してるって言った……。たった一言だけなのに、それがこんなに嬉しいなんて……)
胸の奥が締め付けられるほどの喜びを感じて、純一郎の顔を見つめる瑞紀の瞳から涙が溢れ出た。次の瞬間、瑞紀は堪えきれない感情に肩を震わせると、両手で顔を覆って泣き出した。
「お、おい、瑞紀……? どうしたんだ?」
突然、立ち止まって泣き始めた瑞紀に、純一郎が驚いて訊ねた。
「ごめんなさい……、何でも……ないわ……」
「何でもないはずねえだろう? どうしたんだ、瑞紀?」
焦った口調で純一郎が瑞紀の顔を覗き込もうとしてきた。瑞紀は両手で涙を隠したまま、純一郎から顔を逸らせた。
「何でもない……。見ないで……」
「大丈夫か、瑞紀? どうしたんだ、突然……?」
(私、純に愛されているんだ……。嬉しい……。いつの間にか、純のことがこんなに好きになっていたなんて……)
瑞紀は急いで涙を拭うと、泣き笑いの表情のまま純一郎に訊ねた。
「もう一度言って、純……」
「え……? 何をだ……?」
瑞紀の言葉の意味を図りかねるように、純一郎が訊ねた。
「私のことをどう思っているのか、もう一度聞かせて……」
「お前のことをどう思っているかって……? ぶっ飛んだ女だが、可愛くて魅力的なところも……」
純一郎の言葉に、瑞紀はカッと頭に血が上った。
「バカッ! 知らないッ! この鈍感ッ!」
そう叫ぶと、瑞紀はトラーパニ港のフェリー乗り場に向かって走り出した。一人残された純一郎は、何が何だか分からずに呆然と立ち尽くした。
(何なんだ、あれは……? 相変わらず訳が分かんねえ女だな……)
(純が私を愛していると言ってくれた……! 私も純が好き……! 愛してるわ、純……!)
地中海から吹いてくる海風に長い黒髪を靡かせながら、瑞紀が嬉しそうな笑顔を浮かべた。
瑞紀は自分の心から龍成の面影が小さくなっていくのを感じた。『<星月夜>の女豹』の心の中で、<櫻華の若獅子>への愛情が大きく燃え上がっていった。
瑞紀の言葉を聞いて、純一郎は麗華からも同じようなことを言われたのを思い出した。
(たしか、麗華は「絶倫魔王」と言っていたっけか……? 魔王から魔神に昇格か?)
純一郎は麗華に告げたのと同じ台詞を答えた。
「その絶倫魔神に犯されて、涙を流しながら失神までした女は誰だったかな……?」
「バカッ! 知らないッ!」
真っ赤に顔を染め上げると、瑞紀はプイッと純一郎から顔を逸らせた。
(こんなの毎晩続けられたら、私、本当におかしくなっちゃうわ……)
「許して」という言葉を何度口にしたのか、瑞紀は覚えていなかった。愉悦に続く絶頂、絶頂の先にある極致感を幾度極めさせられたのかさえ、数え切れなかった。
超絶過ぎる快感に失禁した上に、最後には失神までさせられたのだった。まだ、体の芯に快絶の残り火が灯っており、子宮が熱く疼いていた。今も、純一郎に縋っていないと、足腰が震えて上手く歩けなかった。
「着いたぞ。そんな状態で銃を撃てるのか?」
「誰のせいでこうなったと思ってるのよ? 今夜からは、別の部屋で寝るわ!」
耳まで赤く染めながら、瑞紀がジロリと純一郎を睨んで文句を言った。
「ハッ、ハッ、ハハッ……。そうしたら、夜這いに行ってやるよ」
まったく反省した様子も見せずに、純一郎は<新月>のドアを開けて店の中に入った。瑞紀も純一郎の左腕に縋り付きながら、店内に足を踏み入れた。
「ラニエロ、また来たぞ。シルヴェリオはいるか?」
カウンターの中で新聞を読んでいたラニエロに、純一郎が声を掛けた。壁の時計は朝の十時四十分を指していた。昼前の店内には、まだ客は一人いなかった。
「ジュンイチロー? どうしたんだ、こんな時間に……?」
新聞から顔を上げると、ラニエロが驚いた表情で訊ねてきた。
「ちょっと物入りになってな……。また、シルヴェリオから買いたいんだが、今いるか?」
「ああ。もう起きていると思うが……。えーと、ミズキだったかな? 顔が赤いけど、大丈夫かい?」
純一郎の左腕にしがみついている瑞紀に向かって、ラニエロが心配そうな声で告げた。
「ええ……。大丈夫です、ラニエロさん。ちょっと船に酔って……」
英語で答えた瑞紀に、純一郎がニヤリと笑いながら日本語で告げた。
「ベッドの上で快感にのたうち廻ってましたって、本当のことを教えてやれよ。ラニエロのヤツ、喜んでビールくらい奢ってくれるかもしれねえぞ……痛ッ!」
純一郎の左足を思いっきり踏みつけると、瑞紀はニッコリと笑顔を浮かべながら言った。
「心配してくれてありがとうございます、ラニエロさん。少し経てばすぐに良くなりますから……」
「そうか……。それならいいけど……。シルヴェリオに用事なんだろう? 通ってくれ……」
ラニエロがカウンターのスイング扉を開くと、瑞紀たちを中に通した。二人はラニエロに礼を言って、奥の扉から地下に続く階段を下りていった。
「変なこと言わないでよ、純……!」
「大丈夫だ。ラニエロに日本語は分からねえから……」
笑いながら告げた純一郎の顔を睨みつけると、瑞紀がニッコリと微笑みながら告げた。
「ねえ、純……。今の私は誰かのせいで足腰が立たないから、上手く照準が合わせられないかも知れないわ。標的を狙っているつもりで、あなたの自慢のあそこを撃ち抜いちゃったらごめんね」
「わ、分かった! 俺が悪かった! そんなに怒るな、瑞紀……」
昨夜、ベレッタで脅された恐怖を思い出して、純一郎が顔を引き攣らせながら叫んだ。
「別に怒ってないわ。下品な冗談が嫌いなだけよ。シルヴェリオさんの前では、変なこと言わないでね、純……」
「も、もちろんだとも……」
(おっかねえ女だな……。ベッドの中ではあんなに可愛いのに……。昼と夜とで別人じゃねえか? まあ、それが魅力でもあるんだがな……)
昨夜の快感に悶え啼く瑞紀の姿を思い出しながら、純一郎は地下室の扉をノックした。
「誰じゃ……?」
「純一郎だ。また顔を出しに来た……」
そう告げたと同時に、ドアが開かれてシルヴェリオが嬉しそうな顔を見せた。
「よく来てくれた、ジュンイチロー、ミズキも……。さあ、入ってくれ。ファヴィニーナ島はどうじゃった?」
「最高だった。さすがに、地上の楽園と呼ばれるだけあるな、瑞紀?」
「はい。海が凄く綺麗で驚きました。あんなところに住めたら、最高ですね」
お世辞でも何でもなく、本心からの感想を瑞紀は告げた。利便性は新宿に遥かに及ばないにせよ、あの自然の美しさは何物にも勝る価値があった。
「これは土産だ、シルヴェリオ。ファヴィニーナと言えばマグロ料理だからな。マグロのオイル漬け缶だ。たくさん買ってきたから、酒のつまみにでもしてくれ」
「おお、ありがとう、ジュンイチロー! ファヴィニーナのマグロは最高じゃ! ありがたく頂いておくよ!」
純一郎が差し出した紙袋を、シルヴェリオが嬉しそうに受け取った。
(いつの間にお土産なんて買ったのかしら? 全然、気づかなかったわ。意外と心配りが上手いのね、純って……)
土産を買うどころか、土産を持っていくことさえ考えてもいなかった瑞紀は、純一郎の気遣いに感心した。
「ところで、シルヴェリオ……。せっかくイタリアに来た記念に、知り合いとサバゲーをやることになったんだ。そのための装備や銃を売ってくれないか?」
「サバゲー? 実弾でか……?」
シルヴェリオが怪訝な表情で純一郎を見つめた。サバイバル・ゲームはBB弾と呼ばれるプラスチック製の球形弾を使い、遊戯用の電動ガンやガスブローバックガンで行うのが一般的だった。
「サバゲーと言っても、山の中で標的に向かって色々な銃をぶっ放すだけだ。銃規制のうるさい日本じゃできないからな。ただ、念のためにヘルメットやゴーグル、防弾ベストなどの装備品も一緒に買っておきたいんだ」
人当たりの良い笑顔を浮かべながら、純一郎がもっともらしい説明をした。
「よく分からねえが、銃を撃つだけならそこらの射撃訓練場で十分じゃねえのか? わざわざ山なんかに行く必要がどこにあるんじゃ?」
納得のいかない表情で、シルヴェリオが訊ねた。だが、まさかマフィアの別荘を襲撃するとは思ってもいないようだった。
「射撃訓練場でなら、日本でも撃てるんですよ。やはり、自然の中で好きな銃を思いっきり撃ってみたいじゃないですか?」
助け船を出すつもりで、瑞紀が笑顔を浮かべながらシルヴェリオに告げた。その横で、純一郎が余計なことを言いやがってとでも言いたげに、瑞紀をジト目で見つめてきた。
「見た目によらず、過激な女じゃな、ミズキは……。マフィアの連中でも、山の中で実弾をぶっ放そうなんてヤツはいねえぞ。まあ、ヤクザの女房になろうなんて女は、ネジの一、二本外れてるくらいじゃなきゃ務まんねえのかのう?」
「そ、そう……ですか……?」
シルヴェリオの感想を聞いて、純一郎が憐れみの視線を送った意味に瑞紀は気づいた。
「まあ、そんなところだ……。惚れた弱みだ。こんなぶっ飛んだ女の希望でも、聞いてやらないわけには行かねえ……。装備と武器を売ってくれないか、シルヴェリオ」
「仕方ねえな。本当ならそんなことのために武器なんて売るつもりはねえが、純一郎のためじゃ。何が欲しい……?」
ハアッと大きなため息をつくと、シルヴェリオが瑞紀の顔を見つめながら訊ねた。それは、この愚行の原因が瑞紀であると思い込んだ眼差しだった。
(いつの間にか、私が全部悪者じゃないの? 純のヤツ、ニヤニヤしちゃって……。覚えてなさいよッ!)
「M16系で3点射が可能な短機関銃ってありませんか?」
純一郎を睨むと、自棄になって瑞紀がシルヴェリオに希望を告げた。
「3点射か……。M93系で3点射に慣れている瑞紀なら、そういう選択もありか? ちょっと待っていろ……」
変に納得をしながら、シルヴェリオが奥の部屋に入っていった。そして、一挺の短機関銃を両手で持って出て来た。
「M4コマンドーZ3じゃ。二〇五一年製の最新式短機関銃じゃぞ。全長は370mm、重量1,860gで、発射速度は毎分1,500発、銃口初速は350m/sじゃ。通常マガジンは9mmパラベラム弾が32発で、単射と3点射の切り替えが可能な代物じゃ」
手渡されたM4コマンドーZ3からは、ズシリとした重さが両手に伝わって来た。右腕が高性能義手でなければ、女性の瑞紀には扱いかねる重量だった。
「撃ってみてもいいですか?」
「当然じゃ。奥の射撃訓練場で試してみろ」
瑞紀の言葉に頷きながら、シルヴェリオが二人を奥の部屋へと案内した。射座にM4コマンドーZ3を置くと、瑞紀は射撃用ゴーグルと防音イヤーマフを装着した。そして、一度マガジンを引き抜き、全弾が装填されていることを確認してから再びマガジンを装着した。
「では、撃ちますッ!」
安全装置を解除すると、両手でM4コマンドーZ3を構えて照準器から標的を狙った。
ダンッ……!
9mmパラベラム弾特有の射撃音が響き渡り、標的中心円の真ん中を銃弾が貫通した。
(銃口の跳ね上がりも思ったほど大きくないし、照準も合わせやすいわ。命中精度はどうかしら……?)
ダンッ……ダンッ……ダンッ……ダンッ……!
続けて四回銃爪を引き絞ると、四発の銃弾が標的中心円に穴を開けた。ワン・オブ・サウザンドであるM93RCCのようにワンホール・ショットという訳にはいかなかったが、最初の一発を含めて五発すべてが標的中心円を撃ち抜いていた。
「相変わらず、いい腕じゃな、瑞紀……」
シルヴェリオが感嘆の声を上げた。初めて使った短機関銃で、標的中心円命中率100パーセントを出せる者などほとんどいなかった。
「ありがとうございます、シルヴェリオさん。次は3点射を試してみますね」
そう告げると、瑞紀は発射モードを「3shot」に切り替えてM4コマンドーZ3を構えた。
ダンッ、ダンッ、ダンッ……!
ダンッ、ダンッ、ダンッ……!
ダンッ、ダンッ、ダンッ……!
3点射特有の連射音が射撃訓練場に響き渡った。九回の3点射を撃ち終えると、瑞紀は射座に置かれた自動採点装置のモニターを確認した。
3100/3200の得点と、標的中心円命中率96.875パーセントの数字が表示されていた。三十二発中二十七発が標的中心円で、残りの五発が八十点の周辺円に着弾していた。
「Bravo、ミズキッ! 短機関銃で標的中心円命中率96パーセント以上なんて、初めて見たぞッ!」
シルヴェリオが拍手をしながら、興奮して叫んだ。その横で、不思議そうな表情を浮かべながら、純一郎がおざなりに拍手をしていた。シルヴェリオが興奮している意味が、まったく分かっていないようだった。
「はい、純……。撃ってみて……」
「俺がか……?」
突然、M4コマンドーZ3を渡されて、純一郎が戸惑った顔で瑞紀を見つめた。瑞紀の意図に気づき、シルヴェリオがニヤニヤと笑みを浮かべながら告げた。
「<櫻華の若獅子>が女に負けたら恥ずかしいぞ。やめておけ、ジュンイチロー」
「あら、大丈夫ですよ、シルヴェリオさん。私の男が女に負けるはずないですから……」
ニッコリと笑顔を浮かべながら、瑞紀が純一郎を煽った。二人の言葉にムッとして、純一郎が射撃用ゴーグルと防音イヤーマフを身につけた。
「くそッ! 舐めやがって瑞紀のヤツ……!」
純一郎がM4コマンドーZ3の銃口を標的に向けた。右手の親指で安全装置を解除すると、純一郎が銃爪を引き絞った。
ダンッ、ダンッ、ダンッ……!
ダンッ、ダンッ、ダンッ……!
ダンッ、ダンッ、ダンッ……!
瑞紀が最後に設定した3点射のまま、純一郎はM4コマンドーZ3の銃爪を引き続けた。射撃訓練場に3点射特有の連射音が響き渡り続けた。
三十二発をすべてを撃ち終えると、純一郎は自動採点装置のモニターに目をやった。1660/3200の点数と、標的中心円命中率51.875パーセントの数字が表示されていた。
「凄いわ、純ッ! 初めての短機関銃で、命中率51.875パーセントなんて……!」
瑞紀が驚きに眼を見開きながら叫んだ。
「何言ってやがるッ! 自分は96パーセント以上も叩き出しておいて、人をおちょくるなッ!」
瑞紀の言葉に、純一郎が文句を言った。
「バカモン、素人が初めて短機関銃を撃てば、命中率20パーセントも行けばいい方じゃッ! ミズキは本気でお前を褒めておるんじゃぞッ!」
「そう……なのか?」
シルヴェリオの説明に、純一郎が驚いて瑞紀の顔を見つめた。
「シルヴェリオさんの言う通りよ、純……。私はM4コマンドーZ3は初めてだけど、<星月夜>にいた頃にM16系は何度も撃ったことがあるわ。私でも初めてM16を撃ったときには、命中率45パーセントくらいだったのよ」
笑顔で告げた瑞紀の言葉に、純一郎がニヤリと笑みを浮かべながら機嫌を直した。
「そうか……。まあ、撃ちやすい銃だからな。シルヴェリオ、これを二挺売ってくれ」
「フフフ……、マガジンはいくつ付けるんじゃ?」
意味ありげな視線を瑞紀に送りながら、シルヴェリオが純一郎に訊ねた。
「そうだな……。どうする、瑞紀?」
「そうね。五本ずつ、合計十本でいいわ。この間買った自動拳銃もあるから、それだけあれば十分に遊べるわ」
瑞紀の言葉に、シルヴェリオが頷いた。
「ジュンイチロー、そこの梯子であそこにあるダンボールを取ってくれないか? その中にもう一挺のM4コマンドーZ3とマガジンが入っておる。年を取ると、梯子を登るのが大変でな……」
「分かった。ちょっと待っていてくれ……」
シルヴェリオの頼みを受けて、純一郎が脚立を手に取り棚の前に設置した。
「あの一番上の箱でいいのか?」
「そうじゃ。重いから気をつけるんじゃぞ」
そう告げると、シルヴェリオは年寄りとは思えぬ俊敏な足どりで瑞紀に近づいた。そして、瑞紀の耳元に顔を寄せると、小声で訊ねた。
「M16を初めて撃ったとき、本当は何点じゃった?」
「たしか、3020/3200で、命中率94.375パーセントだったかと……」
笑顔を浮かべながら、瑞紀がシルヴェリオに向かって囁いた。シルヴェリオは楽しそうに頷くと、瑞紀に向かって短く告げた。
「いい女じゃよ、あんたは……」
「ありがとうございます、シルヴェリオさん」
シルヴェリオの言葉に、瑞紀が嬉しそうな笑顔を浮かべた。
瑞紀たちはシルヴェリオから、M4コマンドーZ3を二挺とマガジン十本、暗視ゴーグル付ヘルメットと防弾ベストを二つずつ購入した。全部で六千二百ドルのところを六千ドルにまけてもらった。支払いはすべて純一郎が受け持ち、シルヴェリオの口座に振り込んだ。ファヴィニーナまでの旅費や宿泊代、食事代などすべて純一郎が払ってくれていた。日本円で優に三百万円は超えているはずだった。
瑞紀はさすがに申し訳なく思い、純一郎に訊ねた。
「純、私も少し出すわ。半分はきついけど、三分の一くらいなら……」
「細かいこと気にするんじゃねえよ。こう見えても、俺は<櫻華会>の若頭だ。このくらいの金なら、どうにでもなる。それに、お前にはそれ以上のものを払ってもらっているしな……」
「え……? それ以上のものを払って……?」
純一郎の言葉に首を傾げた瑞紀だったが、その意味に気づくとカアッと顔を真っ赤に染めた。
「分かったようだな? だから、気にするな、瑞紀……」
「変なこと言わないで……。私は別にお金のためにあなたに抱かれたわけじゃないわ!」
ギロリと純一郎を睨みながら、瑞紀が文句を言った。
「分かってるさ、言葉の綾だ。お前の価値は金になんか換えられねえってことが言いたかったんだ。そう怒るな……」
「純……」
遠回しに口説かれたように感じて、瑞紀は嬉しそうに純一郎の左腕に腕を絡めた。
「さっき買った武器や装備が届くのは明日の夕方か……。それまでは、ゆっくりと英気を養うとしようぜ……」
自動拳銃くらいなら隠し持てるが、短機関銃や装備一式をフェリーに持ち込むわけには行かなかった。手荷物検査ですぐにバレてしまうからだ。純一郎はシルヴェリオに依頼して、受取人指定宅急便でファヴィニーナで宿泊している<テンポ ディ マレ>まで送付してもらうことにした。この宅急便であれば、税関のようなX線検査でも受けない限り、中身を特定することはできないからだ。
「英気を養うのなら、今夜は別々の部屋で寝ましょう。何なら、私がソファで寝てもいいわよ」
三日も連続であのような凄まじいセックスをされたら体が保たないと思いながら、瑞紀が冷たく言い放った。
「何、言ってるんだ? 愛する女と二人でイタリアまで来ているんだ。独り寝なんてできるはずねえだろう?」
(愛する女……?)
純一郎に初めて愛を告げられ、瑞紀は驚いて彼の顔を見つめた。
(純が、私を愛してるって言った……。たった一言だけなのに、それがこんなに嬉しいなんて……)
胸の奥が締め付けられるほどの喜びを感じて、純一郎の顔を見つめる瑞紀の瞳から涙が溢れ出た。次の瞬間、瑞紀は堪えきれない感情に肩を震わせると、両手で顔を覆って泣き出した。
「お、おい、瑞紀……? どうしたんだ?」
突然、立ち止まって泣き始めた瑞紀に、純一郎が驚いて訊ねた。
「ごめんなさい……、何でも……ないわ……」
「何でもないはずねえだろう? どうしたんだ、瑞紀?」
焦った口調で純一郎が瑞紀の顔を覗き込もうとしてきた。瑞紀は両手で涙を隠したまま、純一郎から顔を逸らせた。
「何でもない……。見ないで……」
「大丈夫か、瑞紀? どうしたんだ、突然……?」
(私、純に愛されているんだ……。嬉しい……。いつの間にか、純のことがこんなに好きになっていたなんて……)
瑞紀は急いで涙を拭うと、泣き笑いの表情のまま純一郎に訊ねた。
「もう一度言って、純……」
「え……? 何をだ……?」
瑞紀の言葉の意味を図りかねるように、純一郎が訊ねた。
「私のことをどう思っているのか、もう一度聞かせて……」
「お前のことをどう思っているかって……? ぶっ飛んだ女だが、可愛くて魅力的なところも……」
純一郎の言葉に、瑞紀はカッと頭に血が上った。
「バカッ! 知らないッ! この鈍感ッ!」
そう叫ぶと、瑞紀はトラーパニ港のフェリー乗り場に向かって走り出した。一人残された純一郎は、何が何だか分からずに呆然と立ち尽くした。
(何なんだ、あれは……? 相変わらず訳が分かんねえ女だな……)
(純が私を愛していると言ってくれた……! 私も純が好き……! 愛してるわ、純……!)
地中海から吹いてくる海風に長い黒髪を靡かせながら、瑞紀が嬉しそうな笑顔を浮かべた。
瑞紀は自分の心から龍成の面影が小さくなっていくのを感じた。『<星月夜>の女豹』の心の中で、<櫻華の若獅子>への愛情が大きく燃え上がっていった。
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