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第3章 女豹の掟

2 シチリアの風

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 レオナルド=ベーカーは黄金の髪を左手でかき上げながら、エグゼクティブ・デスクの上にある二枚の写真を見つめた。
 一人は漆黒の髪をまっすぐに背中まで伸ばし、黒曜石のように輝く瞳が印象的な女だった。細く通った鼻筋と魅惑的な淡紅色ローズ・ピンクの唇が、彼女を実際の年齢よりもあどけなく見せていた。
 その写真の横には、彼女の評価が書かれていた。

 氏名;ゆずりは瑞紀
 年齢:25歳
 職業:ゆずりは探偵事務所>所長。
 前職:<星月夜シュテルネンナハト>の元特別捜査官エージェント
 身長:165cm
 体重:48kg
 血液型:A型
 視力:両目とも1.5
 色覚:正常
 聴力:正常
 拳銃射撃:SS
 遠距離狙撃:S
 重火器操作:B
 格闘技:A(合気道二段)
 語学:英語(TOEIC 780)
 長所:自主性、独創性、状況判断力に優れる
 短所:協調性に問題があり、直情的な行動が多い
 備考:組織行動よりも単独行動に適する特殊部隊レンジャー

「この女が王雲嵐ワン・ウンランと白氷麗《ハク・ビンリン》を殺したとは、にわかには信じられんな……」
 そう告げると、レオナルドはもう一枚の写真が貼られた報告書に目を移した。ゆずりは瑞紀も美しかったが、こちらはまさしく「絶世の美女」という言葉が似つかわしい女だった。

 緩やかにウェーブがかかったダーク・ブラウンの髪を肩まで伸ばし、ほっそりとした瓜実顔にある切れ長の眼と細く高い鼻梁、女性らしいプックリとした唇が魅力的だった。それらが黄金比とも言うべきバランスで配置され、神が作り賜うた完璧な美を成していた。瞳の色は髪と同じ濃茶色ダーク・ブラウンで、意志の強さとともに聖母のような慈愛に満ちていた。
「美しい女だ……」
 レオナルドは満足そうな笑みを浮かべると、「Rena Himekawa」と書かれたファイルに目を通し始めた。

 氏名:姫川玲奈
 年齢:33歳
 職業:警視庁西新宿署組織犯罪対策課長
 階級:警視(国家公務員総合職キャリア採用者)
 身長:172cm
 体重:54kg
 血液型:AB型
 視力:右1.5、左1.2
 色覚:正常
 聴力:正常
 拳銃射撃:B
 遠距離狙撃:C
 重火器操作:D
 格闘技:S(空手三段)
 語学:英語(TOEIC 955)、フランス語、ドイツ語は日常会話レベル
 長所:状況判断力、企画立案力、実行力、統率力、協調性に優れる
 短所:自意識プライドが高く、やや精神安定性に欠ける
 備考:組織統率力に優れる指揮官型

「この二人が新宿の女豹レパデェスか……。二匹とも飼い慣らしたいものだな」
 レオナルドのデスクの上には、全部で五冊のファイルがあった。彼が部下に命じて調査させたもので、いずれも今後の計画に支障を来す怖れのある者たちの調査ファイルだった。
 瑞紀と玲奈の他には、白銀龍成、アラン=ブライト、神崎純一郎の名前があった。

「白銀龍成とアラン=ブライトは、<星月夜シュテルネンナハト>のトップ・エージェントだ。真っ先に抹殺したいが、その戦闘力を考えると現実的に最も排除することが困難な相手だ。また、神崎純一郎は常時<櫻華会>の護衛が付いている。やはり、この二人から先に手を出すべきだな……」
 レオナルドの碧眼が、再び二人の女豹の写真を見据えた。

ゆずりは瑞紀に護衛はいない。また、姫川玲奈は西新宿署にいる時は難しいが、通勤時や自宅を狙えば拉致するのは容易たやすい。むしろ、常時ベレッタを携帯しているゆずりはよりも、姫川の方が拉致は容易だ」
 玲奈のファイルを手に取ると、レオナルドはニヤリと笑みを浮かべた。この美しい獲物を思いのままに嬲っている自分を想像すると、股間が硬く勃起してきた。

「<西新宿の女豹>がどんな声で啼くのか、楽しみなことだ……」
 玲奈の白い肢体を想像しながら、レオナルドはバカラのブランデーグラスに揺れているレミーマルタン・ルイ13世を一気に飲み干した。


 一時間ほど仮眠を取ってホテルを出ると、玲奈は職場に直帰する旨の連絡を入れた。少し寝たことで頭は大分すっきりとしたが、躰にはまだ甘い痺れが残っていた。ラペルラの下着の中では、乳首が硬くそそり勃ち、秘唇が愛蜜で濡れているのが自分でも分かった。
 身だしなみを整えるために鏡に映った自分の顔を見て、玲奈は恥ずかしさのあまり真っ赤に染まった。そこには普段の凜々しさなど見る影もない、官能に蕩けきった女の姿があった。とてもではないが、部下に見せられる顔ではなかった。

(まったく、あの絶倫男……。いい加減にしてよね……)
 何度イカされたのか、玲奈自身にも分からなかった。十回以上は絶頂オーガズムを極めさせられたことは確実だった。失神しなかった自分を褒めてやりたいくらいだった。
(あんなに凄い快感セックスを教え込まれたら、本当にあいつから離れられなくなるじゃない……。まだ子宮がジンジンするわ……)
 火照った頬に左手を添えると、玲奈はハアッと炎の吐息を漏らした。

「おや、姫川課長じゃないですか?」
 正面から歩いてきたスーツ姿の男に声を掛けられ、玲奈はドキッとして足を止めた。以前に玲奈の部下だった錦織雄作の姿がそこにあった。
「オ、錦織オリさん……、久しぶりね……」
「ご無沙汰してます。こんなところに一人で何しているんですかい?」
「いえ……。さっき、そこでちょっとした事件があって……。大したことじゃなかったんだけど……」
 ここが歌舞伎町二丁目のラブホテル街であることを思い出し、玲奈はカアッと顔を赤らめながら苦しい言い訳をした。

「事件ですかい? まあ、物騒な世の中ですからね」
 玲奈は錦織が優秀な刑事だったことを思い出した。彼の鋭い眼が、不審そうに玲奈を見つめていた。
(やばい……。気づかれる……)
 今の自分がの顔をしていることを、誰よりも玲奈自身がよく分かっていた。玲奈は早急にこの場を去ることを選んだ。

「悪いけど、急いで署に戻らないとならないの。ごめんなさいね、オリさん。今度ゆっくりと話しましょう」
「ああ……。気にしないでください。では、また今度……」
 錦織に手を振ると、玲奈は逃げるようにその場を立ち去った。背中に錦織の視線が突き刺さっていることを感じながら、玲奈は新宿駅に向かって足を速めた。
(恥ずかしい……! ホテルから出て来たの、絶対にバレたわ! 勘のいいオリさんが気づかないはずない……)

(姫川課長、めちゃくちゃ色っぽかったじゃねえか? まさか、あの人が真っ昼間から男となんて……ねえよな……?)
 玲奈の後ろ姿を見つめながら、錦織は自分の妄想を否定するように慌てて首を振った。錦織が知っている姫川玲奈は、<西新宿の女豹>と呼ばれるキャリア警視だったからだ。玲奈は普段の自分のイメージに、何とか救われたのだった。


 新宿駅に隣接する百貨店のレストランで早めの夕食を取ると、玲奈は京王線で自宅のある初台に向かった。初台駅から徒歩五分にあるマンションの九階に玲奈は住んでいた。1DKと間取りは狭いが、通勤の便もよく、静かな住宅街にある築浅のマンションだ。家賃はやや高めだが、オートロックや宅配ボックスも完備されており、女性の一人暮らしでも安全できる環境だった。

 玲奈は自宅に入ると、真っ先に浴槽にお湯を張った。ユニットバスではなく、きちんと浴槽と洗い場が分かれているタイプであることも、玲奈がこの部屋を選んだ大きな理由だった。
 女性の合成音声が湯を張り終えたことを告げると、玲奈は脱衣所で衣服を脱ぎ捨てて浴室に入った。熱いシャワーで体を洗い流した後、玲奈はゆっくりと浴槽に身を沈めた。温めのお湯が蕩けるように心地よく、体の疲れを癒やしていった。

 十分に入浴を愉しむと、玲奈は浴槽から出てボディソープで体を洗い始めた。豊かな乳房の中心にある鴇色の乳首は硬く尖っており、手で触れた瞬間にビクンッと快感が全身を駆け抜けた。
(まだこんなに硬くなってる……)
 ツンと突き勃った媚芯を指先で摘まみ上げると、峻烈な快感が背筋を舐め上げて玲奈は白い顎を突き上げた。純一郎との激しいセックスが、玲奈の躰を淫らに変えてしまったかのようだった。

(いつもよりも、感じやすくなってる……?)
 生理前でもないのに、胸を触っただけで甘い愉悦が全身に広がった。玲奈は豊かな乳房を両手で包み込むと、手の平で乳首を転がすように揉み始めた。
「あッ……ん、あッ……気持ち……いいッ……」
 ゾクゾクとした歓悦とともに、鴇色の乳首がツンッと突き勃っていた。玲奈は硬く尖った媚芯を指で摘まみ上げると、コリコリと扱いた。同時に、手の平全体で乳房をゆっくりと揉みしだいた。

「あッ、あッ……いいッ……! すごく……感じるッ……あッ、あぁあッ……!」
 快美の火柱が背筋を走り抜け、玲奈は白い喉を仰け反らせながら喘いだ。無意識に手の動きが激しく速くなっていった。その動きに呼応するかのように、歓喜の愉悦が腰骨を灼き溶かして四肢の先端まで甘く痺れさせた。目の前にチカチカと白い閃光が瞬き、脳天を何度も落雷が襲った。

「あッ……だめッ……気持ちいいッ……こんなの……ダメなのに……」
 玲奈は両脚を広げると、右手で叢をかきわけて秘唇を撫で上げた。自分でも驚くほど濡れていた。その羞恥の源泉は待ち望んでいたかのように玲奈の指を呑み込んだ。中指と薬指を鉤状に折り曲げると、玲奈は入口の天井部分Gスポットを擦り上げた。

「あッ、あんッ……! いいッ……! あッ、あッ……だめッ……! 気持ちいいッ……!」
 左手で乳房を揉みしだきながら、玲奈は右手を激しく抜き挿しした。プシャップシャッと卑猥な音色を奏でながら、花唇から透明な雫が飛び散った。腰骨が灼きつくように熱くなり、快美の火柱が背筋を灼き溶かしながら脳天で弾けた。赤く染まった目尻から随喜の涙が溢れて、白い頬を伝って流れ落ちた。炎の吐息を漏らす唇からは、ネットリとした唾液の糸が垂れ落ちた。

「だめッ……! イッちゃうッ……! 許してッ……! イクぅうッ……!」
 誰に許しを乞うたのかさえも分からずに、玲奈は大きく仰け反るとビクンッビクンッと総身を痙攣させた。プシャッと音を立てて花唇から蜜液が弧を描いて迸った。ガチガチと歯を鳴らしながら快絶の硬直を噛みしめると、玲奈はグッタリと弛緩して全身の力を抜いた。
「ハァ、ハァ……こんなの……あたしじゃない……」
 <西新宿の女豹>とも呼ばれる自分が、浅ましく自慰オナニーに耽っていることが信じられなかった。せわしなく熱い吐息を漏らしながら、玲奈は鏡に映った自分の姿を見た。そこには官能の愉悦に蕩けきった淫靡な女の貌が映っていた。

「純一郎の……せいだわ……。あいつが……あたしを……こんなに女にしたのよ……」
 物足りなかった。硬いモノが欲しかった。肉襞を抉って、奥まで貫いて欲しかった。下から突き上げて欲しかった。後ろから犯しぬいて欲しかった。気が狂うほど何度もイカせて欲しかった。
 玲奈は両手で乳房を揉みしだいた。指先で乳首を捏ね回した。花唇を擦り上げ、真珠粒クリトリスを転がした。激しく指でかき回し、天井部分Gスポットを擦り上げた。

「あッ、あッ、あッああッ……! いいッ……! 気持ちいいッ……!」
「また、イクッ……! だめッ……! イクぅッ!」
「ハァ、ハァ……指、止まらないッ! あッ、だめッ……! おかしく……なるッ……!
「こんなの……違うッ! あたしじゃ、ないのッ! あッ、だめッ……また、イクッ……!」
「イッちゃうッ……! もう、許してッ! イクぅううッ!」
 ビックンビックンッと総身を痙攣させては絶頂オーガズムを極め、歓喜の硬直を噛みしめてはグッタリと弛緩した。そして、随喜の涙と涎を垂れ流しながら、玲奈は何度も歓悦の極みへと駆け上っていった。

 快絶の奔流に流された女豹の啼き声が、狭い浴室にいつまでも響き渡っていた。


 イタリアン・マフィアの歴史は、十九世紀に遡る。一八六〇年、当時の統一イタリア王国にシチリア島が統合されたことが歴史の変換点とも言われている。それまでの数世紀に及び、シチリア島の住民はフランスやスペインといった外国人支配による政治的圧迫から、政府や政治に対しての強い不信感があった。国民化や民主化を急ぐイタリア政府に対して、労働運動などを扇動した集団がマフィアの先駆けとも言われていた。

 二十世紀に入ると、イタリア人のアメリカ移民が増えるにつれて、アメリカ大陸においてもマフィアの活動が活発になった。第二次世界大戦中においては、日本、ドイツ、イタリアの諜報活動に対応するため、アメリカ海軍はマフィアの協力が不可欠になった。こうしてマフィアは時にアメリカ軍部と結託し、また時にアメリカ政府から弾圧をされながらその組織を地下に潜伏させていった。

 マフィアの各組織はファミリーと呼ばれ、首領ボスをトップとした完全なピラミッドを形成している。ボスの下にいるアンダー・ボスは日本の暴力団における若頭に相当し、その下に複数の幹部カポがいる。そして、カポが率いる二次組織には構成員ソルジャーがおり、更に各ソルジャーは何人かの準構成員アソシエーテを従えている。
 また、これらピラミッド型の組織には相談役コンシリエーレと呼ばれる重要な役職が置かれ、首領ボスに次ぐ権限を有すると同時に、ソルジャーがカポと問題を抱えた時に直接相談できる緩衝材としての機能を担っていた。

 イタリアン・マフィアが中国系マフィアや日本の暴力団と大きく違う点は、血の繋がりを大切にしていることだ。最下層の準構成員アソシエーテを除く全員が、イタリア人またはイタリア系アメリカ人であった。
 イタリアン・マフィアの<血の掟>は別名を<沈黙オメルタの掟>とも言い、すべての構成員に対してボスへの服従と沈黙を厳しく命じている。掟を破った者には他の構成員に対する見せしめのため、凄惨な制裁がなされる。この掟と構成員が少数であることにより、イタリアン・マフィアの全貌は闇に包まれていると言っても過言ではなかった。

 イタリアン・マフィアの特徴は、日本の暴力団のように本部や事務所を構えないことであった。普段は普通の人々に溶け込んで暮らし、有事の時には命を賭けてボスのために働くのである。新宿自治区の北東部一帯を裏から支配していたのは、イタリアン・マフィアでも最大規模のファミリーであるシチリアン・マフィアであった。
 中国系最大のマフィア<蛇咬会じゃこうかい>の最高顧問であったレオナルド=ベーカーは、そのシチリアン・マフィアの相談役コンシリエーレでもあった。

「西新宿署組織犯罪対策課長である姫川玲奈を攫え」というレオナルドの指令を受けたのは、シチリアン・マフィアの幹部カポであるアルマンド=ブランキーニだった。彼はすぐさま、二人の構成員ソルジャーにレオナルドの命令を伝えた。
 アルマンドは自分のソルジャーにそれぞれ三人から五人の準構成員アソシエーテを従えさせていた。アルマンドの命を受けたマルコ=カルデローネとベネデット=ダレッシオを含む十人の男たちが、姫川玲奈を拉致するために動き出した。

 標的ターゲットを拉致することは、アソシエーテにとって最も手慣れた仕事の一つだ。その手口は様々だが、マルコとベネデットは相談の上で最も強引な方法を選択した。標的ターゲットの自宅に押し入り、催眠導入薬を用いて昏睡させた上で、トランクに入れて運び出すのである。その時に室内を荒らして貴重品をいくつか押収し、強盗の犯行に見せかけるのだ。
 十人の男を乗せたマイクロバスが、玲奈の自宅がある初台のマンション前に停車した。


 ピンポーン……。
 インターホンから来客を告げる呼び鈴チャイムが鳴った。玲奈は素肌の上にバスローブを羽織り、濡れた髪をバスタオルで拭いながらインターホンの液晶スクリーンを見つめた。そこには大手宅配業者の制服を着た男が、両手に大きな花束を持って立っていた。
(こんな時間に宅急便……?)
 壁に掛けられているアナログ時計を見ると、午後十時十五分を指していた。深夜の宅配サービスも一部あるが、宅配時間は夜の九時までが一般的だった。玲奈は不審な表情を浮かべながら、インターホンの応答スイッチを押した。

「ムサシ運輸深夜宅配サービスです。姫川玲奈様にお届け物です」
 液晶画面の向こうで、男が宅配会社の社員証を掲げながら告げた。
「送り主はどなたですか?」
「神崎純一郎様から、お花のお届けです」
 玲奈の質問に、男が笑顔で答えながら大きな花束を掲げた。真紅の薔薇とかすみ草の花束だった。薔薇の数は二十本以上もありそうだった。

(純一郎が薔薇の花を……? どういう風の吹き回しかしら……?)
 昼間ホテルで別れた時には、そんな素振りは微塵も見せなかった。
 純一郎からプレゼントをもらったことは、過去に一度だけあった。大学の頃に付き合っている時に、玲奈の二十一歳の誕生日にティファニーのオープンハートのネックレスを贈られたのだ。だが、玲奈の誕生日は十二月二十四日のクリスマス・イブだ。今日は八月十五日なので、まだ四ヶ月以上も先だった。

(サプライズ・プレゼントのつもりかしら? 似合わないことするわね……)
 そう思いながらも、好きな男から花を贈られて嬉しくない女性はいない。玲奈はエントランスの解錠ボタンを押しながら、男に笑顔で告げた。
「ちょっと今、手が離せないので、十分後に来て頂けますか?」
「はい、かしこまりました。後ほどお伺いします」
 男がエントランスの扉を開けて中に入ってくる映像を確認すると、玲奈はインターホンのスイッチを切った。

 玲奈は慌てて下着を着けると、紺色のTシャツとライトベージュのフレアスカートを身につけた。そして、洗面所の三面鏡の前で濡れた髪にブラシを入れ、ドライヤーで乾かし始めた。相手が宅急便業者とはいえ、さすがに湯上がりのバスローブ姿を見せるわけにはいかなかったからだ。

 きっかりと十分後に、再びチャイムが鳴った。このマンションのインターホンは、エントランスと部屋の玄関でチャイムの音が異なる。今回は玄関のチャイム音だった。玲奈はドレッサーの引き出しを開けて印鑑を取り出すと、早足で玄関に向かった。念のためドアスコープ越しに外を覗き見ると、先ほどの作業員が花束を抱えながら立っていた。玲奈は疑いも抱かずにチェーンを外して、玄関の扉を開けた。

「姫川玲奈様ですね? こちらに受け取りの押印をお願いします」
 渡された伝票を確認すると、送り主の欄に純一郎の名前が書かれていた。玲奈は受領印を押すと、伝票を男に返した。
「素敵な花束ですね。彼氏からですか?」
「ええ……。まあ……」
 純一郎を彼氏と言っていいのか分からずに、玲奈は曖昧な微笑を浮かべながら花束を受け取った。

(凄い匂い……)
 両手で花束を抱えると、強い薔薇の香りが玲奈の鼻孔を刺激した。二十本以上の真紅の薔薇の香気は、頭がクラクラするほど強烈だった。
(まるで、純一郎のセックスみたい……)
 浴室で激しい自慰オナニーに耽ったせいか、その香りを嗅いだだけで玲奈はジンッと子宮が痺れて秘唇が恥ずかしい蜜で濡れるのを感じた。

 うっとりとした表情を浮かべた瞬間、シューッという音とともに薔薇の中から噴霧が迸り、きつい刺激臭と一緒に玲奈の顔に襲いかかった。
「くッ……!」
(クロロフォルムッ……? 息を止めないとッ……!)
 慌てて呼吸を停止したが、周囲の景色が急激にぐるぐると回り出した。
(何で……? 息を止めているのに……?)
 次の瞬間、急速な睡魔に襲われて、玲奈はガクリと首を折って全身を弛緩させた。

「ほう……。咄嗟に息を止めやがった。さすがに女豹レパデェスと呼ばれるだけあるな。だが、このガスは皮膚から浸透するんだ。残念だったな」
 薔薇の花束ごと玲奈の体を抱きとめると、男がニヤリと笑みを浮かべた。そして、周囲に誰もいないことを確認すると、意識を失った玲奈を抱き上げて部屋の中へと入っていった。

 リビングの床に玲奈を横たえると、男はスマートフォンを取り出して通話アイコンをプッシュした。
「こちら、カルデローネ。ベネデット聞こえるか?」
「通話良好クリアだ。首尾はどうだ、マルコ?」
無問題オール・クリアだ。ミッションβに移行する。準備を頼む」
了解ラジャー……」
 ベネデットの了承の声を聞くと、マルコは通話をオフにした。

 しばらくすると、インターホンのチャイムが鳴った。液晶スクリーンに五人の男たちが映っていることを確認すると、マルコはエントランスのドアを解除した。男の一人が巨大なトランクケースを転がしていた。玲奈を入れて運ぶためのものだった。

(それにしても、いい女だ……。幹部カポに渡す前に、ベネデットと二人で一晩楽しむか。処女って訳でもねえだろうし、このくらいの役得はあって当然だな……)
 Tシャツを盛り上げる玲奈の大きな胸と豊かな腰つきに視線を這わせながら、マルコは自分のが硬く勃起してくるのを感じた。

 自分の身に降りかかる過酷な運命に気づくこともなく、玲奈は真紅の薔薇を抱えながら安らかな寝息を立てていた。
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