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第2章 櫻華の嵐
5 打ち上げ花火
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「この女です……」
望遠レンズで隠し撮りした三枚の写真を応接卓の上に置くと、九鬼雷銅が短く告げた。そこには男に腕を絡ませながら、倖せそうに微笑んでいる亜麻色の髪をした女が写っていた。
「名前は水島麗華、二十五歳です。<星月夜>情報部情報課に勤務しているOLです。この写真は今朝、神崎と一緒に新宿プリンスホテルから出て来たところを、うちの若いヤツらが撮ったものです」
「なかなかいい女じゃねえか? 神崎にはもったいねえな……」
大きく盛り上がった麗華の胸を見つめながら、一条天翔がニヤリと笑みを浮かべた。その笑いに込められた意味を察すると、九鬼が残忍な表情を浮かべながら言った。
「この女を攫って輪姦してるビデオを神崎に送りつけたら、奴もさぞ喜ぶでしょう」
「悪くねえ案だが、<星月夜>を敵に廻すことになるぞ。あの<蛇咬会>でさえ、奴らに潰された。俺たちがやったっていう証拠を残さずに、この女を攫えるか?」
一条の質問に、九鬼は自信を持って頷いた。
「テロを装って、新宿の何カ所かで同時に花火を打ち上げます。その爆発に目を向けさせている間に、この女を攫います。そして、この女を凌辱している映像を神崎に送りつけ、女の命と引き換えに引退届を書かせます。それを全国の親分衆に送りつければ、神崎も終わりです」
「この世界では、一度引退した者は二度と復帰はできない。世を儚んだ神崎が、この女と心中するって筋書きか? 面白そうだな」
「ええ……。神崎の兄貴には色々と世話になりましたんで、最後くらいは惚れた女と一緒にあの世に逝ってもらいます。兄貴を尊敬する弟分からの優しい餞別です」
九鬼の言葉に、一条は声を立てて楽しそうに笑った。
「花火の準備はできているのか?」
「はい。一つ一つの威力は大したことありませんが、歌舞伎町や都庁を始め、新宿自治区の七箇所から同時に打ち上げます。その混乱がピークに達したときを見計らって、水島麗華を拉致します」
九鬼の手はずを聞いて、一条は満足そうに頷いた。さすがに<櫻華会>随一と呼ばれる武闘派だけのことはあった。女一人を拉致するために数百人の犠牲者を出すなど、一条の常識を遥かに超えていた。
「よし……。攫った女は、富津の別荘に運び込め。あそこなら人目も少ないし、神崎も知らないはずだ」
千葉県富津岬の近くに購入した別荘を、一条が指定した。周辺にゴルフ場も多く、東京湾アクアラインを利用すれば都心からの交通の便も悪くなかった。ゴルフ好きの一条が自分の趣味のために個人で購入した別荘で、<櫻華会>でもその存在を知る者はほとんどいなかった。
「承知しました。明日の午後には女を届けますので、組長は先に行ってゴルフを楽しんでいてください」
ニヤリと笑みを浮かべながら、九鬼が告げた。一条は満足げに頷くと、残忍な表情を浮かべた。
「頼んだぞ、九鬼。俺が<櫻華会>の会頭の椅子に座ったら、この<一条組>はそのままお前に引き継がせる。その時には、<九鬼組>と名前を変えても構わん」
(神崎……、お前の女を麻薬漬けにして、気が狂うまで犯し抜いてやるッ! お前が絶望する顔を見るのはもうすぐだッ! 楽しみにしていろッ!)
狂気と残虐さに満ちた光を瞳に浮かべながら、一条は喜びに満ちた微笑を浮かべた。
<櫻華会>を出ると、瑞紀は麗華と二人で歌舞伎町にある喫茶店に入った。窓際の席に向かい合って座ると、少し早いがランチセットを注文した。パスタとサラダとドリンクが好みで選べるセットだった。瑞紀はカルボナーラとグリーンサラダ、ダージリン・ティを頼んだ。
麗華が選んだのは、トラパネーゼというトマトとアーモンド、バジルを混ぜた淡い緑色のパスタだった。サラダは赤、白、緑が鮮やかなカプレーゼを選択し、絞りたてのオレンジ・ジュースを注文した。同じ二十五歳の女性とは思えぬ女子力の高さに、瑞紀は軽い劣等感を覚えた。
ちなみに、俊誠には女同士で話をしたいと告げて、先に<楪探偵事務所>に帰ってもらった。神崎との馴れ初めを聞くに当たって、麗華が藤木と不倫していたことを俊誠に聞かせるわけにはいかなかったからだ。
「まさか、麗華が神崎さんとそういう関係になっているなんて、知らなかったわ……。いったい、いつから……?」
麗華と神崎が初めて会ったのは、先週開かれた美咲の婚約パーティのはずだと瑞紀は思った。まだ、六日しか経っていなかった。
「一昨日の夜、一人で『再会』に行ったの。そこで、純一郎と偶然会って……」
恥ずかしそうに顔を赤らめながら、麗華が告げた。その様子から、二人がその夜を共に過ごしたことを瑞紀は察した。
「藤木部長は知ってるの?」
「別れたわ……」
「え……?」
間髪を置かずに答えた麗華に、瑞紀は驚きの視線を送った。藤木と麗華は、一年半以上も交際していたはずだった。それも瑞紀が見る限り、麗華の方が藤木に夢中だったのだ。
「昨日の朝、『しばらく一人にして欲しい』ってメールしたの。同じ建物にいるにも関わらず、会いにも来てくれなかったわ……」
そう告げると、麗華が小さくため息をついた。
藤木のいる特別捜査部は八階、麗華の情報部は十階だ。二フロアしか離れていないのに、藤木は麗華に会いに行かなかった。それが麗華に藤木との別れを決意させたのだと、瑞紀は思った。
「そうなんだ……。それで昨日、藤木部長の機嫌が悪かったのね。おかげで、私は特別捜査部を出入り禁止になったわ」
自分が嫉妬に駆られてM93RMK2を撃ったことを棚に上げて、瑞紀が納得した表情で告げた。二人の不倫について、瑞紀は以前から反対だった。妻子がいるにも拘わらず、十六歳も年下の女子社員と不倫を続ける藤木に、瑞紀はずっと怒りを覚えていたのだ。
「特別捜査部を出入り禁止に……? それって、あたし関係なくない?」
いくら機嫌が悪いとはいえ、あの藤木が簡単に元部下を出入り禁止処分にするはずなどなかった。瑞紀が何かやらかしたに違いないと、麗華は考えた。そして、その考えは正鵠を得ていた。
「まあ、それは置いておいて、麗華が神崎さんとねえ……。麗華の護衛を依頼するなんて、神崎さんも本気みたいだしね。取りあえずおめでとう、麗華……」
『嫉妬の銃痕』には触れずに、瑞紀が笑顔で告げた。神崎の人となりを知る瑞紀は、二人の交際に反対するつもりはなかった。
「ありがとう、瑞紀……。でも、あたし、純一郎が心配だわ。本当なら瑞紀には、あたしじゃなくて純一郎をガードして欲しいくらいよ。昨日、一条天翔と九鬼雷銅のことを調べたんだけど、かなり危ない連中だったわ。特に九鬼は<櫻華会>随一の武闘派で、今までに何人も殺しているみたい。その都度、一条が金を使って根回しし、不起訴処分になっているのよ……」
麗華が真剣な表情で瑞紀に告げた。その濃茶色の瞳に浮かぶ不安の色に気づくと、瑞紀は安心させるように言った。
「心配しなくても大丈夫よ、麗華。神崎さんは頭も切れるし、行動力もあるけど慎重な人よ。自分から無茶なことは絶対にしないわ。まして、今の神崎さんには麗華がいる。あなたの存在が、神崎さんのブレーキになっているはずよ」
「それならいいけど……」
麗華が自信なさげに、小声で呟いた。自分がそこまで純一郎に想われているのか、麗華には分からなかった。純一郎は麗華を「俺のアキレス腱だ」と言い、「麗華を人質にされたら、俺は動けなくなる」と告げてくれた。そして、麗華が失神するほど何度も抱いてくれた。
(純一郎……。あたし、あなたに愛されているって信じてもいいの?)
閉じた瞼の裏で、純一郎が真っ直ぐに麗華を見つめていた。そして、麗華からくるりと背中を向けた。その背中に描かれた聖観音が優しい眼差しで麗華に微笑んだ。それが答えだと、麗華は思った。
(あなたがあたしを愛しているかじゃないわ。あたしが、あなたを愛している……。それだけで十分よ……)
濃茶色の瞳を開くと、麗華は瑞紀に向かって大きく頷いた。
ドッカーンッ……!
その時、凄まじい轟音と共に、激しい揺れが瑞紀たちを襲った。喫茶店の窓ガラスに無数のヒビが入り、粉々に砕け散った。
「キャッ……!」
「きゃぁあッ……!」
悲鳴を上げながら、二人は両手で頭を庇いながらテーブルに突っ伏した。割れたガラスの破片が、二人の上に降り注いできた。
「麗華ッ! 店の奥へッ!」
エルメスのバーキンからベレッタM93RMK2を引き抜くと、瑞紀が安全装置を外しながら叫んだ。
「分かったッ! 瑞紀も、早くッ!」
情報部員とは言え、麗華も<星月夜>の一員だ。緊急避難訓練は受けている。咄嗟に自分のバッグを掴むと、頭を護りながら店の奥へと走り出した。
「麗華、ここを動かないでッ! 様子を見てくるわッ!」
そう叫ぶと、瑞紀は割れた窓から道路へと飛び出した。
「気をつけて、瑞紀ッ!」
背中から聞こえた麗華の叫び声に頷くと、瑞紀は逃げ惑う人々と反対方向に向かって走り出した。
(まさか、爆破テロッ……!)
三年前の悪夢が、瑞紀の脳裏に蘇った。
世界同時電子テロから一ヶ月の間に、世界中のあちこちで爆破テロが勃発した。日本でも百箇所以上で爆破テロが起こり、人々を混乱と恐怖に突き落とした。
そのうちの新宿で起こった爆破テロに瑞紀は巻き込まれた。瑞紀から二十メートルという近さで爆発が起こり、その衝撃で鼓膜を破られた。同時に、人間の頭部ほどもあるコンクリートの塊が瑞紀の右腕を粉砕し、肩から先がもぎ取られた。
辛うじて一命は取り留めたものの、現在の瑞紀の右腕は<星月夜>技術開発部によって作られた高性能義手だった。
爆心地と思われる歌舞伎町一番街と花道通りの交差点に到着すると、五階建てのビルが黒煙を上げて炎上していた。周囲の建物も窓ガラスが割れ、コンクリートにヒビが入って崩れていた。
人々の喧噪と怒号と悲鳴とが響き渡り、遠くから緊急車両のサイレンが聞こえてきた。
(単なるガス爆発……? いや、違う……)
周囲を見渡すと、新宿西口方面や新宿三丁目方面にも黒煙が見えた。
(同時爆破テロだッ……?)
左腕にはめたリスト・タブレットが細かく振動した。着信の合図だった。瑞紀はヴァーチャル・スクリーンに表示された名前を確認すると、通話アイコンをクリックした。
「瑞紀、無事かッ……?」
焦燥に満ちた龍成の声がスピーカーから聞こえてきた。
「龍成、大丈夫よッ! あなたはッ?」
「こっちも無事だ。新宿自治区の七箇所で、同時に爆発が起こった。テロの可能性が大きい。すぐに事務所に戻れッ!」
(やはり、同時爆破テロッ……! 七箇所も……?)
「今、歌舞伎町一番街の爆破現場にいるわッ! 爆心地と思われる五階建てのビルが炎上している。でも、倒壊はしていない。爆破の規模はそれほど大きくないわッ!」
三年前に瑞紀が巻き込まれた爆破テロでは、七階建てのビルが崩壊したのだった。それと比較すれば、今回の爆破規模は遥かに小さかった。
(TNT火薬の量が十分に確保できなかった?)
爆心地のビルの状況から、使用されたTNT火薬は十キログラム程度だと思われた。
(違うわッ! 七箇所すべてに同じくらいのTNT火薬が使われたとしたら、最低でも七十キロは使用されている。本気で大量殺人を計画したのなら、最も人口密度が高いこの歌舞伎町ですべてを爆破させたはず……。そうされていたら、数百人の死傷者が出ていたはずだわッ!)
今回の犯人の目的は、大量殺人ではなかった。では、七箇所同時に爆破した理由は何だろうと、麗華のいる喫茶店に向かって走りながら瑞紀は考えた。
(同時爆破ってことは、時限式だわ。可能性としては、愉快犯か陽動……? 陽動だとしたら、その目的は何……?)
瑞紀は麗華を残した店に到着した途端、驚愕のあまり愕然と立ち尽くした。
陽動の答えが、ここにあった。
阿鼻叫喚……。
鬼哭啾々……。
死屍累々……。
地獄を表す言葉は多々あるが、そのどれもが目の前の惨状を言い表すには不十分すぎた。
酸鼻を極める鮮血が周囲を真紅に染め上げ、千切れ飛んだ指先は怨嗟を掴んでいた。下半身のない腰からは内臓がはみ出し、頭部が半分消し飛んだ頭蓋は脳漿を垂れ流していた。
まだ息のある男から、呻き声とともにヒュウヒュウという音が聞こえた。男を助けようと走り寄ったが、瑞紀は呆然と見下ろすことしかできなかった。男の首は半分ほどちぎれており、右上半身は抉り取られて血まみれだった。男が瑞紀の目の前でガクリと首を折った。先ほどの音は、呼吸が肺に届かずに首筋から漏れ出ている音だったのだ。
十人以上の男女が床に倒れており、店内は文字通り血の海と化していた。壁に残された無数の銃痕から、彼らがサブマシンガンのようなもので撃たれたことは間違いなかった。
「麗華ッ……!」
ベレッタM93RMK2を右手で構えながら、瑞紀は亜麻色の髪をした親友の名前を叫んだ。帰ってきたのは吐き気を催すほどの血臭と、シンと静まりかえった静寂だけだった。
遠くから近づいてくる緊急車両のサイレンの音が、辛うじて瑞紀を現実世界へと留めていた。
「アラン、龍成はッ……!」
<星月夜>の八階にある特別捜査部の扉を蹴破るように開くと、瑞紀は実戦戦闘服に身を包んだアラン=ブライトに向かって叫んだ。
「ミズキ……? 君は出入り禁止のはず……」
「この緊急事態に、寝ぼけたこと言ってんじゃないわよッ! 龍成はどこッ!」
瑞紀の剣幕に、アランは困った表情で部長席に座る藤木を振り向いた。
「楪、お前はすでに部外者だ。我々はこの緊急度SSの事態に対応中だ。すぐに出て行けッ!」
藤木の言葉を無視すると、瑞紀はズカズカと部長席に進み、バンッと音を立てて両手を机に付いた。
「水島麗華が拉致されました。この同時爆破テロは、彼女を拉致するための陽動ですッ!」
「何だとッ……!」
麗華の名前を聞いて、藤木が驚愕のあまり愕然と瑞紀を見つめた。
「麗華を拉致したのは、一条天翔ッ! 指定暴力団<櫻華会>の下部組織、<一条組>の組長ですッ!」
「麗華一人を攫うために、七箇所を爆破しただとッ……?」
他部署の女性職員をファーストネームで呼び捨てたことに気づかないほど、藤木は動転していた。アランたちは藤木の言動から麗華との関係に気づいたが、それをどうこう言っている場合ではなかった。
「今回の爆破地点の内、歌舞伎町一番街で爆破されたのは<一条組>の事務所です。一条たちは自分たちが被害者であることを印象づけると同時に、全員が行方をくらませました。事務所には誰一人として<一条組>の組員は残っていませんッ!」
瑞紀は麗華が攫われたと気づくと、すぐに神崎に連絡を入れた。瑞紀の謝罪に対して、神崎は「分かった……」と一言だけ告げた。その時に、神崎から<一条組>事務所の場所を教わったのだ。その場所は、先ほど瑞紀がいた爆心地のビルだった。
「今すぐに<一条組>が所有する車のナンバーを調査し、この数日間の軌跡をNシステムで照合してくださいッ!」
Nシステムとは、主に警視庁が管轄する「自動車ナンバー自動読取装置」のことだ。全国の高速道路や主要道路に設置され、犯罪捜査などに使用されているシステムだ。<星月夜>はこのNシステムにリンクする権限を有していた。
「分かったッ! アラン、頼むッ!」
「了解ッ!」
そう告げると、アランは部下に指示して特別捜査部の端末からデータ・バンクにアクセスさせた。三分もかからずに、特別捜査官が<一条組>の所有車両を割り出して直近三日間の移動経路を照合した。アランが部下の情報を纏め、藤木に報告した。
「<一条組>の所有車両は三台……。紺色のメルセデス・ベンツS500。白のBMW・523i・Mスポーツ。グレーのトヨタ・ヴァルファイアです。いずれもこの二日間で、東京湾アクアラインを木更津方面に走行し、国道十六号線を南下しています。富津市内で十六号線から外れたため、それ以上はNシステムでは照合できません」
「アラン、富津市内に<一条組>が所有する建物や建造物は……?」
瑞紀の言葉に、アランが再び部下の特別捜査官に調査を命じた。
「<一条組>や一条個人の名義で不動産売買はできない。フロント企業か、準構成員の名義を調査しろッ!」
藤木が端末を叩く特別捜査官に鋭い声で命じた。
「分かっています、先ほどの車も準構成員名義でしたから……。ありましたッ! 富津市内から少し外れたゴルフ場の近くに、昨年別荘を購入していますッ!」
若い特別捜査官が顔を輝かせながら叫んだ。その住所をリスト・タブレットに転送してもらうと、瑞紀は走って特別捜査部を出て行こうとした。
「待て、楪ッ! 一人でどうするつもりだッ? 非常時特別発砲権が発動されていない状態でベレッタを撃ったら、有罪になるぞッ!」
非常時特別発砲権とは、自分や仲間の生命が危険に晒された場合には相手を射殺しても罪に問われないという超法規的措置だった。逆に言えば、これが発動されていない状態で射殺したら殺人罪に問われるということだ。
「構いませんッ! 麗華を助けるのが先ですッ! 彼女を私のような眼には絶対に遭わせませんッ!」
<蛇咬会>会長の王雲嵐から受けた凄まじい凌辱を、麗華に遭わせる訳には絶対にいかなかった。そんなことになったら、始まったばかりの麗華と神崎の関係にヒビが入るだけでなく、麗華自身が自殺する可能性があるからだ。
「アランッ! 十名連れて、楪をフォローしろッ! 俺は統合作戦本部長に談判してくるッ!」
藤木が席を立ちながらアランに命じた。そして、自分は統合作戦本部長の高城から非常時特別発砲権の発動許可を得る決断をした。
「了解ッ! ミズキ、行くぞッ!」
「アラン、助かるわッ!」
再び特別捜査部から出ようとした瑞紀を、藤木が呼び止めた。
「楪、一つ教えてくれッ! 何故、麗華が<一条組>に狙われたんだッ?」
藤木の言葉に足を止めると、瑞紀はゆっくりと振り向いた。
「麗華の最愛の男が、一条天翔の敵だからです」
「最愛の男だと……? 誰のことだ……?」
神崎の存在を知らない藤木が、愕然としながら訊ねた。
「私は以前に、麗華を泣かせるようなことはしないでくださいと部長にお願いしました。後は、ご自分で調べてください……」
そう告げると、長い黒髪を靡かせて瑞紀は特別捜査部を後にした。
(最愛の男だと……? 麗華にそんな奴が……)
しばらくの間、呆然と佇んでいた藤木は、衝撃から立ち直ると受話器を取り上げた。そして、統合作戦本部長室の内線をプッシュすると、アポイントを取るために高城雄斗を呼び出した。
「特別捜査部の藤木です。緊急度SSの事案が発生しました。至急伺いたいのですが……」
特別捜査部内に、感情を押し殺した藤木の声が響き渡った。
望遠レンズで隠し撮りした三枚の写真を応接卓の上に置くと、九鬼雷銅が短く告げた。そこには男に腕を絡ませながら、倖せそうに微笑んでいる亜麻色の髪をした女が写っていた。
「名前は水島麗華、二十五歳です。<星月夜>情報部情報課に勤務しているOLです。この写真は今朝、神崎と一緒に新宿プリンスホテルから出て来たところを、うちの若いヤツらが撮ったものです」
「なかなかいい女じゃねえか? 神崎にはもったいねえな……」
大きく盛り上がった麗華の胸を見つめながら、一条天翔がニヤリと笑みを浮かべた。その笑いに込められた意味を察すると、九鬼が残忍な表情を浮かべながら言った。
「この女を攫って輪姦してるビデオを神崎に送りつけたら、奴もさぞ喜ぶでしょう」
「悪くねえ案だが、<星月夜>を敵に廻すことになるぞ。あの<蛇咬会>でさえ、奴らに潰された。俺たちがやったっていう証拠を残さずに、この女を攫えるか?」
一条の質問に、九鬼は自信を持って頷いた。
「テロを装って、新宿の何カ所かで同時に花火を打ち上げます。その爆発に目を向けさせている間に、この女を攫います。そして、この女を凌辱している映像を神崎に送りつけ、女の命と引き換えに引退届を書かせます。それを全国の親分衆に送りつければ、神崎も終わりです」
「この世界では、一度引退した者は二度と復帰はできない。世を儚んだ神崎が、この女と心中するって筋書きか? 面白そうだな」
「ええ……。神崎の兄貴には色々と世話になりましたんで、最後くらいは惚れた女と一緒にあの世に逝ってもらいます。兄貴を尊敬する弟分からの優しい餞別です」
九鬼の言葉に、一条は声を立てて楽しそうに笑った。
「花火の準備はできているのか?」
「はい。一つ一つの威力は大したことありませんが、歌舞伎町や都庁を始め、新宿自治区の七箇所から同時に打ち上げます。その混乱がピークに達したときを見計らって、水島麗華を拉致します」
九鬼の手はずを聞いて、一条は満足そうに頷いた。さすがに<櫻華会>随一と呼ばれる武闘派だけのことはあった。女一人を拉致するために数百人の犠牲者を出すなど、一条の常識を遥かに超えていた。
「よし……。攫った女は、富津の別荘に運び込め。あそこなら人目も少ないし、神崎も知らないはずだ」
千葉県富津岬の近くに購入した別荘を、一条が指定した。周辺にゴルフ場も多く、東京湾アクアラインを利用すれば都心からの交通の便も悪くなかった。ゴルフ好きの一条が自分の趣味のために個人で購入した別荘で、<櫻華会>でもその存在を知る者はほとんどいなかった。
「承知しました。明日の午後には女を届けますので、組長は先に行ってゴルフを楽しんでいてください」
ニヤリと笑みを浮かべながら、九鬼が告げた。一条は満足げに頷くと、残忍な表情を浮かべた。
「頼んだぞ、九鬼。俺が<櫻華会>の会頭の椅子に座ったら、この<一条組>はそのままお前に引き継がせる。その時には、<九鬼組>と名前を変えても構わん」
(神崎……、お前の女を麻薬漬けにして、気が狂うまで犯し抜いてやるッ! お前が絶望する顔を見るのはもうすぐだッ! 楽しみにしていろッ!)
狂気と残虐さに満ちた光を瞳に浮かべながら、一条は喜びに満ちた微笑を浮かべた。
<櫻華会>を出ると、瑞紀は麗華と二人で歌舞伎町にある喫茶店に入った。窓際の席に向かい合って座ると、少し早いがランチセットを注文した。パスタとサラダとドリンクが好みで選べるセットだった。瑞紀はカルボナーラとグリーンサラダ、ダージリン・ティを頼んだ。
麗華が選んだのは、トラパネーゼというトマトとアーモンド、バジルを混ぜた淡い緑色のパスタだった。サラダは赤、白、緑が鮮やかなカプレーゼを選択し、絞りたてのオレンジ・ジュースを注文した。同じ二十五歳の女性とは思えぬ女子力の高さに、瑞紀は軽い劣等感を覚えた。
ちなみに、俊誠には女同士で話をしたいと告げて、先に<楪探偵事務所>に帰ってもらった。神崎との馴れ初めを聞くに当たって、麗華が藤木と不倫していたことを俊誠に聞かせるわけにはいかなかったからだ。
「まさか、麗華が神崎さんとそういう関係になっているなんて、知らなかったわ……。いったい、いつから……?」
麗華と神崎が初めて会ったのは、先週開かれた美咲の婚約パーティのはずだと瑞紀は思った。まだ、六日しか経っていなかった。
「一昨日の夜、一人で『再会』に行ったの。そこで、純一郎と偶然会って……」
恥ずかしそうに顔を赤らめながら、麗華が告げた。その様子から、二人がその夜を共に過ごしたことを瑞紀は察した。
「藤木部長は知ってるの?」
「別れたわ……」
「え……?」
間髪を置かずに答えた麗華に、瑞紀は驚きの視線を送った。藤木と麗華は、一年半以上も交際していたはずだった。それも瑞紀が見る限り、麗華の方が藤木に夢中だったのだ。
「昨日の朝、『しばらく一人にして欲しい』ってメールしたの。同じ建物にいるにも関わらず、会いにも来てくれなかったわ……」
そう告げると、麗華が小さくため息をついた。
藤木のいる特別捜査部は八階、麗華の情報部は十階だ。二フロアしか離れていないのに、藤木は麗華に会いに行かなかった。それが麗華に藤木との別れを決意させたのだと、瑞紀は思った。
「そうなんだ……。それで昨日、藤木部長の機嫌が悪かったのね。おかげで、私は特別捜査部を出入り禁止になったわ」
自分が嫉妬に駆られてM93RMK2を撃ったことを棚に上げて、瑞紀が納得した表情で告げた。二人の不倫について、瑞紀は以前から反対だった。妻子がいるにも拘わらず、十六歳も年下の女子社員と不倫を続ける藤木に、瑞紀はずっと怒りを覚えていたのだ。
「特別捜査部を出入り禁止に……? それって、あたし関係なくない?」
いくら機嫌が悪いとはいえ、あの藤木が簡単に元部下を出入り禁止処分にするはずなどなかった。瑞紀が何かやらかしたに違いないと、麗華は考えた。そして、その考えは正鵠を得ていた。
「まあ、それは置いておいて、麗華が神崎さんとねえ……。麗華の護衛を依頼するなんて、神崎さんも本気みたいだしね。取りあえずおめでとう、麗華……」
『嫉妬の銃痕』には触れずに、瑞紀が笑顔で告げた。神崎の人となりを知る瑞紀は、二人の交際に反対するつもりはなかった。
「ありがとう、瑞紀……。でも、あたし、純一郎が心配だわ。本当なら瑞紀には、あたしじゃなくて純一郎をガードして欲しいくらいよ。昨日、一条天翔と九鬼雷銅のことを調べたんだけど、かなり危ない連中だったわ。特に九鬼は<櫻華会>随一の武闘派で、今までに何人も殺しているみたい。その都度、一条が金を使って根回しし、不起訴処分になっているのよ……」
麗華が真剣な表情で瑞紀に告げた。その濃茶色の瞳に浮かぶ不安の色に気づくと、瑞紀は安心させるように言った。
「心配しなくても大丈夫よ、麗華。神崎さんは頭も切れるし、行動力もあるけど慎重な人よ。自分から無茶なことは絶対にしないわ。まして、今の神崎さんには麗華がいる。あなたの存在が、神崎さんのブレーキになっているはずよ」
「それならいいけど……」
麗華が自信なさげに、小声で呟いた。自分がそこまで純一郎に想われているのか、麗華には分からなかった。純一郎は麗華を「俺のアキレス腱だ」と言い、「麗華を人質にされたら、俺は動けなくなる」と告げてくれた。そして、麗華が失神するほど何度も抱いてくれた。
(純一郎……。あたし、あなたに愛されているって信じてもいいの?)
閉じた瞼の裏で、純一郎が真っ直ぐに麗華を見つめていた。そして、麗華からくるりと背中を向けた。その背中に描かれた聖観音が優しい眼差しで麗華に微笑んだ。それが答えだと、麗華は思った。
(あなたがあたしを愛しているかじゃないわ。あたしが、あなたを愛している……。それだけで十分よ……)
濃茶色の瞳を開くと、麗華は瑞紀に向かって大きく頷いた。
ドッカーンッ……!
その時、凄まじい轟音と共に、激しい揺れが瑞紀たちを襲った。喫茶店の窓ガラスに無数のヒビが入り、粉々に砕け散った。
「キャッ……!」
「きゃぁあッ……!」
悲鳴を上げながら、二人は両手で頭を庇いながらテーブルに突っ伏した。割れたガラスの破片が、二人の上に降り注いできた。
「麗華ッ! 店の奥へッ!」
エルメスのバーキンからベレッタM93RMK2を引き抜くと、瑞紀が安全装置を外しながら叫んだ。
「分かったッ! 瑞紀も、早くッ!」
情報部員とは言え、麗華も<星月夜>の一員だ。緊急避難訓練は受けている。咄嗟に自分のバッグを掴むと、頭を護りながら店の奥へと走り出した。
「麗華、ここを動かないでッ! 様子を見てくるわッ!」
そう叫ぶと、瑞紀は割れた窓から道路へと飛び出した。
「気をつけて、瑞紀ッ!」
背中から聞こえた麗華の叫び声に頷くと、瑞紀は逃げ惑う人々と反対方向に向かって走り出した。
(まさか、爆破テロッ……!)
三年前の悪夢が、瑞紀の脳裏に蘇った。
世界同時電子テロから一ヶ月の間に、世界中のあちこちで爆破テロが勃発した。日本でも百箇所以上で爆破テロが起こり、人々を混乱と恐怖に突き落とした。
そのうちの新宿で起こった爆破テロに瑞紀は巻き込まれた。瑞紀から二十メートルという近さで爆発が起こり、その衝撃で鼓膜を破られた。同時に、人間の頭部ほどもあるコンクリートの塊が瑞紀の右腕を粉砕し、肩から先がもぎ取られた。
辛うじて一命は取り留めたものの、現在の瑞紀の右腕は<星月夜>技術開発部によって作られた高性能義手だった。
爆心地と思われる歌舞伎町一番街と花道通りの交差点に到着すると、五階建てのビルが黒煙を上げて炎上していた。周囲の建物も窓ガラスが割れ、コンクリートにヒビが入って崩れていた。
人々の喧噪と怒号と悲鳴とが響き渡り、遠くから緊急車両のサイレンが聞こえてきた。
(単なるガス爆発……? いや、違う……)
周囲を見渡すと、新宿西口方面や新宿三丁目方面にも黒煙が見えた。
(同時爆破テロだッ……?)
左腕にはめたリスト・タブレットが細かく振動した。着信の合図だった。瑞紀はヴァーチャル・スクリーンに表示された名前を確認すると、通話アイコンをクリックした。
「瑞紀、無事かッ……?」
焦燥に満ちた龍成の声がスピーカーから聞こえてきた。
「龍成、大丈夫よッ! あなたはッ?」
「こっちも無事だ。新宿自治区の七箇所で、同時に爆発が起こった。テロの可能性が大きい。すぐに事務所に戻れッ!」
(やはり、同時爆破テロッ……! 七箇所も……?)
「今、歌舞伎町一番街の爆破現場にいるわッ! 爆心地と思われる五階建てのビルが炎上している。でも、倒壊はしていない。爆破の規模はそれほど大きくないわッ!」
三年前に瑞紀が巻き込まれた爆破テロでは、七階建てのビルが崩壊したのだった。それと比較すれば、今回の爆破規模は遥かに小さかった。
(TNT火薬の量が十分に確保できなかった?)
爆心地のビルの状況から、使用されたTNT火薬は十キログラム程度だと思われた。
(違うわッ! 七箇所すべてに同じくらいのTNT火薬が使われたとしたら、最低でも七十キロは使用されている。本気で大量殺人を計画したのなら、最も人口密度が高いこの歌舞伎町ですべてを爆破させたはず……。そうされていたら、数百人の死傷者が出ていたはずだわッ!)
今回の犯人の目的は、大量殺人ではなかった。では、七箇所同時に爆破した理由は何だろうと、麗華のいる喫茶店に向かって走りながら瑞紀は考えた。
(同時爆破ってことは、時限式だわ。可能性としては、愉快犯か陽動……? 陽動だとしたら、その目的は何……?)
瑞紀は麗華を残した店に到着した途端、驚愕のあまり愕然と立ち尽くした。
陽動の答えが、ここにあった。
阿鼻叫喚……。
鬼哭啾々……。
死屍累々……。
地獄を表す言葉は多々あるが、そのどれもが目の前の惨状を言い表すには不十分すぎた。
酸鼻を極める鮮血が周囲を真紅に染め上げ、千切れ飛んだ指先は怨嗟を掴んでいた。下半身のない腰からは内臓がはみ出し、頭部が半分消し飛んだ頭蓋は脳漿を垂れ流していた。
まだ息のある男から、呻き声とともにヒュウヒュウという音が聞こえた。男を助けようと走り寄ったが、瑞紀は呆然と見下ろすことしかできなかった。男の首は半分ほどちぎれており、右上半身は抉り取られて血まみれだった。男が瑞紀の目の前でガクリと首を折った。先ほどの音は、呼吸が肺に届かずに首筋から漏れ出ている音だったのだ。
十人以上の男女が床に倒れており、店内は文字通り血の海と化していた。壁に残された無数の銃痕から、彼らがサブマシンガンのようなもので撃たれたことは間違いなかった。
「麗華ッ……!」
ベレッタM93RMK2を右手で構えながら、瑞紀は亜麻色の髪をした親友の名前を叫んだ。帰ってきたのは吐き気を催すほどの血臭と、シンと静まりかえった静寂だけだった。
遠くから近づいてくる緊急車両のサイレンの音が、辛うじて瑞紀を現実世界へと留めていた。
「アラン、龍成はッ……!」
<星月夜>の八階にある特別捜査部の扉を蹴破るように開くと、瑞紀は実戦戦闘服に身を包んだアラン=ブライトに向かって叫んだ。
「ミズキ……? 君は出入り禁止のはず……」
「この緊急事態に、寝ぼけたこと言ってんじゃないわよッ! 龍成はどこッ!」
瑞紀の剣幕に、アランは困った表情で部長席に座る藤木を振り向いた。
「楪、お前はすでに部外者だ。我々はこの緊急度SSの事態に対応中だ。すぐに出て行けッ!」
藤木の言葉を無視すると、瑞紀はズカズカと部長席に進み、バンッと音を立てて両手を机に付いた。
「水島麗華が拉致されました。この同時爆破テロは、彼女を拉致するための陽動ですッ!」
「何だとッ……!」
麗華の名前を聞いて、藤木が驚愕のあまり愕然と瑞紀を見つめた。
「麗華を拉致したのは、一条天翔ッ! 指定暴力団<櫻華会>の下部組織、<一条組>の組長ですッ!」
「麗華一人を攫うために、七箇所を爆破しただとッ……?」
他部署の女性職員をファーストネームで呼び捨てたことに気づかないほど、藤木は動転していた。アランたちは藤木の言動から麗華との関係に気づいたが、それをどうこう言っている場合ではなかった。
「今回の爆破地点の内、歌舞伎町一番街で爆破されたのは<一条組>の事務所です。一条たちは自分たちが被害者であることを印象づけると同時に、全員が行方をくらませました。事務所には誰一人として<一条組>の組員は残っていませんッ!」
瑞紀は麗華が攫われたと気づくと、すぐに神崎に連絡を入れた。瑞紀の謝罪に対して、神崎は「分かった……」と一言だけ告げた。その時に、神崎から<一条組>事務所の場所を教わったのだ。その場所は、先ほど瑞紀がいた爆心地のビルだった。
「今すぐに<一条組>が所有する車のナンバーを調査し、この数日間の軌跡をNシステムで照合してくださいッ!」
Nシステムとは、主に警視庁が管轄する「自動車ナンバー自動読取装置」のことだ。全国の高速道路や主要道路に設置され、犯罪捜査などに使用されているシステムだ。<星月夜>はこのNシステムにリンクする権限を有していた。
「分かったッ! アラン、頼むッ!」
「了解ッ!」
そう告げると、アランは部下に指示して特別捜査部の端末からデータ・バンクにアクセスさせた。三分もかからずに、特別捜査官が<一条組>の所有車両を割り出して直近三日間の移動経路を照合した。アランが部下の情報を纏め、藤木に報告した。
「<一条組>の所有車両は三台……。紺色のメルセデス・ベンツS500。白のBMW・523i・Mスポーツ。グレーのトヨタ・ヴァルファイアです。いずれもこの二日間で、東京湾アクアラインを木更津方面に走行し、国道十六号線を南下しています。富津市内で十六号線から外れたため、それ以上はNシステムでは照合できません」
「アラン、富津市内に<一条組>が所有する建物や建造物は……?」
瑞紀の言葉に、アランが再び部下の特別捜査官に調査を命じた。
「<一条組>や一条個人の名義で不動産売買はできない。フロント企業か、準構成員の名義を調査しろッ!」
藤木が端末を叩く特別捜査官に鋭い声で命じた。
「分かっています、先ほどの車も準構成員名義でしたから……。ありましたッ! 富津市内から少し外れたゴルフ場の近くに、昨年別荘を購入していますッ!」
若い特別捜査官が顔を輝かせながら叫んだ。その住所をリスト・タブレットに転送してもらうと、瑞紀は走って特別捜査部を出て行こうとした。
「待て、楪ッ! 一人でどうするつもりだッ? 非常時特別発砲権が発動されていない状態でベレッタを撃ったら、有罪になるぞッ!」
非常時特別発砲権とは、自分や仲間の生命が危険に晒された場合には相手を射殺しても罪に問われないという超法規的措置だった。逆に言えば、これが発動されていない状態で射殺したら殺人罪に問われるということだ。
「構いませんッ! 麗華を助けるのが先ですッ! 彼女を私のような眼には絶対に遭わせませんッ!」
<蛇咬会>会長の王雲嵐から受けた凄まじい凌辱を、麗華に遭わせる訳には絶対にいかなかった。そんなことになったら、始まったばかりの麗華と神崎の関係にヒビが入るだけでなく、麗華自身が自殺する可能性があるからだ。
「アランッ! 十名連れて、楪をフォローしろッ! 俺は統合作戦本部長に談判してくるッ!」
藤木が席を立ちながらアランに命じた。そして、自分は統合作戦本部長の高城から非常時特別発砲権の発動許可を得る決断をした。
「了解ッ! ミズキ、行くぞッ!」
「アラン、助かるわッ!」
再び特別捜査部から出ようとした瑞紀を、藤木が呼び止めた。
「楪、一つ教えてくれッ! 何故、麗華が<一条組>に狙われたんだッ?」
藤木の言葉に足を止めると、瑞紀はゆっくりと振り向いた。
「麗華の最愛の男が、一条天翔の敵だからです」
「最愛の男だと……? 誰のことだ……?」
神崎の存在を知らない藤木が、愕然としながら訊ねた。
「私は以前に、麗華を泣かせるようなことはしないでくださいと部長にお願いしました。後は、ご自分で調べてください……」
そう告げると、長い黒髪を靡かせて瑞紀は特別捜査部を後にした。
(最愛の男だと……? 麗華にそんな奴が……)
しばらくの間、呆然と佇んでいた藤木は、衝撃から立ち直ると受話器を取り上げた。そして、統合作戦本部長室の内線をプッシュすると、アポイントを取るために高城雄斗を呼び出した。
「特別捜査部の藤木です。緊急度SSの事案が発生しました。至急伺いたいのですが……」
特別捜査部内に、感情を押し殺した藤木の声が響き渡った。
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