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序章
10 反撃
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その差出人不明のMDCは、特別捜査部特別捜査官の白銀龍成宛に送られてきた。<星月夜>では、差出人が書かれていない郵便物はすべて鑑識課に廻され、X線チェックや爆破物スキャン、薬物検査などを経て、特別捜査部長である藤木に送られてくる。
藤木にはその立場上、このMDCを閲覧する権限があった。だが、宛先が特別捜査部のトップ・エージェントである白銀であったため、彼に直接渡して一緒に中身を確認しようと考えた。
「送られてきたのは、昨日……十二月二十一日午後三時十三分だ。楪が行方不明になったのが前日の午後十一時前後……。時間的にも、このMDCが楪に関係していると思われる。私には独断でこれを視聴する権限がある。だが、宛先が楪の相棒であるお前になっていることから、一緒に確認したいと思う……」
藤木の提案は、白銀の立場を考慮した上でのものだった。だが、彼の好意に感謝しつつも、龍成ははっきりと拒絶した。
「藤木さん、悪いが先に俺一人で確認させて欲しい。おそらく、その中には瑞紀が映されているだろう。送り主が<蛇咬会>かその下部組織かは分からないが、マフィアに捕まった女捜査官がどういう目に遭うか、あなたにも想像が付くだろう……。俺はあいつの相棒としてそれを見届ける義務があるが、あいつもそんな姿を他の人間には見られたくないはずだ……」
龍成の言葉が正論であることを認めると、藤木は頷きながら告げた。
「そうだな……。分かった。ただし、奴らの要求と楪の救出に関する情報は必ず報告しろ。MDCの確認には、第三視聴覚室を使え。あそこなら鍵も掛かるし、ほとんど人も近づかない」
「ありがとう……。報告できることは報告する……」
そう告げると、龍成はMDCを受け取って藤木に向かって敬礼をした。そして、彼に背を向けると足早に第三視聴覚室に向かった。
<星月夜>の十一階にある第三視聴覚室に入ると、龍成は入口のドアを中から施錠した。そして、十台あるコンピューター端末のうち、一番奥の席に置かれているものを選んで起動させた。だが、起動画面が立ち上がった直後に、龍成はシステムを強制終了させた。
このMDCに入っている情報が龍成の考えている通りのものであるのなら、コンピューター端末に再生ログを残したくなかったからだ。
MDCは、縦5mm横15mmの長方形のチップだ。厚さは1mmもなかった。この小ささにもかかわらず、50TBの記憶容量がある。二時間程度の映画であれば、最高画質で千本は録画可能な容量だ。
龍成は左腕にしたリスト・タブレットのスロットに、MDCを挿し込んだ。ファイル・マネージャー・ソフトを立ち上げると、中身のファイルを確認した。
MDCには、動画ファイルが一本だけ保存されていた。ウィルス・チェッカーには引っかからないことから、ウィルスではなさそうだ。
(やはり……。瑞紀、無事でいろよ……)
龍成は祈りながらその動画を再生させた。その瞬間、龍成の瞳は烈火の如き怒りを映し出した。そこには、全裸で人型に拘束された瑞紀の姿があった。そして、その左胸に咲く真紅の薔薇に群がるかのように、三人の男たちが瑞紀の体を凌辱していた。
「……アッ、アッ……イヤッ……アウッ……ダメェッ……! また……イッちゃうッ……! 許してッ……! イクッ……! イクッ……うぅううッ……!」
焦点を失い官能に蕩けた黒瞳から随喜の涙を流し、唇の両端から涎を垂らしながら、瑞紀がビックンッビックンッと激しく裸身を痙攣させた。そして、愉悦の硬直にガクガクと総身を震わせると、ガクリと首を折ってグッタリと弛緩した。
だが、男たちは瑞紀が絶頂を極めても、まったく気にした様子もなく凌辱を続けていた。瑞紀の左右にいる二人の男は、ほぼ同じ動作をしていた。片手で瑞紀の豊かな乳房を揉みしだき、硬く屹立した乳首を捏ね回した。逆側の手では卵形のローターで、瑞紀の耳や首筋、鎖骨などを責め抜いた。そして、両手を頭上に掲げられて無防備な腋の下にネットリと舌を這わせていた。
瑞紀の正面に立つ剃髪の男が一番悪辣だった。遠目にも分かる巨大なバイブレーターを瑞紀の花唇に挿し込み、激しく抜き挿ししていた。そして、そのバイブレーターの幹部分から二股に別れているクリバイブを、真っ赤に充血した真珠粒に押し当てていた。
瑞紀の白い内股は蜜液でビッショリと濡れており、両脚の間の床には水たまりのような大きな黒い染みが描かれていた。
「ひぃいいッ……! おね……がいッ……! もう……ゆる……してぇッ……!」
「アッ、アッ、アァアアッ……! だめッ……! く……狂っちゃうッ……!」
「やめてぇッ……! もう……イキたく……ないッ……! 死んじゃうッ……!」
「アッ、アッ……! また、イクッ……! イクッ……うぅううッ……!」
ビックッビックンッと壮絶に裸身を痙攣させると、瑞紀は絶頂を極めた。プッシャァーっと大量に黄金の水が花唇から噴出した。それは紛れもなく失禁であった。だが、男たちはその状態の瑞紀をさらに責め立てていった。イカせまくるなどという生易しいレベルではなかった。まさしく、拷問に他ならなかった。女にとって、何よりも辛い絶頂地獄だ。
歴史の闇の中では、数々の女スパイがこの拷問を受け、誰一人として耐え切れた者はいないと言われていた。耐セックス訓練を受けている女スパイでさえ、そうなのだ。男性経験のほとんどない瑞紀に耐えられるはずはなかった。
「瑞紀ッ……!」
龍成は唇を噛みしめながら、その映像を見つめた。あまりに強く噛んでいるため血が滲んだことにも気づかなかった。
瑞紀の凌辱映像は、約二十分間続いた。瑞紀はその間に、少なくても十回以上は絶頂を極めさせられていた。小さな愉悦に達した回数は数え切れないに違いなかった。
映像が切り替わった。
瑞紀をバイブレーターで責め苛んでいた剃髪の男が現れ、残忍な表情で告げた。
「白銀龍成および<星月夜>の諸君、楪瑞紀のプロモーション・ビデオはいかがだったかな? ご覧頂いたとおり、彼女は我々が大切に預かっている。彼女を返して欲しければ、番号不揃いの旧札で十億円を用意して欲しい。それと、<蛇咬会>およびその関連組織に係わるすべての捜査資料をMDCに保存して差し出して欲しい。リミットは今から三日後の、十二月二十四日午前零時。受け取り方法は追って連絡する」
「それから、楪瑞紀から白銀龍成に当てた伝言を預かっている。特別にご覧に入れよう……」
剃髪の男がそう告げると、映像が切り替わった。再び、人型に拘束された瑞紀の姿がクローズアップされた。
「龍成ッ! 私は自分のことは自分で何とかするッ! だから、私を助ける必要はないわッ! あなたは、あなたの信じる正義を貫いてッ……! これが、相棒としての私の願いよッ……!」
すでに激しい凌辱を受けた後なのだろう。瑞紀の美しい貌には、涙と涎の跡が光っていた。だが、それさえも瑞紀の美貌を損ねることはなかった。瑞紀の言葉を聞いて、龍成は彼女を心の底から愛おしく感じた。
(瑞紀……! お前の美しさは、外見だけじゃないッ! 魂だッ! その何者にも屈しない気高い魂だッ! 待っていろ、瑞紀ッ……! どんなことをしても、俺が必ず助けるッ!)
MDCの映像はそこで終わっていた。龍成はリスト・タブレットからMDCを引き抜くと、右手の指に力を込めて、パキンと二つに折った。特別捜査部長の藤木はもちろんのこと、たとえ統合作戦本部長である高城に命じられても絶対に見せる気はなかった。
(あの剃髪の男、どこかで見た覚えがある……)
<蛇咬会>の幹部ではなかった。<蛇咬会>については、会長の王雲嵐を始めとする幹部の名前と顔はすべて記憶していた。
(<蛇咬会>だけでなく、その関連組織の捜査資料まで要求していたな。つまり、ヤツは関連組織にいるはずだ)
<蛇咬会>の構成員であるのなら、関連組織の捜査資料を要求する必要などなかった。なぜなら、マフィアにとっては、関連組織など上納金を集める下部団体に過ぎず、不要になったら即切り捨てるものだからだ。
(<星月夜>に正面切って喧嘩を売ってくるということは、<蛇咬会>との繋がりも深い組織だ。それも、その組織のトップかナンバー2あたりだ。そうでなければ、民間軍隊とも呼ばれる<星月夜>にあんな大それた要求などできるはずはない……)
龍成は今の映像から得られた情報を整理し始めた。
(この映像が送られてきたのは、郵送だった。それも、速達ではなく、普通郵便だ。<星月夜>に届けられたのが、昨日……十二月二十一日午後三時十三分。瑞紀が拉致されたのは一昨日の午後十一時前後……。つまり、瑞紀の居場所は都内……それも<星月夜>のある新宿区内のはずだ……)
二年前の世界同時電子テロ以来、日本における郵政事業はその規模を大きく縮小していた。人口の激減により人材の雇用が困難になったことと、治安の悪化が大きな原因だった。
日本と言っても、すでに国としての機能は著しく低下しており、各都道府県が独立自治区を形成している状態だったのだ。特に東京や大阪などの大都市ではさらに分裂し、隣接するいくつかの区や市が協力して自治区を形成していた。
そのような状況の中で、郵便は同一自治区内であれば当日か翌日に配送できるものの、自治区が変わると早くて三日、遅ければ一週間以上も配送に時間がかかった。そして、単独の自治区である新宿区内であれば、即日配達が可能だった。
龍成は第三視聴覚室を後にすると、資料室へと向かった。
<星月夜>本部でやることは二つあった。
まず一つは、資料室で新宿区内の<蛇咬会>関連組織と剃髪の男を調べることである。そしてもう一つは、統合作戦本部長であり、義理の父でもある高城雄斗に面会することだった。瑞紀の救出に関する全権と、そのために必要なある権利を得るためであった。
龍成は瑞紀を救出するためにはどんな手でも使うつもりだった。だが、二つの不安材料があった。
一つは、合成麻薬などの薬物を瑞紀に使われることだった。龍成が調査している<サキュバス>は、<蛇咬会>が元締めとなっている非合法な向精神薬だ。坑不安作用と筋弛緩作用が強く、依存性が高い合成麻薬だった。
<女夢魔>という名の通り、女性がこれを使われると判断力が低下した状態で性的願望が増加するのだ。簡単に言えば、誰とでも寝たがるセックス・ドールになってしまうのだった。
<蛇咬会>を始めとする中国系マフィアは、<サキュバス>を投与した女性を高級娼婦として政財界の著名人に充てがい、膨大な紹介料を得ると同時に彼らの弱みを握って恐喝しているのだった。そして、当然のことながら、その下部組織も<サキュバス>を扱っているはずだった。
そしてもう一つは、龍成を危険に晒すことを恐れて、瑞紀が助けを待たずに自決することだった。先ほどの瑞紀の言葉からも、この危惧は大きかった。彼女は「自分のことは自分で何とかするから、助けに来る必要はない」と告げていた。これは逆に言えば、「助からないと分かったら自殺する」と言う意味でもあった。
(瑞紀、必ず助けるから、早まるなよ……)
龍成は資料室に向かう足を速めていった。
目を覚ますと、ひび割れたコンクリートの天井があった。視線をずらしてみても、周囲はコンクリートの壁に覆われていた。部屋の中央の天井から太い鎖が伸びており、先端には革の拘束具がつけられていた。その真下には大きな黒い水たまりができており、異臭を放っていた。その左右にも鎖に繋がれた拘束具が見えた。周囲には破れた布が散乱しており、その中に瑞紀が身につけていた淡青色のブラジャーとパンティーの残骸があった。
(私……あそこで……凌辱されたんだ……)
部屋の片隅にある簡易ベッドの上に横たわりながら、瑞紀は虚ろな視線でその惨状を見つめていた。壮絶な絶頂を数え切れないほど極めさせられ、全身が綿のように疲れ切っていた。起き上がろうとしても体に力が入らず、手足が上手く動かなかった。
そこで初めて、瑞紀は自分が拘束されていることに気づいた。両手は後ろ手に縛られており、両足首も縄できつく戒められていた。その上、布のような物で猿轡を噛まされており、言葉を発することもできなかった。
(舌を噛んで自殺しないように、かな……? そんな気力……残ってないわ……)
あの悪夢のような凌辱からどのくらいの時間が経っているのかさえ、瑞紀には分からなかった。だが、体の疲れが残っていることから、まだそれほどの時間が経過していないように思えた。
(龍成……いま、どうしているかしら……?)
意地悪で、優しくて、愛おしい男の顔を思い浮かべると、瑞紀の黒瞳から涙が流れ落ちた。
(私……また、穢されたんだ……。六年前と同じように……)
疲れ切っているためか、不思議と怒りや憎しみといった強い感情は浮かんでこなかった。あるのは、諦めと悲しみだけだった。
(こんな汚れた女……龍成に抱いてもらう資格なんてない……)
喉が渇いていた。空腹も覚えていた。こんな時にでも生きようとする自分の体が浅ましく恨めしかった。
(いっそ、このまま死ねたらいいのに……)
眠っているうちに永遠の眠りにつくことを願って、瑞紀は眼を閉じた。
その時、遠くで聞き慣れた音が聞こえた。何度もその音が響き渡り、徐々に近づいてきた。
(銃声……?)
意識が急速に覚醒した。間違いなく銃撃の音だった。それも一種類ではなかった。
パンッ……パンッ……。
ダンッ……ダンッ……。
(軽いのはトカレフ……? そして、もう一つは……?)
7.62mm弾を装填するトカレフは、二十二口径並みに甲高い銃声だ。そして、もう一つは聞き慣れた9mmパラベラム弾の銃声だった。
中国系マフィアが使用する拳銃のほとんどはトカレフだ。つまり、瑞紀を拉致した<狗神会《こうじんかい》>である可能性が高かった。そして、9mmパラベラム弾は、<星月夜>が制式採用している弾丸だった。
(龍成……!?)
瑞紀の脳裏に、精悍でどこかニヒルな相棒の顔が浮かんだ。その顔が現実となったことが、瑞紀には俄に信じられなかった。鉄製の扉が蹴り開けられ、愛用のB&T USW P320を右手に構えた白銀龍成が飛び込んできたのだ。
「瑞紀ッ……!」
「んぅ……んぇいッ……」
龍成と叫んだつもりが、猿轡に邪魔されて言葉にならなかった。だが、それでも龍成には伝わったようだった。
「瑞紀ッ……!!」
龍成は駆け寄ってくると、瑞紀の体を強く抱き締めてきた。そして、左腰からサバイバル・ナイフを引き抜くと、瑞紀の手足を拘束している縄を切った。
「龍成ッ……! 龍成ッ……!!」
猿轡を外してもらうと、瑞紀は自分が全裸であることも忘れて龍成の胸の中に飛び込んだ。龍成が力強く瑞紀の体を抱き締めた。その腕の強さに、瑞紀は彼の確かな愛情を実感した。
龍成が周囲を見渡した。そして、簡易ベッドの隅に畳まれている毛布を掴むと、瑞紀の体を包み込んだ。その行動に、瑞紀は既視感があった。六年前、<蛇咬会>に拉致監禁されて救出されたときにも、<星月夜>の特別捜査官が毛布で体を包んでくれたのだ。よく日焼けした浅黒い顔に、漆黒の髪を肩まで伸ばした精悍な男性だった。
「龍成……?」
呆然として顔を見つめる瑞紀に笑いかけながら、龍成が告げた。
「あの時と同じだな……」
「龍成……。あの時の特別捜査官って、龍成……なの……?」
黒曜石の瞳に驚愕を浮かべる瑞紀の肩を抱きながら、龍成が頷いた。
「どうやら、お前を助け出すのが俺の仕事らしい……。これを持っていろッ! 行くぞッ……!」
「はいッ……!」
手渡されたベレッタM93Rのグリップを右手で握りしめると、瑞紀は龍成に支えられながら地下牢を後にした。
瑞紀が監禁されていた部屋は、予想通り地下一階にあった。体力の消耗が激しい瑞紀が階段を使うことは困難だと判断し、龍成はエレベーターを待った。本来であれば、待ち伏せされて、ドアが開くと同時に攻撃を受ける可能性があるエレベーターは使用しないのがセオリーだった。
「一階はすでに星月夜が占拠している。お前は一階で降りて、他の特別捜査官の保護を受けろ……」
「龍成は……?」
「俺は屋上に行く。このビルは、屋上にヘリポートがある。たぶん、奴らはヘリで逃亡するはずだ……」
瑞紀を支えながらエレベーターに乗り込むと、龍成は一階のボタンを押そうとした。
「待って……! 私も行くわッ……! 体は動かなくても、銃なら撃てるッ!」
瑞紀が真剣な表情で龍成を見上げながら叫んだ。
「だめだッ! お前の仇は俺が討つッ! これは、俺の役目だッ!」
「お願い、龍成……! あの李昊天だけは、絶対に許せないのッ!」
瑞紀が受けた凄まじい凌辱を知る龍成は、彼女の気持ちを無視できなかった。しばらくの間、復讐に燃える美しい女豹のような瞳を見つめると、龍成がフッと笑みを浮かべながら告げた。
「銃を撃つなら、俺の背中から撃てッ! 絶対に俺の前に出るなッ!」
「はいッ……! ありがとう、龍成……」
龍成の着ている黒革のジャンパーはケプラー繊維が編み込まれた防弾仕様だ。それに対して、瑞紀は全裸の上に毛布一枚しか羽織っていなかった。龍成は自分を盾にしろと言ってくれたのだ。その言葉に秘められた優しさに気づき、瑞紀は嬉しそうに微笑んだ。
パンッ……パンッ……パンッ……!
屋上でエレベーターの扉が開いた途端、銃撃を受けた。予想通り、待ち伏せされていた。エレベーターの奥の壁に銃痕が五発できた。
トカレフの標準マガジンは、八発だ。出口に向かって右側に龍成、左側の壁に瑞紀が身を隠しながら頷きあった。
ダンッ……ダンッ……!
龍成が左手で持ったP320で二発撃った。利き腕と反対の手で照準もつけていないため、当たるはずはなかった。だが、敵の銃撃はその反撃によって途切れた。それで十分だった。これは、瑞紀の腕を信じた援護射撃だったのだ。
ダンッ、ダンッ、ダンッ……!
瑞紀の放った3点射が敵の右半身を撃ち抜いた。右脇腹、右胸、右肩に銃撃を受け、その男はトカレフを手放して左後方に回転しながら倒れ込んだ。
瑞紀の黒瞳が、ヘリポートに止まっているシコルスキーS-107に向かって走る三人の男を捉えた。S-107は報道や遊覧に使われる乗員二名、乗客十二名が搭乗可能な中型ヘリコプターだ。瑞紀たちがいるエレベーターからは百メートル近く離れていた。
S-107に向かって走っている男の一人が、後方の銃声を確認しようと振り向いた。その剃髪の男の顔を目にした瞬間、瑞紀は毛布を振り落として立ち上がった。そして、美しい裸体を惜しげもなく晒しながらエレベーターの中央に進むと、両手でベレッタM93Rを構えた。右手でグリップを握り、左手はトリガーガードの前にあるフォアグリップを掴んだ。
「李昊天ッ……!」
S-107のメイン・ローターが発する轟音に負けないメゾ・ソプラノの声で、瑞紀が叫んだ。その声が届いたのか、剃髪の男……李昊天が驚愕に大きく目を見開きながら振り向いた。
李との距離は、七十メートル以上あった。有効射程距離五十メートルのベレッタM93Rでは、命中させるのが困難な距離だった。それを見越してか、李は再び前方を向くとS-107に向かって全力で走り出した。
パーンッ……パーンッ……パーンッ……!
李の左右にいる二人の男が振り向き、同時にトカレフを発砲してきた。金と崔だった。だが、ベレッタM93Rと同じ有効射程距離を持つとはいえ、遥かに命中精度が低いトカレフの弾丸は瑞紀にかすりもしなかった。
「瑞紀ッ……! 俺の肩を使えッ……!」
ベレッタM93Rを構えている瑞紀の目の前に、龍成が移動して片膝を立てた。七十メートル以上の距離を命中させるには、瑞紀といえども立射姿勢では難しい。瑞紀は龍成の右肩に両腕を乗せてベレッタM93Rを固定しながら構えると、冷徹な口調で告げた。
「耳を塞いでッ! 鼓膜が破れるわッ!」
「分かったッ!」
龍成が両手で自分の耳を塞いだ。その瞬間、瑞紀は躊躇わずトリガーを引いた。
ダンッ、ダンッ、ダンッ……!
3点射の発射音が鳴り響き、三発の9mmパラベラム弾が初速372mで発射された。金が下腹部、胸、額に銃弾を浴びて、万歳をするように両手を広げながら後方へ倒れ込んだ。それを確認することもせず、瑞紀は照準をわずかに右にずらして再度トリガーを引いた。
ダンッ、ダンッ、ダンッ……!
李の右横でトカレフを構えていた崔は、左膝、左腹部、心臓を直撃され、左後方に回転しながら即死した。
正確無比の射撃で二人の男を射殺すると、黒曜石のように輝く瞳に紅蓮の炎を宿しながら大声で叫んだ。
「李昊天ッ……!!」
その声が聞こえたのか、李が振り向いた。瑞紀を見つめる表情には残忍さや冷酷さの欠片も見られず、驚愕と恐怖に彩られていた。
瑞紀がベレッタM93Rのトリガーを引き絞った。
ダンッ、ダンッ、ダンッ……!
その三発の弾丸は、復讐に燃える女豹そのものだった。
一発目は李の右膝に着弾し、大腿骨で跳ね、内股を突き破って睾丸を粉砕し、男根を轢断した。
二発目の銃弾は左腰骨に当たって角度を変え、腰椎をズタズタにしながら内臓を蹂躙し、左肺を突き破って飛び出した。
そして、三発目が致命傷となった。驚愕の叫びを上げた口から入った銃弾は、頸椎をへし折ると直角に向きを変え、頭蓋の中で脳漿をザクロにしながら左眼から放出された。
三人を撃ち殺した美しい女豹は、その闘争本能でシコルスキーS-107が逃亡しようとしているのを察知した。およそ百メートル離れたS-107が、瑞紀から見て左四十五度前方に機首を向けながら飛び立とうとしていた。
瑞紀の位置からパイロットの姿は見えず、狙撃することは不可能だった。瑞紀は機体の左右に特出しているスポンソンと呼ばれる部分に照準を合わせた。S-107の燃料タンクは、このスポンソン内にあるのだ。
ダンッ、ダンッ、ダンッ……!
ダンッ、ダンッ、ダンッ……!
ダンッ、ダンッ、ダンッ……!
ダンッ、ダンッ、ダンッ……!
3点射の銃声が四回響き渡った。合計十二発の9mmパラベラム弾が、シコルスキーS-107の左側スポンソンに着弾した。
次の瞬間、三メートルほど浮上していたS-107が炎上し、ヘリポートに墜落して大爆発した。大気を震撼させるほどの爆音とともに、S-107の破片が雲霞のごとく飛散し、凄まじい潮流と化して周囲を席巻した。
「瑞紀ッ……!」
龍成が瑞紀の裸体を押し倒し、自らの身で爆風から守るようにのしかかった。
「ぐッ……ぅうッ……!」
「龍成ッ……?」
瑞紀の上で龍成が大きく仰け反ると、苦悶の表情を浮かべた。瑞紀は驚いて顔を上げようとしたが、龍成の右手が彼女の頭部を守るように地面に押しつけた。カンッカンッという音とともに、S-107の破片が周囲に飛来していた。
「大丈夫……かッ……?」
爆散の危険が一段落すると、龍成が半身を起こして瑞紀に訊ねた。その表情は脂汗に塗れ、激痛に耐えているかのようだった。
「龍成、怪我は……?」
「気に……するな……」
ニヤリと笑みを浮かべながらそう告げた瞬間、龍成がガクリと瑞紀の上に倒れ込んだ。
「龍成……?」
むせ返るような濃厚な血の匂いがした。生暖かい液体が瑞紀の右腕を真っ赤に染めていった。黒曜石の瞳に驚愕を浮かべると、瑞紀は龍成の体を押しのけるように這い出た。
「うそッ……! 龍成ッ……! しっかりしてッ……!」
龍成の左腕は、肘から先がなかった。彼の左前腕があるべき場所には、一メートル四方の巨大な鉄板がコンクリートに突き刺さっていた。S-107の外装板の一部だった。
龍成の鼓動に合わせて、左肘からドクッドクッと鮮血が溢れ出て、屋上のコンクリートを赤黒く染めていった。意識を失った龍成の体を激しく揺らしながら、全裸であることも忘れて瑞紀が叫んだ。
「龍成ぃ……ッ! しっかりしてぇ……ッ! 龍……成……ッ!!」
轟々と燃えさかる紅蓮の炎に照らされながら、瑞紀の絶叫は蒼穹に吸い込まれるように消えていった。
藤木にはその立場上、このMDCを閲覧する権限があった。だが、宛先が特別捜査部のトップ・エージェントである白銀であったため、彼に直接渡して一緒に中身を確認しようと考えた。
「送られてきたのは、昨日……十二月二十一日午後三時十三分だ。楪が行方不明になったのが前日の午後十一時前後……。時間的にも、このMDCが楪に関係していると思われる。私には独断でこれを視聴する権限がある。だが、宛先が楪の相棒であるお前になっていることから、一緒に確認したいと思う……」
藤木の提案は、白銀の立場を考慮した上でのものだった。だが、彼の好意に感謝しつつも、龍成ははっきりと拒絶した。
「藤木さん、悪いが先に俺一人で確認させて欲しい。おそらく、その中には瑞紀が映されているだろう。送り主が<蛇咬会>かその下部組織かは分からないが、マフィアに捕まった女捜査官がどういう目に遭うか、あなたにも想像が付くだろう……。俺はあいつの相棒としてそれを見届ける義務があるが、あいつもそんな姿を他の人間には見られたくないはずだ……」
龍成の言葉が正論であることを認めると、藤木は頷きながら告げた。
「そうだな……。分かった。ただし、奴らの要求と楪の救出に関する情報は必ず報告しろ。MDCの確認には、第三視聴覚室を使え。あそこなら鍵も掛かるし、ほとんど人も近づかない」
「ありがとう……。報告できることは報告する……」
そう告げると、龍成はMDCを受け取って藤木に向かって敬礼をした。そして、彼に背を向けると足早に第三視聴覚室に向かった。
<星月夜>の十一階にある第三視聴覚室に入ると、龍成は入口のドアを中から施錠した。そして、十台あるコンピューター端末のうち、一番奥の席に置かれているものを選んで起動させた。だが、起動画面が立ち上がった直後に、龍成はシステムを強制終了させた。
このMDCに入っている情報が龍成の考えている通りのものであるのなら、コンピューター端末に再生ログを残したくなかったからだ。
MDCは、縦5mm横15mmの長方形のチップだ。厚さは1mmもなかった。この小ささにもかかわらず、50TBの記憶容量がある。二時間程度の映画であれば、最高画質で千本は録画可能な容量だ。
龍成は左腕にしたリスト・タブレットのスロットに、MDCを挿し込んだ。ファイル・マネージャー・ソフトを立ち上げると、中身のファイルを確認した。
MDCには、動画ファイルが一本だけ保存されていた。ウィルス・チェッカーには引っかからないことから、ウィルスではなさそうだ。
(やはり……。瑞紀、無事でいろよ……)
龍成は祈りながらその動画を再生させた。その瞬間、龍成の瞳は烈火の如き怒りを映し出した。そこには、全裸で人型に拘束された瑞紀の姿があった。そして、その左胸に咲く真紅の薔薇に群がるかのように、三人の男たちが瑞紀の体を凌辱していた。
「……アッ、アッ……イヤッ……アウッ……ダメェッ……! また……イッちゃうッ……! 許してッ……! イクッ……! イクッ……うぅううッ……!」
焦点を失い官能に蕩けた黒瞳から随喜の涙を流し、唇の両端から涎を垂らしながら、瑞紀がビックンッビックンッと激しく裸身を痙攣させた。そして、愉悦の硬直にガクガクと総身を震わせると、ガクリと首を折ってグッタリと弛緩した。
だが、男たちは瑞紀が絶頂を極めても、まったく気にした様子もなく凌辱を続けていた。瑞紀の左右にいる二人の男は、ほぼ同じ動作をしていた。片手で瑞紀の豊かな乳房を揉みしだき、硬く屹立した乳首を捏ね回した。逆側の手では卵形のローターで、瑞紀の耳や首筋、鎖骨などを責め抜いた。そして、両手を頭上に掲げられて無防備な腋の下にネットリと舌を這わせていた。
瑞紀の正面に立つ剃髪の男が一番悪辣だった。遠目にも分かる巨大なバイブレーターを瑞紀の花唇に挿し込み、激しく抜き挿ししていた。そして、そのバイブレーターの幹部分から二股に別れているクリバイブを、真っ赤に充血した真珠粒に押し当てていた。
瑞紀の白い内股は蜜液でビッショリと濡れており、両脚の間の床には水たまりのような大きな黒い染みが描かれていた。
「ひぃいいッ……! おね……がいッ……! もう……ゆる……してぇッ……!」
「アッ、アッ、アァアアッ……! だめッ……! く……狂っちゃうッ……!」
「やめてぇッ……! もう……イキたく……ないッ……! 死んじゃうッ……!」
「アッ、アッ……! また、イクッ……! イクッ……うぅううッ……!」
ビックッビックンッと壮絶に裸身を痙攣させると、瑞紀は絶頂を極めた。プッシャァーっと大量に黄金の水が花唇から噴出した。それは紛れもなく失禁であった。だが、男たちはその状態の瑞紀をさらに責め立てていった。イカせまくるなどという生易しいレベルではなかった。まさしく、拷問に他ならなかった。女にとって、何よりも辛い絶頂地獄だ。
歴史の闇の中では、数々の女スパイがこの拷問を受け、誰一人として耐え切れた者はいないと言われていた。耐セックス訓練を受けている女スパイでさえ、そうなのだ。男性経験のほとんどない瑞紀に耐えられるはずはなかった。
「瑞紀ッ……!」
龍成は唇を噛みしめながら、その映像を見つめた。あまりに強く噛んでいるため血が滲んだことにも気づかなかった。
瑞紀の凌辱映像は、約二十分間続いた。瑞紀はその間に、少なくても十回以上は絶頂を極めさせられていた。小さな愉悦に達した回数は数え切れないに違いなかった。
映像が切り替わった。
瑞紀をバイブレーターで責め苛んでいた剃髪の男が現れ、残忍な表情で告げた。
「白銀龍成および<星月夜>の諸君、楪瑞紀のプロモーション・ビデオはいかがだったかな? ご覧頂いたとおり、彼女は我々が大切に預かっている。彼女を返して欲しければ、番号不揃いの旧札で十億円を用意して欲しい。それと、<蛇咬会>およびその関連組織に係わるすべての捜査資料をMDCに保存して差し出して欲しい。リミットは今から三日後の、十二月二十四日午前零時。受け取り方法は追って連絡する」
「それから、楪瑞紀から白銀龍成に当てた伝言を預かっている。特別にご覧に入れよう……」
剃髪の男がそう告げると、映像が切り替わった。再び、人型に拘束された瑞紀の姿がクローズアップされた。
「龍成ッ! 私は自分のことは自分で何とかするッ! だから、私を助ける必要はないわッ! あなたは、あなたの信じる正義を貫いてッ……! これが、相棒としての私の願いよッ……!」
すでに激しい凌辱を受けた後なのだろう。瑞紀の美しい貌には、涙と涎の跡が光っていた。だが、それさえも瑞紀の美貌を損ねることはなかった。瑞紀の言葉を聞いて、龍成は彼女を心の底から愛おしく感じた。
(瑞紀……! お前の美しさは、外見だけじゃないッ! 魂だッ! その何者にも屈しない気高い魂だッ! 待っていろ、瑞紀ッ……! どんなことをしても、俺が必ず助けるッ!)
MDCの映像はそこで終わっていた。龍成はリスト・タブレットからMDCを引き抜くと、右手の指に力を込めて、パキンと二つに折った。特別捜査部長の藤木はもちろんのこと、たとえ統合作戦本部長である高城に命じられても絶対に見せる気はなかった。
(あの剃髪の男、どこかで見た覚えがある……)
<蛇咬会>の幹部ではなかった。<蛇咬会>については、会長の王雲嵐を始めとする幹部の名前と顔はすべて記憶していた。
(<蛇咬会>だけでなく、その関連組織の捜査資料まで要求していたな。つまり、ヤツは関連組織にいるはずだ)
<蛇咬会>の構成員であるのなら、関連組織の捜査資料を要求する必要などなかった。なぜなら、マフィアにとっては、関連組織など上納金を集める下部団体に過ぎず、不要になったら即切り捨てるものだからだ。
(<星月夜>に正面切って喧嘩を売ってくるということは、<蛇咬会>との繋がりも深い組織だ。それも、その組織のトップかナンバー2あたりだ。そうでなければ、民間軍隊とも呼ばれる<星月夜>にあんな大それた要求などできるはずはない……)
龍成は今の映像から得られた情報を整理し始めた。
(この映像が送られてきたのは、郵送だった。それも、速達ではなく、普通郵便だ。<星月夜>に届けられたのが、昨日……十二月二十一日午後三時十三分。瑞紀が拉致されたのは一昨日の午後十一時前後……。つまり、瑞紀の居場所は都内……それも<星月夜>のある新宿区内のはずだ……)
二年前の世界同時電子テロ以来、日本における郵政事業はその規模を大きく縮小していた。人口の激減により人材の雇用が困難になったことと、治安の悪化が大きな原因だった。
日本と言っても、すでに国としての機能は著しく低下しており、各都道府県が独立自治区を形成している状態だったのだ。特に東京や大阪などの大都市ではさらに分裂し、隣接するいくつかの区や市が協力して自治区を形成していた。
そのような状況の中で、郵便は同一自治区内であれば当日か翌日に配送できるものの、自治区が変わると早くて三日、遅ければ一週間以上も配送に時間がかかった。そして、単独の自治区である新宿区内であれば、即日配達が可能だった。
龍成は第三視聴覚室を後にすると、資料室へと向かった。
<星月夜>本部でやることは二つあった。
まず一つは、資料室で新宿区内の<蛇咬会>関連組織と剃髪の男を調べることである。そしてもう一つは、統合作戦本部長であり、義理の父でもある高城雄斗に面会することだった。瑞紀の救出に関する全権と、そのために必要なある権利を得るためであった。
龍成は瑞紀を救出するためにはどんな手でも使うつもりだった。だが、二つの不安材料があった。
一つは、合成麻薬などの薬物を瑞紀に使われることだった。龍成が調査している<サキュバス>は、<蛇咬会>が元締めとなっている非合法な向精神薬だ。坑不安作用と筋弛緩作用が強く、依存性が高い合成麻薬だった。
<女夢魔>という名の通り、女性がこれを使われると判断力が低下した状態で性的願望が増加するのだ。簡単に言えば、誰とでも寝たがるセックス・ドールになってしまうのだった。
<蛇咬会>を始めとする中国系マフィアは、<サキュバス>を投与した女性を高級娼婦として政財界の著名人に充てがい、膨大な紹介料を得ると同時に彼らの弱みを握って恐喝しているのだった。そして、当然のことながら、その下部組織も<サキュバス>を扱っているはずだった。
そしてもう一つは、龍成を危険に晒すことを恐れて、瑞紀が助けを待たずに自決することだった。先ほどの瑞紀の言葉からも、この危惧は大きかった。彼女は「自分のことは自分で何とかするから、助けに来る必要はない」と告げていた。これは逆に言えば、「助からないと分かったら自殺する」と言う意味でもあった。
(瑞紀、必ず助けるから、早まるなよ……)
龍成は資料室に向かう足を速めていった。
目を覚ますと、ひび割れたコンクリートの天井があった。視線をずらしてみても、周囲はコンクリートの壁に覆われていた。部屋の中央の天井から太い鎖が伸びており、先端には革の拘束具がつけられていた。その真下には大きな黒い水たまりができており、異臭を放っていた。その左右にも鎖に繋がれた拘束具が見えた。周囲には破れた布が散乱しており、その中に瑞紀が身につけていた淡青色のブラジャーとパンティーの残骸があった。
(私……あそこで……凌辱されたんだ……)
部屋の片隅にある簡易ベッドの上に横たわりながら、瑞紀は虚ろな視線でその惨状を見つめていた。壮絶な絶頂を数え切れないほど極めさせられ、全身が綿のように疲れ切っていた。起き上がろうとしても体に力が入らず、手足が上手く動かなかった。
そこで初めて、瑞紀は自分が拘束されていることに気づいた。両手は後ろ手に縛られており、両足首も縄できつく戒められていた。その上、布のような物で猿轡を噛まされており、言葉を発することもできなかった。
(舌を噛んで自殺しないように、かな……? そんな気力……残ってないわ……)
あの悪夢のような凌辱からどのくらいの時間が経っているのかさえ、瑞紀には分からなかった。だが、体の疲れが残っていることから、まだそれほどの時間が経過していないように思えた。
(龍成……いま、どうしているかしら……?)
意地悪で、優しくて、愛おしい男の顔を思い浮かべると、瑞紀の黒瞳から涙が流れ落ちた。
(私……また、穢されたんだ……。六年前と同じように……)
疲れ切っているためか、不思議と怒りや憎しみといった強い感情は浮かんでこなかった。あるのは、諦めと悲しみだけだった。
(こんな汚れた女……龍成に抱いてもらう資格なんてない……)
喉が渇いていた。空腹も覚えていた。こんな時にでも生きようとする自分の体が浅ましく恨めしかった。
(いっそ、このまま死ねたらいいのに……)
眠っているうちに永遠の眠りにつくことを願って、瑞紀は眼を閉じた。
その時、遠くで聞き慣れた音が聞こえた。何度もその音が響き渡り、徐々に近づいてきた。
(銃声……?)
意識が急速に覚醒した。間違いなく銃撃の音だった。それも一種類ではなかった。
パンッ……パンッ……。
ダンッ……ダンッ……。
(軽いのはトカレフ……? そして、もう一つは……?)
7.62mm弾を装填するトカレフは、二十二口径並みに甲高い銃声だ。そして、もう一つは聞き慣れた9mmパラベラム弾の銃声だった。
中国系マフィアが使用する拳銃のほとんどはトカレフだ。つまり、瑞紀を拉致した<狗神会《こうじんかい》>である可能性が高かった。そして、9mmパラベラム弾は、<星月夜>が制式採用している弾丸だった。
(龍成……!?)
瑞紀の脳裏に、精悍でどこかニヒルな相棒の顔が浮かんだ。その顔が現実となったことが、瑞紀には俄に信じられなかった。鉄製の扉が蹴り開けられ、愛用のB&T USW P320を右手に構えた白銀龍成が飛び込んできたのだ。
「瑞紀ッ……!」
「んぅ……んぇいッ……」
龍成と叫んだつもりが、猿轡に邪魔されて言葉にならなかった。だが、それでも龍成には伝わったようだった。
「瑞紀ッ……!!」
龍成は駆け寄ってくると、瑞紀の体を強く抱き締めてきた。そして、左腰からサバイバル・ナイフを引き抜くと、瑞紀の手足を拘束している縄を切った。
「龍成ッ……! 龍成ッ……!!」
猿轡を外してもらうと、瑞紀は自分が全裸であることも忘れて龍成の胸の中に飛び込んだ。龍成が力強く瑞紀の体を抱き締めた。その腕の強さに、瑞紀は彼の確かな愛情を実感した。
龍成が周囲を見渡した。そして、簡易ベッドの隅に畳まれている毛布を掴むと、瑞紀の体を包み込んだ。その行動に、瑞紀は既視感があった。六年前、<蛇咬会>に拉致監禁されて救出されたときにも、<星月夜>の特別捜査官が毛布で体を包んでくれたのだ。よく日焼けした浅黒い顔に、漆黒の髪を肩まで伸ばした精悍な男性だった。
「龍成……?」
呆然として顔を見つめる瑞紀に笑いかけながら、龍成が告げた。
「あの時と同じだな……」
「龍成……。あの時の特別捜査官って、龍成……なの……?」
黒曜石の瞳に驚愕を浮かべる瑞紀の肩を抱きながら、龍成が頷いた。
「どうやら、お前を助け出すのが俺の仕事らしい……。これを持っていろッ! 行くぞッ……!」
「はいッ……!」
手渡されたベレッタM93Rのグリップを右手で握りしめると、瑞紀は龍成に支えられながら地下牢を後にした。
瑞紀が監禁されていた部屋は、予想通り地下一階にあった。体力の消耗が激しい瑞紀が階段を使うことは困難だと判断し、龍成はエレベーターを待った。本来であれば、待ち伏せされて、ドアが開くと同時に攻撃を受ける可能性があるエレベーターは使用しないのがセオリーだった。
「一階はすでに星月夜が占拠している。お前は一階で降りて、他の特別捜査官の保護を受けろ……」
「龍成は……?」
「俺は屋上に行く。このビルは、屋上にヘリポートがある。たぶん、奴らはヘリで逃亡するはずだ……」
瑞紀を支えながらエレベーターに乗り込むと、龍成は一階のボタンを押そうとした。
「待って……! 私も行くわッ……! 体は動かなくても、銃なら撃てるッ!」
瑞紀が真剣な表情で龍成を見上げながら叫んだ。
「だめだッ! お前の仇は俺が討つッ! これは、俺の役目だッ!」
「お願い、龍成……! あの李昊天だけは、絶対に許せないのッ!」
瑞紀が受けた凄まじい凌辱を知る龍成は、彼女の気持ちを無視できなかった。しばらくの間、復讐に燃える美しい女豹のような瞳を見つめると、龍成がフッと笑みを浮かべながら告げた。
「銃を撃つなら、俺の背中から撃てッ! 絶対に俺の前に出るなッ!」
「はいッ……! ありがとう、龍成……」
龍成の着ている黒革のジャンパーはケプラー繊維が編み込まれた防弾仕様だ。それに対して、瑞紀は全裸の上に毛布一枚しか羽織っていなかった。龍成は自分を盾にしろと言ってくれたのだ。その言葉に秘められた優しさに気づき、瑞紀は嬉しそうに微笑んだ。
パンッ……パンッ……パンッ……!
屋上でエレベーターの扉が開いた途端、銃撃を受けた。予想通り、待ち伏せされていた。エレベーターの奥の壁に銃痕が五発できた。
トカレフの標準マガジンは、八発だ。出口に向かって右側に龍成、左側の壁に瑞紀が身を隠しながら頷きあった。
ダンッ……ダンッ……!
龍成が左手で持ったP320で二発撃った。利き腕と反対の手で照準もつけていないため、当たるはずはなかった。だが、敵の銃撃はその反撃によって途切れた。それで十分だった。これは、瑞紀の腕を信じた援護射撃だったのだ。
ダンッ、ダンッ、ダンッ……!
瑞紀の放った3点射が敵の右半身を撃ち抜いた。右脇腹、右胸、右肩に銃撃を受け、その男はトカレフを手放して左後方に回転しながら倒れ込んだ。
瑞紀の黒瞳が、ヘリポートに止まっているシコルスキーS-107に向かって走る三人の男を捉えた。S-107は報道や遊覧に使われる乗員二名、乗客十二名が搭乗可能な中型ヘリコプターだ。瑞紀たちがいるエレベーターからは百メートル近く離れていた。
S-107に向かって走っている男の一人が、後方の銃声を確認しようと振り向いた。その剃髪の男の顔を目にした瞬間、瑞紀は毛布を振り落として立ち上がった。そして、美しい裸体を惜しげもなく晒しながらエレベーターの中央に進むと、両手でベレッタM93Rを構えた。右手でグリップを握り、左手はトリガーガードの前にあるフォアグリップを掴んだ。
「李昊天ッ……!」
S-107のメイン・ローターが発する轟音に負けないメゾ・ソプラノの声で、瑞紀が叫んだ。その声が届いたのか、剃髪の男……李昊天が驚愕に大きく目を見開きながら振り向いた。
李との距離は、七十メートル以上あった。有効射程距離五十メートルのベレッタM93Rでは、命中させるのが困難な距離だった。それを見越してか、李は再び前方を向くとS-107に向かって全力で走り出した。
パーンッ……パーンッ……パーンッ……!
李の左右にいる二人の男が振り向き、同時にトカレフを発砲してきた。金と崔だった。だが、ベレッタM93Rと同じ有効射程距離を持つとはいえ、遥かに命中精度が低いトカレフの弾丸は瑞紀にかすりもしなかった。
「瑞紀ッ……! 俺の肩を使えッ……!」
ベレッタM93Rを構えている瑞紀の目の前に、龍成が移動して片膝を立てた。七十メートル以上の距離を命中させるには、瑞紀といえども立射姿勢では難しい。瑞紀は龍成の右肩に両腕を乗せてベレッタM93Rを固定しながら構えると、冷徹な口調で告げた。
「耳を塞いでッ! 鼓膜が破れるわッ!」
「分かったッ!」
龍成が両手で自分の耳を塞いだ。その瞬間、瑞紀は躊躇わずトリガーを引いた。
ダンッ、ダンッ、ダンッ……!
3点射の発射音が鳴り響き、三発の9mmパラベラム弾が初速372mで発射された。金が下腹部、胸、額に銃弾を浴びて、万歳をするように両手を広げながら後方へ倒れ込んだ。それを確認することもせず、瑞紀は照準をわずかに右にずらして再度トリガーを引いた。
ダンッ、ダンッ、ダンッ……!
李の右横でトカレフを構えていた崔は、左膝、左腹部、心臓を直撃され、左後方に回転しながら即死した。
正確無比の射撃で二人の男を射殺すると、黒曜石のように輝く瞳に紅蓮の炎を宿しながら大声で叫んだ。
「李昊天ッ……!!」
その声が聞こえたのか、李が振り向いた。瑞紀を見つめる表情には残忍さや冷酷さの欠片も見られず、驚愕と恐怖に彩られていた。
瑞紀がベレッタM93Rのトリガーを引き絞った。
ダンッ、ダンッ、ダンッ……!
その三発の弾丸は、復讐に燃える女豹そのものだった。
一発目は李の右膝に着弾し、大腿骨で跳ね、内股を突き破って睾丸を粉砕し、男根を轢断した。
二発目の銃弾は左腰骨に当たって角度を変え、腰椎をズタズタにしながら内臓を蹂躙し、左肺を突き破って飛び出した。
そして、三発目が致命傷となった。驚愕の叫びを上げた口から入った銃弾は、頸椎をへし折ると直角に向きを変え、頭蓋の中で脳漿をザクロにしながら左眼から放出された。
三人を撃ち殺した美しい女豹は、その闘争本能でシコルスキーS-107が逃亡しようとしているのを察知した。およそ百メートル離れたS-107が、瑞紀から見て左四十五度前方に機首を向けながら飛び立とうとしていた。
瑞紀の位置からパイロットの姿は見えず、狙撃することは不可能だった。瑞紀は機体の左右に特出しているスポンソンと呼ばれる部分に照準を合わせた。S-107の燃料タンクは、このスポンソン内にあるのだ。
ダンッ、ダンッ、ダンッ……!
ダンッ、ダンッ、ダンッ……!
ダンッ、ダンッ、ダンッ……!
ダンッ、ダンッ、ダンッ……!
3点射の銃声が四回響き渡った。合計十二発の9mmパラベラム弾が、シコルスキーS-107の左側スポンソンに着弾した。
次の瞬間、三メートルほど浮上していたS-107が炎上し、ヘリポートに墜落して大爆発した。大気を震撼させるほどの爆音とともに、S-107の破片が雲霞のごとく飛散し、凄まじい潮流と化して周囲を席巻した。
「瑞紀ッ……!」
龍成が瑞紀の裸体を押し倒し、自らの身で爆風から守るようにのしかかった。
「ぐッ……ぅうッ……!」
「龍成ッ……?」
瑞紀の上で龍成が大きく仰け反ると、苦悶の表情を浮かべた。瑞紀は驚いて顔を上げようとしたが、龍成の右手が彼女の頭部を守るように地面に押しつけた。カンッカンッという音とともに、S-107の破片が周囲に飛来していた。
「大丈夫……かッ……?」
爆散の危険が一段落すると、龍成が半身を起こして瑞紀に訊ねた。その表情は脂汗に塗れ、激痛に耐えているかのようだった。
「龍成、怪我は……?」
「気に……するな……」
ニヤリと笑みを浮かべながらそう告げた瞬間、龍成がガクリと瑞紀の上に倒れ込んだ。
「龍成……?」
むせ返るような濃厚な血の匂いがした。生暖かい液体が瑞紀の右腕を真っ赤に染めていった。黒曜石の瞳に驚愕を浮かべると、瑞紀は龍成の体を押しのけるように這い出た。
「うそッ……! 龍成ッ……! しっかりしてッ……!」
龍成の左腕は、肘から先がなかった。彼の左前腕があるべき場所には、一メートル四方の巨大な鉄板がコンクリートに突き刺さっていた。S-107の外装板の一部だった。
龍成の鼓動に合わせて、左肘からドクッドクッと鮮血が溢れ出て、屋上のコンクリートを赤黒く染めていった。意識を失った龍成の体を激しく揺らしながら、全裸であることも忘れて瑞紀が叫んだ。
「龍成ぃ……ッ! しっかりしてぇ……ッ! 龍……成……ッ!!」
轟々と燃えさかる紅蓮の炎に照らされながら、瑞紀の絶叫は蒼穹に吸い込まれるように消えていった。
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