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序章
5 襲撃
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「お前にとって、相棒とは何だ?」
首都高羽田線を横浜方面に進みながら、白銀が訊ねてきた。その質問に、瑞紀は咄嗟に答えられなかった。
『俺にとって相棒とは、命を賭けて愛し護るべき女だ』と、瑞紀は白銀から聞かされていたからだ。
瑞紀は相棒を組むために白銀に抱かれた。だが、それは白銀を愛しているからではなかった。それどころか、瑞紀の弱みにつけ込んで自分の体を要求した白銀を軽蔑さえしていた。
しかし、本来であれば口を聞くことさえ嫌なはずなのだが、心の底から白銀を憎みきれない自分がいた。体を重ねた男に対する情のようなものなのかも知れなかった。
「分かりません。私は相棒を組むのが初めてなので……」
ワンボックスの助手席から白銀の横顔を見つめながら、瑞紀が告げた。
「そうか……。それなら何故、自分の体を張ってまで俺と相棒を組もうとした?」
「それは……命令だからです」
亡くなった父親の親友であり、<星月夜>の統合作戦本部長である高城雄斗の顔を思い浮かべながら瑞紀が答えた。彼は二度も瑞紀の命を救ってくれた大恩人だった。その高城が白銀と相棒を組めと、瑞紀に命じたのだ。
「男と付き合ったこともないくせに、命令されたら誰とでも寝るのか?」
「なッ……! 自分の立場を利用して私の体を要求するような男に、そんなこと言われたくありませんッ!」
白銀の言葉に思わずカッとなって、瑞紀が叫んだ。だが、顔色一つ変えずに白銀が続けた。
「<星月夜>の中でも、俺が担当する任務はとりわけ危険なものが多い。ああ言えば、お前は俺との相棒を解消すると思ったんだ。まさか、本当に抱かれに来るとは思いもしなかった……」
「藤木部長には<準星>の解散と、別の四人組か三人組への異動を申し入れましたが、認められませんでした……」
述懐とも取れる白銀の台詞に驚きながら、瑞紀が告げた。
「まあ、そうだろうな……。今回の人事はもっと上が決めたことだからな」
「……高城統合作戦本部長ですか?」
「知っていたのか……?」
驚いた表情で白銀が瑞紀を見つめてきた。
「はい……。本部長から直接聞きましたから……」
「そうか……」
白銀はそこで言葉を切った。だが、しばらく待っても、それ以上は何も言わずにステアリングを握り続けていた。それで会話を切り上げたつもりのようだった。その沈黙に耐えかねて、瑞紀が訊ねた。
「白銀さんは、何故私を抱いたんですか? 馬鹿なことをするなと言って、追い返すのが普通だと思いますが……」
「似ていたからだ……」
「え……?」
白銀が告げた言葉の意味が分からず、瑞紀は彼の横顔を見つめた。
「死んだ女房にお前が似ていたからだ……」
「奥様に……?」
予想もしていないことを告げられ、瑞紀は驚いた。白銀が結婚していたことも知らなかったし、その妻が亡くなっていることも初耳だった。
「ここまで似ているとは思いもしなかった。あいつが生き返って俺のところに戻ってきたのかと思った……」
そう告げると、白銀は左手で革ジャンパーの内ポケットからパスケースを取り出し、瑞紀の膝の上に投げて寄越した。その中に入れられている一枚の写真を見て、瑞紀は驚きのあまり黒瞳を大きく見開いた。
「これは……?」
一瞬、自分の写真を白銀が持っているのかと思った。それほどその写真の女性は瑞紀に瓜二つだった。
「女房の涼子だ……。お前より、三つ年上のはずだ」
よく見ると、白銀の言うとおり瑞紀よりも大人びていた。だが、色白で小さめの顔や大きな黒瞳、細い鼻梁に淡紅色の唇……ストレートに伸ばした長い黒髪まで本当によく似ていた。
「二年前、テロに続いて起こった暴動に巻き込まれて死んだ……」
「そうだったんですか……」
瑞紀はパスケースを白銀に返しながら短く告げた。
(つまり、死んだ奥さんの代わりに、私を抱いたってこと……?)
嫉妬にも似た感情が、瑞紀の心に渦巻いた。白銀のセックスは荒々しかったが、乱暴ではなかった。瑞紀を昂ぶらせ、女の悦びを教え込むような愛し方だった。事実、瑞紀は生まれて初めて自ら相手を求め、壮絶な愉悦に我を忘れたのだ。
それが死んだ妻の代用品として抱かれただけだと知り、瑞紀は怒りと衝撃が同時に湧き上がってくるのを感じた。
「それともう一つ……。相棒を組むために体を差し出してくるような、いかれた女に興味が湧いたってのもある」
「何ですってッ……!」
ニヤリと笑いながら告げた白銀の台詞に、更なる衝撃とより激しい怒りを感じて瑞紀は思わず叫んだ。だが、自分を睨みつけてくる瑞紀の黒瞳を面白そうに見つめると、白銀がふっと表情を和ませながら告げた。
「こんな危なっかしい女を放っておいたら、何をしでかすか分からないからな……。俺の手元で育てるのも面白いかと思った……」
「……! それって……?」
(私を相棒にするっていう意味……?)
白銀が告げた言葉の意味に気づくと、瑞紀の鼓動はドキンッと高鳴った。それは、『お前を命賭けで愛し、守り続ける』と白銀から告白されたようなものだった。
「だから、ベッド以外でもちゃんと役に立てよ、瑞紀……」
「白銀さんッ……!」
カアッと顔を赤らめながら、恥ずかしさのあまり瑞紀は叫んだ。だが、白銀が初めて自分の名前を呼び捨てにしたことに気づくと、瑞紀は嬉しさがこみ上げてきた。
「龍成でいい……」
「え……?」
「龍成だ。呼び捨てにしろ」
憮然とした表情でステアリングを握りながら、龍成がぶっきら棒に告げた。それが照れ隠しの態度であることに、瑞紀は気づいた。
(意外と可愛いところあるわね……)
「はい……龍成……」
だが、初めてファーストネームを呼んだ瞬間、瑞紀の方が恥ずかしくなった。
(何か、恋人同士になったみたい……)
耳まで真っ赤に染め上げると、瑞紀は正面を向いたまま龍成の横顔を盗み見るように見つめた。
狭い車内を気まずい雰囲気が包み込み、次のパーキングエリアに到着するまで二人は一言も口を聞かなかった。
「つけられてるな……」
ルームミラーに視線を移しながら、龍成が短く告げた。そして、瑞紀にも後方が確認できるように左手でルームミラーの角度を変えた。
(ライトバン……? いえ、マイクロバスだわ……)
運転席には濃いサングラスを掛けた迷彩服の男が座っていた。助手席に人影はなく、他の男たちは壁で仕切られた後部の座席にいるようだった。
「どうするの……? 走りながらドンパチする……?」
ルームミラーを元に戻しながら、瑞紀が訊ねた。左脇に吊ったショルダーホルスターからベレッタM93Rを抜き、安全装置を解除した。切替レバーを3点射にセットする。
「タイヤを撃ち抜けるか?」
「この位置関係だと難しいわね。この車の後部が邪魔して、射線が通らないわ」
「二キロ先にバスの停留所がある。そこに入って車を駐め、奴らを迎い撃とう……」
そう告げると、龍成は左脇のショルダーホルスターから、愛用のB&T USW P320を抜いて右手に持ち、安全装置を解除した。
「相手は何者なの……?」
龍成の任務をまだ聞かされていない瑞紀は、彼の横顔を見ながら訊ねた。
「<蛇咬会>……いや、その下部組織かな……?」
「<蛇咬会>……!」
それは中国系最大のマフィアの名前だった。そして、六年前に瑞紀を拉致監禁して凌辱した組織の名でもあった。
「いいか、瑞紀……。実戦では撃たれる前に撃て……! 死にたくなければ、マニュアルは無視しろッ……!」
龍成が厳しい表情で瑞紀に告げた。
<星月夜>は軍隊並みの組織とはいえ、民間の警備会社だ。その訓練マニュアルには、絶対に相手より先に発砲してはならないと厳しく書かれていた。だが、龍成はその鉄則を破れと告げたのだ。
「分かったわ……。でも、できるだけ殺さないようにします」
龍成の言葉の正しさを認めると、瑞紀が真剣な表情で頷いた。映画やドラマでは、主人公が何発も銃弾を浴びても歯を食いしばって応戦する。だが、実際には二十二口径の銃弾を一発でも喰らったら、激痛のあまり反撃などできるはずはなかった。撃たれる前に撃つというのは、実戦においては生き残るための鉄則だった。
(狙いは右脇腹……)
3点射はトリガーを一度引くだけで三発の銃弾が発射されるベレッタM93R特有の機構だ。だが、三発とも同じ位置に着弾させることは不可能だった。発射の衝撃で銃口の跳ね上がりが起こるため、初弾よりも二弾、二弾よりも三弾と着弾位置が上にずれていくのだ。
よって、初弾を右脇腹に着弾させれば、二弾目は右胸、三弾目は右肩あたりを撃ち抜けるはずだった。もっとも、それは成人男性の六倍以上の筋力がある右義手を持つ瑞紀だからこそ可能な芸当だった。普通の人間であれば、銃口の跳ね上がりを制御できずに、二十メートルも離れたら二弾目が右肩に当たれば良い方だ。三弾目は肩の遥か上を通過するに違いなかった。
ベレッタM93Rの有効射程距離は五十メートルだ。有効射程距離とは、発射された弾丸が十分な命中率と威力を発揮できる距離のことだ。瑞紀は実戦を考慮して、射撃訓練場では必ず五十メートルの射撃エリアで訓練をしていた。安定した姿勢で停止している標的を相手にしているとはいえ、標的中心円命中率97パーセント以上の結果を残している。今回は動いている人間が相手だが、二、三十メートルの距離であれば狙った箇所に着弾させる自信があった。
「バス停だッ! 掴まっていろッ!」
龍成が短く告げた。その意味を即座に理解すると、瑞紀はベレッタM93Rを左手に持ち替えて、ダッシュボードに右手をついた。
瑞紀の予想通り、龍成はウィンカーも出さずにそのままの速度で左車線のバス停にワンボックスを突っ込ませた。そして、車体が真っ直ぐになった瞬間に、時速百二十キロから急ブレーキを掛けた。キィイーッと悲鳴を上げながら、後輪が左に流れた。龍成が左カウンターを当てながらアクセルを踏んで体勢を立て直した。
二百メートル以上の制動距離をかけてワンボックスがバス停の出口付近に停止した。アスファルトとの摩擦熱で、後輪から黒い煙が立っていた。シートベルトをしているとはいえ、右義手の筋力がなければむち打ちではすまない急制動だった。
「行くぞッ……! 外に出たら、ドアを盾にしろッ! 防弾仕様だッ!」
「はいッ……!」
シートベルトを外してドアを大きく開けると、瑞紀は助手席から飛び出した。後方を確認しながらワンボックスの前に回り込み、開いたドアの後ろに素早く身を潜めた。
五十メートルほど後方にマイクロバスが停止し、迷彩服を着た男たちが拳銃を片手に走り降りてきた。
ダンッ、ダンッ、ダンッ……。
トリガーを引くと、ベレッタM93Rの銃口から3点射の発射音が響き渡り、一人目の男が大きく仰け反りながら倒れた。それを確認することもなく、瑞紀はトリガーを引き絞った。三連射の射撃音が鳴り響き、二人目も右後ろに反転しながら倒れ込んだ。
ダンッ、ダンッ、ダンッ……。
ダンッ、ダンッ、ダンッ……。
瑞紀の正確な射撃によって、マイクロバスから降り立った瞬間に男たちが倒れていった。3点射を七回……二十一発を撃ち終えると、瑞紀はマガジン・リリース・ボタンを押して空になったマガジンを抜き捨てた。そして、左手で尻ポケットに挿した新しいマガジンを装着すると、ベレッタM93Rのトリガーを引き続けた。
ダンッ、ダンッ、ダンッ……。
ダンッ、ダンッ、ダンッ……。
ダンッ、ダンッ、ダンッ……。
十三人の男たちを撃ち倒したところで、マイクロバスから降りてくる男はいなくなった。男たちから反撃を受けたのは、五発だけだった。そのいずれも、五十メートルという距離によって瑞紀たちはおろかワンボックスにかすりもしなかった。軽い発射音から、二十二口径か7.62mm弾くらいのようだった。男たちの腕もあるだろうが、命中精度もベレッタM93Rとは比較にならないほど悪かった。
「どうする、龍成……?」
マイクロバスに乗り込んで制圧するかを瑞紀が訊ねた。二発だけ残った弾丸のうち、スライドを引いて一発を薬室に送り込むと、瑞紀はマガジン・リリース・ボタンを押してマガジンを抜き捨てた。そして、ショルダーホルスターから新しいマガジンを抜き取り、ベレッタM93Rに装着した。
「あれは二十人乗りくらいだ。そのうちの半数以上を戦闘不能にした。危険を冒してまで制圧する必要はない。ただし、お土産は置いていってもらおう」
龍成の言葉に頷くと、瑞紀は声を張り上げて叫んだ。
「見逃してあげるわッ! 負傷者を収容して行きなさいッ! ただし、武器はこの場に置いていくことッ! 逆らったら射殺するッ!」
瑞紀の言葉を聞いた男たちが、次々と拳銃を投げ出した。そして、血だらけの体で地面を這いながら、マイクロバスに乗り込んでいった。バスの中から別の男が撃たれた仲間の体を引き上げていた。十三人全員が乗り込むと、マイクロバスは急発進して瑞紀たちの前を通過していった。念のためワンボックスの影に隠れて攻撃に備えたが、一発の銃弾も撃ってこなかった。
「トカレフTT-2035か……。中国製の拳銃だな。やはり、<蛇咬会>か……」
男たちの残した拳銃を拾い上げると、龍成が真剣な表情で告げた。そして、マガジン・リリース・ボタンを押してマガジンを抜き取ると、右脇に吊った予備のショルダーホルスターにトカレフを挿し込んだ。抜き取ったマガジンは、ショルダーホルスターのマガジン・ポケットに挿した。コストダウンを徹底したトカレフには、安全装置がないのだ。マガジンをつけたままだと、誤発射や暴発のおそれがあった。
「薬莢を集めるのを手伝って……」
龍成がお土産を確保したことを確認すると、瑞紀が声を掛けた。ベレッタM93Rを使った痕跡を残さないために、すべての薬莢を持ち帰るのだ。
「分かった……」
二人は手分けして、十三回分の3点射……三十九発の薬莢を拾い集めた。お互いの革ジャンパーのポケットに半分ずつ薬莢を入れると、瑞紀たちはワンボックスに乗り込んだ。狭いワンボックスの車内が、硝煙の匂いで満ち溢れた。
龍成がワンボックスを発進させると、瑞紀は助手席の窓を全開にした。流れ込む風が、硝煙の匂いを消していった。
(今の私は、六年前の無力な私じゃない……。いつか必ず、<蛇咬会>を潰してみせるわ……)
長い黒髪を風に靡かせながら、瑞紀は自分を凌辱して真紅の薔薇を刻みつけた<蛇咬会>幹部の顔を思い浮かべていた。
首都高羽田線を横浜方面に進みながら、白銀が訊ねてきた。その質問に、瑞紀は咄嗟に答えられなかった。
『俺にとって相棒とは、命を賭けて愛し護るべき女だ』と、瑞紀は白銀から聞かされていたからだ。
瑞紀は相棒を組むために白銀に抱かれた。だが、それは白銀を愛しているからではなかった。それどころか、瑞紀の弱みにつけ込んで自分の体を要求した白銀を軽蔑さえしていた。
しかし、本来であれば口を聞くことさえ嫌なはずなのだが、心の底から白銀を憎みきれない自分がいた。体を重ねた男に対する情のようなものなのかも知れなかった。
「分かりません。私は相棒を組むのが初めてなので……」
ワンボックスの助手席から白銀の横顔を見つめながら、瑞紀が告げた。
「そうか……。それなら何故、自分の体を張ってまで俺と相棒を組もうとした?」
「それは……命令だからです」
亡くなった父親の親友であり、<星月夜>の統合作戦本部長である高城雄斗の顔を思い浮かべながら瑞紀が答えた。彼は二度も瑞紀の命を救ってくれた大恩人だった。その高城が白銀と相棒を組めと、瑞紀に命じたのだ。
「男と付き合ったこともないくせに、命令されたら誰とでも寝るのか?」
「なッ……! 自分の立場を利用して私の体を要求するような男に、そんなこと言われたくありませんッ!」
白銀の言葉に思わずカッとなって、瑞紀が叫んだ。だが、顔色一つ変えずに白銀が続けた。
「<星月夜>の中でも、俺が担当する任務はとりわけ危険なものが多い。ああ言えば、お前は俺との相棒を解消すると思ったんだ。まさか、本当に抱かれに来るとは思いもしなかった……」
「藤木部長には<準星>の解散と、別の四人組か三人組への異動を申し入れましたが、認められませんでした……」
述懐とも取れる白銀の台詞に驚きながら、瑞紀が告げた。
「まあ、そうだろうな……。今回の人事はもっと上が決めたことだからな」
「……高城統合作戦本部長ですか?」
「知っていたのか……?」
驚いた表情で白銀が瑞紀を見つめてきた。
「はい……。本部長から直接聞きましたから……」
「そうか……」
白銀はそこで言葉を切った。だが、しばらく待っても、それ以上は何も言わずにステアリングを握り続けていた。それで会話を切り上げたつもりのようだった。その沈黙に耐えかねて、瑞紀が訊ねた。
「白銀さんは、何故私を抱いたんですか? 馬鹿なことをするなと言って、追い返すのが普通だと思いますが……」
「似ていたからだ……」
「え……?」
白銀が告げた言葉の意味が分からず、瑞紀は彼の横顔を見つめた。
「死んだ女房にお前が似ていたからだ……」
「奥様に……?」
予想もしていないことを告げられ、瑞紀は驚いた。白銀が結婚していたことも知らなかったし、その妻が亡くなっていることも初耳だった。
「ここまで似ているとは思いもしなかった。あいつが生き返って俺のところに戻ってきたのかと思った……」
そう告げると、白銀は左手で革ジャンパーの内ポケットからパスケースを取り出し、瑞紀の膝の上に投げて寄越した。その中に入れられている一枚の写真を見て、瑞紀は驚きのあまり黒瞳を大きく見開いた。
「これは……?」
一瞬、自分の写真を白銀が持っているのかと思った。それほどその写真の女性は瑞紀に瓜二つだった。
「女房の涼子だ……。お前より、三つ年上のはずだ」
よく見ると、白銀の言うとおり瑞紀よりも大人びていた。だが、色白で小さめの顔や大きな黒瞳、細い鼻梁に淡紅色の唇……ストレートに伸ばした長い黒髪まで本当によく似ていた。
「二年前、テロに続いて起こった暴動に巻き込まれて死んだ……」
「そうだったんですか……」
瑞紀はパスケースを白銀に返しながら短く告げた。
(つまり、死んだ奥さんの代わりに、私を抱いたってこと……?)
嫉妬にも似た感情が、瑞紀の心に渦巻いた。白銀のセックスは荒々しかったが、乱暴ではなかった。瑞紀を昂ぶらせ、女の悦びを教え込むような愛し方だった。事実、瑞紀は生まれて初めて自ら相手を求め、壮絶な愉悦に我を忘れたのだ。
それが死んだ妻の代用品として抱かれただけだと知り、瑞紀は怒りと衝撃が同時に湧き上がってくるのを感じた。
「それともう一つ……。相棒を組むために体を差し出してくるような、いかれた女に興味が湧いたってのもある」
「何ですってッ……!」
ニヤリと笑いながら告げた白銀の台詞に、更なる衝撃とより激しい怒りを感じて瑞紀は思わず叫んだ。だが、自分を睨みつけてくる瑞紀の黒瞳を面白そうに見つめると、白銀がふっと表情を和ませながら告げた。
「こんな危なっかしい女を放っておいたら、何をしでかすか分からないからな……。俺の手元で育てるのも面白いかと思った……」
「……! それって……?」
(私を相棒にするっていう意味……?)
白銀が告げた言葉の意味に気づくと、瑞紀の鼓動はドキンッと高鳴った。それは、『お前を命賭けで愛し、守り続ける』と白銀から告白されたようなものだった。
「だから、ベッド以外でもちゃんと役に立てよ、瑞紀……」
「白銀さんッ……!」
カアッと顔を赤らめながら、恥ずかしさのあまり瑞紀は叫んだ。だが、白銀が初めて自分の名前を呼び捨てにしたことに気づくと、瑞紀は嬉しさがこみ上げてきた。
「龍成でいい……」
「え……?」
「龍成だ。呼び捨てにしろ」
憮然とした表情でステアリングを握りながら、龍成がぶっきら棒に告げた。それが照れ隠しの態度であることに、瑞紀は気づいた。
(意外と可愛いところあるわね……)
「はい……龍成……」
だが、初めてファーストネームを呼んだ瞬間、瑞紀の方が恥ずかしくなった。
(何か、恋人同士になったみたい……)
耳まで真っ赤に染め上げると、瑞紀は正面を向いたまま龍成の横顔を盗み見るように見つめた。
狭い車内を気まずい雰囲気が包み込み、次のパーキングエリアに到着するまで二人は一言も口を聞かなかった。
「つけられてるな……」
ルームミラーに視線を移しながら、龍成が短く告げた。そして、瑞紀にも後方が確認できるように左手でルームミラーの角度を変えた。
(ライトバン……? いえ、マイクロバスだわ……)
運転席には濃いサングラスを掛けた迷彩服の男が座っていた。助手席に人影はなく、他の男たちは壁で仕切られた後部の座席にいるようだった。
「どうするの……? 走りながらドンパチする……?」
ルームミラーを元に戻しながら、瑞紀が訊ねた。左脇に吊ったショルダーホルスターからベレッタM93Rを抜き、安全装置を解除した。切替レバーを3点射にセットする。
「タイヤを撃ち抜けるか?」
「この位置関係だと難しいわね。この車の後部が邪魔して、射線が通らないわ」
「二キロ先にバスの停留所がある。そこに入って車を駐め、奴らを迎い撃とう……」
そう告げると、龍成は左脇のショルダーホルスターから、愛用のB&T USW P320を抜いて右手に持ち、安全装置を解除した。
「相手は何者なの……?」
龍成の任務をまだ聞かされていない瑞紀は、彼の横顔を見ながら訊ねた。
「<蛇咬会>……いや、その下部組織かな……?」
「<蛇咬会>……!」
それは中国系最大のマフィアの名前だった。そして、六年前に瑞紀を拉致監禁して凌辱した組織の名でもあった。
「いいか、瑞紀……。実戦では撃たれる前に撃て……! 死にたくなければ、マニュアルは無視しろッ……!」
龍成が厳しい表情で瑞紀に告げた。
<星月夜>は軍隊並みの組織とはいえ、民間の警備会社だ。その訓練マニュアルには、絶対に相手より先に発砲してはならないと厳しく書かれていた。だが、龍成はその鉄則を破れと告げたのだ。
「分かったわ……。でも、できるだけ殺さないようにします」
龍成の言葉の正しさを認めると、瑞紀が真剣な表情で頷いた。映画やドラマでは、主人公が何発も銃弾を浴びても歯を食いしばって応戦する。だが、実際には二十二口径の銃弾を一発でも喰らったら、激痛のあまり反撃などできるはずはなかった。撃たれる前に撃つというのは、実戦においては生き残るための鉄則だった。
(狙いは右脇腹……)
3点射はトリガーを一度引くだけで三発の銃弾が発射されるベレッタM93R特有の機構だ。だが、三発とも同じ位置に着弾させることは不可能だった。発射の衝撃で銃口の跳ね上がりが起こるため、初弾よりも二弾、二弾よりも三弾と着弾位置が上にずれていくのだ。
よって、初弾を右脇腹に着弾させれば、二弾目は右胸、三弾目は右肩あたりを撃ち抜けるはずだった。もっとも、それは成人男性の六倍以上の筋力がある右義手を持つ瑞紀だからこそ可能な芸当だった。普通の人間であれば、銃口の跳ね上がりを制御できずに、二十メートルも離れたら二弾目が右肩に当たれば良い方だ。三弾目は肩の遥か上を通過するに違いなかった。
ベレッタM93Rの有効射程距離は五十メートルだ。有効射程距離とは、発射された弾丸が十分な命中率と威力を発揮できる距離のことだ。瑞紀は実戦を考慮して、射撃訓練場では必ず五十メートルの射撃エリアで訓練をしていた。安定した姿勢で停止している標的を相手にしているとはいえ、標的中心円命中率97パーセント以上の結果を残している。今回は動いている人間が相手だが、二、三十メートルの距離であれば狙った箇所に着弾させる自信があった。
「バス停だッ! 掴まっていろッ!」
龍成が短く告げた。その意味を即座に理解すると、瑞紀はベレッタM93Rを左手に持ち替えて、ダッシュボードに右手をついた。
瑞紀の予想通り、龍成はウィンカーも出さずにそのままの速度で左車線のバス停にワンボックスを突っ込ませた。そして、車体が真っ直ぐになった瞬間に、時速百二十キロから急ブレーキを掛けた。キィイーッと悲鳴を上げながら、後輪が左に流れた。龍成が左カウンターを当てながらアクセルを踏んで体勢を立て直した。
二百メートル以上の制動距離をかけてワンボックスがバス停の出口付近に停止した。アスファルトとの摩擦熱で、後輪から黒い煙が立っていた。シートベルトをしているとはいえ、右義手の筋力がなければむち打ちではすまない急制動だった。
「行くぞッ……! 外に出たら、ドアを盾にしろッ! 防弾仕様だッ!」
「はいッ……!」
シートベルトを外してドアを大きく開けると、瑞紀は助手席から飛び出した。後方を確認しながらワンボックスの前に回り込み、開いたドアの後ろに素早く身を潜めた。
五十メートルほど後方にマイクロバスが停止し、迷彩服を着た男たちが拳銃を片手に走り降りてきた。
ダンッ、ダンッ、ダンッ……。
トリガーを引くと、ベレッタM93Rの銃口から3点射の発射音が響き渡り、一人目の男が大きく仰け反りながら倒れた。それを確認することもなく、瑞紀はトリガーを引き絞った。三連射の射撃音が鳴り響き、二人目も右後ろに反転しながら倒れ込んだ。
ダンッ、ダンッ、ダンッ……。
ダンッ、ダンッ、ダンッ……。
瑞紀の正確な射撃によって、マイクロバスから降り立った瞬間に男たちが倒れていった。3点射を七回……二十一発を撃ち終えると、瑞紀はマガジン・リリース・ボタンを押して空になったマガジンを抜き捨てた。そして、左手で尻ポケットに挿した新しいマガジンを装着すると、ベレッタM93Rのトリガーを引き続けた。
ダンッ、ダンッ、ダンッ……。
ダンッ、ダンッ、ダンッ……。
ダンッ、ダンッ、ダンッ……。
十三人の男たちを撃ち倒したところで、マイクロバスから降りてくる男はいなくなった。男たちから反撃を受けたのは、五発だけだった。そのいずれも、五十メートルという距離によって瑞紀たちはおろかワンボックスにかすりもしなかった。軽い発射音から、二十二口径か7.62mm弾くらいのようだった。男たちの腕もあるだろうが、命中精度もベレッタM93Rとは比較にならないほど悪かった。
「どうする、龍成……?」
マイクロバスに乗り込んで制圧するかを瑞紀が訊ねた。二発だけ残った弾丸のうち、スライドを引いて一発を薬室に送り込むと、瑞紀はマガジン・リリース・ボタンを押してマガジンを抜き捨てた。そして、ショルダーホルスターから新しいマガジンを抜き取り、ベレッタM93Rに装着した。
「あれは二十人乗りくらいだ。そのうちの半数以上を戦闘不能にした。危険を冒してまで制圧する必要はない。ただし、お土産は置いていってもらおう」
龍成の言葉に頷くと、瑞紀は声を張り上げて叫んだ。
「見逃してあげるわッ! 負傷者を収容して行きなさいッ! ただし、武器はこの場に置いていくことッ! 逆らったら射殺するッ!」
瑞紀の言葉を聞いた男たちが、次々と拳銃を投げ出した。そして、血だらけの体で地面を這いながら、マイクロバスに乗り込んでいった。バスの中から別の男が撃たれた仲間の体を引き上げていた。十三人全員が乗り込むと、マイクロバスは急発進して瑞紀たちの前を通過していった。念のためワンボックスの影に隠れて攻撃に備えたが、一発の銃弾も撃ってこなかった。
「トカレフTT-2035か……。中国製の拳銃だな。やはり、<蛇咬会>か……」
男たちの残した拳銃を拾い上げると、龍成が真剣な表情で告げた。そして、マガジン・リリース・ボタンを押してマガジンを抜き取ると、右脇に吊った予備のショルダーホルスターにトカレフを挿し込んだ。抜き取ったマガジンは、ショルダーホルスターのマガジン・ポケットに挿した。コストダウンを徹底したトカレフには、安全装置がないのだ。マガジンをつけたままだと、誤発射や暴発のおそれがあった。
「薬莢を集めるのを手伝って……」
龍成がお土産を確保したことを確認すると、瑞紀が声を掛けた。ベレッタM93Rを使った痕跡を残さないために、すべての薬莢を持ち帰るのだ。
「分かった……」
二人は手分けして、十三回分の3点射……三十九発の薬莢を拾い集めた。お互いの革ジャンパーのポケットに半分ずつ薬莢を入れると、瑞紀たちはワンボックスに乗り込んだ。狭いワンボックスの車内が、硝煙の匂いで満ち溢れた。
龍成がワンボックスを発進させると、瑞紀は助手席の窓を全開にした。流れ込む風が、硝煙の匂いを消していった。
(今の私は、六年前の無力な私じゃない……。いつか必ず、<蛇咬会>を潰してみせるわ……)
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神谷 愛
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