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第8章 蒼氷姫

8 イーディスの試練

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 『伝説の鍛冶屋』は煉瓦れんが造りの二階建てで、武器屋としては大きい部類だった。入口の木製扉を開けて中に入ると、様々な武器が所狭しと並べられていた。
「すみません。こちらに置いてある武器は、すべてゾゥリンさんが作られたのですか?」
 入口付近にいたドワーフの女性店員に、アトロポスが訊ねた。

「いえ。一階にあるのは、すべて弟子たちの作品です。ドゥリンの打った武器は、二階に展示しております。よろしければ、ご案内します」
「お願いします」
 そう告げると、アトロポスは近くに置かれている鋼製の剣にある値札を見た。一本で、白金貨五枚であった。たしかに、鍛治士クラスSが打った武器の値段ではなかった。

(鍛治士クラスSっていうと、ドゥリンさんと同じよね。ドゥリンとゾゥリンって名前も似ているけど、何か繋がりでもあるのかしら?)
 ドワーフの女性店員の後について、アトロポスたちは二階のフロアを進んだ。二階の入口から奥へ行くにしたがって、武器につけられた値札の数字が大きくなっていった。
「この一角が、ゾゥリンの作品となります」

「アトロポス、ちょっと……。無理よ……」
 すぐ近くにあった鋼の剣の値札を見て、イーディスが顔を引き攣らせながら告げた。その値札には、白金貨、二千八百枚の価格が書かれていた。
「オリハルコンか、ダマスカス鋼の剣はありますか?」
 イーディスの言葉を笑い流すと、アトロポスは女性店員に向かって訊ねた。

「はい。こちらがオリハルコンとなります。ダマスカス鋼はこちらです」
 女性店員の言葉に頷くと、アトロポスはオリハルコンの剣を手に取った。
「ちょっと重いわね。こっちはどうかな? うーん……、これも重すぎるわ」
 二本とも戻すと、アトロポスは女性店員に訊ねた。
「ゾゥリンさんに特注ってできますか?」
「と、特注って……? 何考えてるの、アトロポス?」
 イーディスが驚きのあまり碧眼を見開きながら告げた。剣を特注ということは、自分専用の剣を鍛治士に打ってもらうという意味だった。

「申し訳ありませんが、どなたかの紹介状がないと特注の武器は承っておりません」
「そうですか……。バッカス、やっぱりイーディスの剣はドゥリンさんに打ってもらおうか? 取りあえず、ここでは昇格試験用に適当なものを見繕うだけにする?」
「そうだな。どうせ特注するなら、ドゥリンさんの方がいいだろう」
 アトロポスとバッカスの会話を聞いて、女性店員が驚愕の表情を浮かべた。

「お、お客様……、あの神明の鍛治士ゴッド・スミスドゥリン様とお知り合いなのですか?」
「はい。私の<蒼龍神刀アスール・ドラーク>もバッカスの火焔黒剣フレイム・エスパーダも、ドゥリンさんに打ってもらったものです」
 そう告げると、アトロポスは左腰の<蒼龍神刀アスール・ドラーク>を抜いて女性店員に見せた。ブルー・ダイヤモンドの刀身が、店内の照明を受けて美しい蒼青色の輝きを放った。

「……! こ、これは……!?」
「ブルー・ダイヤモンドです。バッカスの火焔黒剣フレイム・エスパーダとともに、ドゥリンさん渾身の作だそうです」
「し、少々お待ちください! ただいま、ゾゥリンを呼んで参ります!」
 驚愕の表情を見せながら女性店員がアトロポスに告げると、店の奥にある事務所に駆け込んで行った。

「アトロポスの刀って、本当に綺麗よね? いくらしたの?」
 イーディスの質問に、アトロポスはバッカスと顔を見合わせた。

『正直に言っても大丈夫かな?』
『大丈夫なはずないだろ! 適当に誤魔化しておけ!』

「実際に私たちが払ったのは、白金貨五千枚よ」
「ご、五千枚……!?」
 アトロポスの告げた金額に、イーディスが顔を引き攣らせながら固まった。その様子を見て、アトロポスはバッカスの意見が正しいことを改めて認識した。
(本当の金額が、白金貨三十五万五千枚だと知ったら、間違いなくイーディスは気絶するわね……)


「お待たせいたしました。ゾゥリンがお目にかかりたいと申しております。ご案内いたします。こちらへどうぞ……」
 事務所から戻ってきた女性店員が、アトロポスたちを応接室に通した。武器屋には不似合いなほど立派な応接室だった。部屋の中央に磨り硝子調のテーブルが置かれ、その四方を囲むように黒い本革のソファが並べられていた。アトロポスとバッカスは二人掛けのソファに座り、イーディスがその横にある一人掛けのソファに腰を下ろした。

 出されたお茶を飲みながらしばらく待つと、入口の扉がノックされて一人のドワーフが入ってきた。
「待たせて申し訳ない。俺が店主のゾゥリンだ。『伝説の鍛治士レジェンド・スミス』とも呼ばれている」
「冒険者ギルドのランクSパーティ<闇姫ノクス・コンチュア>のローズです。剣士クラスSです。よろしくお願いします」
 ソファから立ち上がって笑顔で自己紹介をすると、アトロポスは横にいるバッカスの顔を見上げた。

「同じく剣士クラスSのバッカスです。こちらは、剣士クラスDのイーディスです」
「イーディスです。よろしくお願いします」
 『伝説の鍛治士レジェンド・スミス』を前にして、イーディスが緊張しながら頭を下げた。
「まあ、座ってくれ。ところで、それが『神明の鍛治士ゴッド・スミス』の打った刀か?」
 アトロポスたちにソファを勧めると、<蒼龍神刀アスール・ドラーク>に視線を移しながらゾゥリンが訊ねた。

「はい。銘を<蒼龍神刀アスール・ドラーク>と言います。それと、バッカスの剣もドゥリンさんの作です」
火焔黒剣フレイム・エスパーダです」
 アトロポスとバッカスは<蒼龍神刀アスール・ドラーク>と火焔黒剣フレイム・エスパーダを剣帯から抜いて、テーブルの上に置いた。

「抜いてもいいか?」
「どうぞ……」
 アトロポスたちが頷くと、ゾゥリンは<蒼龍神刀アスール・ドラーク>を手に取って鞘から抜いた。
「おお……! ブルー・ダイヤモンドをこれほどまでに鍛えたのか! 見事だ!」
 蒼青色に輝く刀身を見つめながら、ゾゥリンが感嘆の声を上げた。しばらくの間、<蒼龍神刀アスール・ドラーク>に魅入ると、ゾゥリンは満足そうな笑みを浮かべながら納刀した。そして、バッカスの顔に視線を移し、火焔黒剣フレイム・エスパーダを見据えた。

「どうぞ……」
 バッカスの言葉に頷くと、今度は火焔黒剣フレイム・エスパーダを抜剣した。
「こっちは黒檀か? ふむ……この鍛え方も凄まじいな。おそらく<蒼龍神刀アスール・ドラーク>と斬り合っても、刃こぼれしないぞ!」
 鍛治士クラスSの名に恥じず、ゾゥリンは一目で火焔黒剣フレイム・エスパーダの性能を見抜いた。

「さすがに兄貴だ。ますます腕を上げやがったな……」
 火焔黒剣フレイム・エスパーダを鞘に戻しながら告げたゾゥリンの言葉に、アトロポスは驚いた。
「ご兄弟だったんですか?」
 名前が似ていることから何らかの関係があるかも知れないとは思っていたが、兄弟だとは思いも寄らなかった。

「ああ、そうだ。俺とドゥリンは双子の兄弟だ」
 ドワーフらしい豪快な笑い声を立てながら、ゾゥリンが告げた。
「そうだったんですか。言われてみれば、よく似ていますね」
 アトロポスも釣られて笑いながら、ゾゥリンに向かって言った。
「それはそうと、これだけ見事な刀と剣があるのに、俺に特注したいというのはそっちの姉ちゃんの武器か?」
 ゾゥリンが鋭い視線でイーディスを見据えた。

「はい。イーディスは剣士クラスDですが、来週、剣士クラスAの昇格試験を受ける予定です。私は彼女が必ず受かると信じています。ですが、今、イーディスが使っている鋼の剣では、一流の剣士の剣戟を受けたら折れてしまいます。ですから、試験までに彼女の武器を新調しておきたいんです」
「アトロポス……」
 昇格試験に必ず受かると告げられ、イーディスはプレッシャーしか感じられなかった。訓練では、アトロポスはおろか、バッカスを相手にしても勝てたことなど一度もなかったのだ。それと同時に、剣を買い替えると言ったアトロポスの目的をイーディスは初めて知った。

「姉ちゃん、その剣を見せてみろ」
「は、はい……」
 ゾゥリンの言葉にビクンッと体を震わせると、イーディスは慌てて左腰の剣帯から鋼の剣を鞘ごと抜いてテーブルの上に置いた。
「たしかに、あんたの言うとおりだな。兄貴の鍛えた刀や剣を見た後だと、余計になまくらに見える。これじゃあ、一合ももたないぞ」
 イーディスの剣を抜いて刀身を見据えると、ゾゥリンは無遠慮に批評した。そして、呆れたような顔でイーディスを見つめると、鋼の剣を鞘に戻した。

「何でこんなものを選んだんだ? 鍛え方も甘いし、嬢ちゃんには重すぎるぞ」
「それは……その……安かったので……」
 思わず顔を赤らめながら、イーディスは正直に告げた。実際に、その鋼の剣は金貨三枚だったのだ。
「素直なのは悪いことじゃねえが、自分に合った剣を持たないと死ぬぞ!」
「は、はい……。すみません……」
 ゾゥリンの真剣な眼差しを正面から受けて、イーディスは身を竦ませた。

「ゾゥリンさん、イーディスに合う剣を打ってもらえませんか?」
 アトロポスは敢えて希望を言わずに、ゾゥリンの意見を聞こうと思った。バッカスの時にも、神明の鍛治士ゴッド・スミスドゥリンの意見を聞いて、火焔黒剣フレイム・エスパーダを打ってもらったのだ。

「姉ちゃん、何か希望はあるか?」
「できれば……」
 ゾゥリンに要望を告げようとしたイーディスの言葉を、アトロポスが抑えるように告げた。
「私は、ドゥリンさんと同じく、『伝説の鍛治士レジェンド・スミス』を信じます。ゾゥリンさんから見て、彼女に最も合う剣を教えてください」
 ゾゥリンはしばらくの間、アトロポスの黒瞳を見つめると、イーディスの方を振り向いて言った。

「姉ちゃん、立ってみろ。そして、その剣で構わねえから、正眼に構えろ」
「は、はい……」
 ゾゥリンの言葉を受けてソファから立ち上がると、イーディスは鋼の剣を抜いて正眼に構えた。ゾゥリンは厳しい視線でイーディスを見据えると、彼女に短く訊ねた。
「属性は何だ?」
「水属性です」
 イーディスの答えに頷くと、ゾゥリンは再びアトロポスの黒瞳を見つめた。

「予算は……?」
「決めていません。最高のものをお願いします」
 ニッコリと笑顔を浮かべながら、アトロポスが告げた。
細剣レイピアだな。材料は神聖ディアオリハルコンだ。それと、水龍の宝玉と皮だな」
 神聖ディアオリハルコンは、オリハルコンの中でも純度が高い稀少な鉱石だった。数ある鉱石で最高級の硬度を持つ素材だった。
「お持ちですか?」

神聖ディアオリハルコンは在庫がある。水龍だが、最近大量に出回ったんだ。どこかのパーティが一気に水龍を狩ったらしく、かなり安値で手に入った。だから、剣の二、三本分くらいの材料は揃っている」
 どうやら、アトロポスたちが狩った水龍らしかった。いずれにせよ、バッカスの時と違って水龍を狩りに行く必要はなさそうだった。

「全部でおいくらですか?」
「兄貴のお得意さんからぼったくるわけにもいかねえな。神聖ディアオリハルコンは白金貨一万でいい。水龍の宝玉と皮で五千。鍛冶代は……、大まけして一万にしてやるよ」
 本来であれば、鍛治士クラスSの鍛冶代は白金貨五万枚くらいが相場だった。アトロポスはゾゥリンに感謝した。
「では、全部で白金貨二万五千でいいんですか?」

「ああ。それで構わねえ。昇格試験はいつだ?」
「七日後の朝の六つ鐘に開始されます」
「では、五日後の昼の二つ鐘に取りに来てくれ。それまでに仕上げておく」
 ゾゥリンがニヤリと笑顔を浮かべながら告げた。その表情はドゥリンにそっくりであった。

「ありがとうございます。それでは、白金貨二万六千枚でお願いします。千枚は、ゾゥリンさんの酒代にしてください」
「いいのか……?」
 思いもしないアトロポスの申し出に、ゾゥリンが驚きながら訊ねた。
「はい。バッカスの火焔黒剣フレイム・エスパーダを打ってもらったときにも、ドゥリンさんには酒代を渡しましたから……」
「すまねえな。それと一つ教えてくれ」
 嬉しそうな表情でアトロポスに礼を言うと、ゾゥリンが興味深そうな目で訊ねてきた。

「はい。何でしょうか?」
「あんたの<蒼龍神刀アスール・ドラーク>だが、全部でいくらだったんだ?」
 刀身すべてがブルー・ダイヤモンド製の刀など、ゾゥリンでさえも初めて見たのだった。鍛治士としての興味から、ゾゥリンは自分でも打ってみたいと思い、価格を訊ねた。
「本来の値段は、白金貨三十五万五千枚だそうです」

「三十五万五千……!? やっぱり、そのくらいするのか?」
 ゾゥリンが驚愕のあまり、目を見開きながら言った。
「はい。でも、私が払ったのは、オリハルコンと天龍の宝玉、皮の代金だけですから、白金貨五千枚です。ドゥリンさんは五万枚の鍛冶代を無料ただにしてくれました。それと、蒼炎炭鋼石はもらい物です」

「刀一本分の蒼炎炭鋼石をもらっただと……!?」
「はい。私が姉のように慕っている『妖艶なる殺戮ウィッチ・マダー』クロトーさんから頂きました。実際には、白金貨三十万枚するそうですが……」
「『妖艶なる殺戮ウィッチ・マダー』か!? あの人なら分かる! あんた、姐さんの知り合いだったのか?」
 ゾゥリンは驚きながらアトロポスに訊ねた。

「はい。今でこそ独立してバッカスとパーティを組んでいますが、もともと私たちは<星月夜スターリーナイト>のメンバーです。クロトー姉さんには今でもお世話になっています。私たちの装備に付与されている魔法も、すべてクロトー姉さんがしてくれたものです」
 クロトーの優しさを思い出して、アトロポスは自然に笑顔を浮かべながら告げた。
「そうか。俺と兄貴も、ガキの頃から姐さんには世話になりっぱなしだ。今でも足を向けて寝られねえ」
 アトロポスは、鍛治士ギルドにクロトーを連れて行ったとき、ドゥリンが彼女に土下座して挨拶したことを思い出した。

「じゃあ、私たちは似たもの同士ですね」
「そうだな。姐さんの知り合いの仕事じゃ、一切手は抜けねえ! その姉ちゃんが驚くほどの細剣レイピアを打ってやる! 期待していてくれ!」
 ゾゥリンがアトロポスに大きな右手を差し出した。アトロポスは笑顔を浮かべてその手を握りしめながら告げた。
「はい。よろしくお願いします」
 イーディス本人だけが呆然として成り行きを見守っていた。

(あたしの剣が白金貨二万五千枚って……? 何の冗談なの?)
(<蒼龍神刀アスール・ドラーク>の価値って、白金貨三十五万五千枚……!? 大貴族のお屋敷が買える値段じゃないの!?)
(それも、白金貨三十万枚の材料をもらった……? その相手が、あの『妖艶なる殺戮ウィッチ・マダー』って……!?)
(白金貨千枚の酒代なんて、聞いたこともないわよ!)
(いったい、何がどうなっているのよ……?)

 目の前で交わされる会話や飛び交う金額に、イーディスは完全に思考停止状態に陥っていた。驚愕のあまり呆然とし、頭の整理が追いつかなかった。気づくと、アトロポスに手を引かれながら『伝説の鍛冶屋』を出て、冒険者ギルドに向けて歩いていた。
「アトロポス……、あなた、何を考えてるのよ? 白金貨二万五千枚なんて大金、とてもじゃないけど払えないわ!」
 我に返ったイーディスが、アトロポスに向かって告げた。剣士クラスDの彼女は、白金貨五十枚くらいしか蓄えがなかったのだ。

「上級冒険者の使う武器は、オリハルコンやダマスカス鋼が当たり前よ。それらの武器で繰り出される鋭い剣戟を、その鋼の剣で受けられるとでも思っているの?」
「それは、そうかも知れないけど……」
 アトロポスの正論に、イーディスは言葉に詰まった。その様子を笑いながら見ていたバッカスが、フォローをするように告げた。
「心配するな、イーディス。今回の鍛冶代はアトロポスが払う。お前は昇格試験に合格することだけを考えていればいい」

「払うと言ったって、二万五千……」
「気にしないで、イーディス。そんなことよりも、ギルドに戻ってお昼を食べたら特訓するわよ。昇格試験まで七日しかないんだから、それまでに自在に覇気を扱えるようにならないとね。これから七日間は、食事と睡眠以外の時間はすべて訓練だと思いなさい」
「そ、そんな……」
 ニッコリと笑顔で告げたアトロポスの言葉に、イーディスはその美しい顔を引き攣らせた。
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