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第8章 蒼氷姫

7 ダスガールにて

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「へえ、ザルーエク支部とほとんど同じくらいの大きさなのね」
 冒険者ギルド・ダスガール支部の観音扉を押して中に入ると、アトロポスは一階のフロアを見渡しながら告げた。
 三つ並んだ受付カウンターには、綺麗な受付嬢が座っており、笑顔で冒険者たちに対応していた。その左側にあるアイテム買い取り所兼販売所カウンターの造りも、ザルーエク支部と瓜二つだった。一つだけ違うのは、ザルーエク支部にいた熊のような男性職員ではなく、こちらも若い女性職員が販売を担当していたことだった。

「受付で依頼達成報告をしてくるから、アトロポスたちは次の護衛依頼を見繕っていてくれ」
 ダスガールの南門でカールトンから達成のサインをもらった護衛依頼書を手にしながら、バッカスが告げた。
「私も一緒に行くわ。剣士クラスAの昇格試験が近いうちにあるか確認したいから……」
「やっぱり本気だったんだ……。まだ自信ないんだけど……」
 バッカスの提案を断ったアトロポスに、イーディスがため息をつきながら告げた。

 ダスガールに着くまでの七日間、イーディスは何度も逃げ出そうと考えた。朝食後と昼食後は半ザンずつ、そして夕食後にはたっぷりとニザン以上もアトロポスの訓練を受けてきた。
 イーディスは剣士クラスSのバッカスがアトロポスとの模擬戦を逃げ回っている理由がよく分かった。普段は優しいアトロポスだったが、訓練では人が変わったように厳しかった。バッカスに言わせると、それもアトロポスの優しさだと言うことだった。実際の戦闘で死なないように、訓練ではより厳しくするのがアトロポスの考えだとバッカスは告げた。

(でも、絶対にあたしがバッカスさんと口づけしたことを根に持ってるわよね。そうじゃなければ、わざわざ手足を斬り落とす必要なんてないし……)
 七日間の間に、イーディスは本当に二十五回も右腕を斬り落とされたのだ。想像を絶する激痛に、イーディスは泣きながら地面をのたうち回り、何度も意識を失った。その凄惨な訓練に耐えられたのは、上級回復ポーションを口移しで飲ませてくれる役目がバッカスだったからだ。媚薬を飲ませたときのような濃厚な口づけはしてくれなかったが、愛しいバッカスに口移しでポーションを飲ませてもらうことは、イーディスにとっては何よりの褒美であることに間違いはなかった。

「じゃあ、あたしたちも一緒に行きます。実際は護衛依頼でほとんど役に立たなかったけど、一応依頼を達成したサインをもらえたので……」
 キャシーがカールトンのサインの入った依頼書をひらひらと掲げながら笑顔で告げた。
「そうだな。じゃあ、みんなで行くか?」
 そう告げると、バッカスは一番空いている右側の列に並んだ。強面の男一人が四人の美少女を連れている姿は、まるで美女たちに囲まれた野獣そのものだった。

「ザルーエクから来た<闇姫ノクス・コンチュア>と<守護天使ガルディエーヌ>だ。護衛依頼達成の報告をしたい」
 二十代半ばの美しい受付嬢に、バッカスが笑顔で告げた。傍から見ると、美女を脅しつけている悪役にしか見えなかった。

「は、はい。<闇姫ノクス・コンチュア>二人と、<守護天使ガルディエーヌ>三人の共同パーティですね。たしかに依頼達成のサインを確認しました。こちらが報酬の白金貨四枚ずつとなります。達成ポイントは一人五千ポイントですね。ポイントを登録するので、ギルド証をお預かりします」
 顔を引き攣らせながら告げた受付嬢に、アトロポスとバッカスはギルド証を渡した。クラスSを証するプラチナ製のギルド証を見て、受付嬢は驚きに美しい碧眼を大きく見開いた。

「私たちのクラスは内緒にしておいてください」
 声を上げそうになった受付嬢に、アトロポスは右手の人差し指を唇に当てながら小声で告げた。その意味を察して、受付嬢は大きく頷くと笑顔を見せた。冒険者ランクSパーティが来たという噂が流れると、共同依頼を申し込むパーティが殺到するからであった。

「分かりました。<守護天使ガルディエーヌ>の皆さんも、ギルド証をお預かりします」
 受付嬢の言葉に、イーディスたちもアダマンタイト製のギルド証を受付嬢に手渡した。
「では、ポイントを登録して参りますので、少々お待ちください」
 そう告げると、五人のギルド証を手に受付嬢が事務所の奥へと歩いて行った。

「バッカス、いいかな?」
 カウンターの上に置かれた白金貨四枚に視線を送ると、アトロポスがバッカスの顔を見つめた。
「ああ、構わんよ。好きにしていいぞ」
「ありがとう」
 そう告げると、アトロポスは<闇姫ノクス・コンチュア>の報酬として得た白金貨四枚を手に取り、イーディスに渡した。

「え……? 何……?」
 自分たちの報酬をすでに手に取っていたイーディスは、アトロポスから渡された白金貨四枚を見て、キョトンと首を傾げた。
「痛い思いをさせた慰謝料よ。少ないけど受け取って……」
「慰謝料って……。訓練を受けたのはあたしなんだけど……?」
 普通は訓練料を支払うべきところを、逆にお金を渡されたことにイーディスは呆然とした。

「まあ、これでもアトロポスは気にしているんだ。受け取ってやってくれ」
 笑いながら告げたバッカスに、イーディスは笑顔を浮かべながら白金貨四枚を差し出した。
「それなら、二人に掛けた迷惑料でチャラにしてください。さすがに訓練を受けさせてもらった上にお金まで頂いたら冒険者失格ですから……」
「まあ、そう言われると強く言えないな。アトロポス、いいか?」
「そうね。イーディスの顔も立てないとね」
 バッカスの言葉に、アトロポスも笑顔で応じた。七日間の訓練の間に、アトロポスとイーディスはお互いの名前を呼び捨て合うようになっていた。

「お待たせしました。ポイントを付与しましたので、ギルド証をお返しします」
 ちょうどいいタイミングで戻ってきた受付嬢から、アトロポスたちは各々のギルド証を受け取った。アトロポスはプラチナ製のギルド証を天龍の革鎧ヘルムドラーク・ハルナスの隠しにしまうと、受付嬢に向かって訊ねた。
「すみません、近いうちに剣士クラスAの昇格試験はありますか?」
「七日後に予定がありますが、どなたかお知り合いが受験されるんですか?」
 剣士クラスS二人と剣士クラスD三人のパーティに、剣士クラスAの昇格試験を受ける者がいるとは思えず受付嬢が訊ねてきた。

「イーディス、ちょうどいいタイミングだから、受けてみて」
「はあ……。まだ早いと思うんだけど……」
 アトロポスの言葉に大きなため息をつくと、イーディスが仕方なく頷いた。バッカスに媚薬を飲ませた罰として、剣士クラスAの昇格試験に合格するという約束なのだ。アトロポスは笑顔で受付嬢に告げた。

「このイーディスが剣士クラスA昇格試験を受験しますので、申込書をください」
「はぁ? イーディスさんは剣士クラスDですよね? 来週の昇格試験は剣士クラスAですよ?」
 自分の聞き違いかと思い、受付嬢がアトロポスに確認した。
「はい。だから、剣士クラスA昇格試験を彼女が受験します。申込書をお願いします」
「し、しかし、今までにクラスDからクラスAになった冒険者はいませんが……」
 驚きに美しい碧眼を見開きながら、受付嬢が告げた。

「クラスFからクラスAになった奴はここにいるけどな」
「うるさいわね、バッカス。昔のことなんていいじゃない?」
 笑いながら告げたバッカスの言葉に、アトロポスが苦笑いを浮かべた。
「クラスFからクラスAって……? ローズ……『夜薔薇ナイト・ローズ』?」
 ギルド証に書かれていたアトロポスの名前を思い出し、受付嬢が驚愕の声を上げた。

「大声出さないでください。もう……。聞こえちゃったみたいだわ」
 ざわざわと騒ぎ出した周囲の冒険者の視線を感じながら、アトロポスが文句を言った。
「し、失礼しました。こちらの用紙にご記入をお願いします」
 イーディスが『夜薔薇ナイト・ローズ』の関係者だと知り、受付嬢は申込用紙と羽ペンを彼女の前に置いた。

「アトロポスのせいで、凄く目立ってるんだけど……」
 一階にいる冒険者たちの注目を浴びながら、イーディスが申込書を記入し始めた。すべての項目を書き終えると、イーディスは羊皮紙の申込書と羽ペンを受付嬢に渡した。
「剣士クラスAの昇格試験は、七日後の朝の六つ鐘に地下の訓練場で行います。試験官は当ギルドのギルドマスターである拳士クラスS、ジーナが担当します。武器は剣か刀であれば何でも構いません」
「拳士クラスが剣士クラスの試験官を務めるんですか?」
 受付嬢の言葉に、アトロポスが驚いて訊ねた。

「はい。当ギルドにはあいにくと剣士クラスSがいないんです。ですから、剣士クラスの昇格試験は、いつもギルマスが担当しています」
 素手で戦う拳士クラスと剣を武器とする剣士クラスでは、求められる動きや技がまったく異なる。アトロポスが驚くのも無理はなかった。

「バッカス、ちょうどいい機会だから、試験官を申し出てみたら? いい経験になるわよ」
「それはそうだが……。でも、知り合いが試験官をするって言うのは、まずくないのか?」
 どうしても身内びいきで判定が甘くなる可能性があるため、バッカスの言うことは正論だった。

「そう言われるとそうね……。じゃあ、当日ギルマスに申し出て、ダメなら見学していましょうか?」
「そうだな。そうするか……」
 アトロポスとバッカスはお互いを見つめて、笑顔で頷きあった。
(まったく、こんなところでもいちゃついて……。少しは人の気持ちも考えなさいよね)
 バッカスへの想いは諦めたとは言え、胸に疼く嫉妬心まではなかなか消し去ることがイーディスには出来なかった。

「アトロポス、ちょっとポーションを買い足しておくから待ってくれ」
 そう告げると、バッカスは隣のアイテム買い取り所兼販売所カウンターに移って、販売員の女性に声を掛けた。
「上級回復ポーションを五十本と中級回復ポーションを二十本くれないか?」
「え……? 上級を五十本ですか?」
 バッカスの言葉に、女性販売員が目を見開いて驚いた。一本白金貨三枚もする上級回復ポーションを五十本もまとめ買いした冒険者は、未だかつていなかったのだ。

「そうだ。全部でいくらだ?」
「上級回復ポーションが五十本で白金貨百五十枚、中級回復ポーションが二十本で白金貨十枚……合計で白金貨百六十枚になります」
 すぐに暗算で答えた女性店員は、かなり優秀だった。レウルキア王国では商人でも計算が苦手な者が多いのだ。

「このギルド証で決済を頼む」
「は、はい……。プラチナ製のギルド証!?」
 クラスSを証明するバッカスのギルド証を見て、女性店員が再び驚きの表情を浮かべた。だが、驚いていたのは女性店員だけではなかった。白金貨百六十枚もの大金を、何の迷いもなく決済するバッカスに、<守護天使ガルディエーヌ>の三人も驚愕の表情を浮かべていた。

「こちらになります。ご確認ください」
 ずらりとカウンターに並べられたポーションの小瓶を、バッカスは片っ端から次元鞄に入れ始めた。
「バッカス、私も一本もらうわね」
 媚薬を飲まされたバッカスを助けるために上級回復ポーションを使ったアトロポスが、右腰の小物入れに一本補充をした。

「イーディス、お前らも一本ずつ持っておけ」
 そう告げると、バッカスは上級回復ポーションを三本掴んでイーディスに手渡した。
「いいんですか?」
 今回の護衛依頼の報酬は白金貨四枚だった。一本白金貨三枚のポーションを三本も渡されたイーディスは驚きの表情でバッカスの顔を見上げた。

「気にするな。ポーションをケチって死んだんじゃ、馬鹿らしいからな」
「ありがとうございます」
 笑顔で告げたバッカスに礼を言うと、イーディスはキャシーとマーサにポーションを一本ずつ渡した。二人も慌ててバッカスに礼を言いながら頭を下げた。

「この街で一番大きな武器屋を教えてください」
「武器屋ですか? それなら、ギルドの目の前の大通りを右に五タルほど歩くと、左手に『伝説の鍛冶屋』という店があります。鍛治士クラスSのゾゥリンさんが店主を務める有名なお店です。お店の名前は、『伝説の鍛治士レジェンド・スミス』というゾゥリンさんの二つ名から取っているそうです」
 女性店員の説明に満足げに頷くと、アトロポスは礼を言った。
「ありがとうございます。それじゃあ、行きましょうか?」
 イーディスたちは、突然、武器屋に行こうと言い出したアトロポスの顔を見つめた。

「イーディス、お前の剣は重すぎるってアトロポスが言っただろう? 昇格試験の前に買い替えておいた方がいい」
 アトロポスの考えを読んで、バッカスが説明した。
「買い替え……ですか? でも、あたし、そんなお金がまだ……」
「ぐだぐだ言ってないでいくわよ、イーディス。どっちにしても、その剣じゃ剣士クラスAにはなれないわ。キャシーさん、しばらくイーディスを借りますね。待ち合わせは、ギルドの食堂で……」
 笑顔でそう告げると、アトロポスは呆然としているイーディスの腕を取って歩き出した。

(剣を買い替えないとクラスAになれないって、どういう意味なの……?)
 イーディスがその意味を知るのは、もう少し先のことであった。


『アトロポス、イーディスを<闇姫うち>に入れるつもりなのか?』
 ギルドを出るとすぐに、バッカスが意識伝達を送ってきた。
『<闇姫ノクス・コンチュア>に入るかどうかは、イーディスが決めることよ。でも、彼女には剣士クラスSになれるだけの魔力があるわ。その使い方を私は教えたいだけよ……』
『それはいいが、武器まで買ってやるのか? お前のことだから、オリハルコンやダマスカス鋼の武器に買い替えさせるつもりなんだろう?』
 剣士クラスAの昇格試験では、相手もそれなりの武器を持っている。イーディスが使っている鋼製の武器では、打ち合ったときにすぐに折られてしまうことは間違いなかった。

『まあね。さすがにクラスDでは、オリハルコンやダマスカス鋼みたいな一流の武器を買うお金はないでしょうしね』
『俺は前に言ったはずだぞ。あまり情を移しすぎるなと……。覇気の使い方を教えた上、一流の武器を買い与えて、結局<闇姫ノクス・コンチュア>に入らなければ何をしたのか分からないぞ。たぶん、イーディスは、キャシーたちを見捨てて移籍なんてしないぞ』
 バッカスの言葉に、アトロポスも頷いた。イーディスの性格を考えれば、簡単に仲間を裏切るようなことは絶対にないと思われた。

『私もそう思うわ。でも、イーディスが潜在的な力を使えるようになることは、悪いことではないはずよ』
『一概にそうとも言えない。もしイーディスが剣士クラスAに昇格すれば、<守護天使ガルディエーヌ>はランクAパーティとなる。そうなると、年に一度はA級依頼をこなす義務が生じる。クラスD二人を連れてA級依頼など受けたら、少なくてもキャシーたちは死ぬぞ』
 バッカスの意見は正論だった。そんな状態でA級依頼を受注すれば、下手をしたら全滅する可能性も十分にあった。

『もし、イーディスが<闇姫うち>に移籍しない場合には、彼女のギルド証に白金貨千枚を送金するつもりよ。A級依頼の違約金は白金貨三百枚くらいだから、千枚あれば三年は保つわ。三年あれば、キャシーたちもそれなりのレベルになっているだろうから……』
『そこまで考えているのなら、これ以上言うことはない。だが、お前にとってのメリットは何もないが、本当にそれでいいのか?』
『ええ。イーディスは初めてできた気の合う友達よ。私は彼女に、出来るだけのことをしてあげたいの』
 アトロポスの意見に、バッカスはチラリとイーディスの横顔を見つめて大きなため息をついた。

『分かった。好きにするといい。お前が何をしようとも、俺はお前についていくだけだ』
『ありがとう、バッカス。大好きよ』
 アトロポスは、黒曜石の瞳に限りない愛情を映しながら、バッカスの強面の顔を見つめた。
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