夜薔薇《ナイト・ローズ》~闇夜に咲く薔薇のように

椎名 将也

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第7章 戦慄の悪夢

10 新たな旅立ちの前に

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 『女神の祝福』を出ると、アトロポスたちは真っ直ぐに西大門に隣接する馬舎亭に向かった。厩務員きゅうむいんからシリウスとエクリプスの手綱を受け取ると、そのまま西大門を抜けてザルーエクを目指した。

(まったく、バッカスったら……)
 冒険者ギルド・レウルーラ本部に顔を出そうと言ったアトロポスの意見を、バッカスは頑なに拒んだ。
「今からザルーエクに戻れば、夜の六つ鐘が鳴る前にはザルーエク支部に入れる。今日中にクロトーの姉御に解毒魔法を付与してもらえるかも知れないだろう?」
 アトロポスは解毒魔法が付与された首飾りネックレスを買うまでは、バッカスと一緒に寝ることを拒んでいた。二日間、お預けを食らっていたバッカスは、必死の様子ですぐにザルーエクに戻ろうとアトロポスを説得したのだ。

(日帰りでレウルーラまで行って首飾りネックレスを買ってきたなんて、いかにも早くしたい・・・って言ってるようなものじゃない? めちゃくちゃ恥ずかしいわ)
 アトロポスはシリウスの背で揺られながら、真っ赤になって先を行くバッカスの背中を見つめた。バッカスはエクリプスの速度をどんどんと上げていき、本気で急いでいるようだった。

(でも、これでまたバッカスに愛してもらえるんだ。それはそれで嬉しいかも……)
 バッカスとの甘く激しい夜を想像すると、アトロポスは胸がドキドキと高まるのを押さえきれなかった。そして、黒曜石の瞳に愛情の光を浮かべながら、アトロポスはバッカスの後ろ姿を見つめた。


 冒険者ギルド・ザルーエク支部に到着すると、アトロポスはミランダの姿を見つけて声を掛けた。
「こんばんは、ミランダさん。クロトー姉さん、どこにいるか知ってますか?」
「こんばんは、珍しいですね、こんな時間に……。クロトーさんならさっき帰られましたよ」
 笑顔で告げたミランダの言葉に、バッカスがガックリと肩を落とした。

「そうですか、仕方ないですね。明日、出直してきます」
 そう告げると、アトロポスは悄然とするバッカスの腕を引いてギルドから出ようとした。
「あ、そう言えば、クロトーさんから伝言を受けていました。もし今日中にローズさんが来たら、『銀河の泉』にいるから顔を出すようにとのことです」
「急ごうぜ、アトロポス!」
 クロトーの伝言を聞き、強面の顔に満面の笑みを浮かべながらバッカスが告げた。
「ありがとうございます。じゃあ、行ってきますね」
 バッカスの豹変ぶりに呆れながら、アトロポスがミランダに手を振った。

「『銀河の泉』って、どこにあるんだ?」
 ギルドから出ると、早速バッカスがアトロポスに訊ねた。
「ここから歩いてすぐよ。クロトー姉さんが経営している喫茶室なの。二階がクロトー姉さんの住まいになっているわ」
「そうなのか? 遅くなると悪いから、早く行こうぜ!」
 いかにもクロトーのことを考えているような口ぶりで、バッカスが急かした。

(そんなに私としたいのかしら? でも、今からクロトー姉さんに付与を頼むなんて、私まで早くしたいみたいに思われて恥ずかしいじゃない……)
 思わず顔を赤らめながら、アトロポスはバッカスを見つめて言った。
「ねえ、明日にしない? こんな時間から付与をお願いするなんて迷惑よ」
「何言ってるんだ? クロトーの姉御が来いって言ってくれてるんだぞ。早く案内してくれ」
 内心の嬉しさを隠して、バッカスが大真面目な表情を浮かべて告げた。アトロポスは小さくため息をつくと、バッカスを伴って『銀河の泉』に向かった。


「こんばんは、アイシャさん。ご無沙汰しています。クロトー姉さんはいますか?」
 『銀河の泉』の扉を開いて店内に入ると、アトロポスはウエイトレス姿のアイシャに声を掛けた。アイシャはクロトーから『銀河の泉』を任されている美貌のエルフだった。
「こんばんは、ローズ様。お待ちしておりました。二階の書斎にご案内します」
「はい、よろしくお願いします」
 笑顔で告げたアイシャに頷くと、アトロポスとバッカスは彼女の後に続いて階段を上った。

 アイシャは二階の突き当たりにあるクロトーの書斎の前に立つと、扉を二階ノックして声を掛けた。
「クロトー様、ローズ様たちがいらっしゃいました」
「ずいぶんと早かったわね、入って、ローズ」
 中から笑いを含んだクロトーの声が聞こえると、ローズは顔を赤らめながら扉を開けた。

「遅くにすみません、クロトー姉さん」
「こんばんは、クロトーの姉御」
 入口で挨拶をする二人に微笑みかけると、クロトーがダイニングテーブルの椅子を勧めながら告げた。
「来るのはあとニザンくらい後かと思ったわ。ずいぶんと飛ばしてきたみたいね」
「いえ……」
 クロトーの言葉に隠された意味があるような気がして、アトロポスは顔を赤くして押し黙った。その様子を楽しそうに見つめると、クロトーがバッカスに向かって言った。

「どうせ、あんたが急かしたんでしょう? あんまりがっつくと嫌われるわよ」
「ク、クロトー姉さん……!」
 耳まで真っ赤に染めながら、アトロポスが声を上げた。
「全部お見通しですね、クロトーの姉御は……。アトロポス、首飾りネックレスを出してくれ」
 まったく悪ぶれもせずに、バッカスが笑いながらアトロポスに告げた。

「はい……。これが今日買ってきた首飾りネックレスです」
 両手を首の後ろに回してチェーンを外すと、アトロポスはブラック・ダイヤモンドのネックレスをクロトーに手渡した。
「へえ……。ブラック・ダイヤモンドね。よくこんな珍しいのが売っていたわね」
 ブラック・ダイヤモンドの価値を一目で見抜くと、クロトーが驚きながら言った。

「はい。昨日たままた入荷したって言っていました。闇属性魔力を二倍に強化できると聞いて、それを選びました」
「まあ、それがブラック・ダイヤモンドの特徴だからね。普通の人には関係ないけど、闇属性のローズならそのメリットは計り知れないわね。でも、かなりいい値段だったでしょう?」
「はい。白金貨十二万七千枚もしました。でも、それで私の覇気が二倍になるのなら、十分過ぎるほどの価値があると思って買ってきました」
 クロトーの質問に、アトロポスは正直に答えた。彼女を前に隠し事をする気など全くなかったのだ。

「では、早速、完全解毒の魔法を付与しましょうか。少し離れていなさい」
「はい。よろしくお願いします」
 ブラック・ダイヤモンドをダイニング・テーブルの上に置くと、クロトーが席を立って魔道杖を構えた。その様子を見て、アトロポスとバッカスも立ち上がり、テーブルから距離を取った。

「生命を司る大地の精霊たちよ、すべての理を観相する精霊の王アルカディオスよ! の物に浄化の力を与えたまえッ! 精霊王アルカディオスの名において、その力を我に与えたまえッ! スピリット・ライニグング!」
 クロトーの全身が光輝に包まれると、その光が魔道杖の宝玉に収斂していった。そして、その宝玉から眩い閃光が放たれ、ブラック・ダイヤモンドを包み込んだ。ブラック・ダイヤモンドはその光輝を吸収すると、直視しがたいほどの漆黒の閃光を放った。
 アトロポスは思わず目の前に右手を掲げてその光を防いだ。閃光が収まったのを確認すると、そこには更なる漆黒さを増したブラック・ダイヤモンドが美しい輝きを放っていた。

「成功よ。これで、この首飾りネックレスは毒や病気など、ローズにとってのあらゆる不純物を浄化する解毒魔法が付与されたわ。常時発動だから、普通に着けているだけで大丈夫よ」
 ニッコリと笑みを浮かべると、クロトーがアトロポスに告げた。
「ありがとう、クロトー姉さん」
 アトロポスはクロトーに礼を述べると、ブラック・ダイヤモンドの首飾りネックレスを手に取って再び首に掛けた。

「バッカス、あんたのアレもちゃんと浄化するけど、ほどほどにしなさいよね。毎回、ローズにポーションなんて飲ませたら、あんた自身を浄化する魔法を付与するからね」
「か、勘弁してください、クロトーの姉御」
 ニヤリと笑って告げたクロトーの言葉に、バッカスが顔を引き攣らせた。
「毎回ポーションって……やだ、もう……!」
 首まで真っ赤に染まったアトロポスが、恥ずかしさのあまり両手で顔を隠した。その様子を見て、クロトーとバッカスが声を上げて笑った。


 常宿にしている『暁の女神亭』に着くと、バッカスは三階の特別室スイートを予約した。上級宿である『暁の女神亭』の特別室スイートは、一泊白金貨十枚もするのである。
「普通の部屋でいいわよ、バッカス」
「まあ、たまにはいいじゃないか? 水龍の収入もあったし……」
 ニヤリと笑みを浮かべながら告げたバッカスに、アトロポスは思わず赤くなりながら頷いた。二日ぶりに愛し合えることを、バッカスが期待しているのが分かったのだ。

 次元鞄や収納増加魔法のおかげで特に荷物もない二人は、先に一階の食堂で夕食を取ることにした。夜の六つ鐘を一ザン以上も過ぎていたため、食堂には客もまばらであった。
 バッカスは奥の四人掛け席に向かうと、アトロポスに上座を譲って自分は入口側に腰を下ろした。エールと紅桜酒を頼むと、バッカスは羊皮紙のメニューを見ながら適当に肴を注文した。

「『風魔の谷』の跡地って、どうなるのかな?」
 これから久しぶりに愛し合うことから眼を逸らすように、アトロポスが緊張しながら訊ねた。
「完全に埋まってしまったから、おそらく魔素だまりももうできないはずだ。陥没した穴に土を入れて更地にするんじゃないかな? ザルーエク支部としては大きな収入源がなくなって痛手だろうけど、こればっかりは仕方ないな」
「そうね。まあ、ザルーエクにはまだ『破魔の迷宮』もあるし、やっていけないこともないわよね」

 そう言いながらも、アトロポスはバッカスを見直した。バッカスは、つい二週間前まではレウルーラ本部随一の暴れん坊と言われた剣士クラスBだった。普段の素行も悪く喧嘩に明け暮れ、賭場や娼館に入り浸る不良冒険者だったのだ。
 それが今では剣士クラスSに昇格し、ザルーエク支部の経営状態まで危惧するほどになっていた。その成長ぶりが、アトロポスには自分のことのように嬉しく誇らしかった。

「それはそうと、アトロポスはこれからどうしたいんだ? 『風魔の谷』の件も一段落したし、装備もほぼ揃え終わったんだろう? そろそろユピテル皇国に向かうつもりなのか?」
 以前にアトロポスはバッカスに、アルティシアに会うためにユピテル皇国に行くか、シルヴァレートの行方を捜すためにアストリア共和国に行くかを訊ねられた。その時に、シルヴァレートのことはダリウス将軍に任せて、アルティシアに逢いに行くと告げたのだ。

「バッカスには話すつもりだったんだけど、色々なことがあって話しそびれていたわ。姫様をユピテル皇国まで護衛していったのは<星月夜スターリー・ナイト>のメンバーなの。あの政変クーデターから一月が過ぎたから、そろそろ彼らは姫様をユピテル皇国に届け終わって帰途につき始めた頃よ。今、向かうと彼らと入れ違いになる可能性が大きいわ」
 アトロポスの説明を聞いて、バッカスは驚いたような表情を浮かべた。まさか、アルティシアをユピテル皇国に送ったのが、<星月夜スターリー・ナイト>だとは考えてもいなかったのだ。

「そうだったのか。だが、入れ違っても問題はないんじゃないか? アトロポスは剣士クラスSだし、俺も今回クラスSに昇格した。クラスSなら、ギルドの魔道通信機が借りられるから、支部同士で会話が出来るぞ」
「魔道通信機って……?」
 初めて聞く言葉に、アトロポスが首を傾げながら訊ねた。
「俺も実際に使ったことはないから、詳しくは知らない。何でも、大昔の技術で造られた遠距離通話機みたいなものらしい。冒険者ギルドの本部や支部同士なら、その機械を使えば離れていても会話が出来るそうだ。声だけで顔は見られないみたいだがな」

「そんな物がギルドにあったなんて、初耳だわ。凄く便利な機械じゃない?」
 バッカスの説明に、アトロポスは黒曜石の瞳に興味の輝きを映しながら言った。
「魔道通信機は、原則としてギルマスやギルド幹部専用の機械なんだ。冒険者で使用が許されるのは、クラスS以上だけだ。だから、それを使ってユピテル皇国のギルド本部に連絡し、<星月夜スターリー・ナイト>がまだいれば先に話を聞いてみた方がいい」
 バッカスの提案は、アトロポスにとって魅力的なものだった。<星月夜スターリー・ナイト>のメンバーと会話が出来れば、彼らの帰りを待たなくてもアルティシアの情報が得られるのだ。

「うん、そうするわ。上手くすれば、あらかじめ姫様を送り届けた場所も分かるしね。もし<星月夜スターリー・ナイト>のメンバーと話が出来なくても、ユピテル皇国に向かって出発しましょう。向こうに着いてからその魔道通信機でクロトー姉さんに連絡すれば、<星月夜スターリー・ナイト>がどこに姫様を届けたか聞くことも出来るから……」
「それがいいな。明日、ギルマスに魔道通信機の使用許可を得よう。それと、ポーションや携帯食など、旅に必要なものを買い揃えよう。ユピテル皇国までの旅は長いから、護衛依頼があれば受けた方がいい。野宿も避けられるし、中には食事付きの依頼もある。自分たちでユピテル皇国に馬で行くよりは時間がかかるが、便利さは格段に違うぞ」
 バッカスの言葉に、アトロポスは頷いた。さすがに九年も冒険者をやっているだけあった。冒険者としての知識は、アトロポスよりも数段上だった。

「うん。頼りにしているわ、バッカス。さすがね」
 アトロポスから信頼の眼差しでバッカスを見つめられると、バッカスは強面の表情に獰猛な笑みを浮かべた。アトロポスは微笑みながらバッカスの表情を見つめた。
(これが照れ隠しの顔だなんて……。どう見ても、威嚇しているようにしか見えないわね)

「そうと決まったら、早いとこ飯を食って部屋に行こうぜ。今晩は、やること・・・・がたくさんあるしな」
「バ、バッカス……!」
 ニヤリと片目を瞑りながら告げたバッカスの言葉の意味に気づき、アトロポスは真っ赤に染まりながら彼を睨みつけた。

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