夜薔薇《ナイト・ローズ》~闇夜に咲く薔薇のように

椎名 将也

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第6章 火焔黒剣

7 バッカスの模擬戦

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「やっぱり、速いな! 二回休憩しても、四ザン半で到着するなんて……」
 エクリプスのくびを撫ぜながら、バッカスが嬉しそうに告げた。今までの借り馬では、レウルーラからザルーエクまで六ザン以上の時間がかかっていたのだ。
「そうね。シリウスも久しぶりにお兄さんエクリプスと一緒に走れて、嬉しそうだったしね。お疲れ様、シリウス」
 そう告げるとアトロポスは丁寧にシリウスの汗を拭いてやった。そして、桶に入れた水に一掴みの塩を入れると、何度かに分けて飲ませた。

「へえ……。こうやって水をやるのか。今まで馬を飼ったことがないから、知らなかったよ」
 アトロポスのマネをしてエクリプスに水をやりながら、バッカスが笑った。
「激しい運動をさせた後に一気に大量の水を飲ませると、体調を崩してしまうから気をつけてね。それから、桶一杯の水に塩を一掴み入れることも忘れないように……。汗をかいて水分と塩分の両方が不足しているからね」
「なるほど……。でも、こうやって世話をしていると、自分の馬を持ったって実感が湧いてくるな。これからもよろしく頼むぜ、エクリプス」
 笑顔でそう告げると、バッカスは再びエクリプスの頸を撫ぜた。エクリプスが嬉しそうにいなないた。

「じゃあ、日が暮れないうちにギルドに行きましょう。クロトー姉さんに、早くアレを渡したいしね……」
「そうだな……。またな、エクリプス」
「シリウス、またすぐに会いに来るからね」
 アトロポスが優しく頸を抱きしめると、シリウスは嬉しそうに嘶いた。二人は厩務員きゅうむいんに手綱を預けると、馬繋場を後にして冒険者ギルド・ザルーエク支部に向かった。


 ギルドの入口にある観音扉を押して中に入ると、いつもよりも冒険者の数が多かった。夜の四つ鐘を過ぎたこの時間にしては、二十人以上もの冒険者の姿があることは異様であった。そのほぼ全員が掲示板に貼られている羊皮紙を見ていた。
「こんばんは、ミランダさん。どうしたんですか、あれ?」
 受付にミランダの姿を見つけて、アトロポスが訊ねた。

「ローズさん、久しぶりです。いえ……。午前中に行われた昇格試験で、ダリューンという冒険者登録をして三日目の男性が、槍士クラスAに合格したんです。ローズさんの持つ冒険者登録の翌日に剣士クラスAという記録レコードには敵いませんが、ギルド中がその話で持ちきりなんですよ」
 ミランダが興奮気味に早口でまくし立てた。

「凄いな。俺なんて、クラスAに上がるのに九年もかかったぞ」
 濃茶色の瞳を見開きながら、バッカスが感心して言った。
「才能がないからだね。僕みたいな天才は一気にクラスSでもいいのに、ギルマスがもったいぶってクラスAまでしか昇格してくれなかったんだ」
 突然背後から告げられた暴言に、バッカスがムッとして振り向いた。バッカスを卑下されて、アトロポスは彼以上に頭にきながら、後ろに立つ青年を見据えた。

 長い金髪を肩まで伸ばした、女のように整った顔の美青年がそこに立っていた。身長は百七十五セグメッツェくらいで、細身だが鍛え上げていることはその雰囲気からも分かった。
 年齢は二十歳そこそこに見えた。背丈と同じくらいの長槍を斜めに背負い、白銀の金属鎧メタルーマーに身を包んだ姿は冒険者登録三日目とはとても思えなかった。
 その青年の鋭い碧眼が、真っ直ぐにアトロポスを見据えていた。

「君があの『夜薔薇ナイト・ローズ』かい? 思ったよりも若いんだね。僕がダリューンだ。二つ名は『白銀の疾風シルバー・ゲイル』さ。よろしくね」
 差し出されたダリューンの右手を無視すると、アトロポスが笑顔を浮かべながら告げた。
「槍士クラスの昇格試験ってことは、審判はレオンハルトさんだったんですか?」
「そうだよ。あの『焔星イェンシー』を圧倒して、僕は試験に合格したのさ」
 自信に満ちた表情で、ダリューンが自慢げに告げた。だが、アトロポスは彼の覇気がレオンハルトに遥かに及ばないことを見て取った。

「それは凄いですね。槍士クラスSSのレオンハルトさん相手に圧勝ですか? どんな試合だったんです?」
「試合と言うほどのことはなかったよ。開始から五タルザンで、僕は彼が右手に持っていた槍を跳ね飛ばしたのさ。あんなんでクラスSSとは、冒険者ギルドというのはレベルが低いんだね」
 アトロポスは思わず笑い出しそうになるのをこらえた。

 レオンハルトは左利き・・・なのだ。右手で槍を持っていたということは、彼は単に遊んでいただけだということにアトロポスは気づいた。
(レオンハルトさんったら、決勝戦まででダリューンさんの実力を見切っていたのね。どうせ合格させるつもりだったから、最後に華でも持たせてやる気だったのかしら?)
 アトロポスの見たところ、ダリューンはたしかにクラスAの実力ちからはありそうだった。だが、彼の覇気はレオンハルトどころか、バッカスの半分もなかった。

「何が可笑しいんだ? 僕が嘘をついているとでも言う気か? ここにはその試合を見ていた者も大勢いるんだ。嘘だと思うなら、彼らに聞いてみるがいい!」
 アトロポスに馬鹿にされたと思い、ダリューンが碧眼を細めて睨みつけてきた。
「ミランダさん、クロトー姉さんはギルマス室にいますか?」
「はい。たぶん、まだいらっしゃると思います。声を掛けてきますか?」
「いえ、直接行きます。バッカス、行きましょう」
 完全に無視されたダリューンが険しい声で叫んだ。

「ちょっと待てッ! 僕の話は終わっていないぞ! 剣士クラスSのくせに逃げる気か? 『夜薔薇ナイト・ローズ』の二つ名は臆病者の代名詞か!?」
「黙れ、小僧ッ! 黙って聞いてりゃのぼせ上がりやがってッ! こっちには、お前の下らねえおしゃべりに付き合ってやるいわれなんてねえんだッ!」
 凄まじい大音声でバッカスがダリューンを怒鳴りつけた。『猛牛殺しオックス・キラー』の名に恥じない圧倒的な迫力に、周囲にいた冒険者たちが竦み上がった。

「何だとッ! 貴様、僕を小僧呼ばわりするのかッ!」
 さすがに槍士クラスAになっただけあり、鼻白はなじろみながらもダリューンはバッカスの威圧を前にして文句を言った。
「行きましょう、バッカス。なりたて・・・・を虐めたら可哀想よ」
「それもそうか……。まあ、がんばれよ、なりたて・・・・
 バッカスはダリューンを一瞥すると、アトロポスの後に続いて歩き出した。

「な、なりたて……だと!? 貴様ら、『焔星イェンシー』を圧倒したこの僕に向かって、よくも……!」
 ダリューンが背中の長槍に右手を添えた。
(あ……やばい。また、アイザックさんに怒られる……)
 ギルド内で武器を抜くことは、重大な契約違反であった。最悪は冒険者資格を剥奪されるほどの罰則が適用されることをアトロポスは思い出した。そのきっかけを作ったのが自分であるとバレたら、間違いなくアイザックの雷が落ちることは容易く予想できた。

「あれ、ローズじゃない? 久しぶりだね。おや、こっちは午前中に合格にした……名前なんだっけ?」
 場の空気をまるで読んでいない暢気のんきな声が聞こえてきた。その聞き覚えのある声に、アトロポスが驚いて振り向いた。

「レオンハルトさん! お久しぶりです。相変わらずですね……」
 ダリューンを増長させた原因を作った犯人に向かって、アトロポスが苦笑いを浮かべた。
「ローズも相変わらずだね。少しは僕のことを尊敬しようよ」
「もちろん、尊敬していますよ。反面教師として……」
 笑顔で告げたアトロポスの言葉に、レオンハルトが笑い出した。

「アハハ……、そうだったね。ところで、君があのバッカスかな? 僕はレオンハルト。よろしくね」
「バッカスです。よろしく……」
 差し出されたレオンハルトの手を握りながら、バッカスは冷や汗をかいた。
(こいつ、アトロポスといい勝負だ……。槍士クラスSSってのは、伊達じゃねえな?)
 Aクラスになりたて・・・・のダリューンなど、レオンハルトが本気になれば瞬殺されることがバッカスには分かった。

「うん、君は強そうだ。今度、僕と模擬戦してみる?」
「いや、止めておく……。強いヤツとの模擬戦は、アトロポスでりているからな」
 バッカスが笑いながら告げた言葉で、レオンハルトは彼が自分の実力を読み取ったことを悟った。
(完全に覇気を抑えているはずなのに、僕の力が分かるなんて……。さすが、おばあちゃんが選んだローズの護衛だけあるな……)

「それはそうと、レオンハルトさん、また遊びましたね。おかげで私たちがそのとばっちりを受けてるんですけど……」
 チラッとダリューンの顔を見て、アトロポスがレオンハルトに文句を言った。レオンハルトが昇格試験で実力の一端でも見せていれば、ダリューンはここまで増長しなかったのだ。

「あはは……。ローズの時と違って、今回は退屈だったもんでね。僕の代わりに、バッカスが彼の……名前なんだっけ?……相手をしてあげない?」
「俺が……? アトロポス、いいか?」
 さっきからダリューンに対して頭にきていたバッカスは、本気で彼を叩きのめしても良いかをアトロポスに訊ねた。

「いいけど、本気でやっちゃダメよ。一本だけにしておいてね。それ以上やると、また私がアイザックさんに怒られるから……」
「分かった。おい、小僧。訓練の相手をしてやるから、地下に来い」
(腕一本だけか……。どうせなら、手足全部を斬り落としたかったんだがな。アトロポスを侮辱したヤツにはそのくらいがちょうどいいのに……)

「三人とも僕のことを馬鹿にしやがってッ! 何なら、三人一度に相手をしてやるぞッ!」
 ダリューンの強気な発言を聞いて、バッカスは驚きに目を見開いた。そして、思わずレオンハルトの顔を見据えた。
「ちょっと甘かったかな? ここまでとは……。バッカス、悪いけど僕の尻拭いをお願いできるかな? 後でちゃんとお礼はするから……」
 何故、相手の実力も読めない者をクラスAにしたのか、となじるバッカスの視線に、レオンハルトは素直に詫びた。

「はああ……。分かった。小僧、ついて来い!」
 レオンハルトの言葉に大きくため息をつくと、バッカスはダリューンを促して地下訓練場に続く階段を下り始めた。
 アトロポスも文句を言いたげにレオンハルトを睨むと、バッカスの後に続いた。一人残されたレオンハルトは、自分の失敗を棚に上げるように大きく肩をすくめた。


「ローズ、審判につかなくてもいいのかい?」
 地下訓練場の中央で対峙するバッカスとダリューンを見つめながら、レオンハルトは隣の観戦席に座るアトロポスに訊ねた。
「審判が必要になるほどの試合ですか?」
「まあ、たしかに……。でも、バッカスがやり過ぎないか心配じゃないの? 彼、かなり頭に来ていたみたいだしね」
 にべもないアトロポスの答えに苦笑いを浮かべながら、レオンハルトが言った。

「心配いりませんよ。以前のバッカスならともかく、今の彼があの程度で我を忘れるはずはありませんから……」
「へえ、ずいぶんと彼を買っているんだね」
「ええ、まあ……。同じパーティのメンバーですし……」
 レオンハルトの言葉に顔を赤らめながら、アトロポスが告げた。その様子を面白そうに見つめると、レオンハルトが大声でバッカスに叫んだ。

「バッカスッ! 勝ったらローズがサービスしてくれるって言ってるぞッ!」
「ち、ちょっと、レオンハルトさんッ! 何言ってるんですかッ!」
 レオンハルトの告げた言葉の意味を知り、アトロポスが真っ赤になって叫んだ。
「あはは……! やっぱり、そういう関係かい?」
「……! し、知りませんッ!」
 見事にレオンハルトの策に嵌められたことに気づき、アトロポスがプイと横を向いた。


(まったく……。この程度で奉仕サービスしてくれる女なら、苦労はしねえんだよ)
 レオンハルトの戯れ言ジョークを耳にして、バッカスが小さくため息をついた。そして、右腰で長槍を構えるダリューンの実力を見極めるように鋭い視線で見つめた。
(槍士クラスAってことは、覇気攻撃が出来るはずだ。と言っても、大した魔力量じゃないから、たかが知れているか? 上手くすれば、俺でも相殺出来るかも知れないな……)
 覇気の相殺は、よほどの実力差がなければ不可能だと言われている。だが、クラスAになりたてのダリューンと、クラスSに近い実力を持つバッカスの力の差は、そのくらい大きかった。

「おい、小僧。覇気攻撃をしたければ、先に使わせてやる。どの程度か見せてみろ!」
 バッカスは故意にダリューンを挑発した。覇気攻撃をわざと撃たせて、相殺してみようと考えたのだ。
「貴様ッ! この僕を愚弄すると、痛い目に遭うぞッ!」
 そう告げると、ダリューンはバッカスの思惑通り、全身に蒼い覇気を纏い始めた。水属性特有の覇気色だった。


「やっぱり、クラスAは早かったかな? あの程度の覇気しか纏えないとは……」
「私もその意見に賛成です。あれじゃあ、バッカスの三分の一もありませんよ」
 自嘲気味に告げたレオンハルトの言葉に、アトロポスが大きく頷いた。
「へえ……。じゃあ、バッカスはクラスAの中でも限りなくクラスSに近い実力ってことかい?」
「当然です。彼は私の……」

 思わず、「私の愛する男性ひとです」と言いかけて、アトロポスが言葉を切った。その様子をニヤリと笑いながら見つめると、レオンハルトが続けて訊いた。
「私の……何だい?」
「私の護衛ですから……」
 アトロポスは顔を赤らめながらそう告げると、慌ててバッカスの姿に視線を送った。


「ハァアアッ!」
 ダリューンの全身から蒼い覇気が立ち上り、蒼炎と化して燃え上がった。その蒼い炎が右腰に構えた長槍に収斂しゅうれんしていくと、長槍の先端部分が蒼光を放ち始めた。
「これでも喰らえッ!」
 ダリウスに向かって叫びながら、ダリューンが右腰の長槍を突き出した。槍の先端から蒼炎が膨れ上がり、直径五十セグメッツェほどの蒼い球体となってバッカスに襲いかかった。

(これが全力……? 冗談だろ? ダリウス将軍の足元にも及ばねえじゃねえか?)
 ダリューンが放った蒼炎の覇気に呆れながら、バッカスは両手剣バスターソードに火焔を纏わせて左から右に薙いだ。
「ハッ……!」
 次の瞬間、蒼炎よりも遥かに小さな深江色クリムゾンの火焔が翔破し、ダリューンの覇気に激突して対消滅させた。大きさは蒼炎よりの半分以下でも、覇気の質と練度が格段に上だったのだ。

「馬鹿な……!? 僕の覇気が……?」
 呆然と呟いたダリューンの視界から、バッカスの姿がブレて消えた。同時に、長槍を持ったダリューンの右腕が肩から両断され、血しぶきを上げながら宙を舞った。
「ぎゃあああ……!!」
 凄まじい絶叫を上げながら、ダリューンが右肩を押さえて地面を転げ回った。バッカスは右腰につけた小物入れから上級回復ポーションを取り出すと、ゆっくりとダリューンに近づいていった。

「俺もよくやられたから、その痛みは分かる。まあ、俺の場合は口移しで飲ませてくれる楽しみがあったが、男にそんなことするつもりはねえ。まあ、飲めッ!」
 そう告げると、バッカスは転げ回るダリューンの胸を右膝で押さえつけながら、栓を抜いた上級回復ポーションをダリューンの口に押し込んだ。ゲホッゲホッとむせ返りながらも、ダリューンはポーションの中身を何とか飲み込んだ。

 ダリューンの右肩が光輝に包まれ、元通り右腕が生えて・・・きた。無事に腕が復元したことを確認すると、バッカスはダリューンから離れて厳しく告げた。
「これに懲りたら、あんまり図に乗るなよ、なりたて・・・・
 だが、ダリューンは自分の身に起きたことが信じられないといった表情でバッカスを睨みつけた。

「貴様、この僕に何をしたッ!? 『焔星イェンシー』さえ圧倒した僕が、貴様などに負けるはずはないんだッ! どんな汚い手を使って、僕の腕を斬り落としたんだッ!」
 ダリューンの言葉を聞いて、バッカスは怒るよりも呆れ返ってしまった。そして、観戦席にいるレオンハルトを見据えると、疲れたような口調で告げた。

「おい、レオンハルト。俺の尻拭いはここまでだ。後は任せるぞ!」
「うん、分かったよ、バッカス。ありがとうね。まあ、僕の責任だから仕方ないか……」
 そう告げると、レオンハルトが席を立ってダリューンの元へ歩いて行った。彼と入れ替わるように、バッカスがアトロポスのところに戻ってきた。

「お疲れ様、バッカス」
「ああ……。精神的に疲れたよ」
 笑顔で出迎えたアトロポスに苦笑いを浮かべながら、バッカスは彼女の隣りに腰を下ろした。
「レオンハルトはどうするつもりだろうな?」
「力の差を見せつけるんじゃない? そうしないと、あのダリューンって人には理解できないでしょうから……」
 バッカスの質問に答えながら、アトロポスは面白そうに黒瞳を輝かせながらレオンハルトを見つめた。


「えっと、君……名前、何だっけ?」
 もともと、興味のない人間の顔と名前を覚えることが苦手なレオンハルトは、本気でダリューンの名前を覚えていなかった。当然のことながら、ダリューンはレオンハルトの言葉に激怒した。
「何だとッ! 僕はダリューンだ! お前を圧倒して槍士クラスAになった男だ! 自分を倒した人間の名前くらい覚えておけッ!」

「えっと……。何で君が僕を倒したことになっているんだかよく分からないんだけど、君を槍士クラスAにしたことは完全に僕の失敗ミスだということは分かったよ。だから、君の昇格は取り消しにするね。もともとはクラスFだったんだよね? まあ、それじゃあ可哀想だから、クラスBで手を打ってあげるよ」
「何だとッ! 僕に負けた貴様が、そんなこと……!?」
 ダリューンの碧眼が驚愕に大きく見開かれ、愕然として言葉を失った。

 レオンハルトの全身から火属性特有の真紅の覇気が沸き立った。その覇気が爆発するように膨れ上がると、高さ二十メッツェもある地下訓練場の天井に届かんばかりに一気に炎上した。覇気の色が真紅から深江色クリムゾンへと変わっていき、周囲の大気さえ灼き焦がし始めた。
「あ……あっ……あっ……」
 凄絶なレオンハルトの覇気を目の当たりにして、ダリューンは言葉を失いながらペタンと腰をついた。その碧眼は驚愕と恐怖に大きく見開かれ、涙さえも浮かべていた。

「覇気を纏うというのは、こういうことを言うんだよ。君が戦ったバッカスも、この程度は出来るよ。だから、彼は剣士クラスAなんだ。君のはまだ覇気を纏うといったレベルにはほど遠いよ」
 そう告げると、レオンハルトは覇気の解放を抑え込んだ。巨大な覇気の火焔が、瞬時に消滅した。
「では、君は今から槍士クラスBに降格だ。受付で新しい・・・ギルド証を受け取って来るがいい」
 腰を抜かして動けなくなったダリューンに向かって笑顔で言い放つと、レオンハルトはゆっくりと歩きながらアトロポスの元へ戻ってきた。


(何て濃密な覇気だ!? 俺の覇気とは練度が段違いだ……。これがクラスSSの実力か……)
 レオンハルトの覇気を目の当たりにして、バッカスは自分との力の差を思い知らされた。おそらく、レオンハルトは実力の半分も出し切ってはいなかった。それにもかかわらず、バッカスが全力で解放した覇気を完全に上回っていた。
「お疲れ様でした、レオンハルトさん。それから、ありがとうございました」
 アトロポスがレオンハルトに向かって頭を下げた。その意味が分からず、バッカスはアトロポスの横顔を見つめた。

「ん? 気づいちゃったの? 本人は分かっていないみたいだけどね」
 笑いながらそう言うと、レオンハルトはバッカスの顔を見つめてきた。
(……! まさか、こいつ……? 俺に覇気の使い方を教えるために……?)
「闇属性の私じゃ、バッカスに火属性の覇気を教えられませんから……。バッカスもいい勉強になったと思います」
 アトロポスも笑顔でそう告げると、隣に座るバッカスを見つめた。

「さすが槍士クラスSSだ……。素直に礼を言うよ。ありがとう……」
「僕の尻拭いをさせたお礼だ。気にしなくていいよ。それより二人とも、夕食はまだだろう? 一緒にどうだい?」
「ありがとうございます。でも、先にクロトー姉さんとアイザックさんに挨拶してきます。食事はまた今度の機会に……」
 そう告げると、アトロポスはバッカスを促して席を立った。

「そうか……。それからバッカス、模擬戦の相手が必要ならいつでも声を掛けてくれ。君となら楽しめそうだ」
「ああ。その時にはお手柔らかに頼む。何しろ、アトロポスとの模擬戦くんれんは上級回復ポーション前提だから、こっちも死に物狂いなんだ」
 差し出されたレオンハルトの右手を握りしめながら、バッカスが笑って告げた。

「あはは……。それが彼女の愛情表現なんだよ。大切な君がくだらない戦いで死なないように、鍛え上げているつもりなんだろう? 女にはもっと別の愛情表現があることを教えて上げるといいよ」
「そっちは今、教育中だ」
「そうか。それならいい」
 お互いにガッシリと握手をしながら、二人が笑い合った。どうやら、意気投合をしたようだった。

「へ、変なこと言ってないで、行くわよ、バッカス! レオンハルトさんも、また今度……」
 アトロポスは真っ赤になりながらそう告げると、逃げるように一階へと続く階段に向かって走り出した。
(まったく、何を言い出すのよ、二人とも……。教育って、あんなことが……」
 昨夜の激しい愛の交歓きょういくを思い出し、アトロポスは首筋まで赤く染まった。男二人のきわどい艶話シモネタを笑って聞き流せるようになるまで、アトロポスにはまだ時間が必要だった。
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